三国志の英雄VSナポレオン軍団


▼ページ最下部
001 2010/06/27(日) 14:37:01 ID:fgCsB.caHM
1798年、ナポレオン・ボナパルト率いる5万人のフランス軍はエジプト征服に向け
大小300隻の艦隊で出撃した。
約2ヶ月後、見張りが陸地を発見した。
しかし見えた陸地は北アフリカでは無く、西暦215年の徐州だった。

さてフランス軍は中国にナショナリズムを呼び起こし近代帝国を建設できるか?

迎え撃つは曹操や孫権、劉備などの中国の英雄たち。

https://www.youtube.com/watch?v=36IqTMVsFKk

返信する

※省略されてます すべて表示...
335 2011/11/02(水) 09:54:39 ID:OPPfCpRuGw
エジプト遠征に来た軍が
上陸時点から食料不足のわけないだろ!
歴史を改変しすぎだ(笑)

徐州の海岸線に50000の艦隊が来たら
大事になるわ。
モンゴル軍が攻めてきたときだって
万里の長城を迂回してきたんだぞ?
つまり想定外の攻めかたをされたんだが
当然伝令が走って大混乱になってるわけ。

歴史を仮定で論じるなら
ただ「こう思う」「こんな気がする」
ではなくて、「歴史上のこのように」
と極力根拠を言わないと

返信する

336 2011/11/03(木) 00:24:41 ID:G0/EOvW8aw
>>335は、>>332から>>335までの流れを読んだかい?
別に改変なんてしてないよ

>>332は俺だけど、>>334>>335は素晴らしい解説をしてくれている
多くの人は納得できる過程と結末だと思うよ


まあ俺の考えるフランス軍の問題は、あと何日食料がもつか、につきると思う。
当然「あと何日分」なんて答えは出ないのだが、推論はできる。

2ヶ月も航海してきたんだ。当然食料はもう少ない。
エジプトに上陸するつもりか、中継地点で補給するつもりだったかは知らないが、どちらにせよ2ヶ月の航海は当時としちゃ限界っていう結論だと思うよ。要は手持ち食料数日分程度しかないと考えるべき。そっからスタート。
あと数日で何ができるか?ってことかな。
まあ、>>334で全部書かれちゃってるんだけど。

返信する

337 2011/11/03(木) 04:52:06 ID:T6EN7Po0kM
>>334文中で訂正
×>この時点で堰を切ったように略奪や攻城に向かうことがわかるかと思う
○>この時点で堰を切ったように略奪や攻城に向かわないことがわかるかと思う

月単位の兵糧があっても、この場合の略奪行軍はデメリットが多くなるだけでね
ありったけの食糧を持って都市から住民が逃げるだけ
要所では足留めを喰らうことになる
足留めは先の通り、道を塞いだり、少人数で襲撃されたり
無論フランスはほぼ無傷だろうが、時間を消費する

上のほうでピサロの事例を仰っておられる方がいる
当時の欧米列強国のアメリカ大陸での先住民との戦闘による領地拡大は
ナポレオンと比べてずっと少ない人数でペルーを攻略したわけだが
彼らは既に近くに前線の補給拠点があること
多くは志願兵であることに加えて、略奪行軍でも十分な量の食糧を確保できる規模ってこと
ナポレオン軍と比較するにはちょいと無理がある

この略奪行軍人数ってのが重要でね
イザとなれば前線基地にも戻れるピサロのインカ攻略は数百程度か

仮にナポレオン軍が数百、せいぜい数千の兵でなら
略奪行軍で余裕を持って中央に向かうなり、盗賊や地域のミカジメヤクザになるなり
有力国家の用心棒となるなりで、現地調達が可能
ここから始めて野心を練る計画を立てることができる

つまり>>335この場合は5万の兵だから負ける訳ないんじゃなくて
5万もいるから略奪以上に消費が上回って窮地に陥る
じゃあ分散させればいいじゃないか?
分散してローラーで殲滅行軍を行なったとしても
行軍過程でさほどは調達できないほどの現地の地域人口

そして彼らはいくら金品を奪っても、凱旋どころか戻る国すらない状態
これで魏呉蜀の一国を奪っても、国の基本が崩壊しているから
民衆共々慢性的な食糧不足は解消されない

返信する

338 2011/11/03(木) 22:11:25 ID:G0/EOvW8aw
確か、ピサロだっけ?わずか17人でインカ兵を6千人殺したってね。
何時間も休む間もなく暴れまわって、しかも軽傷者が数人出た程度らしい。
そんでインカ皇帝も捕縛。

返信する

339 2011/11/03(木) 23:29:00 ID:K5XYm4ViC2
インカ弱すぎだな
戦国自衛隊でも自衛隊相手に戦国武将ががんばってたというのに

返信する

340 2011/11/04(金) 04:28:28 ID:Ll6gBBknU6
インカは石器時代の抗争規模をそのままデカくしたようなもんだからね

実質は兵器どころか鉄器も騎兵もいなく歩兵のみで、その歩兵も弩もなくて剣もない
弓矢と槍、青銅器の鉈や槌、それから錘のついた投げ縄や投石器が相手で
鉄の鎧を貫けない
しかも防具は木の盾や竹の兜、それから木綿を編んだ鎧の軽装歩兵のみ

あとスペインは信頼性に劣る当時のマスケットは脅し程度で
実際のところは鉄砲より弩で制圧したようなもん
それでも実行までに数年掛かりで、その間に現地の反インカ勢力も取り込んでるんだよね
つまりちゃんと下準備を行って、政治力をも駆使した上での殲滅行軍の結果なんだよ

返信する

341 2011/11/04(金) 08:46:16 ID:UE.xzxCjL2
≫336
ナポレオンがアレクサンドリア占領するまで
略奪はしていないわけだけど、
それくらいの食料は持ってた事実を無視している。

そのアレクサンドリアでさえ
当時の人口は3000だったから、五万人の食料は賄えない。

それでも食料が不足しなかったのは
歴史的な事実です。

時代の違うインカと比べなくても
マムルーク戦で死傷者に百倍の差があるんだから
それより圧倒的に差のあるこのケースでは
推して知るべしだろう。

返信する

342 2011/11/05(土) 01:35:29 ID:pAhf6U7FDI
>341
なんで補給なしで行けたと思い込んでるの?補給船くらい頻繁に出してるとは考えなかった?
手持ち食料だけで行軍できたと?

ちょっとオマエ、手持ち食料(笑)だけでアレクサンドリアまで行ってこい

返信する

343 2011/11/05(土) 02:29:51 ID:sTxUZFg5w2
>>342
ネルソンのイギリス艦隊が張ってて、事実上封鎖されてたのと、
上陸後速攻でフランス艦隊は全滅されちゃった

ていうのを知らないのというか、
「補給がなかったと考えてる」んじゃなくて
「補給がなかったと」んだけど。2年間。

もともと大陸軍の東方方面軍は補給がほぼ無くて
自給自足が前提だったんだけどね。

返信する

344 2011/11/05(土) 02:30:49 ID:sTxUZFg5w2
ん、誤字が多いな。ごめん。

ネルソンのイギリス艦隊が張ってて、事実上封鎖されてたのと、
上陸後速攻でフランス艦隊は全滅させられちゃった

ていうのを知らないのというか、
「補給がなかったと考えてる」んじゃなくて
「補給がなかった」んだけど。2年間。

もともと大陸軍の東方方面軍は補給がほぼ無くて
自給自足が前提だったんだけどね。

返信する

345 2011/11/05(土) 05:24:21 ID:jbHZinBTk6
豊かな穀倉地帯だが限られたエリア、ナイル下流デルタに人が密集するエジプト
その近隣の近東小アシアも相応に文明化された地域
収奪するにしても穀物は麦が殆ど
そしてその周囲一帯含めてフランスは既に詳細な地図始め各分野での詳細な情報があって
基本は計画して動けている
だから殲滅行軍含めて自活も可能なんだとは思わないかい?

麦は収穫後の脱穀と乾燥に手間取るが、栽培自体は手間がかからず成長も早い
その一方で、麦より栄養価が高くてバランスも優れるが
手間がかかって作付けから収穫までの時間もかかる米を主食にしているのが中国
フランスの人数分を確保できる麦作に移行するためには数年がかりなるだろう
食い物の違いは想像以上のストレスになるからね

まぁ一応、個人的には補給ラインが確立しないとダメってことは言ってるが
自活が不可能だとは言っていない
ただその場合は戦闘なんてもの後回しにしなきゃいけない



人口の集中する中原でも軽く日本の数倍のデカさがあって
三国当時は戸籍以外の人口総数として見れば1000万かそこら
魏全体として見ても2000〜2500かそこいら辺で、当然呉蜀はその半分の人口
散在程度の現地で5万が自活するには、基本的に戦闘を後回しにして
生産ベースを築いてからってことを言ってるだけでね

ってか、わざわざ早期に近隣の集落を殲滅したり攻城戦なんてする理由もないし
手持ち食糧がないと仮定した場合、そんな時にそんなことやってたら余計に腹が減るだけ
短期的にもしそんなことやるなら早期講和目的
外交手段で脅して食い物を分捕る以外には考えられないって話

返信する

346 2011/11/05(土) 10:56:31 ID:sTxUZFg5w2
>>345
エジプト遠征では馬を大量に殺して燻製にして運んだりもしてたから
穀類だけで語るべきではないと思う。
それに、中国大陸も黄河流域の肥沃な土地だよ。条件は同じ。


>>そしてその周囲一帯含めてフランスは既に詳細な地図始め各分野での詳細な情報があって
基本は計画して動けている
だから殲滅行軍含めて自活も可能なんだとは思わないかい?

フランス軍はそのつもりだったけど、実際は言葉も通じず
アラビア語も適当で住民の慰撫には苦労した。でもなんとかなったわけだ。


>>ってか、わざわざ早期に近隣の集落を殲滅したり攻城戦なんてする理由もないし
手持ち食糧がないと仮定した場合、そんな時にそんなことやってたら余計に腹が減るだけ

フランス軍は手持ち食料がないので、アクラを落としました。
略奪するのが基本戦略なら、そりゃ当然攻略した方が早い。
大砲に対策がない城塞都市なんて1日で落ちるし。


何度も言うけど「こう思う」「こうじゃないか」
ではなくて「過去どうだったか」をベースにしないと駄目だよ。

返信する

347 2011/11/05(土) 16:29:52 ID:HuAQ5gzD/g
地理知らなくても大丈夫というのは
インカやアステカが証明してる。
ましてやナポレオン期の中国は
大抵の知識人ならおよその地理感覚があり
随行の学者なら容易に三国時代の
地理を思いうかべることができるよ。

エジプトでもロゼッタストーン発掘してる
くらいだしな。

返信する

348 2011/11/06(日) 05:11:19 ID:wXADKQMgNg
>>346
ちょっと話が噛み合わないかな?
手持ち食糧に余裕があれば尚更三国を攻める理由はないよ
測量と通商して戻るだけのこと

本質は異民族と初遭遇した場合どうするか?ってことで
その際の判断としてどういった順番が現実的かどうかを言ってるだけでね

事実重視なら、この場合はナポレオン軍が置かれてる状況から考えて
ナポレオンのエジプト攻略よりも、新大陸発見直後に欧州人が行った判断のほうが適切
クックでもいい

歴史的事実としてヨーロッパ文明が新大陸を「発見」してまず何をやったか?
当時のモラルでも接触と交渉で友好を深めて
物々交換なりで土地を貰って拠点作って、更に先を作ってからの攻略作戦
ナポレオン軍だからってモラル無しで闇雲に会戦はしないってことを言ってるだけのこと

>>347
書物だけじゃなくて視覚も含めた知識+思考が大切でね
現実の18世紀末は知識人の多くも自称台湾人のフランス人を長らく見抜けなかった

返信する

349 2011/11/06(日) 12:09:07 ID:UySDouBoNM
>>ちょっと話が噛み合わないかな?
手持ち食糧に余裕があれば尚更三国を攻める理由はないよ
測量と通商して戻るだけのこと


それを前提にしたらダメだろ。こういうことを言い出すと
「タイムスリップでパニックになって集団自殺」とか
戦闘以前の話になってしまう。

スレの前提がエジプト遠征の矛先が三国時代の中国になったというものなのだから
戦争せずにという選択肢は考えてはいけない。ただし、当然
「戦争をする気で索敵したが見つけられない」という説は主題に上らせてもよい。


>>書物だけじゃなくて視覚も含めた知識+思考が大切でね
現実の18世紀末は知識人の多くも自称台湾人のフランス人を長らく見抜けなかった

そんな個人レベルなら現代でも騙される奴はいる。
それと国として認識されてないのは別の話し。
フランスは広州に領事館おいて清政府との正式国交があったんだから
北京の何キロ先に長安があって、南京があって、それは当時建業と呼ばれていて
位の知識は持ってるのは間違いない。

返信する

350 2011/11/06(日) 12:59:15 ID:KQSeSUr0ec
大公開時代の冒険航海と啓蒙時代の
遠征軍を同じに考えるなよ。

莫大な戦費つかって、戦争目的にいくのに
測量だけして帰国したら失脚ですわ。
遠征自体ナポレオンの政治目的の意味合いもある。

ましてやエジプト遠征はシリアやインドまで占領することを
想定した長期戦対応。

東南アジアぐるっとまわって帰国するほどには
食料が足らないし、無茶なことばかり言うなよ。

返信する

351 2011/11/13(日) 14:47:43 ID:HdQsKiiong
地理はこの程度の知識があれば大丈夫だろ

返信する

352 2011/11/13(日) 17:44:11 ID:nlO0QHEBng
久しぶりにのぞいてみたけどまだやってんのか

返信する

353 2011/11/13(日) 17:48:41 ID:CBa6e0mF02
>>351
いつも思うけど、西涼あたりの、左上に伸びたとこは何?

返信する

354 2011/11/14(月) 02:16:56 ID:c0c0FSllnQ
シルクロードでは?たどってくと大苑(フェルガナ)につく。

返信する

355 2011/11/14(月) 02:24:48 ID:c0c0FSllnQ
シルクロード地図あった
Luoyangは洛陽、Changanは長安ね。

前漢の頃からこのルート通って中央アジアまで遠征してたんだから
中国系王朝が支配してたんだろな。

返信する

356 2011/11/14(月) 21:33:22 ID:n6i0DSi8yw
>>355
ああ、要するにその辺りの道路とか宿駅を支配してたわけか

サンクス、すげー理解した

返信する

357 2011/11/15(火) 18:45:47 ID:/FTU3cGSB6
>>350
>>1よめ
そもそもエジプトが相手だから、呆気に取られて友好と通商結んで終わりだろ。
根本的なところで理解してないって言われてるのも頷ける。

返信する

358 2011/11/16(水) 17:46:59 ID:pXHIBH/y4Y

補語が足りなすぎて何言ってるかわからん
て、国語の先生にいわれなかったか?

もう少しわかりやすく。

返信する

359 2012/01/18(水) 08:50:17 ID:YWgao6mR4Q
てか、日本語としておかしい。
357を誰か翻訳してくれ。

返信する

360 2012/01/18(水) 09:40:33 ID:96RjU.M.U.
>>355
>中国系王朝が支配してたんだろな。

何処を支配してたと言ってんのか分からないけど、
中央アジアは地名も国名も中国系じゃないね。
ましてや、バクトリアなんて超有名すぎ。

返信する

361 2012/01/18(水) 14:35:01 ID:eQFpQRBcjo
>>360
うおーい。

355は「中央アジアまで遠征していた」と言ってるんだから
中央アジアを占領してたという主張ではないだろ。
早合点して読み違えすぎだ。

356がいうように、そこに至るまでの道路とか宿駅を支配してたということだろ。
東トルキスタンは匈奴の領域で、前漢に服属していたし
今のウズベキスタンまで攻め込んでいる。

返信する

362 2012/01/18(水) 23:09:40 ID:mSvXDLNdUw
>>361
うおーい。

355は「中国系王朝が支配してたんだろな」って書いてんだがな。
普通「支配していた」なら占領してると捉えるだろ。
「服属」と「支配」は違うだろ。

返信する

363 2012/01/18(水) 23:37:51 ID:qOY4zFFWng
>>362

いやいやいや、355は351からの流れで、
「西洋から左上に伸びた出っ張った部分」の話をしてんだろ。
その流れの中で「中央アジアまで遠征した」というだけで
なぜ中央アジアまで占領したことになるんだ。
ぶっちゃけ351当たりを読んでないな?

ちなみに東トルキスタンは中央アジアで、
「占領した」地域じゃないからな。

返信する

364 2012/01/18(水) 23:59:55 ID:0O9LnnxrlE
>>363

補足ありがとう。351と356です。
自分の理解も、シルクロードと、その道中の宿駅周囲だけの狭い範囲を支配(もしくは軍隊駐留)してたんだろうって認識です。

返信する

365 2012/01/19(木) 00:07:43 ID:laO0R6.69s
ごめん、353と356でした


まあ、当時なんて国境線の概念はほとんどないわけだし、都市と道路を確保してることが重要だったわけだから351の地図はよく理解できたわけです。

要するに点と線でしかつながってない当時の国家の言う版図とは、自分らの都市と道路の周辺地域は勝手に俺たちのものじゃね?と言っちゃってるわけですな。

返信する

366 2012/01/19(木) 12:58:40 ID:3dcIs6/sJE
>「西洋から左上に伸びた出っ張った部分」

何だよこれ。
犬が西向きゃ尾は東ってことで、
地図上じゃ東西南北で書けよ。
小学生レベルだな。

返信する

367 2012/01/21(土) 03:05:31 ID:8xVZntnnho
>「西洋から左上に伸びた出っ張った部分」

北を「上」って言うタイプ。
って言うか、これじゃ何所を指してんだか分らんわ。

返信する

368 2012/01/21(土) 22:15:22 ID:C5iZAmZlBI
366=367

みっともないぞ。

そりゃ、353は厳密には方位でいうべきだったけど
地図がご丁寧に張り付けられてるんだから、
わかるかわからないかで言ったら、わからない方がおかしい。

論旨と違う些末なとこで揚げ足取りみたいなことすんなよ。

返信する

369 2012/01/22(日) 00:19:43 ID:i7tGueOEEA
>>368
みっともないのはお前だろ。
地図見て上とか左とか言うなよ。
ガキかよ。

返信する

370 2012/01/22(日) 01:53:53 ID:jnBwUsg1rY
>>369

368だが、俺は353じゃないぞ。

提示された地図上で口語的に上下左右を言われてわからない方がおかしいし
本当にわからなかったとしたなら、それは君だけだ。逆に恥じるべき。

しかも、読み違えを指摘されてるて反論された後に
そんな枝葉みたいなことを持ち出してくるのは
いかにも後付けの揚げ足取りだろう。

自演のつもりかしらないけど、連続カキコまでして
みっともない恥の上塗りはやめようぜ。


素直に読み違えてたと言えば大人の対応なのに・・・。

返信する

371 2012/01/23(月) 00:37:47 ID:qHCbcmFDTQ
369は中高生と見た。若いな・・・。

返信する

372 2012/01/23(月) 08:01:52 ID:WaWCCaTHUc
366=367ワラタ!
どんまい。

返信する

373 2012/01/23(月) 23:09:00 ID:KylX5Lvaak
まあまあ、まずはこの地図から話を広げていこうじゃないか?

蜀なんか特にそうだけど、まばらでしょ?
この時代の国家観てのは点と線なわけだ
都市なんてそうそうあるもんではない。じゃあ点と線以外のとこには何があったのかというと、
何もない。

フランス軍が運良く、その点か線を見つけることができれば、なんとか都市を見つけて略奪で短期間的には生きていられると思う。
だけど点と線を見つけること自体が困難極めると思う。

返信する

374 2012/01/24(火) 11:03:06 ID:XAHSYFBENY
何もないって、民家もあれば獣もいますわ。
フランス革命軍は野生のけものを殺して干し肉にして
食料にしてたんだぜ

返信する

375 2012/01/24(火) 22:26:29 ID:77slVJs8jU
>>374
ずいぶんとのどかな革命軍だな

獣の密度がどんなものか知らないけど、確実に軍を養える程はいないと思うぞ。
それに、干物にするってのもなあ。

多分それって軍として組織的にやってたんじゃなくて、元猟師が趣味でやってたんじゃね?
軍として獣を干し肉にして食糧を補うなんて、もはや作戦じゃないよなあ。

返信する

376 2012/01/25(水) 11:11:57 ID:BCBCTSokeQ
≫375
フランス革命軍は現地調達が基本だから。
のどかもなにも、食わないと餓死だ。
だから保存が重要視されて缶詰が生まれた。

満州の日本軍も、民家の鶏がなければ
相当数が餓死していたと言われている。
うちのじいさんも復員してから
鶏は食いあきたと食べなくなった

返信する

377 2014/12/06(土) 20:50:11 ID:4MOy/uKxn6
ナポ・レオン

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:259 KB 有効レス数:377 削除レス数:0





歴史掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:三国志の英雄VSナポレオン軍団

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)