やはり龍馬は「剣の達人」北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書


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001 2015/10/15(木) 06:01:28 ID:c1obOX4WFc
 幕末の剣豪、千葉周作が創始した「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。千葉一門の道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだ。

 北海道にある坂本家が今夏、同館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で、龍馬のおいの妻に書いた預かり書。北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀(なぎなた)兵法皆伝」−と書かれていた。

 さらに、別の展覧会に出品した(龍馬の)遺物の目録(昭和4年)では、「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っている。
http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140009...

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002 2015/10/15(木) 06:59:50 ID:U7mLFruZGs
>>1
どこに書いてあるんだ?

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003 2015/10/15(木) 07:20:32 ID:afkuQCsRL6
他流試合絶対禁止の約束で
何年分かの月謝を支払って名誉有段者になるようなもんかな
この手を使って
通信講座でもなんでも僧侶や空手の黒帯をとっておくと
今は通用しなくても
わけがわからないような孫やひ孫の時代まで免状が残れば
立派な資格(に見える)かもしれんね(^。^;)

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004 2015/10/15(木) 09:10:14 ID:ikko78buSg
日本の歴史に残るテロリスト

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005 2015/10/15(木) 19:51:17 ID:/pILDc0t4A
坂本龍馬が人斬ったことないし
北辰一刀流の開祖・千葉周作も人斬ったことない
でテロリストを養成するような教育をする。

カルト教みたいなもんだ。

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006 2015/10/16(金) 00:54:34 ID:iKKb51Zcyg
>>2
ど真ん中に書いてまんがなw

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007 2015/10/17(土) 01:50:38 ID:6u.iAWpTtw
実際刀を抜きあって相手を1回〜複数回斬殺したことある剣豪や武士って
20人くらいしかいないと思うんだよな。(リンチみたいに一方的に斬り殺すは除く)
小野派一刀流の開祖・小野忠明はよなよな不逞の輩を斬って練習するために徘徊してた伝説があるw

まずよほど実力差が開いてないと自分が死ぬ可能性が五分五分。
あと武家諸法度の刀を抜くことに対する約定がめちゃくちゃ。
・事情がどうあれ先に抜いたやつが悪い。先に抜いといて斬り殺されたら最低。改易(侍クビ。家族はホームレスに)
・先に抜いておいてやっぱやめたで刀を収めるも侍クビ(自分は切腹、家族もホームレス)
・相手が先に抜いても刀も抜かずに斬り殺されたも侍クビ(家族ホームレス)
・いずれにせよ刀を抜きあうというケースになったのにどっちも死ななかったも士道不覚悟で侍クビ。最悪どっちも切腹。家族はホームレス。

ま侍の階級によってはなかったことになったりはするけどw

刀を抜くっていうこと自体がかなりの決意がないと無理。
でもきったはったで問題になるより、
刀忘れてきちゃったとか刀盗まれたとか踏んで折っちゃったで
士道不覚悟で侍クビの方が多かったのが現実w

そもそも武器を使うって話で何年も鍛錬が必要っていうのもおかしい。
素手の武術はモノになるのに早くても2年はかかるけど、
武器を使うって言うならワラ人形立てて短い槍で突く練習したり、
杖術(120センチくらいの棒術。意外と強力)とか非殺傷でも自分に安全、敵には強力な器械武術やった方がいいと思う。

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008 2015/10/20(火) 14:40:43 ID:dkwqaay8GA
棒とか槍って普段の生活じゃ携帯できないでしょ
普段使いで携帯できる最大の刃物が刀

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009 2015/10/20(火) 21:47:04 ID:hva/NH5nx6
刀って工芸品としていいものでも
武器としては微妙だと思うぞ。
鎧着てる相手に通用しないし。
結局武士道の❝弱いものに強く、強いものに弱い❞を体現してる。

そもそも人斬ったことない剣豪や開祖多すぎ。
それ以前に武士階級で真面目に剣術やってた奴ほとんどいない。
何もしなくても食ってけるし(いきなりホームレスにもなりうるが)

今だって空手とか真面目にやる奴は圧倒的に少数派でしょ?
今の武道人口よりかは多いだろうけどね。娯楽ないし。

実際剣豪だったのって高柳又四郎、柳生十兵衛、柳生兵庫、
小野忠明、新選組の面々、仏生寺弥助、あと無名のきったっはったを生き抜いた剣豪何人か
くらいじゃない?
地位として武士だったよりも、武士や強さに強烈にあこがれた郷士や無宿人みたいな人が多い。

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010 2015/10/23(金) 18:08:57 ID:B4A14NvWfw
>>9
>鎧着てる相手に通用しないし。
「鎧通し」知らない?鎧着てる武者同士なら組討ちして止めに鎧通しで殺すんだよ。
組討ち前には矢合わせして刃物で打ち合って。つまり刀は殴打するもんやろ、鎧武者相手だと。

有名な剣豪の多くは実戦する機会のなくなった刀での武芸に優れていただけなんじゃないか。
千葉周作の北辰一刀流は剣術の教授をシステム化したビジネスモデル。

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011 2015/10/24(土) 00:58:26 ID:WZ1hvynXXA
>>10
だから刀は使わないだろってw
まず矢をせーので斜め射ち→長柄(長い槍)で双方突撃→脇差や鎧どおしでもみ合いへし合い

ついでに言うと柔術も使わない
敵のや死んだ味方の武器がいくらでもある石で殴ってもよしという状況で
腕ひしぎだチョークだってやってる余裕ある?
第三者が背中刺したり喉斬るに決まってる。

ようするに射的やお琴と同じだ。
防具つけてたいして痛くない。
スポーツチャンバラだ。
真剣の素振りとか危なくて地道なことはせずに。
強くなるなんてのは一回の稽古でて、0.1mmも強くならない
それを3年5年とやるから普通の人と違いが出てくる。

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012 2015/10/24(土) 12:52:09 ID:v4qvZfkH6U
>>11
だから剣術は鎧武者相手に戦うような戦向けの武芸じゃないと言ってるの。
江戸時代になって刀を持つ侍同士の戦いにむいてるやろ?
江戸時代、侍同士の争いになった時急いで鎧を着込むのか?
戦場での刀と平時の刀との違いは自ずからあるやろ。それと混同していってるから違うと言ってるの。

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013 2015/10/25(日) 02:32:02 ID:pOarDBnhVk
平安時代から江戸時代のあいだに日本のいくさで使われた武器を研究した本によると、
往時は合戦で使われる武器の主流は弓と槍で、後に鉄砲が加わった。
刀による切合いが行われることは時代を通じて滅多になかった。
文字の記録の他に、発掘された骨や甲冑の損傷状態等からこのことが分かるそうだ。
では刀は何に使ったかというと、合戦で討ち取った敵の首を切るのに使われた。
なので、刀は武士にとって主要な戦闘の武器ではなかったということはすでに指摘されていますね。
ただし、幕末という特殊な一時期は、例外的に個人戦でも団体戦でも刀がよく使われた。
もちろん幕末以外でも、個人や小グループの出会いがしらの闘争では、刀が使われたことでしょう。
これも指摘のとおり、いくら乱世の武士でも、常時槍や弓を持ち歩いていたわけではないだろうから。

>>9
勝海舟が、神秘的な強さがあったと評した白井亨。
同じく海舟が「別格」という最大限の讃辞を送った男谷信友。
この二人も幕末の一流の剣客ではなかったかと思う。

ところで龍馬の剣の腕前について。千葉道場の目録がどの程度の意味を
持つものか全く知らないが、いくら目録が発見されたからといっても、
龍馬の剣の強さを窺わせるようなエピソードが何一つ残されていない以上、
その腕前の程は、やはり不明としておくのがよいのではないかと思う。
安全を気遣って藩邸に入るよう勧められたにも拘らず
無防備の民間の宿泊施設にい続けたこと。
やすやすと刺客の侵入を許し反撃できなかったこと。
少なくとも、この二点は全く剣の達人らしくない。
最も、龍馬のために多少弁護すれば、幕府の高官や親幕派の有力者と連絡を密にして
活動していた龍馬が、幕府側から命を狙われるわけがないと考えたとしても、それは
無理からぬことではある。

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014 2015/10/25(日) 03:43:25 ID:xrrsmjA9L6
結局本当に強いとか何人も斬って60まで生きた。
っていうような人は出世できたとしても

小野忠明=生粋の剣豪で将軍家剣術指南役でありながらオベンチャラができないから数百石と立場に見合ってない
柳生宗矩=本当に強いかどうか怪しい。人斬ったことあっても明らかに勝てる相手とか。でもオベンチャラがうまい(家光にケツかしたとも)から数千石。

こうなる。

幕末の面々は新撰組みたいに本当に強いか、尊王側みたいにコケばっかで頭は悪いが腕は立つみたいな若者を殺し屋にみたいな連中は
時代が追い風になったから目立てた。尊王側は明らかに悪ノリでだがw

今のプロの格闘家だってそう。
本当に強いかどうかよりもお祭り野郎かどうか。
本当に強い奴は興行屋の銭の種にされるだけ。

そもそもがだ。
なんで坂本龍馬が剣豪なんだw

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015 2015/10/25(日) 14:25:37 ID:1Njed/zrgg
>>13
>龍馬の剣の強さを窺わせるようなエピソードが何一つ残されていない以上、

そうじゃなくて、「後世の証言などから剣の達人だったとする説がある」のに「剣術の皆伝書」が
ないのはどういう事?ってなってたんでしょ。剣の達人だっと思われる証言はあるって事でしょ。
ただ剣の強さじゃなくて剣術として。芸として上手かったと言う事かもね。
千葉道場の塾頭を務めたらしいから教えるのも上手かったんじゃないの?
剣術の達人=何人も人を斬った スーパースター というイメージで考えるからそうなるんじゃない。
人を何人も斬ったで有名な岡田以蔵は剣豪と言うより「人斬り」のイメージがある。
龍馬は寺田屋事件では拳銃を使って逃げてるしチャンバラのような剣豪じゃない。

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016 2015/10/25(日) 14:41:57 ID:xrrsmjA9L6
>>15
その「剣?(リボルバーを抜いて)これからはこれだよ」
というあたりが武芸者じゃないんだよ。

アメリカとかブラジルとか銃持つ権利があったり銃に対する法整備じたいがあいまいな国でも
格闘技人口たかいでしょ?
日本よりもずっとジムや道場がやってける。
で銃の取り締まりが世界一徹底してるかもな日本が仕事がで余裕がないとか
余裕あるはずの学生が体鍛えることはせずにスマホばっか見てるとか
ある意味日本人らしいとも言える。

襲われたら逃げればいい。って簡単に言う人いるけど、逃げらんないのが現実だよ。
陸上かサッカーでもやってれば別だが。
逃げられて助かるなら色んな殺人事件が未遂に終わるはずw

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017 2015/10/25(日) 19:22:41 ID:pOarDBnhVk
>>15
そうじゃなくて、「後世の証言などから剣の達人だったとする説がある」のに「剣術の皆伝書」が
ないのはどういう事?ってなってたんでしょ。剣の達人だっと思われる証言はあるって事でしょ。
—確かに、スレ主の話(新聞の引用)はそうですね。

>>1
龍馬が剣の達人だったとする後世の証言云々に関して。
龍馬に関するものは龍馬自身について書かれた物はもとより、同時代の政治家志士達の逸話や談話、龍馬の妻とされるお龍の聞き書き、
剣術の方面だと、いわゆる幕末の三大道場(桃井の鏡新明智流、千葉の北進一刀流、斎藤弥九郎の神道無念流)関連のものや、幕末の
剣士に関するもの(この剣士には、本物の剣術家もいれば、山岡鉄舟のようなセミプロ、桂小五郎や坂本龍馬のような有名人エントリー、
人斬りといわれた田中新兵衛らテロリストも含まれる)等々色々読んだけど、龍馬の剣の技量を伝えるような話はみたことがないなあ。
まあ、あくまで管見の限りだけど。

ひょっとして記者(?)の言う後世の証言とは、小説の中のお話のことかも?
例えば、司馬がネタにした明治時代の小説「汗血千里駒」とか。
流石に司馬の小説は本当にしないだろうけど、小説の引用や孫引きが
歴史のエピソードとしていつの間にか流布することは有り得るから。

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018 2015/10/25(日) 19:56:14 ID:pOarDBnhVk
>>17
山岡鉄舟のセミプロ扱いは、鉄舟ファンの勘気を被ること必至なので、付け足し。
鉄舟の剣のレベルがプロに準じるという意味でなしに、剣のみで名を成した人では
ないという意味でセミプロ。
江戸城無血開城の役者の一人で、明治維新後は知事や明治天皇の侍従を勤めた政治家でもあり、
剣以外でも書の大家としても有名な鉄舟は、剣客のくくりには納まりきらない人物。

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019 2015/10/27(火) 23:51:07 ID:PqSqKLOP6A
>>17
特別に龍馬の事を調べた事はないので全て記事にある言葉からの推量だよ。
「後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。」
普通に考えて↑これは記者本人の判断ではなく龍馬研究家(ファンも含めた)による「(学)説」を言ってると思われる。

>ひょっとして記者(?)の言う後世の証言とは、小説の中のお話のことかも?
記者が言ってるのでなく、他の者の説だろう。これが記者がただの小説好きの素人の意見を
取り入れた、つまり龍馬ファンの説なのか研究者の説なのかは知らないが少なくと君の知らない所で
龍馬剣豪説があるのは間違いないんじゃないか?

「剣の達人」との後世の証言がどんなものか知らないが少なくと真剣で人を斬ったものじゃないと思う。
そういうエピソードがあれば強く伝わっているだろうし小説にもなるだろう。
それよりも平時での「剣技」が素晴らしく道場で伝説になったとかそういう類だと思う。
ただそれも尾ひれ葉ひれがつくようなもので実戦での強さとは別だと思う。
道場って「伝説」が生まれやすいからな。

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020 2015/10/28(水) 01:24:19 ID:mTeMyO7rkU
>>19
「君の知らない所で 龍馬剣豪説があるのは間違いないんじゃないか?」
知らない所の話なので、間違いあるともないとも言えないけど、可能性までは否定出来ませんね。

ところでもし興味があるのなら、この際せっかくの機会なので、暇な時にでも、龍馬関連の本
(出来れば巻末に参考文献のリストがあるやつ)をぱらぱらとめくってみてはいかがでしょう。
休刊になるそうだが、もし図書館なんかに置いてあれば、歴史読本のバックナンバーなんか
でもいいかもしれない。龍馬くらいの人気者になると、なかなか遺漏のないものが多いから。

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021 2015/10/28(水) 23:37:54 ID:hQavv5lASY
時代小説の受け売りだけど
袋竹刀(ようするに竹刀)を一般化させたのって柳生宗矩って説が有力。
木刀の組太刀じゃケガが多くて仕方ない。
というのは表向きのことで、
実際は大名とその下士の子らを実戦で使えなくする(戦にならなくする)
ためだったそうな。
また木刀で稽古してたり真剣の素振りやすえもの斬りなんかやってたら
「ずいぶん物々しいことしてるね〜。 妙な気起こす気?」
と領地や財産没収の口実にもできる。
のでほとんどの藩では竹刀以外の鍛錬は禁じてた。
よってやってても文句つけられない立場の人間が実践的な剣術を鍛錬できた。
(人一倍武家に対する憧れが強いし)

柳生新陰流を将軍家御家流にして、師範みたいな連中をチクり役として
各藩に行かせたわけ、妙な気配を感じればおとりつぶしの口実に出来るし
竹刀剣術を強制すれば戦闘員である下士とその子らをフヌケに出来る。

ほ〜んと悪知恵が利くねwww
武士道は昔から、弱いもんに強く強いもんに弱い。だったけど
さらに支配者に都合のいい世の中にして、
戦闘員のはずの武士を骨抜きにして、幕末の政府転覆に至ったわけだ。

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022 2015/11/07(土) 19:31:41 ID:Sl5ggCdfoY
龍馬の剣術目録20年ぶりに発見

幕末の志士、坂本龍馬が20代のころ、江戸の道場で身につけた剣術の名前などを記した目録がおよそ20年ぶりに見つかりました。
剣術の腕前が高かったことがうかがえる貴重な資料として注目されています。
見つかったのは、当時24歳だった坂本龍馬が江戸の道場で剣術の修行に励んでいた際に贈られた「北辰一刀流長刀兵法目録」です。
縦およそ18センチ、長さ2メートル70センチほどの巻物で、かつて高知県にあった施設で展示されていましたが、20年ほど前から行方が分からなくなっていました。
ところが、最近になって、高知県香南市にある「龍馬歴史館」の館長の知人がよく似た巻物を持っていることが分かり、譲り受けた龍馬歴史館が京都国立博物館に調査を依頼した結果、本物と確認されたということです。
龍馬が身につけた20種類ほどの剣術とみられる名前や、修行に励んでいた龍馬を褒めたたえる内容が書かれ、剣術の腕前が高かったことがうかがえる貴重な資料として注目されています。
調査した京都国立博物館の宮川禎一列品管理室長は「龍馬の若い時代の資料はとても珍しい。剣術に励んでいたことがよくわかる資料だ」と話しています。この目録は、11月13日から高知県の龍馬歴史館で公開されます。

11月07日 18時57分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/2013278861.html?t=...

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023 2015/11/08(日) 21:58:10 ID:8ET8h1IA7.
朝日新聞にも記事が載っていましたね。
「やはり龍馬はつよかった」という見出しだったか?
道場剣術が盛んだった幕末の時代に、千葉道場で免許皆伝となれば、
その腕前は相当ものではなかったかと想像されます。
ただ、免許皆伝が即プロの剣士の証とまでいえるかどうかは、よく分かりませんが。
ましてや、それが、プロ中のプロとして後世に語り継がれる、剣豪レベルの腕前を
保証するものと考えるのは、飛躍がありすぎるように思われます。
紹介されている記事の中に有るように「若いころの竜馬が剣に励んだあかし」と考えるのが、
おそらく妥当ではないでしょうか。

ちなみに、薩長同盟の朋友、桂小五郎は神道無念流の免許皆伝。
龍馬の師匠とも言うべき勝海舟は、直心影流の名剣士、島田虎之助から免許皆伝。
他にも、勤皇党の同士武市半平太、朝日の記事でも紹介されていた清河八郎等々。
一派の免許を皆伝もしくは允可された幕末の有名人は何人もおり、相応に「強かった」
らしいことがうかがえる逸話を残している人も少なくないけど、彼らの中で、剣術だけで
本物の剣豪と伍して評価できる人物は、晩年まで剣禅一如を求めて研鑽を重ねた山岡鉄舟
くらいではなかろうか。そもそも彼らの本職は政治ですからね。

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024 2015/11/08(日) 22:45:25 ID:Ed2Rb6DcIM
× 政治
○ テロ立案

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025 2015/11/09(月) 16:34:07 ID:9ske/DBbO2
>>23
>「やはり龍馬はつよかった」という見出しだったか?
見出しだけで判断するのは軽薄過ぎないか?w

龍馬研究家でもある京都国立博物館の宮川先生は記者の面前でこうおっしゃってますが?
諸説あるなかで内容が重要なんだから「見出しが…」なんてへっぽこ過ぎる言い方に見えるけど?w

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027 2015/11/09(月) 22:08:39 ID:PCRHJE6Hhs
>>25
見出しの記事は、11月8日(日曜日)の朝日新聞朝刊。
図書館で読んだので、手元で確認できないけど、
記事は、目録が本物だったということを伝えるだけで、
>>22を超える内容では無かったと思う。
興味があれば、ネットでも見られるんじゃないかな。

さて、Fisher先生貼り付けの画像によると、
宮川先生も「やっぱり強かった」とおっしゃった。
なるほど、朝日の見出しと矛盾しないわけだ。

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028 2015/11/22(日) 19:18:53 ID:3cyIztaWxM
実際の切り合いで、狙うのは相手の指、足、手首など。

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029 2015/12/13(日) 01:11:06 ID:/9NQ4VMjaE
自分が昔読んだ資料(本)では坂本竜馬の免許皆伝は大刀(つまりは薙刀)らしく、千葉佐那と並んで記入されてたそうだ。つまり後年知名度があがり千葉道場がその名前を利用するにあたって刀(本筋)の免許皆伝は流石に与える訳にはいかなかったから、らしい。あと、資料がみつかって、当時の湾岸警備(訓練)だかなんだかが地方各藩持ち回りでしかも結構ハードだったらしくて剣術の練習なんぞする暇はなかったんじゃないかということで、そのかわり銃の扱いはその訓練で鍛えられていったんじゃないかと。少年剣士に何回も打ち込まれた話は出てこなかったけどそれについては?

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030 2015/12/13(日) 02:58:39 ID:M4ULGSfA0Y
>>29
>自分が昔読んだ資料(本)では坂本竜馬の免許皆伝は大刀(つまりは薙刀)らしく、
北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っているのは前からわかっていた事。ただ剣術の免許皆伝がないから
君の昔読んだ資料のような説明がされてたんじゃないか?
だが今回発見されたのは、「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」
つまり剣術の方の免許皆伝も許されいたって事なんだけど?

>つまり後年知名度があがり千葉道場がその名前を利用するにあたって刀(本筋)の免許皆伝は
>流石に与える訳にはいかなかったから、らしい。
その北辰一刀流’(本筋)の免許皆伝を許されていたと言うのが今回の発見。

>あと、資料がみつかって、当時の湾岸警備(訓練)だかなんだかが地方各藩持ち回りで
>しかも結構ハードだったらしくて剣術の練習なんぞする暇はなかったんじゃないかということで
龍馬は剣術修行に江戸に出てきてるのでその際には湾岸警備の役目にはなかったんじゃないか?

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031 2015/12/14(月) 03:51:25 ID:4SD3xoYnjA
せっかく楽しい歴史話を期待してスレ開いたら、
おっさんどもが口論してるだけだった。。

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032 2015/12/14(月) 07:52:42 ID:WkXk6tdrfo
>>30
ありがとう。20年位前の歴史街道の記事だと思うけどその様な事が書いてあったんで。他の竜馬関連だったかな?いっぱい読んだのに忘れちゃった。なるほどね。ただ新資料の発見が即証拠にはなりえないんじゃないか?後から発見された資料というだけのことだろ?上書きにされちゃうの?前の資料は。資料自体は明治43年作成?みたいな事書かれてるから坂本竜馬がなくなった大分後でしょ。言い出したらきりが無いけど、偽造する事は十分ありうるんじゃないかな。ロシア海戦で、クローズアップされて有名になったあとでしょ?まえの長刀(大刀じゃなかったね)の時も怪しいけど、その資料よりこの資料は後に作成されたのだろうか?剣術修行にでてきてどんちゃん騒ぎしてただけじゃなかったっけ(あ、それなら警備の任務も無かったって事になるか・・・)まともな名目は一回目の時だけじゃなかったっけ?すまんな・・うろ覚えで質問ばっかりで。強いという評判の資料(証言に記憶がないもんで)があるのかどうか・・ただ高知の修行時代たしか小栗流の免許皆伝貰ってたんじゃなかったっけ?それなら並みの人よりはつよいはずだよねえ・・・がたいもでかいし。

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033 2015/12/14(月) 17:17:03 ID:RCRNnd54TU
>>32
明治43年8月30日付での「預かり証」なので現物はあったと思う。都合よく大正2年に坂本家が延焼するなんてわからないからね。
だが少なくとも明治43年の時点では坂本龍馬が薙刀だけでなく剣術の免許皆伝であった事を証する物があったのは間違いない。

その20年前の資料はいつの間にか龍馬の剣術の免許皆伝書があったという事実が忘れられた後での解釈だからね。考証も更新されないと駄目でしょう。
ただその資料がかつて龍馬には剣術の皆伝書なるものがあったが偽書であると断定された後での解釈なら話は違ってくる。
今ではその現物がないので剣術の皆伝書が本物か偽書なのかは判断しようがない。

明治43年よりも前に遡って坂本龍馬が「免許皆伝」であったと証する資料や証言があるんじゃないかな?だから今回はその傍証にはなると思う。
剣の達人・剣豪であったかいなかはわからないけど少なくとも「免許皆伝」であれば幕末当時の他の北辰一刀流の使い手と同等かそれ以上の腕だったと推定してもいいだろ?
まぁ剣の達人や剣豪と言われる人も伝説や話を盛られて実力以上の評価をされるのはよくあるので超人的な剣術家と言うのならナンセンスだけどね。
いくら剣の達人と呼ばれても柳生石州斎には及ばないだろう。

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034 2015/12/14(月) 18:43:27 ID:WkXk6tdrfo
>>33
おお!早速ありがとう。あんなこんがらがった質問なのによく理解できたな・・凄えwしかも分りやすく咀嚼して答えてくれて・・何かすっきりしたよ。自分は前々から”剣士”としての坂本竜馬より、金策に走り回ったり事後処理に走り回る竜馬に興味があったので、竜馬が”剣士”として強かろうが弱かろうがどうでもよかったんだけど、その胆力の凄さや強かに生きていった事は否定は出来ないと思う。つい先日も武田鉄矢解釈(司馬遼太郎の小説を引用しながら独自の観点で語る)の本買ってよんだんだけど、そこには剣士としての竜馬像は無く、とても自分の好みにあった竜馬像があり一気によめた。歴史に詳しく学術研究されてる人からしたら話にならない位物足りないだろう。でも竜馬の本当の強さの一片が初心者にも分るんじゃないだろうかと思う。あなたが言ってた事が(伝説や・・)知り合いの著名な武道家の方が自分に話してくれた事と合致して驚いています。何かを理解する人は通じるものがあるのだろうか・・・

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035 2015/12/14(月) 22:41:22 ID:RCRNnd54TU
>>34
>何かを理解する人は通じるものがあるのだろうか・・・
いや〜そんな事言われると(/ω\) そういうレベルにあるわけじゃないよ。 
単に坂本龍馬に思い入れがないので客観的に見てるだけなんだ。

歴史小説だと歴史上の人物に脚色も含めて細かく肉付けして人物像を創り上げる。舞台やテレビのドラマになればさらに表情まで描写される。
そこで歴史的事実とベストマッチした人物像が出来上がるとそのイメージからは抜けれなくなる。
新たな資料でそのイメージが覆されそうになれば感情的に受け入れがたいのはわかる。自分の昔の思いまで覆されそうだから。
だから自分が好きな歴史上の人物が「実は…」なんて言われると面白くない。歴史好きなら誰でもそうだと思うけど。下手な新説なんて糞くらえと思う。

歴史上の人物を生の姿で見る事はできない。
伝記・伝承・伝説の類はどうしても作者の思い入れや脚色が入るので。そしてその方が断然面白くなる。
だから一度出来上がった歴史上の人物の人物像ではなく「史実からの姿」を求めるには研究家の地道な追及が必要になるんでしょうね。
今日テレビで「忠臣蔵」をテーマに取り上げていたけど一般的に知られている事と史実は違ったよね。
まぁ人物像は一つに固定する必要はないし人それぞれに解釈してもいいとは思う。その方が歴史好き同士であれこれ話ができる。

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036 2015/12/15(火) 10:37:57 ID:YOtWJSQ962
ちょっと意外だったなあ・・考察読ませて貰ってよっぽどかな?と思ったら逆に思い入れがない分冷静にみれてた、なんてのは。だからか!自分の質問の仕方は思い入れが有る人ほど過剰に反応すると思って覚悟してたのに(狙った訳じゃなく読み返してみると自分の文はそう思われてもしょうがないかな?と思って。今までもたまに他の事でも疑問を呈すると、否定したい訳じゃないのに叩く人が多かったから)一つ一つ自分が知りたい事に納得がいったのは。特に昔から竜馬の剣豪としての腕前は否定される事が多かったと思うが(違ったかな?)資料が見つかっただけで捏造もあるだろうし覆ることはないだろうと思ってたんだけど、資料を分りやすく説明してくれて”剣の達人・剣豪であったかいなかはわからないけど少なくとも「免許皆伝」であれば幕末当時の他の北辰一刀流の使い手と同等かそれ以上の腕だったと推定してもいいだろ? ”や”伝説や話を盛られて実力以上の評価をされるのはよくあるので超人的な剣術家と言うのならナンセンスだけどね”この言葉で現実的な竜馬の実力がわかるような気がして面白かった。自分は思い入れが有る分、スーパーヒーローとしてではなく、逆に現実的な肉感的な話が聞きたい人間なので、あなたの考察は身体に沁みた感じがしたんだよ。ありがとうございます!

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037 2015/12/15(火) 21:36:23 ID:.0xPswThOg
さすがに、刀の免許皆伝は千葉家の人間にしか出さないと思う。ただ、人間はいきなり刀で切られたり、ピストルで射たれると、運動神経が硬直するらしい。応戦するのは実は並大抵の事ではない。しかも、中岡を変名で呼んだり…龍馬はかなり「修羅場」はくぐっていたのではないかな。

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038 2015/12/15(火) 22:48:23 ID:YOtWJSQ962
警戒心は薄い方だったのではと思う。あの時代京都にいるだけでいつ襲われても仕方無い時に、しかも変節漢として有名だったんでしょ?(小説の中だけかな?ただ色んな方面から命狙われてたみたいだからやっぱりそうかも・・)自分では警戒してるつもりでもやはり隙が大きかったのかな?でもそれは生き抜く自信の表れでもあったかも知れない。

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039 2015/12/31(木) 23:59:14 ID:GdtQ7P3W9Q
新撰組が好きなので龍馬の伝記はよく知らないのでwikiでの情報の限りだけど、どうして江戸に出てその後の活躍が出来たのかを考えると剣術が強かったと考える方が妥当だと思う。
「学問の出来ない身分の低い下士」だけではその他大勢から抜け出すものがないから。道場内でも目立たないしそういう人物に付き合おうとは思わない。
剣術が強ければ自然と目立つし他藩の士でも身分を抜きにして剣士としての付き合いが生まれ思想信条の交感も生じ得ると思う。北辰一刀流と言う信仰の流派自身の思想にも影響を受けただろう。

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040 2016/01/03(日) 04:36:49 ID:TKR81ghVqo
>>39
新選組が好きで坂本龍馬のことホメるようなこと言うなよw
桂小五郎や坂本龍馬なんて竹刀剣術がうまかっただけだろ。
空手で言えばヘッドギアも厚目の胴巻きもグローブもレガースも着けて強いようなもんだ。
うそくせえw

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041 2016/01/03(日) 05:35:17 ID:fVQaf4SY2I
>>40
新撰組にも北辰一刀流の使い手として山南敬助・藤堂平助・伊東甲子太郎・服部武雄、吉村貫一郎らがいるよ。
>桂小五郎や坂本龍馬なんて竹刀剣術がうまかっただけだろ。
俺の言ってるのはそういう事なんだけど?最低限でも道場で目立つほどの腕はあったのだろうという憶測。
達人や名人、剣豪と呼ばれるほどの腕であるのかは適切な資料が無い限り判断しようがないがね。

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042 2016/01/03(日) 21:38:17 ID:TKR81ghVqo
>>41
みんな変節者だろw
テロリストの方が優勢っぽいし楽しそうだと出てこうとした連中。

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043 2016/02/08(月) 11:40:31 ID:./V.7OnonQ
>>42
当時の常識で脱藩は重罪だよ?優勢とは思ってないし、ましてや楽しそうだから・・なんて理由なはず無いじゃん。死に直結する事をまずはやってのけるわけ。その先の行動がまだあるんだよ。下士の身分(或いはそれより下)が多いことから不満が爆発したのだろうことは推測できるけどゲームの世界じゃないんだから。ただ亀山の白袴とか色々揶揄されて問題行動起こす連中が多いことも事実だし、変節漢だらけってのはあるかも。

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044 2016/02/14(日) 14:38:57 ID:Mu.St3yCR6
>>43
この当時は幕府がなめられてた。
伊井が討たれる時に合図で使った一発の銃声。
これの意味も大きかった。
この当時に未許可で銃所持なんて死刑以上にひどいことになる。

世の中がうまくいかなければ
今でいえば政治家を車ごと爆破したり銃でハチの巣。

テロ支援ですか?

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045 2016/05/13(金) 20:25:35 ID:98ybHV7Jx6
「龍馬が暗殺時に携帯の刀」は本物だった 「『反り』がないのは、おかしい」の謎が解けた

京都国立博物館(京都市)は2016年5月10日、坂本龍馬の遺品と伝えられる同館所蔵の刀「陸奥守吉行」(むつのかみよしゆき)について、龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された際に携えていた実物と判明した、と発表した。刺客に襲われた龍馬がとっさに手に取り、応戦したもの。
京都国立博物館で10月15日から開催される特別展で展示予定
刀は1931年、北海道釧路市に住んでいた坂本家の子孫が、鉄でできた本体部分のみ同館に寄贈。鞘や柄は火災で焼失したという。ただ、「吉行」に特徴的な文様がない、当時使われていた刀のように反っていない、といった理由から実物かどうかを疑問視する声もあった。寄付の記録も同館に残されておらず、これまで「伝」を付けて展示されてきた。
しかし2015年秋、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の文書調査で「吉行」の寄贈記録書類が発見される。刀が火事で焼けたために変形して反りがなくなり、研ぎ直したとの記述が見つかった。また、京都国立博物館が最新機器で検証したところ、特徴的な文様もかすかに浮かび上がった。こうした証拠によって、実物であると裏付けられた。
同館の担当者は16年5月10日、J-CASTニュースの取材に対し「19世紀後半からの歴史の謎が解き明かされつつあります。もう『伝』を付けなくても展示できます」と話した。
「吉行」は、10月15日から同館で開催される特別展「没後150年 坂本龍馬」で展示される予定。
http://www.j-cast.com/2016/05/11266492.htm...

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046 2016/07/15(金) 13:13:49 ID:7dHwXILQXY
新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に
江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。

 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。

 維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。
http://www.sanyonews.jp/article/382010/1...

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047 2016/08/10(水) 18:21:18 ID:bMVY9KGajk
>>44
その当時は生死隣りあわせで裕福な志士(坂本竜馬を代表するような)以外「脱藩」は生活手段を失う行為(死・・捕縛されたら確実に)だよ。勿論現状でも既にジリ貧だから脱藩したのだろうけど(下級武士が多いのがそれを物語る)今現在情報も進み、国籍を移したくらいで日本は死刑にはならないから「舐める」って言えるんじゃないかな?せいぜい雄藩”薩摩藩”位じゃないの?幕府に対して舐めてたのではと思われる藩は。ましてや個人レベルでは・・

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049 2016/10/14(金) 17:43:20 ID:fl6sGpVf0E
武器商人の朝鮮人が剣の達人とかどうでもいいことじゃないの

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050 2016/10/20(木) 10:32:28 ID:TM.fET/1s.
各地にかたき討ちの事件現場が残ってるから斬り会いは結構あったんだよね
侍のプライドを守るためにというかどうしても侍として家を守らなきゃいけなくって必死になって仇を探して斬り会うという
鍵屋の辻の決闘とか高田馬場の決闘などは有名事件だし男だけじゃなく奥州白鳥明神前のかたき討ちは姉妹だったし
崇禅寺馬場のあだ討ちは討とうとした兄弟が敵の門弟の助太刀で返り討ちにあっちゃった事件もあった
侍を続けていくのも大変だっただろうと思う
スレの流れとは関係ない話で申し訳ない

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051 2018/03/09(金) 22:02:03 ID:cjrHPSedb2
同心あたりは盗賊やヤクザ相手に剣術も格闘術も使う機会はあったんじゃないかな
今でも格闘技を実戦で使う人たちは世界中にけっこういる
そういう人たちを指導する先生方はもちろん武道の高段位であったり
それなりの資格を持っている
おそらく実戦の経験数は弟子たちの方が多くなるが
だからと言って先生と弟子がガチで戦っても、やっぱり先生が勝つとおもう
経験上w

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052 2018/03/31(土) 21:35:48 ID:0rdX.e7gdU
スレチにて恐縮ですが、判る方教えて下さい。
家にある短刀の手入れいていて、鞘の鯉口の金具をはずしたら
←こんな字が書かれてました、なんて読むのでしょうか?
あと、こんな所へ書く意味は何なんでしょう・・・。

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053 2019/02/19(火) 19:25:48 ID:S9hreO9R1c
右:三百六十八
左:四〇九ッ
なんじゃないかと。
(´・ω・`)
鯉口の金具を外して手入れするのは刀の持ち主か職人が手入れする時だけ。
つまり、職人さんにはわかる情報なのではと、推察します。

他人に見せるべき場所ではないので飾りでもなく、技術的な情報だと思います。

全くの素人判断なので
(・ω・)ノ

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スレッドタイトル:やはり龍馬は「剣の達人」北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書

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