やはり龍馬は「剣の達人」北辰一刀流「免許皆伝書」の存在示す文書


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013 2015/10/25(日) 02:32:02 ID:pOarDBnhVk
平安時代から江戸時代のあいだに日本のいくさで使われた武器を研究した本によると、
往時は合戦で使われる武器の主流は弓と槍で、後に鉄砲が加わった。
刀による切合いが行われることは時代を通じて滅多になかった。
文字の記録の他に、発掘された骨や甲冑の損傷状態等からこのことが分かるそうだ。
では刀は何に使ったかというと、合戦で討ち取った敵の首を切るのに使われた。
なので、刀は武士にとって主要な戦闘の武器ではなかったということはすでに指摘されていますね。
ただし、幕末という特殊な一時期は、例外的に個人戦でも団体戦でも刀がよく使われた。
もちろん幕末以外でも、個人や小グループの出会いがしらの闘争では、刀が使われたことでしょう。
これも指摘のとおり、いくら乱世の武士でも、常時槍や弓を持ち歩いていたわけではないだろうから。

>>9
勝海舟が、神秘的な強さがあったと評した白井亨。
同じく海舟が「別格」という最大限の讃辞を送った男谷信友。
この二人も幕末の一流の剣客ではなかったかと思う。

ところで龍馬の剣の腕前について。千葉道場の目録がどの程度の意味を
持つものか全く知らないが、いくら目録が発見されたからといっても、
龍馬の剣の強さを窺わせるようなエピソードが何一つ残されていない以上、
その腕前の程は、やはり不明としておくのがよいのではないかと思う。
安全を気遣って藩邸に入るよう勧められたにも拘らず
無防備の民間の宿泊施設にい続けたこと。
やすやすと刺客の侵入を許し反撃できなかったこと。
少なくとも、この二点は全く剣の達人らしくない。
最も、龍馬のために多少弁護すれば、幕府の高官や親幕派の有力者と連絡を密にして
活動していた龍馬が、幕府側から命を狙われるわけがないと考えたとしても、それは
無理からぬことではある。

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