>>97 >何故なら、「プレ大和朝廷」と言う痕跡が「無い」からだ。
何を言ってるんだ?
ここ数年の発掘による新発見とか見てる??
奈良・纒向遺跡:3世紀前半の大型建物跡 邪馬台国か
毎日新聞 2009年11月10日mainichi.jp/select/wadai/news/20091111k0000m040025000c.html
邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)と
同時代の3世紀前半の大型建物跡が見つかり、桜井市教委が10日、発表した。
柱穴が南北19.2メートル、東西6.2メートルに整然と並び、同時代の建物では国内最大級。
過去の発掘調査で確認された3棟の建物や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されており、
卑弥呼の「宮室」(宮殿)の可能性がある。邪馬台国大和説を前進させる成果と言えそうだ。
78年に柵と建物跡が確認された調査地点を、今年2月から区域を広げて再度調査。
東西に計画的に並ぶ三つの建物群や柵を確認。大型建物跡は、その東側の区域で新たに見つかった。
直径約30センチの柱跡が南北に4.8メートル、東西に3.1メートルの間隔で並んでおり、
南北方向の柱の間には床を支える細い束柱の穴があった。
市教委は、後世に柱穴が削られた西側も含め、東西幅は倍の12.4メートルだったと推定。
復元図を作成した黒田龍二・神戸大准教授(建築史)は、地上約2メートルに床を設けた高床式・一層の入り母屋造りで、高さは約10メートルとみている。
推定床面積は約238平方メートルあったとみられ、弥生時代最大規模の環濠(かんごう)集落とされる吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2〜3世紀)の約1.5倍になる。
また、同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。
飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高い。
【石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話】
邪馬台国が纒向遺跡にあったという有力な根拠。建物は同時代には例のない大きさだ。住まいとしては大規模すぎ、祭祀(さいし)の場で、魏志倭人伝にある卑弥呼の「宮室」に相当するのではないか。
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