神武天皇から崇神天皇まで
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095 2012/08/20(月) 01:40:01 ID:5KiDOU3VJs
箸墓古墳、纒向遺跡を卑弥呼=邪馬台国の遺跡とするか?というのは議論あるところだろうが
やはり最近の発掘調査等の結果見ると、邪馬台国だろうと考えるのが自然というのが俺の立場なんだが
最新の発掘結果では、纒向の宮殿跡は、すでに大和朝廷時代の遺構に通ずる構造になってて、同じ文化の流れに属するとされる。
違いは、大和朝廷の遺跡が南北に中心線を置く中国風の都なかんじの構造になってるのに対し、真東に向かってる。(つまり日の出の方向を向く。)
これが邪馬台国とすると、邪馬台国が進化して大和朝廷になったという結論になる。
王統が一系とは限らないが、同じ文化圏を共有する国家がそのまま延長していったということ。
プレ大和朝廷=邪馬台国という構図。
つまり、大和朝廷におけるオオキミ=天皇の、原初の姿は、卑弥呼のような部族間の合議により擁立される神官位ということになる。
これが天皇の初期の姿とするならば、部族間で持ちまわるようなことは十分ありうる。
もちろん纒向が邪馬台国であったならば、という仮定のものだがね。
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