神武天皇から崇神天皇まで
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076 2012/01/17(火) 01:20:33 ID:7wgRQfKT22
70氏に捕捉する形で、持ち回り説が有力なのは
それ以外の権力譲渡、あるいは簒奪にあたる、邪馬台国の記述や継体などの部分には
血みどろの争いを示唆するような記述が見受けられるのに
それ以外の相続に関しては権力基盤が固まって時期であるにも関わらず
大規模な争いの記述がみられない、考古学的にも証拠がない。
万世一系などと言われるようになったのは
皇統の正当性を高め始めた天武の頃からの話で
少なくとも2回、直系の系統は途絶えている。
ヤマト王権が連合国家的な権力であったことに反対する学者はいないし
そうであって、一つの氏族のみが権力を独占できたと考える方が不自然だ。
出雲神話の融合や、各氏族の神話とのリンクを見ても
天皇家(いわゆる天孫家)が独裁権力を発揮できるようには描かれていない。
神武神話にしても、天孫家は現地勢力に敗れて迂回して大和に入ったわけで
権力基盤として首長を独占できる土壌がなかったとするのがほとんど定説です。
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