世界史の勉強
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001 2010/04/13(火) 20:14:29 ID:BE8gxiLQcA
世界史そのものには特別興味は無かったが、語呂暗記・リズム暗記などの手法に少々凝ったような気がする…
【スペイン統一】イサベルは ひと夜で国[1492]を 統一し
※ 同年、コロンブスの西インド航路探検
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242 2010/07/15(木) 23:08:26 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 4】
しかし、封建国家体制が布(し)かれ、騎士団が設立されたが、
イスラム教徒側の反撃を阻止するには十分ではなかった。
そして、ついに、1187年、アイユーブ朝のサラディンにより、イェルサレム王国は陥落した。
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243 2010/07/15(木) 23:42:28 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 5】
12世紀末、ドイツ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世
によって起こされた第3回十字軍もみるべき成果なく終わっている。
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244 2010/07/15(木) 23:42:41 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 6】
こうなると、十字軍を支えた宗教的情熱に代わり、世俗的動機が前面に押し出されてくる事になる。
その典型が、1202年に起こされた第4回十字軍で、
十字軍兵士は北イタリアの商都ヴェネツィアの要求を受け入れてコンスタンティノープルを占領し、
そこでラテン帝国を建国し、東方貿易の保護にあたった。
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245 2010/07/16(金) 22:54:52 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の推移 7】
十字軍は、1270年、フランス王ルイ9世の第7回十字軍を以って終りを告げる。
十字軍の齎した経済的文化的影響は大きかった。
たとえば、中世ヨーロッパがアリストテレス哲学や自然科学への目を開かれたのは、
アラビア人を通じての事であった。
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246 2010/07/16(金) 22:55:04 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の経過】
第1回(1096〜1099)
ウルバヌス2世、クレルモン公会議、イェルサレム王国
第3回(1189〜1192)
アイユーブ朝サラディンと対立、フリードリヒ1世、フィリップ2世、リチャード1世
第4回(1202〜1204)
インノケンティウス3世、ヴェネツィア商人、ラテン帝国
第7回(1270)
フランス王ルイ9世
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247 2010/07/16(金) 23:53:39 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 1】
中世ヨーロッパでは、封建社会が安定するに伴い、農業生産の増大を基礎として商業が発達し、
12〜13世紀頃には、幾つもの交通路と都市を結んだ遠隔地商業が展開されるようになった。
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248 2010/07/16(金) 23:53:51 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 2】
これは、地中海商業圏と北欧商業圏及びそれらを結ぶ内陸商業圏から成立していたが、
イタリア商人は、アレクサンドリアやコンスタンティノープルで買い入れた東方の物産である、
香辛料・絹織物・染料をヨーロッパ市場に齎し、その見返りとして、銀・毛織物を輸出した。
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249 2010/07/17(土) 22:51:22 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 3】
一方、北ドイツ商人は、木材・海産物・毛皮・毛織物・穀物等を取引し、
14世紀には、リューベックを盟主とするハンザ同盟を結成して勢力を揮った。
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250 2010/07/17(土) 22:51:35 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 4】
さらに、南北を結ぶ内陸商業では、シャンパーニュの大市が名高いが、
やがて登場した南ドイツ商人の活躍はめざましく、
宗教改革の歴史とかたく結びついて記憶されるアウグスブルクなどの都市が興隆し、
また、教皇や皇帝を動かすほどの力を持ったフッガー家のような世界的富豪がうまれた。
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251 2010/07/17(土) 23:47:00 ID:zGvqOCtUV6
【三大商業圏と都市】
地中海商業圏;
海港都市:ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピザ
内陸都市:フィレンツェ・ミラノ
北欧商業圏;
北ドイツ:リューベック・ハンブルク・ブレーメン
フランドル地方:ブリュージュ・ガン
内陸商業圏;
ルーアン・マルセイユ・ボルドー・リヨン・ケルン・マインツ・アウグスブルク・ニュルンベルク
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252 2010/07/17(土) 23:47:20 ID:zGvqOCtUV6
【二つの貿易】
1. 北海貿易:北欧商業圏、生活物資中心
2. 東方(レヴァント)貿易:地中海商業圏、贅沢品中心
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253 2010/07/18(日) 23:12:59 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 1】
百年戦争は、フランス王位の継承権を主張したイギリス王エドワード3世が、
フランスに攻撃を加えた事に端を発したが、
その背後には、両国の経済的利害が大きくからんでいた。
経済的先進地域としてフランドル地方が、両国争奪の目標であった。
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254 2010/07/18(日) 23:13:16 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 2】
この戦争は、イギリス側が攻勢をとって有利に展開していたが、
救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクの出現によって、フランス王シャルル7世は敗勢を挽回する事が出来た。
この戦争は特に農民を苦しめ、それが原因となり、
この両国に大きな農民反乱が起こり(=英:ワット・タイラーの乱、仏:ジャックリーの乱)、
両国の領主層に深刻な動揺を与えた。
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255 2010/07/19(月) 22:23:52 ID:HYu8Y2YTuo
【14〜15世紀のヨーロッパ 3】
ともあれ、この百年戦争自体は、1453年に一応の終結をみるが、
イギリスでは、この戦争の結末に不満を持った貴族達引き起こした内戦(=ばら戦争)により、
なおも戦乱の時代が続いた。
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256 2010/07/20(火) 23:05:08 ID:mi4He64VXs
【14〜15世紀のヨーロッパ 4】
他方ドイツでは、13世紀後半、シュタウフェン朝の断絶後、
神聖ローマ皇帝の居ないいわゆる大空位時代が出現した。
その後、14世紀になると、ルクセンブルク朝のカール4世が帝位に就き、
七大選帝侯を定めた金印勅書を発布し、
15世紀以後、神聖ローマ皇帝はハプスブルク家によって独占的に継承される事になったが、
諸侯の分立状態を解消するものではなかった。
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257 2010/07/21(水) 22:53:11 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 5】
いずれにせよ、この時代には、
ローマ教皇や神聖ローマ皇帝というかつての伝統的な権威は後退し、
その結果、ベーメンでは、フスによる先駆的な宗教改革運動に端を発し、
教会と領主に対する民衆の解放戦争が起こった。
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258 2010/07/21(水) 23:17:20 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 6】
イタリアの場合も、ドイツと同様な分裂状態であった。
すなわち、南イタリアでは、シチリア王国やナポリ王国が諸国の干渉を受けて混乱を続け、
これに対して、北イタリアでは、多くの都市国家が栄えていた。
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259 2010/07/22(木) 23:09:50 ID:/40p4.PZPQ
【14〜15世紀のヨーロッパ 7】
それらの中で、たとえば、東地中海貿易で覇権を握ったヴェネツィア
毛織物生産と東方貿易で繁栄したトスカナ平野のフィレンツェ、
ヴィスコンティ家の専制的支配下におかれたミラノなどが代表的なものである。
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260 2010/07/23(金) 23:00:56 ID:WMNzFbR7zc
【14〜15世紀のヨーロッパ 8】
しかし、これらの都市国家においても、
都市相互間の、或いは都市内部の激しい党派的抗争が絶える事なく、
統一的発展の方向からはほど遠い状態であった。
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261 2010/07/23(金) 23:01:22 ID:WMNzFbR7zc
【百年戦争の影響】
1. 英仏の中央集権 → 英は、ばら戦争(1455〜1485)後、ヘンリ7世のチューダー朝成立
2. 農奴解放が始まる → 仏では、戦争による農奴の窮乏かつペストの流行
→ ジャックリーの乱 → 領主制の危機 → 安い農奴解放金で農奴を解放(=純粋荘園の崩壊)
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262 2010/07/24(土) 23:05:36 ID:PxN2vUykt6
【中世末の英・仏の農民反乱】
仏:ジャックリーの乱(1358)
英:ワット・タイラーの乱(1381)
→ジョン・ボールの演説『アダムが耕し、イヴが紡いだ時、誰が領主だったのか?』
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263 2010/07/25(日) 23:04:23 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 1】
5世紀末の国王クローヴィスのアタナシウス派改宗、
8世紀半ばの国王ピピンの教皇へのラヴェンナ地方寄進、
そして、8世紀末のカール1世の教皇レオ3世による「ローマ皇帝」戴冠で、
ローマ・カトリック教会は、フランク王国と提携して発展した。
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264 2010/07/25(日) 23:04:38 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 2】
そして、教会は、広大な所領を経営する封建領主として世俗権力をも握ったが、
一方で、聖職者の腐敗・堕落を招く事にもなり、聖職売買などの弊害が目立つようになった。
修道院もまた、教会と同様の道を辿り、民衆からかけ離れた存在となった。
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265 2010/07/25(日) 23:49:11 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 3】
この為、これを刷新しようとして、10世紀より修道院改革運動が起こった。
また、粛正運動の精神を受けて、11世紀後半、教皇グレゴリウス7世は、「グレゴリウス改革」を推進し、
世俗君主の聖職叙任・聖職売買・聖職者の妻帯を禁止した。
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266 2010/07/26(月) 23:25:51 ID://oGDA4sKg
【中世のキリスト教 4】
この為、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世は、自らの教会政策を脅かすものとして、
これに激しく反対し、教皇の廃位を宣言したが、結局、カノッサで教皇に屈服した。
その後、ウォルムス協約が結ばれ、この聖職叙任権闘争と呼ばれる争いは一応終結した。
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267 2010/07/27(火) 23:08:06 ID:D38Nie0xgE
【中世のキリスト教 5】
こうした動きは、民衆的な宗教運動の中にも見る事が出来る。
10世紀末、南フランスで、司祭や修道士が民衆の間に入り込み、
公共秩序の確立を目指した「神の平和」運動が生まれた。
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268 2010/07/28(水) 23:13:00 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 6】
12世紀半ば、東方に起源を持つ異端のカタリ派が西欧に姿を現し、
12世紀後半には、十字軍以来急速に発達したイタリアやフランス等の都市を中心に、
ローマ教会の教義から見て異端とされる民衆の信仰運動が発達した。
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269 2010/07/28(水) 23:13:15 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 7】
フランス南東部ローヌ河谷の中心リヨンの裕福な商人ワルドは、
財産を慈善事業に投じ、清貧を誓う民衆の信仰団体を作った。
このワルド派は、「リヨンの貧者」とも呼ばれる。
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270 2010/07/29(木) 23:11:41 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 8】
当初、ローマ教会は、これを賞賛したが、
この派が聖書主義等を強調し、教会機構や伝統に対して批判的になるに及び、
異端と宣言した。
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271 2010/07/29(木) 23:12:00 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 9】
その後、1303年のアナーニ事件、1309年からの「教皇バビロン捕囚」、
さらに、1378年からの教会大分裂(=シスマ)等…教皇権が衰えるにつれて、
14世紀後半、イギリスのウィクリフやボヘミアのフス等による、
教会の世俗化や教義への批判の動きが見られたが、
これは、16世紀の宗教改革の先駆けとなるものであった。
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272 2010/07/30(金) 23:04:57 ID:j7ul1bOE/s
【中世キリスト教会と国家の関係】
1. 提携期
496年:クローヴィスの改宗
726年:聖像禁止令
754年:ピピンの教皇領寄進
800年:カールの戴冠
962年:オットーの戴冠
1054年:東西教会分裂
2. 教会優越期
1077年:カノッサの屈辱
1095年:クレルモン公会議
1122年:ウォルムス協約
1202年:第4回十字軍(インノケンティウス3世)
3. 国王優越期
1303年:アナーニ事件
1309年:教皇のバビロン捕囚(〜1377年)
1378年:教会大分裂(〜1417年)
1414年:コンスタンツ公会議
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273 2010/07/31(土) 23:15:11 ID:oDsuisnUnY
【中世の文化 1】
11〜12世紀頃よりヨーロッパ各地に大学がつくられた。
南イタリアでは医学で有名なサレル大学、北イタリアの法学で有名なボロニャ大学、
神学研究で名高いイギリス最初の大学オックスフォード大学等がある。
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274 2011/01/01(土) 19:29:59 ID:DU9FpZW4WI
275 2011/01/05(水) 15:18:42 ID:/2csUQscsI
276 2011/01/12(水) 14:11:01 ID:iTp8GYQStE
277 2011/01/15(土) 15:21:30 ID:zXjjfZ2JYg
278 2011/02/05(土) 12:57:14 ID:/aa9PMw1xk
279 2011/02/10(木) 11:30:51 ID:wmYDBXsLvg
280 2011/02/10(木) 11:32:02 ID:wmYDBXsLvg
281 2011/03/23(水) 09:20:56 ID:wUt74ztioc
282 2011/03/23(水) 09:21:04 ID:wUt74ztioc
283 2011/03/23(水) 09:21:12 ID:wUt74ztioc
284 2012/03/13(火) 19:13:34 ID:vq7TlaWPTo
285 2012/12/03(月) 18:08:05 ID:HK5/GDah46
こちらも日本史同様に几帳面な書き込み。
それにしても、世界史っていうのは、何でこんな名前なのか?と思う妙な名称が多い。
世界史だから、当然だけどね。
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286 2013/01/01(火) 12:57:24 ID:tKyu4ipVvE
>>285 御厨さん、こちらにも登場ですね!!
スレ氏様は、最初、語呂合わせ的な内容での記述でしたが、
後に授業での板書内容を記しているようですね?
一つ一つ読んでみて、書き込みの中に誤字脱字がないか?と意地悪な気持ちでおります。
世界史っていうのは何でこんな名前なのか?と思う点は御厨さんに賛同します。
自分も高校生当時歴史の勉強には随分と困ったものです。
あんなフザけたような名称を覚えられるか!!ってね。
そういいながらも80点台をキープしたのは、当時付き合っていた彼女のおかげですかね。
彼女はクラスメートで歴史が得意な子だったので、一緒に勉強してました。
エッチな勉強はしてませんでした。高校生でしたし、自分結構奥手だったので。
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287 2013/01/06(日) 17:25:08 ID:RWZIb7PR1g
「世界史の勉強」スレッドもあるんですね。
驚きました。
こんなにきちんとノートにまとめていたらテスト対策万全でしょう。
ところで、昔、同級生で歴史だけ得意な人がいたのです。
その人は授業中にまったくノートをとらず教科書だって真っ新状態でした。
どうやって覚えるのかな?と不思議に思っていましたが、
歴史の分野だけはスラスラと頭の中に入るんですって。
本当、不思議です。
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288 2013/01/19(土) 14:18:57 ID:RH5sm.UCYM
>>287 冒頭からの2行部分、私も同感です。
日本史だけかと思ったら世界史までも。
私が歴史に対して純粋に興味を抱いていたのは小学生時分。
中学生からは試験の為の勉強になりました。
仕方なく、という気持ちでした。
成績が5だったのでまわりからは出来るだの得意だのと囃したてられましたが当の私には好きという気持ちが殆どありませんでした。
高校になると理系に進み歴史からはすっかり遠ざかってしまいました。
まるで別れた恋人を思い出すような気分です。
そんな歴史ですかね?
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289 2013/01/21(月) 11:35:32 ID:ruqPJlrJCY
初めまして!
歴史の勉強が苦手でしたが、
皆様の意見を伺ってみて、もう一度勉強し直す気持ちになりました。
ありがとうございます。
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290 2013/02/13(水) 14:00:25 ID:x9LKmY.rEg
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