世界史の勉強
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001 2010/04/13(火) 20:14:29 ID:BE8gxiLQcA
世界史そのものには特別興味は無かったが、語呂暗記・リズム暗記などの手法に少々凝ったような気がする…
【スペイン統一】イサベルは ひと夜で国[1492]を 統一し
※ 同年、コロンブスの西インド航路探検
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201 2010/06/26(土) 22:47:41 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 3】
このとき、ローマ軍は島民ブリトン人の激しい抵抗に遭ったが、
言葉の系統から言えば彼ら島民はガリア地方の住民と同種族のケルト人(現在、アイルランドの住民)に属していた。
帝政初期には同島の中・南部が属州としてローマ帝国の版図に組み込まれたが、帝国の衰退の過程の中で同島に対する支配は放棄され、
その後を受けて5世紀半ばからアングロ・サクソン人が新たな征服者として同島に侵入を開始した。
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202 2010/06/26(土) 22:48:01 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 4】
彼らがローマ帝国旧領のイングランド地方に形成した部族国家群は淘汰と統合を重ね、ついに、七王国(ヘプターキー)と呼ばれる分立王国の体制が生まれた。
この間に、教皇グレゴリウス1世の派遣した使徒達の布教活動によりイングランドはローマ・カソリックのキリスト教圏に繋ぎとめられた。
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203 2010/06/27(日) 22:09:26 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 5】
9世紀前半には、イングランド統一王国がようやく現実しかかったものの、
その頃からイングランド各地は北海の勢力デーン人(ヴァイキング)による掠奪や侵略の脅威にさらされ、
11世紀前半には征服者カヌートがイングランド王を称して自らの王朝を同地に開く事態にまで至った。
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204 2010/06/27(日) 22:09:42 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 6】
同王の死によって地元系の王権の復古を見た。
ところが、イングランドの王位継承を主張したノルマンディー公ウィリアムは、
1066年にイングランドに侵入し、ヘースティングズの戦いで勝利をおさめ、
イングランドに王権の強い封建制度を導入した。
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205 2010/06/27(日) 23:39:02 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 7】
このノルマン朝の後、アンジュー伯のヘンリ2世が王位についてプランタジネット朝を創始し、行政や裁判の制度を整えた。
次のジョン王は、フランス王フィリップ2世と争ってフランスにおける領土の多くを失い、
カンタベリ大司教の任命をめぐって教皇インノケンティウス3世と対立して破門され、
また、失政の為に貴族に反抗され、大憲章(マグナ・カルタ)を承認した。
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206 2010/06/28(月) 22:34:30 ID:NyBcech.fU
【イギリス中世史 8】
しかし、ジョンの子ヘンリ3世はそれを無視したので、シモン・ド・モンフォールを指揮者とする貴族の反乱を招き、
1265年には大貴族と高位聖職者の他に各州の騎士と各都市の代表者を加えた集会を召集した。これがイギリス議会の始まりとされている。
エドワード1世のとき模範議会が開かれ、14世紀には次第に形を整え、二院制の議会が確立した。
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207 2010/06/29(火) 22:13:13 ID:pvEupfW9ik
【イギリスの変遷】
1C:ローマの属州
449:アングロ・サクソン七王国成立
829:エグベルトの統一(イングランド王国成立)
9C:デーン人の侵入とアルフレッド大王の撃退
1016:カヌートの征服
1066:ウィリアム1世のノルマン朝成立
1154:プランタジネット朝成立
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208 2010/06/30(水) 22:39:32 ID:cbzyy3nogk
【イギリス身分制議会の成立】
1215:ジョン王、大憲章承認
1265:イギリス議会の成立(ヘンリ3世⇔シモン・ド・モンフォール)
1295:模範議会(エドワード1世)
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209 2010/06/30(水) 22:39:48 ID:cbzyy3nogk
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 1】
イスラム教徒は、8世紀初め、アフリカ北岸からジブラルタル海峡を渡って、
イベリア半島の西ゴート王国を征服、フランク軍とトゥール・ポアティエで戦い、
カール大帝もイスラム軍ピレネー山中で敗れた事があった(→『ローランの歌』)。
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210 2010/07/01(木) 22:08:16 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 2】
彼らはやがて、かつてローマ人で「われらの海」と称した地中海を支配したが、
最終的に南イタリアを支配したのはノルマン人であった(→両シチリア王国)。
ノルマン人は8世紀末から西欧の海岸や河川流域を襲い略奪を繰り返したが、
徐々に定住するようになった(→北仏のノルマンディー公国;ロロ)。
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211 2010/07/01(木) 22:08:29 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 3】
9世紀末、アングロ・サクソン人のウェセックス王国のアルフレッド大王は、
デーン人の侵入を撃退したが、11世紀前半にはデーン王カヌートが、
デンマーク、ノルウェー、イングランドに跨る海上帝国を建設した。
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212 2010/07/01(木) 23:38:07 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 4】
彼の死後30年ほど経って、ノルマンディー公ウィリアムにより、ノルマン征服が行われた。
また、ノルマン人は、東方では9世紀中頃ロシア(→ノヴゴロド)を、
北欧ではスウェーデン、ノルウェー、デンマークの3王国を建設するなど広範囲に渡り活躍した。
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213 2010/07/01(木) 23:38:20 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 5】
ヨーロッパ内陸部では、9世紀末から10世紀中頃にマジャール人が、
ドイツ、イタリアに侵入し、やがて、ハンガリー王国を建国した。
彼らの侵入を防いだオットー1世は、10世紀中頃、侵入を終わらせ、神聖ローマ帝国を建てた。
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214 2010/07/02(金) 22:36:29 ID:qxXVXrZV26
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 6】
同国はローマ皇帝理念をめぐってビザンツ帝国と対立し、
また、スラヴ系諸民族を刺激してベーメン、ポーランドの国家形成を促し、
彼らの間にローマ・カトリック教を広めた。
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215 2010/07/03(土) 22:15:32 ID:tYOMmBLRKQ
【ノルマン人の移動】
ロシア;
862:ノヴゴロド王国
882:キエフ公国 → 988:ウラディミル1世のギリシア正教改宗
フランス;
911:ロロのノルマンディー公国建国
イギリス;
1016:カヌートのイングランド征服 → 海上帝国建設
1066:ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服 → ノルマン朝の成立
地中海;
両シチリア王国の建国
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216 2010/07/04(日) 23:34:19 ID:hmggCWIe72
【スラヴ族 1】
ドニエプル川流域に住みついた東スラヴのロシア人は、
9世紀末、ノルマン人の支配の下にキエフ公国を建て、
10世紀末に出たウラディミル1世の時代にロシアの地をほぼ統一した。
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217 2010/07/05(月) 23:05:45 ID:6STRMSFugU
【スラヴ族 2】
13世紀、モンゴル人が南ロシアにキプチャク・ハン国を建てると、
東スラヴはその支配に服したが、15世紀にはモスクワ大公国が勢力を強め、
1480年、大公イヴァン3世はモンゴル人から独立し、自らツァーと称した。
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218 2010/07/05(月) 23:06:00 ID:6STRMSFugU
【スラヴ族 3】
西スラヴは、ヴィスワ川からエルベ川までの流域に広がった。
ポーランド人は、10世紀に王国を形成し、
その後、モンゴル人の侵入(→1241年・ワールシュタットの戦い)や、
ドイツ人の東方植民(→バルト海沿岸;ドイツ騎士団)などの外圧に苦しんだ。
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219 2010/07/06(火) 22:22:18 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 4】
しかし、14世紀末、リトアニア大公国と連合し、
ヤゲロー朝の下で15〜16世紀に全盛期を迎えた。
また、チェック人が10世紀に建てた国家は、
神聖ローマ帝国に属して12世紀にボヘミア(ベーメン)王国となり(→金印勅書)、
14世紀初頭からはドイツ人の王によって統治された。
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220 2010/07/06(火) 22:22:28 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 5】
ドナウ川流域とバルカン半島に進出した南スラヴは、
東ローマ帝国の支配を受けたが、そのうちのセルビア人は12世紀に独立し、
14世紀前半にはバルカン北部を統一した。
尚、セルビア人は、後に、第1次大戦勃発の直接的原因となった民族である。
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221 2010/07/06(火) 23:55:15 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 6】
また、アジア系のブルガール人も南スラヴに同化し、
7世紀及び12世紀の二度に渡り王国を建てた。
しかし、南スラヴ諸族は14世紀末以後、オスマン・トルコ帝国によって征服され、
以後長くその支配下に置かれた。
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222 2010/07/06(火) 23:55:29 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ人】
東スラヴ:ロシア人
西スラヴ:ポーランド人、リトアニア人、チェック人
南スラヴ:セルビア人、クロアティア人
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223 2010/07/07(水) 22:34:34 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 1】
東ローマ帝国は、6世紀のユスティニアヌス大帝の時代に、
アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国など、
ゲルマン人の建てた王国を滅ぼして領域を拡大した。
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224 2010/07/07(水) 22:34:47 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 2】
彼は『ローマ法大全』の編纂を行った事や、
首都コンスタンティノープルにセント・ソフィア聖堂を建設した事でも有名である。
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225 2010/07/07(水) 23:11:51 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 3】
しかし、彼の死後まもなく、東からササン朝ペルシアが東ローマ帝国を脅かし、
7世紀にはイスラム教徒によってシリアやエジプトを奪われるなどして、
帝国の領土は縮小された。
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226 2010/07/07(水) 23:12:03 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 4】
また、北からは、スラヴ人の一部が帝国内に南下して定住した。
それでも東ローマ帝国は、9〜10世紀には安定した時代を迎え、
同時期の西ヨーロッパとは異なる独自の世界を展開した。
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227 2010/07/08(木) 22:56:06 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 5】
しかし、11世紀以降、東ローマ帝国の没落は決定的となった。
東からはセルジューク・トルコが侵入した。
また、西からは、十字軍が帝国内を通過した。
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228 2010/07/08(木) 22:56:33 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 6】
とりわけ13世紀には、第4回十字軍が首都を占領してラテン帝国を建国し、
東ローマ帝国を分裂させた。
結果、東ローマ帝国は、15世紀半ばにオスマン・トルコによって滅ぼされる事になる。
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229 2010/07/08(木) 22:56:48 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 7】
東ローマ帝国では、最初ラテン語が公用語とされたが、
やがて、ギリシア語がそれにとってかわり、
ギリシア文化を継承・保存するかたちで学問・文化が発達した。
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230 2010/07/08(木) 22:57:02 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 8】
建築においては、円屋根とモザイク壁画を特徴とするビザンツ様式を生み出した。
宗教の点では、皇帝が教会を支配するという傾向が強かった。
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231 2010/07/09(金) 22:56:38 ID:GFYbmX4Vdo
【ビザンツ帝国 9】
8世紀前半には、聖像禁止令が出されたが、
これを契機として東西の教会が分裂し、
東ローマ帝国は東方教会として独自のギリシア正教を確立し、
これを東ヨーロッパ世界に伝える事になった。
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232 2010/07/10(土) 22:53:17 ID:zQlLJfu2x2
【ビザンツ帝国の皇帝と業績】
ユスティニアヌス(6世紀半ば);
1. ヴァンダル・東ゴートを滅ぼす
2. 『ローマ法大全』の編纂
3. セント・ソフィア聖堂の建設
ヘラクレイオス1世(7世紀前半);
1. 屯田兵制
2. 軍管区(テマ)制
レオン3世(8世紀前半);
1. ウマイヤ朝撃退
2. 聖像禁止令
アレクシオス1世(11〜12世紀);
1. プロノイア制(地方の有力者に軍事奉仕を条件に、一定の大土地所有を認め地方の支配を許す封建制の一形態)
2. 十字軍派遣を要請
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233 2010/07/11(日) 22:59:39 ID:MyIibQ17kY
【封建制・荘園制 1】
封建制度は、8世紀頃から古ゲルマン人の間で行われていた従士制と、
ローマ帝国末期にみられた恩貸地制とが結びついて成立したものであり、
法制上は、主君(貴族・僧侶・騎士)が臣下に対して封土を与え、
それに対して臣下が主君に忠誠を誓って軍役を主とする一定の義務を負担する…という、
主従関係が幾層にも成立した。
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234 2010/07/11(日) 22:59:52 ID:MyIibQ17kY
【封建制・荘園制 2】
この主従関係は、当初、一代限りのものであったが、
次第に世襲化されるとともに主君は領主となり、
その領内では裁判や課税について国王の役人の手が及ぶのを防ぐ不輸不入権を持つようになった。
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235 2010/07/12(月) 23:01:00 ID:G52JtgcOzc
【封建制・荘園制 3】
こうして、国王もいわば大領主の一人に過ぎず、
中世国家は近代的な中央集権国家とは決定的に異なっていた。
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236 2010/07/12(月) 23:01:13 ID:G52JtgcOzc
【封建制・荘園制 4】
封建社会を生産のあり方からみれば荘園制度が基礎となっている。
荘園の内部では、自由農民がまったく消滅したわけではないが、
農奴制が農民の一般的状態となった。
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237 2010/07/13(火) 22:45:38 ID:lZGNcopTP2
【封建制・荘園制 5】
農民は一定の日数、領主の直営地で働き(=賦役)、
自己の保有地の収穫物に対して一定の割合で課せられる年貢を納め(=貢納)、
人頭税、結婚許可税等々を支払い、教会には十分の一税を納めなければならなかった。
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238 2010/07/13(火) 22:45:52 ID:lZGNcopTP2
【封建制・荘園制 6】
さらに、彼らは、領主の裁判権や行政権によっても領主に隷属していた。
12〜13世紀頃、鉄製の有輪犂の利用が一般化し、三圃式(三圃制)農法が普及すると共に、
新しい集村の形成が促され、有力な大領主がこれを全体としてまとめて支配するようになった。
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239 2010/07/14(水) 23:04:32 ID:kILWHxVV8U
【十字軍の推移 1】
11〜13世紀、ヨーロッパ封建社会の絶頂期のエネルギーが対外的に発揮された活動が十字軍である。
その発端は、11世紀半ば、トルコ系遊牧民セルジューク族が進出し、
聖地イェルサレムを訪れるキリスト教徒巡礼者を脅かし、
また、東ローマ帝国に政治的圧力を加えてきた事による。
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240 2010/07/14(水) 23:04:46 ID:kILWHxVV8U
【十字軍の推移 2】
既に、1073年、教皇となったグレゴリウス7世は、異教徒に対する聖戦を意図していたが、
改革派として知られた彼は、その後に勃発した叙任権闘争(聖職叙任権問題)に忙殺され、
この志を果たす事はかなわなかった。
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241 2010/07/15(木) 23:08:13 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 3】
それを継承したのが、教皇ウルバヌス2世であった。
彼は、1095年、クレルモン公会議において十字軍の発動を力強く訴え、群衆の歓呼を受けた。
翌年、主としてフランス人及び南イタリアのノルマン人の諸侯・騎士を中心に編成された十字軍は、
パレスティナに遠征し、1099年に聖地を占領し、イェルサレム王国を建国する事に成功した。
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242 2010/07/15(木) 23:08:26 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 4】
しかし、封建国家体制が布(し)かれ、騎士団が設立されたが、
イスラム教徒側の反撃を阻止するには十分ではなかった。
そして、ついに、1187年、アイユーブ朝のサラディンにより、イェルサレム王国は陥落した。
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243 2010/07/15(木) 23:42:28 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 5】
12世紀末、ドイツ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世
によって起こされた第3回十字軍もみるべき成果なく終わっている。
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244 2010/07/15(木) 23:42:41 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 6】
こうなると、十字軍を支えた宗教的情熱に代わり、世俗的動機が前面に押し出されてくる事になる。
その典型が、1202年に起こされた第4回十字軍で、
十字軍兵士は北イタリアの商都ヴェネツィアの要求を受け入れてコンスタンティノープルを占領し、
そこでラテン帝国を建国し、東方貿易の保護にあたった。
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245 2010/07/16(金) 22:54:52 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の推移 7】
十字軍は、1270年、フランス王ルイ9世の第7回十字軍を以って終りを告げる。
十字軍の齎した経済的文化的影響は大きかった。
たとえば、中世ヨーロッパがアリストテレス哲学や自然科学への目を開かれたのは、
アラビア人を通じての事であった。
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246 2010/07/16(金) 22:55:04 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の経過】
第1回(1096〜1099)
ウルバヌス2世、クレルモン公会議、イェルサレム王国
第3回(1189〜1192)
アイユーブ朝サラディンと対立、フリードリヒ1世、フィリップ2世、リチャード1世
第4回(1202〜1204)
インノケンティウス3世、ヴェネツィア商人、ラテン帝国
第7回(1270)
フランス王ルイ9世
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247 2010/07/16(金) 23:53:39 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 1】
中世ヨーロッパでは、封建社会が安定するに伴い、農業生産の増大を基礎として商業が発達し、
12〜13世紀頃には、幾つもの交通路と都市を結んだ遠隔地商業が展開されるようになった。
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248 2010/07/16(金) 23:53:51 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 2】
これは、地中海商業圏と北欧商業圏及びそれらを結ぶ内陸商業圏から成立していたが、
イタリア商人は、アレクサンドリアやコンスタンティノープルで買い入れた東方の物産である、
香辛料・絹織物・染料をヨーロッパ市場に齎し、その見返りとして、銀・毛織物を輸出した。
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249 2010/07/17(土) 22:51:22 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 3】
一方、北ドイツ商人は、木材・海産物・毛皮・毛織物・穀物等を取引し、
14世紀には、リューベックを盟主とするハンザ同盟を結成して勢力を揮った。
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250 2010/07/17(土) 22:51:35 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 4】
さらに、南北を結ぶ内陸商業では、シャンパーニュの大市が名高いが、
やがて登場した南ドイツ商人の活躍はめざましく、
宗教改革の歴史とかたく結びついて記憶されるアウグスブルクなどの都市が興隆し、
また、教皇や皇帝を動かすほどの力を持ったフッガー家のような世界的富豪がうまれた。
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251 2010/07/17(土) 23:47:00 ID:zGvqOCtUV6
【三大商業圏と都市】
地中海商業圏;
海港都市:ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピザ
内陸都市:フィレンツェ・ミラノ
北欧商業圏;
北ドイツ:リューベック・ハンブルク・ブレーメン
フランドル地方:ブリュージュ・ガン
内陸商業圏;
ルーアン・マルセイユ・ボルドー・リヨン・ケルン・マインツ・アウグスブルク・ニュルンベルク
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252 2010/07/17(土) 23:47:20 ID:zGvqOCtUV6
【二つの貿易】
1. 北海貿易:北欧商業圏、生活物資中心
2. 東方(レヴァント)貿易:地中海商業圏、贅沢品中心
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253 2010/07/18(日) 23:12:59 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 1】
百年戦争は、フランス王位の継承権を主張したイギリス王エドワード3世が、
フランスに攻撃を加えた事に端を発したが、
その背後には、両国の経済的利害が大きくからんでいた。
経済的先進地域としてフランドル地方が、両国争奪の目標であった。
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254 2010/07/18(日) 23:13:16 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 2】
この戦争は、イギリス側が攻勢をとって有利に展開していたが、
救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクの出現によって、フランス王シャルル7世は敗勢を挽回する事が出来た。
この戦争は特に農民を苦しめ、それが原因となり、
この両国に大きな農民反乱が起こり(=英:ワット・タイラーの乱、仏:ジャックリーの乱)、
両国の領主層に深刻な動揺を与えた。
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255 2010/07/19(月) 22:23:52 ID:HYu8Y2YTuo
【14〜15世紀のヨーロッパ 3】
ともあれ、この百年戦争自体は、1453年に一応の終結をみるが、
イギリスでは、この戦争の結末に不満を持った貴族達引き起こした内戦(=ばら戦争)により、
なおも戦乱の時代が続いた。
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256 2010/07/20(火) 23:05:08 ID:mi4He64VXs
【14〜15世紀のヨーロッパ 4】
他方ドイツでは、13世紀後半、シュタウフェン朝の断絶後、
神聖ローマ皇帝の居ないいわゆる大空位時代が出現した。
その後、14世紀になると、ルクセンブルク朝のカール4世が帝位に就き、
七大選帝侯を定めた金印勅書を発布し、
15世紀以後、神聖ローマ皇帝はハプスブルク家によって独占的に継承される事になったが、
諸侯の分立状態を解消するものではなかった。
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257 2010/07/21(水) 22:53:11 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 5】
いずれにせよ、この時代には、
ローマ教皇や神聖ローマ皇帝というかつての伝統的な権威は後退し、
その結果、ベーメンでは、フスによる先駆的な宗教改革運動に端を発し、
教会と領主に対する民衆の解放戦争が起こった。
返信する
258 2010/07/21(水) 23:17:20 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 6】
イタリアの場合も、ドイツと同様な分裂状態であった。
すなわち、南イタリアでは、シチリア王国やナポリ王国が諸国の干渉を受けて混乱を続け、
これに対して、北イタリアでは、多くの都市国家が栄えていた。
返信する
259 2010/07/22(木) 23:09:50 ID:/40p4.PZPQ
【14〜15世紀のヨーロッパ 7】
それらの中で、たとえば、東地中海貿易で覇権を握ったヴェネツィア
毛織物生産と東方貿易で繁栄したトスカナ平野のフィレンツェ、
ヴィスコンティ家の専制的支配下におかれたミラノなどが代表的なものである。
返信する
260 2010/07/23(金) 23:00:56 ID:WMNzFbR7zc
【14〜15世紀のヨーロッパ 8】
しかし、これらの都市国家においても、
都市相互間の、或いは都市内部の激しい党派的抗争が絶える事なく、
統一的発展の方向からはほど遠い状態であった。
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261 2010/07/23(金) 23:01:22 ID:WMNzFbR7zc
【百年戦争の影響】
1. 英仏の中央集権 → 英は、ばら戦争(1455〜1485)後、ヘンリ7世のチューダー朝成立
2. 農奴解放が始まる → 仏では、戦争による農奴の窮乏かつペストの流行
→ ジャックリーの乱 → 領主制の危機 → 安い農奴解放金で農奴を解放(=純粋荘園の崩壊)
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262 2010/07/24(土) 23:05:36 ID:PxN2vUykt6
【中世末の英・仏の農民反乱】
仏:ジャックリーの乱(1358)
英:ワット・タイラーの乱(1381)
→ジョン・ボールの演説『アダムが耕し、イヴが紡いだ時、誰が領主だったのか?』
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263 2010/07/25(日) 23:04:23 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 1】
5世紀末の国王クローヴィスのアタナシウス派改宗、
8世紀半ばの国王ピピンの教皇へのラヴェンナ地方寄進、
そして、8世紀末のカール1世の教皇レオ3世による「ローマ皇帝」戴冠で、
ローマ・カトリック教会は、フランク王国と提携して発展した。
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264 2010/07/25(日) 23:04:38 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 2】
そして、教会は、広大な所領を経営する封建領主として世俗権力をも握ったが、
一方で、聖職者の腐敗・堕落を招く事にもなり、聖職売買などの弊害が目立つようになった。
修道院もまた、教会と同様の道を辿り、民衆からかけ離れた存在となった。
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265 2010/07/25(日) 23:49:11 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 3】
この為、これを刷新しようとして、10世紀より修道院改革運動が起こった。
また、粛正運動の精神を受けて、11世紀後半、教皇グレゴリウス7世は、「グレゴリウス改革」を推進し、
世俗君主の聖職叙任・聖職売買・聖職者の妻帯を禁止した。
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266 2010/07/26(月) 23:25:51 ID://oGDA4sKg
【中世のキリスト教 4】
この為、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世は、自らの教会政策を脅かすものとして、
これに激しく反対し、教皇の廃位を宣言したが、結局、カノッサで教皇に屈服した。
その後、ウォルムス協約が結ばれ、この聖職叙任権闘争と呼ばれる争いは一応終結した。
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267 2010/07/27(火) 23:08:06 ID:D38Nie0xgE
【中世のキリスト教 5】
こうした動きは、民衆的な宗教運動の中にも見る事が出来る。
10世紀末、南フランスで、司祭や修道士が民衆の間に入り込み、
公共秩序の確立を目指した「神の平和」運動が生まれた。
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268 2010/07/28(水) 23:13:00 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 6】
12世紀半ば、東方に起源を持つ異端のカタリ派が西欧に姿を現し、
12世紀後半には、十字軍以来急速に発達したイタリアやフランス等の都市を中心に、
ローマ教会の教義から見て異端とされる民衆の信仰運動が発達した。
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269 2010/07/28(水) 23:13:15 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 7】
フランス南東部ローヌ河谷の中心リヨンの裕福な商人ワルドは、
財産を慈善事業に投じ、清貧を誓う民衆の信仰団体を作った。
このワルド派は、「リヨンの貧者」とも呼ばれる。
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270 2010/07/29(木) 23:11:41 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 8】
当初、ローマ教会は、これを賞賛したが、
この派が聖書主義等を強調し、教会機構や伝統に対して批判的になるに及び、
異端と宣言した。
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271 2010/07/29(木) 23:12:00 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 9】
その後、1303年のアナーニ事件、1309年からの「教皇バビロン捕囚」、
さらに、1378年からの教会大分裂(=シスマ)等…教皇権が衰えるにつれて、
14世紀後半、イギリスのウィクリフやボヘミアのフス等による、
教会の世俗化や教義への批判の動きが見られたが、
これは、16世紀の宗教改革の先駆けとなるものであった。
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272 2010/07/30(金) 23:04:57 ID:j7ul1bOE/s
【中世キリスト教会と国家の関係】
1. 提携期
496年:クローヴィスの改宗
726年:聖像禁止令
754年:ピピンの教皇領寄進
800年:カールの戴冠
962年:オットーの戴冠
1054年:東西教会分裂
2. 教会優越期
1077年:カノッサの屈辱
1095年:クレルモン公会議
1122年:ウォルムス協約
1202年:第4回十字軍(インノケンティウス3世)
3. 国王優越期
1303年:アナーニ事件
1309年:教皇のバビロン捕囚(〜1377年)
1378年:教会大分裂(〜1417年)
1414年:コンスタンツ公会議
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273 2010/07/31(土) 23:15:11 ID:oDsuisnUnY
【中世の文化 1】
11〜12世紀頃よりヨーロッパ各地に大学がつくられた。
南イタリアでは医学で有名なサレル大学、北イタリアの法学で有名なボロニャ大学、
神学研究で名高いイギリス最初の大学オックスフォード大学等がある。
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274 2011/01/01(土) 19:29:59 ID:DU9FpZW4WI
275 2011/01/05(水) 15:18:42 ID:/2csUQscsI
276 2011/01/12(水) 14:11:01 ID:iTp8GYQStE
277 2011/01/15(土) 15:21:30 ID:zXjjfZ2JYg
278 2011/02/05(土) 12:57:14 ID:/aa9PMw1xk
279 2011/02/10(木) 11:30:51 ID:wmYDBXsLvg
280 2011/02/10(木) 11:32:02 ID:wmYDBXsLvg
281 2011/03/23(水) 09:20:56 ID:wUt74ztioc
282 2011/03/23(水) 09:21:04 ID:wUt74ztioc
283 2011/03/23(水) 09:21:12 ID:wUt74ztioc
284 2012/03/13(火) 19:13:34 ID:vq7TlaWPTo
285 2012/12/03(月) 18:08:05 ID:HK5/GDah46
こちらも日本史同様に几帳面な書き込み。
それにしても、世界史っていうのは、何でこんな名前なのか?と思う妙な名称が多い。
世界史だから、当然だけどね。
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286 2013/01/01(火) 12:57:24 ID:tKyu4ipVvE
>>285 御厨さん、こちらにも登場ですね!!
スレ氏様は、最初、語呂合わせ的な内容での記述でしたが、
後に授業での板書内容を記しているようですね?
一つ一つ読んでみて、書き込みの中に誤字脱字がないか?と意地悪な気持ちでおります。
世界史っていうのは何でこんな名前なのか?と思う点は御厨さんに賛同します。
自分も高校生当時歴史の勉強には随分と困ったものです。
あんなフザけたような名称を覚えられるか!!ってね。
そういいながらも80点台をキープしたのは、当時付き合っていた彼女のおかげですかね。
彼女はクラスメートで歴史が得意な子だったので、一緒に勉強してました。
エッチな勉強はしてませんでした。高校生でしたし、自分結構奥手だったので。
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287 2013/01/06(日) 17:25:08 ID:RWZIb7PR1g
「世界史の勉強」スレッドもあるんですね。
驚きました。
こんなにきちんとノートにまとめていたらテスト対策万全でしょう。
ところで、昔、同級生で歴史だけ得意な人がいたのです。
その人は授業中にまったくノートをとらず教科書だって真っ新状態でした。
どうやって覚えるのかな?と不思議に思っていましたが、
歴史の分野だけはスラスラと頭の中に入るんですって。
本当、不思議です。
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288 2013/01/19(土) 14:18:57 ID:RH5sm.UCYM
>>287 冒頭からの2行部分、私も同感です。
日本史だけかと思ったら世界史までも。
私が歴史に対して純粋に興味を抱いていたのは小学生時分。
中学生からは試験の為の勉強になりました。
仕方なく、という気持ちでした。
成績が5だったのでまわりからは出来るだの得意だのと囃したてられましたが当の私には好きという気持ちが殆どありませんでした。
高校になると理系に進み歴史からはすっかり遠ざかってしまいました。
まるで別れた恋人を思い出すような気分です。
そんな歴史ですかね?
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289 2013/01/21(月) 11:35:32 ID:ruqPJlrJCY
初めまして!
歴史の勉強が苦手でしたが、
皆様の意見を伺ってみて、もう一度勉強し直す気持ちになりました。
ありがとうございます。
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290 2013/02/13(水) 14:00:25 ID:x9LKmY.rEg
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