世界史の勉強
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001 2010/04/13(火) 20:14:29 ID:BE8gxiLQcA
世界史そのものには特別興味は無かったが、語呂暗記・リズム暗記などの手法に少々凝ったような気がする…
【スペイン統一】イサベルは ひと夜で国[1492]を 統一し
※ 同年、コロンブスの西インド航路探検
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101 2010/05/03(月) 08:44:47 ID:pziHTkKcLk
コテハンの荒らしが 現れたら
削除依頼から、連絡できます。
(2010/02/01(月)20:44:47 ID:F0yIVlELzg) ! ←このマークを押せば荒らし報告できます
とくに
Am9にジェイ=米押し達磨
は要注意で報告する事で、みなさんご協力をお願いします。
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102 2010/05/03(月) 22:03:03 ID:cV0r6QajAY
【A・A会議】いくぞゴーゴー[1955]バンドンへ
※ 同年代:ワルシャワ条約機構
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103 2010/05/03(月) 22:03:22 ID:cV0r6QajAY
【英の二重外交】
いちご[(19)15年]フサ・マク[フサイン・マクマホン協定]、ひと名[(19)17年]でバルフォア[バルフォア宣言]、中[(19)16年]の密約サイ・ピコ[サイクス・ピコ協定]だ
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104 2010/05/03(月) 22:03:37 ID:cV0r6QajAY
【非同盟の指導者】血と[ティトー]縁[エンクルマ]で、ナセルならば、ネールたすかる[スカルノ]
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105 2010/05/04(火) 21:57:30 ID:ts9QpxmoDk
【不安と危機現代文化】
経済ケインズ 実存ヤスパ[ヤスパース] 歴史はシュペン[シュペングラー]で 没落[『西洋の没落』]だ
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106 2010/05/05(水) 21:56:16 ID:pYzuAiECtg
【ピレネーから向こうはアフリカだ】
スペイン史を概観すれば、そのユニークさに気付く。
約600年のローマの支配、約300年のゲルマンの支配、約800年のイスラムの支配。
ローマ・ゲルマン・イスラムの計三つの文化が融合せずに重層構造を成し、
特に、最後のイスラムが、その後のスペイン文化に色濃く反映している。
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107 2010/05/06(木) 22:11:57 ID:jPcfd5ai7U
【ポーランド;最盛期を形成したヤゲロー朝】
14〜15世紀、ヤゲロー朝はドイツ騎士団と対抗し、ハンガリー・チェコの王位を兼ね、『東欧の雄』と称される大国となった
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108 2010/05/07(金) 22:01:07 ID:A..j/9c6i6
【マヤ・アステカ及びインカの両文明とオリエント文明の共通点・相違点】
共通点:国王を頂点とする宗教的政治組織・大公共事業・階層的分業
相違点:トウモロコシ栽培を土台として農耕文明、牧畜や鉄器・車がなかった等
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109 2010/05/08(土) 21:59:02 ID:uKoB517GgQ
【19世紀前半のラテン・アメリカ諸国の独立の背景、末期以降の合衆国との関係】
前者では『米英の支援』、後者では『汎米主義』
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110 2010/05/09(日) 22:00:27 ID:2KZK4Ma3fM
【人権関係の重要文書】
イギリス憲政史上の三大文書(大憲章・権利の請願・権利の章典)、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言、1948年の世界人権宣言
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111 2010/05/10(月) 22:07:53 ID:aHPd0mwHgY
【女性参政権・労働者の権利獲得】
第一次世界大戦以降次々と実現されたワケだが、
総力戦としての大戦の性格上、各国は大衆の力に依存せざるを得ず、加えて、ロシア革命も影響した
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112 2010/05/11(火) 22:09:20 ID:91vHnsFE7M
【都市の性格(労働形態)遷移】
古代都市は政治都市、中世都市は商業都市、近代都市は工業都市
→ 市民は原則として、古代=農民、中世=商人及び手工業者、近代=産業資本家及び労働者
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113 2010/05/12(水) 22:02:27 ID:h43Ak8EAPQ
【近代哲学の二つの系譜】
イギリス経験論(ホップズ、ロック、ヒューム)、大陸合理論(スピノザ、ライプニッツ)
ドイツ観念論→唯物論、イギリス経験論→功利主義
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114 2010/05/13(木) 21:55:26 ID:j8ZjTawWR2
【キリスト教史】
古代(ローマ帝国期)〜中世(宗教改革以前)を教会(聖権)と国家(俗権)の関係で表すと…
帝国による弾圧 → 公認・教義の統一・国教化 → 教会と国家(国王)の提携発展 → 教会の優越 → 国家(国王)の優越
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115 2010/05/14(金) 22:04:53 ID:16A1c3jWRo
【永嘉の乱・靖康の変・土木の変】
周辺民族及び中国間のトラブル → 匈奴・金(女真)・オイラート部が中国王朝に与えた多大な影響
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116 2010/05/15(土) 22:03:00 ID:IIe8nzqVjU
【官吏登用制度】
前漢:武帝(郷挙里選)→魏:文帝(九品中正)→隋:文帝(科挙)→宋:太祖(科挙)
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117 2010/05/15(土) 23:47:06 ID:puz6dUnfm6
118 2010/05/16(日) 00:00:07 ID:FK0EQBBlNM
俺は「奈保子のオッパイ大好き!」じゃねーよ!俺は俺だよ!
_ ∩ _ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい! ( ゚∀゚)彡 おっぱい!
( ⊂彡 おっぱい! ( ⊂彡 おっぱい!
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ダダッダダッダッダ!
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119 2010/05/16(日) 22:00:58 ID:gk18M0kuGk
【仏教よりも道教】
太平道・五斗米道、寇謙之、全真教、正一教
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120 2010/05/17(月) 22:02:16 ID:EzHJzgzLk.
【文学史】
実学は「著作・作者」、文学は「漢文・唐詩・宋詞・元曲」
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121 2010/05/18(火) 17:51:42 ID:hYSJ1p5Ikw
CRACKER【前田のクラッカー】
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122 2010/05/18(火) 22:00:15 ID:GW1CzbI41o
【中国の各王朝】
周〜唐:黄河中流域の長安と洛陽を往復
五代・宋:黄河と大運河の接点である抃京(開封)
明:金陵(南京)
→ 穀倉地帯が、黄河中流域→黄河中下流域→長江流域と移るに従い、首都も移動
尚、元・清は、北方民族による建国故、各々の原住地に近い北京を首都とした
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123 2010/05/19(水) 00:42:33 ID:Dt1L9ks2W2
124 2010/05/19(水) 22:01:12 ID:.SVCOdd5LI
【中国の河川】
農業の灌漑はもとより、水運の大動脈で、河川に沿って多くの都市が存在
特に、黄河及び長江の流域が重要
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125 2010/05/20(木) 22:03:06 ID:iS95H1011.
【朝鮮の統一王朝】
新羅・高麗・李氏朝鮮の三王朝のみ
以前における経過は、衛氏朝鮮→武帝の朝鮮四郡設置→高句麗・百済・新羅の三国時代→新羅の統一
三王朝においては、骨品(制)・仏国寺・高麗版大蔵経・両班・訓民正音が重要
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126 2010/05/21(金) 22:06:17 ID:dRak6tvoQU
【文字の系譜】
ヒエログリフ→シナイ文字→フェニキア文字…/アラム文字…
フェニキア文字(アルファベット):東欧のロシア文字、西欧の現代諸文字の基本
ロシア文字の前身:キリル文字
ラテン文字の前身:エトルリア文字(未解読)
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127 2010/05/22(土) 22:00:17 ID:RBO77i2yMQ
【アラム文字が変化して生まれた文字】
西アジア:ヘブライ文字、ペルシア文字、アラビア文字
インド・東南アジア方面:ブラーフミー文字(南インド:タミール文字、大乗仏教時代:サンスクリット文字、チベット文字、東南アジア諸文字)
中央アジア・北アジア:突厥文字(中国北方民族における最初の民族文字)
ソグド文字→ウイグル文字→モンゴル文字→満州文字
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128 2010/05/23(日) 22:08:12 ID:oDsuisnUnY
【草原の道・オアシスの道・海の道】
草原の道:スキタイ文化・フン族・バドゥ・カルピエ
オアシスの道:彩陶文化・張騫・仏教とガンダーラ美術・甘英・鳩摩羅什・法顕(往路)・玄奘・製紙法
海の道:大秦王安敦・法顕(帰路)・義浄・マルコ=ポーロの帰路・鄭和の南海遠征
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129 2010/05/24(月) 22:04:09 ID:WElxlO5dfM
【ソグディアナ[中央アジア]は、東西の民族・文化交流の最重要地点】
中央アジアの変遷:
第一期:アケメネス朝〜アッバース朝[イスラム帝国]
第二期:アッバース朝分裂後、サーマン朝→カラ・ハン朝→セルジューク朝→ホラズム→カズナ朝→イル・ハン国→ティムール帝国
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130 2010/05/25(火) 22:01:29 ID:6xZAwLgpPA
【オスマン・トルコ史】
600余年の間、スルタンによる専制政治
バヤジット一世、メフメト二世、セリム一世、スレイマン一世、アブデュル・メジド一世、アブデュル・ハミト二世など
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131 2010/05/26(水) 22:18:19 ID:rrqMZ1SupA
【バラモン教・仏教・ヒンドゥー教・イスラム教】
バラモン教:アーリア人の侵入期
仏教:マウルヤ朝〜クシャーナ朝
ヒンドゥー教:グプタ朝
イスラム教:ガズナ朝の侵入期〜ムガル帝国
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132 2010/05/26(水) 23:55:06 ID:rrqMZ1SupA
【旧石器時代】
猿人類→原人類→旧人類→新人類
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133 2010/05/26(水) 23:55:16 ID:rrqMZ1SupA
【猿人類・原人類・旧人類・新人類】
猿人類:アウストラロピテクス群/直立歩行/礫石器
原人類:北京原人・ジャワ原人/火の使用/石核石器・剥片石器
旧人類:ネアンデルタール人/埋葬の習慣/種類増加・軽量化
新人類:クロマニョン人・周口店上胴人/弓矢の使用/骨角器・細石器
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134 2010/05/26(水) 23:55:26 ID:rrqMZ1SupA
【アテネの政治】
王政→貴族政治→財産政治→僭主政治→民主政治→衆愚政治
王政:集住→ポリス形成
貴族政治:貨幣経済→平民台頭
財産政治:ソロン
僭主政治:ペイシストラトス
民主政治:クレイステネス(オストラシズム)→ペルシア戦争→ペリクレス→ペロポネソス戦争
衆愚政治:ポリスの衰退
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135 2010/05/27(木) 21:57:37 ID:GZdkWA0bfA
【先史の世界】
旧石器時代;
獲得経済 … 狩猟(漁撈)と自然物の採集
新石器時代;
生産経済 … 食料生産革命 … 農耕と牧畜の開始
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136 2010/05/28(金) 22:04:46 ID:9ZsxujSuRM
【農耕の発展】
新石器時代;
乾地農法、略奪農法
金属器時代;
灌漑農法
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137 2010/05/29(土) 21:46:13 ID:cIpZPfbFI6
【エジプトはナイルの賜物】
ギリシア歴史家のヘロドトス著『歴史(ペルシア戦争史)』の中の言葉
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138 2010/05/30(日) 22:02:13 ID:DpbnaqkEps
【古代エジプト】
ヒクソス;
西アジア(セム系)の遊牧民族で、前2000年紀前半の印欧語族の移動に刺激されてエジプトに侵入 → 中王国を滅ぼす
アメンホテップ4世の改革;
原因;
ヒッタイトとの対抗上、エジプト新王国の中央集権をめざす
内容;
1.アモン・ラー中心の多神教をやめ、太陽神アトンの一神教とする
2.首都をテーベからアマルナに遷す → 写実的なアマルナ美術の成立
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139 2010/05/31(月) 22:14:38 ID:6fJJWwOYTw
【メソポタミア・シリア】
古代オリエントで活躍した3つの語族;
セム語族;
アッカド人、アムル人(古バビロニア王国のバビロン第1王朝)、フェニキア人、ヘブライ人、アラム人、カルデア人(新バビロニア王国)、アッシリア人
ハム語族;
古代エジプト人(古王国・中王国・新王国)
インド・ヨーロッパ語族;
ヒッタイト人、カッシート人(バビロン第3王朝)、ミタンニ人、リディア人、メディア人、ペルシア人(アケメネス朝ペルシア)、ギリシア人(ミケーネ文明)
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140 2010/05/31(月) 22:15:50 ID:6fJJWwOYTw
【表音文字】
内陸の中継貿易で活躍したアラム人、地中海貿易で活躍したフェニキア人が、ともにシナイ文字から作成
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141 2010/06/01(火) 22:05:05 ID:rVnq9ZvMrQ
【ミケーネ文明】
印欧系ギリシア人(第1波のイオニア人とアイオリス人)が築く
前12Cの民族移動(海の民族とドーリア人の移動=ギリシア人の第2波移動)で滅亡
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142 2010/06/01(火) 22:05:54 ID:rVnq9ZvMrQ
【海の民族】
前13C末〜前12Cに、トラキア・クレタ方面から、東地中海一帯に移動・侵入
→ ヒッタイトとミケーネ文明の滅亡、エジプト新王国の衰退
→ 地中海東岸のフェニキア人・アラム人・ヘブライ人(=セム系3民族)がヒッタイト・エジプト新王国両国の支配から解放されて繁栄
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143 2010/06/02(水) 00:32:40 ID:Vvd5wCilyM
あんだけ必死にあちこちに糞スレ立てて必死こいてんのに
聞いた事も無いようなコテにトップ奪われてる米押し達磨ってwww
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144 2010/06/02(水) 22:06:52 ID:MRBw/XSyyc
【ユダヤ教の特色】
1.唯一神ヤーヴェ(ヤハウェ)信仰
2.選民思想
3.救世主(メシア)待望
4.『旧約聖書』
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145 2010/06/03(木) 22:06:02 ID:uysTrX161Y
【ヘレニズム世界形成】
ペロポンネソス戦争→カイロネイアの戦い→アルベラの戦い→ディアドゴイ戦争
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146 2010/06/03(木) 23:54:25 ID:uysTrX161Y
【アテネの民主政治の形成過程】
前621:ドラコンの成文法
前594:ソロンの改革(財産政治と債務奴隷禁止)
前561:ペイシストラトスの政治(僭主政治)
前508:クレイステネスの改革(オストラシズムと新10部族制・500人会)
前500〜前449:ペルシア戦争(無産市民の参戦 → 参政権の要求)
前443〜前429:ペリクレス時代(直接民主政治の完成)
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147 2010/06/04(金) 00:09:57 ID:XNxcKIg9YA
148 2010/06/04(金) 07:31:58 ID:3FKY8VSszA
147 デュポン
どんどん埋めてしまえ!僕が許可するから!
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149 2010/06/04(金) 23:03:49 ID:P2G0zx3HZA
【ペルシア戦争】
第2回;
前490:マラトンの戦い
第3回;
前480:テルモピレーの戦い・サラミスの海戦
前479:プラタイアの戦い
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150 2010/06/04(金) 23:04:25 ID:P2G0zx3HZA
【スパルタの特色】
1.ドーリア人が先住民を征服して成立
2.2人の王・少数完全市民・ペリオイコイ・ヘロットで構成
3.リュクルゴス制度(多数のヘロットを支配する為)
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151 2010/06/05(土) 23:06:02 ID:PraL8t22tE
だから立てすぎって、いくつスレ立てたら気が済むのか
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152 2010/06/05(土) 23:12:46 ID:1eRmjZz6fE
【ヘレニズム文化 1】
マケドニアの王フィリッポス2世はペルシアを討つ為に戦争を決意するが、宮廷内の陰謀により暗殺され、息子のアレクサンドロスがペルシア遠征に着手。
わずか10年でギリシア、エジプトからインド西部にまたがる大帝国を建設。
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153 2010/06/05(土) 23:24:07 ID:1eRmjZz6fE
【ヘレニズム文化 2】
前331年、ペルシア王ダレイオス3世は、ガウガメラ(アルベラ)の戦いで決定的な敗北を被り逃亡するが臣下に暗殺され、結果、ペルシア帝国は滅びた。
アレクサンドロスの死後、部将の間に争いが起こり、帝国はマケドニア、シリアのセレウコス朝、エジプトのプトレマイオス朝の3王国に分裂した。
これら3つの王国は前1世紀までにローマに征服されたが、それまでの約300年間がヘレニズム時代と呼ばれる。
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154 2010/06/06(日) 13:15:21 ID:i4GZax/cmY
155 2010/06/06(日) 13:15:42 ID:i4GZax/cmY
156 2010/06/06(日) 13:15:51 ID:i4GZax/cmY
157 2010/06/06(日) 22:03:50 ID:oGermoKouc
【ヘレニズム文化 3】
前3世紀の半ば、アム川上流のギリシア人が独立してバクトリアを建てると、カスピ海東南にいた遊牧イラン人がパルティアを建国。
やがて、領地を広げ、西方のティグリス・ユーフラテス川流域を確保し、軍事基地であったクテシフォンが後に首都となった。
東西交易路である絹の道(シルクロード)を支配し、ここを通る物資に関税を課す事により財源を得て繁栄を齎した。
しかし、前1世紀の半ば以降、メソポタミア等の支配をめぐって西方のローマと争う事となり、
国力が弱まった際にササン朝ペルシアによって滅ぼされた。
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158 2010/06/06(日) 22:04:12 ID:oGermoKouc
【ヘレニズム文化 4】
ササン朝の第2代の王シャープール1世は、東方ではクシャーナ朝を征服してインダス川流域に勢力をのばし、
また、西方ではローマ軍を撃退し、皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にする等、王国の基礎を固めた。
5世紀後半、中央アジアから遊牧民エフタルの侵入を受けて苦しむが、ホスロー1世が出るに及び最盛期を迎えた。
後に、突厥と結んでエフタルを滅ぼし、諸制度を改革して王権の強化をはかった。
しかし、ビザンティン帝国との争いが続き、次第に国力が衰え、7世紀半ば、アラブ人の征服を受けて滅びた。
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159 2010/06/06(日) 22:57:47 ID:oGermoKouc
【共和政ローマ 1】
前6世紀、ローマはエトルリア人の王を追放し共和政を打ち立てたが、政治の実権を握る貴族と平等を求める平民との抗争が続いた。
自由農民が多数を占める平民は重装歩兵として国防を担っており、平民の権利の保護や参政権を求め、
ローマ最初の成文法である十二表法、前367年に制定されたリキニウス(セクスティウス)法、前287年に発布されたホルテンシウス法等により権利の拡大をはかった。
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160 2010/06/06(日) 23:28:19 ID:oGermoKouc
【共和政ローマ 2】
その後も、貴族と平民の民主化闘争が続いたが、協力して対外発展を努めた結果、対立が解消されていった。
前3世紀には全イタリアを支配し、さらに地中海の覇権をめぐってカルタゴと衝突し、前後3回に及ぶポエニ戦争を起こした。
その戦いに勝ち、カルタゴ領を手に入れ、また、ヘレニズム諸国も従え、ローマは地中海をとりまく大領土を築いた。
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161 2010/06/07(月) 05:52:07 ID:lx9LVArDyg
マッコイ斉藤の時みたいに、地道にアク禁依頼を出し続けよう!
みんなで協力すれば、きっと米押し達磨のアク禁も実現するはず。
こんなときこそ皆で結束しよう!
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162 2010/06/07(月) 22:04:35 ID:163uaZUnJQ
【共和政ローマ 3】
領土拡大によって、ローマには多数の奴隷と多くの富が齎された。
結果、土地の買い上げによる大土地所有者が現れ、奴隷を使用して大規模農業を行ったので、
中小農民は没落し、無産者となった。
また、奴隷達は非常に悲惨な境遇に置かれていたので、しばしば反乱を起こし、殊に、前1世紀中頃のスパルタクスの乱は、全イタリアに及んだ。
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163 2010/06/08(火) 22:06:46 ID:B7dEjc4q4U
【共和政ローマ 4】
これらの反乱を鎮定したのは、貧民を傭兵とした将軍達であったので、やがて、彼らの間で政権をとるものが出てきた。
ガリアを平定したカエサル、スパルタクスの乱を鎮圧した富豪クラッスス、海賊を討伐したポンペイウスによる第1回三頭政治がその例である。
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164 2010/06/08(火) 22:07:09 ID:B7dEjc4q4U
【共和政ローマ 5】
カエサルが暗殺されるとその後、カエサルの養子オクタヴィアヌス、カエサルの部下アントニウス及びレピドゥスによる第2回三頭政治が行われたが、
エジプトの女王クレオパトラと組んだアントニウスを前31年のアクティウムの海戦で破ったオクタヴィアヌスが第一人者となった。
彼は元老院より尊厳者の称号と多大の権力を与えられ、ローマの実権を握った。
これにより、ローマは事実上、共和政から帝政に移行した。
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165 2010/06/09(水) 22:09:57 ID:LNMRnNkaQY
【ローマ共和制発展の経緯】
前450頃:十二表法
前367:リキニウス法
前287:ホルテンシウス法
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166 2010/06/09(水) 22:10:35 ID:LNMRnNkaQY
【共和制ローマの対外関係】
前半(〜前287);
イタリア半島征服期(前272年ギリシア人の都市タレントゥム征服で完成)
後半(〜前27);
地中海世界征服期(前30年プトレマイオス朝滅亡で完成)
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167 2010/06/10(木) 22:05:30 ID:RQTuRmZ.Gc
【ポエニ戦争】
第1回(前264〜前241);
シチリア島の属州化
第2回(前218〜前201);
前216年カンネーの戦い(ハンニバル優勢)
前202年ザマの戦い(大スキピオ優勢)
第3回(前149〜前146);
カルタゴ属州化
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168 2010/06/10(木) 22:05:50 ID:RQTuRmZ.Gc
【ローマの歴史書】
1. ヴェルギリウス著『アエネイス』(建国・発展の叙事詩)
2. ポリビオス著『ローマ史』(政体循環史観)→著者は大スキピオに好遇された
3. リヴィウス著『ローマ建国史』(アウグストゥス時代までのローマ史)
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169 2010/06/11(金) 22:09:07 ID:V2Tz0JdIVw
【帝政ローマ 1】
近代歴史学の祖ランケが「一切の古代史は、いわば一つの湖に注ぐ流れとなってローマ史の中に注ぎ、近世史の全体は、ローマ史の中から再び流れ出る」と言うように、
古代ローマは地中海地方の先行諸文明を吸収し、また、『ローマ法大全』をはじめ、多くの遺産を後世に残した。
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170 2010/06/12(土) 22:06:12 ID:6xZAwLgpPA
【帝政ローマ 2】
ローマがカルタゴを滅ぼし、東地中海にも勢力を確立して地中海を事実上の内海としたのは、前2世紀半ばであった。
帝政期に入り五賢帝時代になると、ローマは最盛期に達し、2世紀初頭には領土も最大となった。
「ローマの平和」のもと、各地で都市が繁栄し、ギリシア・ローマの文化を帝国全体に浸透させるのに貢献した。
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171 2010/06/13(日) 22:11:00 ID:9FStBMEf2o
【帝政ローマ 3】
しかし、五賢帝の最後の皇帝の治下には繁栄に翳りが見え始めた。
3世紀に入ると、北方からのゲルマン人の侵入に加え、東方に新たに興った国との抗争が続き、
ウァレリアヌス帝はその国の王シャープール1世に捕えられて屈辱のうちに死んだ。
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172 2010/06/13(日) 22:11:17 ID:9FStBMEf2o
【帝政ローマ 4】
これらの対外的危機と相まって、帝国各地の軍隊は勝手に皇帝を立てて争い、ローマ帝国は混乱を極めた。
この危機は、ディオクレティアヌス帝(=四分統治)及びコンスタンティヌス帝(=東西統一)により収拾され、
ローマは専制君主制(ドミナートゥス)時代へと移行する。
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173 2010/06/14(月) 23:36:15 ID:MRBw/XSyyc
【帝政ローマ 5】
この時代のローマには、後の社会に繋がる重要な変化が色々と現れてくるが、その一つはローマ帝国のキリスト教化である。
コンスタンティヌス帝は、それまで迫害されていたキリスト教を公認及び保護した。
しかし、その結果、キリスト教会内部の教義をめぐる対立は、皇帝という世俗権力による正統性の承認を求めて激化した。
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174 2010/06/15(火) 22:07:56 ID:0YyuO32j9k
【帝政ローマ 6】
4世紀のキリスト教会を二分したアタナシウス派及びアリウス派の対立は、
381年コンスタンティノープルに召集された公会議で、アタナシウス派の勝利が最終的に確認されて結着した。
5世紀にはイエスの神性と人性を分離する一派が勢いを持ったが、431年エフェソス公会議で異端とされた。
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175 2010/06/16(水) 22:04:28 ID:Adid5gcZSs
【帝政ローマ 7】
ローマ帝国の東西分化と相まってキリスト教世界の東西分化の傾向も見え始め、やがて、西ローマ帝国の滅亡を経て、
西方ではローマ・カトリック教会の権威が確立していく事になった。
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176 2010/06/17(木) 22:05:19 ID:lRs.ekl4K2
【帝政の変遷】
前27:元首政の開始
後96:五賢帝時代開始(〜180)
235:軍人皇帝時代の開始(〜284)
284:専制君主制開始
375:ゲルマンの大移動開始
395:帝国の東西分裂
476:西ローマ帝国の滅亡
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177 2010/06/17(木) 22:05:38 ID:lRs.ekl4K2
【五賢帝】
1. ネルヴァ
2. トラヤヌス(ローマの領域最大)
3. ハドリアヌス
4. アントニヌス・ピウス
5. マルクス・アウレリウス・アントニヌス(「大秦王安敦」・哲人皇帝)
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178 2010/06/18(金) 22:06:11 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 1】
ユダヤ教の中には律法の形式にとらわれたパリサイ派の人達などが現れたが、イエスはこれを強く批判し、愛の教えを中心とする信仰を説いた。
彼の教えはユダヤ人のみならず、多くの人々の心を捉えるものであり、
使徒と呼ばれる弟子達の活動、特にパウロによる異邦人への伝道によってローマ帝国内にも広まった。
イエスの言行を記した福音書や使徒達の書簡などを集めた『新約聖書』は、『旧約聖書』とともに、キリスト教の聖典として用いられている。
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179 2010/06/18(金) 23:56:40 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 2】
3世紀のローマでは、帝国の統制下で迫害が強行されたが、キリスト教徒は増加の一途を辿った。
4世紀の初め、ディオクレティアヌス帝の大迫害の後、
313年にコンスタンティヌス帝はミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。
帝は325年にニケーア公会議を召集し、教義の統一をはかり、
キリストを神の子と認めるアタナシウスの説を正統と認め、キリストの神性を否定するアリウス派を異端とした。
こうして正統教義は、後に、三位一体説として確立した。
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180 2010/06/18(金) 23:56:53 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 3】
64:ネロの迫害
303:ディオクレティアヌスの迫害
313:ミラノ勅令(公認)
325:ニケーア公会議(教義の統一;アタナシウスの三位一体説を正統、アリウス派を異端とする)
380:国教化
392:他教を禁止(国教化の完成)
432:エフェソス公会議(ネストリウス派を異端とする)
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181 2010/06/19(土) 22:11:58 ID:PkjAt4xqAE
【万物の根源】
タレース:水
アナクシマンドロス:ト・アペイロン(限界の無いもの)
ピタゴラス:数
ヘラクレイトス:火
アナクサゴラス:ヌース(理性)
デモクリトス:原子
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182 2010/06/19(土) 23:18:07 ID:PkjAt4xqAE
【ギリシアの文化 1】
紀元前およそ8世紀頃から、古代ギリシアでは文字で表現される文化が華々しく開花した。
まずフェニキアから入ってきた文字が基盤になってギリシア文字が創出され、このギリシア文字による傑作が生み出された。
ホメロスの『イリアス』・『オデュセイア』はともに一万数千行もの大叙事詩で、
前者はギリシア軍のトロヤ包囲戦を歌ったものであり、後者はトロヤ陥落後のイタカ王オデュセウスの苦節物語である。
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183 2010/06/19(土) 23:18:28 ID:PkjAt4xqAE
【ギリシアの文化 2】
その後、ギリシア文字のテーマならびに様式は多様化してゆく。
農民の農耕生活を歌ったヘシオドスの『労働と日々』は非常に健康的な内容であり、
神々の系譜を整理した『神統記』はギリシア人の自然観を見事に描いている。
ホメロスとヘシオドスの二人の作品の底流にはヒューマニズムが流れている。
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184 2010/06/20(日) 22:08:12 ID:ndTcUDcURM
【ギリシアの文化 3】
紀元前7世紀の半ば頃、都市国家の発達に伴い人間の感性が強調され、抒情詩が現れた。
レスボス島生まれの女流詩人サッフォーの乙女達を想う歌は有名である。
その頃、都市国家の市民達は屋外劇場で演劇を観るようになった。
元来、演劇は酒の神ディオニソスに捧げる祭りから発生したもので、
国家が事業主体となり、富裕な市民が資金を提供し、オリンピックのように作品が競演された。
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185 2010/06/20(日) 22:08:32 ID:ndTcUDcURM
【ギリシアの文化 4】
作品内容は主として英雄伝説で、
『アガメムノン』の作者アイスキュロス、
『オイディプス王』の作者ソフォクレス、
『アンドロマケ』の作者で最後の悲劇作者と称されるエウリピデスが有名である。
このような悲劇の他に市民の間で有力者を風刺する喜劇が現れた。
ペロポンネソス戦争に苦しむ女性を題材に採り上げたアリストファネスの『女の平和』は、その反戦思想で有名である。
しかし、その後、喜劇の一部は権力者から危険視されて抑圧され、衰退していった。
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186 2010/06/21(月) 22:02:32 ID:Y5racNYdpY
【ギリシアの文化 5】
歴史;
ヘロドトス:ペルシア戦争史・物語的
トゥキディデス:ペロポンネソス戦争史・批判的
叙事詩;
ホメロス
ヘシオドス
抒情詩;
サッフォー
アナクレオン
ピンダロス
三大悲劇詩人
アイスキュロス
ソフォクレス
エウリピデス
喜劇作家;
アリストファネス(著書『女の平和』)
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187 2010/06/21(月) 22:03:11 ID:Y5racNYdpY
【ローマの文化】
キケロ『義務論』;
著者は、共和政期ローマを代表する雄弁家で散文家。
また、アントニウスの命で暗殺されるまで政治家としても活躍。
カエサル『ガリア戦記』;
著者自身が指揮した征服戦争の記録。簡潔ながらも名文。
ヴェルギリウス『アエネイス』;
ローマ最大の叙事詩。第二のトロヤたるローマの建国を歌う。
リヴィウス『ローマ建国史』;
都市建設以来のローマ国民の事績を記述した歴史書。142巻中35巻が現存。
セネカ『幸福論』;
著者はストア派の哲学者で皇帝ネロの師であった。
ネロに自殺を強制された。
大プリニウス『博物誌』;
著者は自然科学者であり軍隊司令官。ヴェスヴィオス火山爆発時に殉職。
タキトゥス『ゲルマニア』;
ゲルマン人の風俗を紹介し、退廃したローマ人に道徳的な警告を与えたともいう。
アウグスティヌス『神の国(神国論)』;
壮大なキリスト教歴史哲学を展開。中世に重大な影響を与える。
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188 2010/06/22(火) 22:05:45 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 1】
近代ヨーロッパ諸国家が中世に起源をもつとすれば、その中世世界を新たに形成した民族の動向を知る事が必要となる。
ゲルマン民族については、ローマのカエサルやタキトゥスらの作品によって、古い時代の様子を知る事が出来、
本格的な大移動を開始する以前に、ローマ世界との接触があった事が判る。
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189 2010/06/22(火) 23:03:37 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 2】
当時、彼らは、国家の最高決議機関である民会をもっていたが、移動期に入ると次第にその機能は失われて王権が強まった。
大移動は、ヨーロッパの西南部からアフリカの北部に渡る広い地域に向かって行われ、それらの地域に相次いで国家が建設された。
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190 2010/06/22(火) 23:37:46 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 3】
ゲルマン民族の中で東ゴートは、テオドリックに率いられてイタリアに入り、5世紀末にオドアケルを倒して国を建て、ローマ文化を継承した。
しかし、6世紀にその国は、東ローマ帝国に滅ぼされ、その後、その国のかつての首都ラヴェンナには新しい文化が栄えた。
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191 2010/06/22(火) 23:38:09 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 4】
また、西ゴートは5世紀初めにイタリアに入り、抵抗をうける事なく首都ローマを掠奪し、
さらに、南下した後再び北上し、フランスにすすみ、後にはスペインにまで領土を拡大した。
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192 2010/06/23(水) 22:06:36 ID:ZuQc/4BHk6
【ゲルマン諸部族の動向;部族名/建国地/存続年代/征服国】
西ゴート/イベリア半島/415〜711/ウマイヤ朝
東ゴート/イタリア/493〜555/ビザンツ帝国
ヴァンダル/北アフリカ/429〜534/ビザンツ帝国
ブングルト/ガリア東南部/443〜534/フランク
フランク/ガリア北部/486〜843/分裂
アングル、サクソン/ブリタニア(イングランド)/5世紀半ば〜829/統一
ロンバルト/イタリア北部/568〜774/フランク
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193 2010/06/23(水) 22:06:58 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 1】
4世紀後半、東方から西進したフン族に圧迫されて、
ゲルマン人の移動はコロヌスの反乱などで混乱していた西ローマ帝国に集中して行われ、
各地にゲルマン諸族の国家が成立した。
こうした中で着実に拡張・発展して西ヨーロッパ世界形成の基礎をつくったのがフランク王国であった。
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194 2010/06/23(水) 23:24:12 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 2】
特に、8世紀半ばに出たピピンの子カール大帝は四方に遠征し、
西ヨーロッパ主要部の殆どを領土とする強国を築きあげるとともに中央集権化をすすめた。
彼はまた、ヨーロッパ各地からアルクィンなどの学者や文人を招き学芸の復興につとめた。
800年、ローマ教皇レオ3世はカールにローマ皇帝の帝冠を授け、
カールはここにローマ帝国の理念を受け継ぐ西方の支配者となった。
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195 2010/06/23(水) 23:24:29 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 3】
カール大帝の死後、フランク王国は、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって、東・西フランクとイタリアに3分された。
東フランク(=ドイツ)では、10世紀初めにカロリング王朝の血統が絶えると選挙王制が採られるようになった。
こうして王位に就いたザクセン公のオットー1世は、マジャール人を討って自己の地位を固め、
諸侯をおさえて教会と結び、さらに北イタリアに遠征してローマ教皇を助け、
962年、教皇から神聖ローマ皇帝としての帝冠を授けられ、ローマ教会の権威と結びつく事となった。
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196 2010/06/24(木) 22:09:17 ID:g4Wi59DGvw
【フランク王国とドイツ 4】
その後の神聖ローマ皇帝は、ローマ教会の保護を口実としてイタリア政策に力を注いだ。
12世紀後半に出た『赤髯王』ことフリードリヒ1世は、前後6回に及ぶイタリア遠征を展開してローマ教皇と対立し、
ゲルフと呼ばれる教皇を支持する党派とギベリンと呼ばれる皇帝を支持する党派との党争を活発にした。
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197 2010/06/24(木) 22:09:46 ID:g4Wi59DGvw
【フランク王国とドイツ 5】
その後の皇帝もイタリア政策に専念した為にドイツでは諸侯が分立し、
13世紀半ばにシュタウフェン王朝が断絶すると約20年に渡り実質的に皇帝の存在しない大空位時代となった。
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198 2010/06/25(金) 22:19:51 ID:30fL.VfIsE
【フランク王国とドイツ 6】
1356年、ルクセンブルク朝のカール4世は金印勅書を出し、皇帝選出の際の混乱を防ぐ為に、聖俗7人の選帝侯に選挙権を限った。
これはまた諸侯の領邦内の主権の確立に繋がっていった。
このようにして、ドイツの分邦化が進みながらも神聖ローマ帝国は名目上1806年まで存続した。
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199 2010/06/26(土) 22:23:49 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 1】
古代ギリシア人にとってブリタニア(ブリテン)島は、青銅冶金に必要な原料の一つである錫の供給地でありながら、
前4世紀半ば以前に関して言えば、ヨーロッパ最果ての海のさらに向こうに浮かぶ島という程度のおぼろげな認識さえ、彼らギリシア人には乏しかった。
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200 2010/06/26(土) 22:24:10 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 2】
しかし、ローマ人と彼らは異なり、共和政末期になると、その支配をヨーロッパ北西部のガリア地方(現在のフランス)にまで拡大した為、
同地の属州支配を安定確立させる必要からこのブリタニア島に遠征する事を余儀なくされた。
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