神武天皇から崇神天皇まで


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001 2011/11/19(土) 16:56:10 ID:FnoJ/ig8Jw
初代神武天皇から第十代崇神天皇までを語りましょう。
雑学や薀蓄を、スレッドの脈絡に関係無く放り込んでいただくだけでも結構です。
なお、いかんせん古代の事ですので、いかに確かそうな定説であっても確実な事実ではありませんので、
あくまでも「あるふみにいわく」という前提で語り合いましょう。朝まで。

1:神武天皇前660-前585
2:綏靖天皇前581-前549
3:安寧天皇前549-前511
4:懿徳天皇前510-前477
5:孝昭天皇前475-前393
6:孝安天皇前392-前291
7:孝霊天皇前290-前215
8:孝元天皇前214-前158
9:開化天皇前158-前98
10:崇神天皇前97-前30

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002 2011/11/19(土) 17:04:13 ID:gipV3MTqyE
おもしろい画像みっけた キャッ

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003 2011/11/19(土) 17:04:19 ID:vrxytnMMz.
神武天皇、前660〜ってことはブッタと同時期か?
仏教伝来の頃に神武天皇の創作を設定したとか…

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004 2011/11/19(土) 17:07:24 ID:XGpgUEveyE
005 2011/11/19(土) 18:13:17 ID:PkCWaUFBiY
どうせ、10代ごとにどんどんスレ立てていくんだろ
おまえの魂胆は見え見えなんだぜ

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006 2011/11/19(土) 18:36:57 ID:/owvkNrh6M
ワシの誕生日は神武天皇節の日での
明け方に庭の楠木の枝に鷲が羽を休めに来たそうだ
それはそれは朝日に映えて神々しく
羽を広げた姿は戦わずとも黙して四海を威圧し
語らずとも世を睥睨して高貴に満ちていた
他にも日本各地で吉兆瑞祥が起こり
これはきっと
将来日本の偉大なる指導者となるべき人が
現れる前触れに違いないと大騒ぎになったところへ
おぎゃーと生まれたのが
このワシだが
まあな

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007 2011/11/19(土) 18:40:18 ID:jJN2CBOnPk
崇神天皇は実在の可能性が高いですね。
生年は3世紀ごろだと思いますが。

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008 2011/11/19(土) 19:15:12 ID:zCAbDvTn4Y
>>5
いいえ。
このスレッドが軌道に乗るようであれば、次は第十一代垂仁天皇から、
第二十五代武烈天皇までを一区切りとして考えています。
(というか、十代から二十五代にするかもしれませんが)

この区切りの意味は解りますよね?

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009 2011/11/19(土) 19:30:48 ID:zCAbDvTn4Y
欠史八代(けっしはちだい)(正確な表記は、缺史八代、また別体で闕史八代)とは、
『古事記』および『日本書紀』において、系譜(帝紀)は存在するもののその事績(旧辞)が
記されていない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと、あるいは
その時代を指す。
これらの天皇は実在せず後に創作された架空のものだとする考えが史学界で支配的であるが、一方で実在説もある。

ウィキより

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010 2011/11/19(土) 19:51:08 ID:zCAbDvTn4Y
011 2011/11/19(土) 19:51:33 ID:jJN2CBOnPk
崇神を神武に見立てる考え方もありますね。
区分がちょっと意味不明に思う。

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012 2011/11/19(土) 20:17:45 ID:zCAbDvTn4Y
>>11
両天皇とも「ハツクニシラスノスメラミコト」というのが結構重要な点ですよね。
両者の業績を合わせるとひとり分の業績になるという・・・

あり得ない話ではないと思わせる点も多々ありますよね。

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013 2011/11/19(土) 22:38:28 ID:lvnCLGZIiA
この辺のことは、本当は学術調査で分かりきってんだろうな。
ただ、まだ公開しないでおいているだけで。

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014 2011/11/20(日) 05:28:03 ID:ibymzyw6n2
>>13
ええ?
そう考える根拠は?

いや、もちろん私も、宮内庁は一般に公開していない資料がけっこうあって、
一般に知られていて通説とされているいくつかが間違っている事は把握して
いるだろうなと想定する事はあるけど、そこまではっきりは言えないな。

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015 2011/11/20(日) 17:47:26 ID:h9k2cVIn9g
>>13

そういうのは都市伝説の類。
天皇陵の位置ですら確実に判ってるのは天智と天武ぐらいなんだから。
飛鳥時代より前は、石碑でも出てこない限り確実なことは何もない。

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016 2011/11/20(日) 19:11:28 ID:DejZkmn4Qw
たぶん、財界あたりが研究成果の公開にストップをかけている。

自分たちの源流が「究極の朝敵」だった証拠が含まれてるから。

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017 2011/11/20(日) 19:14:59 ID:r4tf.CmvAs
>>16
妄想をもとに妄想するのは危険ですな。
そういうのはオカルト板向きですよ。

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018 2011/11/20(日) 19:28:44 ID:DejZkmn4Qw
推測に執拗な全否定を加えて来るのは、推測の内容が事実だからだ。
推測を推測として吟味対象にしてやれる余裕もないほどに、
自分たちにとって都合の悪い部分を突かれたから。

「宇宙人がいるかもしれない」なんて推測に、
執拗な全否定を加えてくる人間もいない。

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019 2011/11/20(日) 22:00:08 ID:uQg4hk8EiY
>>18
ワロタwww

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020 2011/11/22(火) 09:59:04 ID:TBARPCvPfQ
ストップもなにも、天皇陵は発掘もさせてくんないじゃん。
箸墓発掘したら10年は考古学が進歩するのに
宮内庁いい加減にしろ。

朝日とか左系のマスコミも、普段天皇制批判してるなら
こういうとこで批判しろよ!

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021 2011/11/23(水) 10:29:02 ID:kpQBOt7V/2:au
大きい王朝が幾つか並立してて、そのうち二つが倭国大乱で合体した。
本来並記すべき系図を縦に並べ替えたらこうなった。
と考えるのはどうよ?
「神武東征」が全くの作り話とは思えない。

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022 2011/11/24(木) 01:34:36 ID:jKSBLm6BNs
>>20
気持ちはわかるが、「歴史の解明」が墓所を暴く免罪符になるとは思わないな。
所有者がダメと言えばダメなんだよ。

>>21
神武東征がまったく出鱈目だとは俺も思わない。
せっかくの初代天皇東征記なのに、長髄彦に阻まれたとか妙な記述が多い。
地方豪族をばったばったと薙ぎ倒しながらヤマトを占領したとすれば良い話なのに、
なぜか神武天皇には強いイメージが無い。
さまざまな著書で触れられているように、なんらかの史実を神話化していると考えるのは妥当。

ただ、
>本来並記すべき系図を縦に並べ替えたらこうなった。
というのはちょっとわからない。

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023 2011/11/24(木) 22:17:10 ID:Rzn5pz6y1.
>>22
貴族の墓は発掘できるのに、天皇陵だけ発掘できないのはおかしくね?
そもそも、調査しないと「天皇陵かどうか」すらはっきりしない。
さらに言うと、所有権は個人にはないし。

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024 2011/11/27(日) 19:07:51 ID:XlNqgvt70I
率直に言うと、ある種神格化された天皇の
歴史的な検証することは
天皇家や宮内庁にとって、プラスにはならないから。

極端言うと、DNA鑑定とかで
どっかで断絶してたのがわかりましたーとか
事実が出てしまうとまいっちんぐなわけ。

実際そうだというわけではないけどね

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025 2011/11/27(日) 20:35:07 ID:r4ph.FX0TU
>>23
いや、別におかしくは無いだろ。
考え方はそれぞれなんだから。

そもそも、歴史の解明のためだから全部出せ!ってのは横暴であって、
合意があって初めて発掘調査ができる。これは当たり前の話。

もちろん、解放してほしいとは思うが、解放しないからと言って非難するのはちょっと。

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026 2011/11/27(日) 21:00:25 ID:czFQSGOWXg
全世界の皇帝になる由緒が遺されているけど、まだその機が熟していないから。

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027 2011/11/27(日) 21:09:48 ID:WoyqVRKA3k
実際は発掘してる場合もある。
例えば去年斉明天皇の墓と思われる古墳を調査してる。
宮内庁指定の斉明天皇陵は別にあるからね。
盗掘を受けてたんだけど大正時代の調査では人骨も出てる。
当時は天皇陵と考えていなかったから人骨なんかはどうしたんだろう。

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028 2011/11/28(月) 09:37:42 ID:nXC4NPioxA
≫25
だから合意する相手すら調査しないとわかんないんだよ。
宮内庁が勝手に認定してるだけで。

極論言えば、いままで山田さんちの墓だったのを
「これは天皇陵なんでいご勝手にお供え物したらダメ」
みたいなもん。
少なくとも認定されてる天皇陵のいくつかは
天皇陵ではないことがほぼ確実視されてる。

たとえ天皇陵が確実なとこでも
1500年前の遺跡に個人的な所有権はないよ。
合意する権利がない。

んなこといったら、
他の遺跡は同意得られて発掘してんのかと。
むちゃくちゃ言うなよ。

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029 2011/11/28(月) 18:31:12 ID:eTb6d7LVKg:au
明らかに天皇陵ではないと分かっていながら天皇陵認定を続け
本当に天皇陵であるのに天皇陵と認定せず管理しない。
また管理していると言いながら天皇陵に木が生え放題、荒れ歩放題。
宮内庁さん、サボってないで仕事してください。

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030 2011/11/28(月) 22:12:11 ID:A7Rc21mc2E
天皇陵が発掘されて、天皇家が夏・殷・周代の頃からの伝統に基づく
古代中国文化を受け継いできた由緒正しい家柄だったことがばれて、
秦始皇帝による伝統文化完全破壊後の、幼稚化した中国の面倒まで
見なければならなくなったらどうするんだよ。鬱陶しいじゃないか。

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031 2011/11/29(火) 10:08:32 ID:eyhlWOHCSU
別に面倒なんか見なくていいだろ(笑)
まあ、皮肉でいってるんだろうけど。

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032 2011/12/01(木) 13:10:18 ID:GLXxbC80rw
一番恐れてるのは断絶だろうね、
万が一断絶がわかったら、女系天皇論とか
跡形もなくふっとぶぞ。
下手すりゃ天皇制の存続自体危うくなる

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033 2011/12/03(土) 09:26:17 ID:0l3Q1MjHAE
>>32
万が一も何も、血統が断絶しているのは考古学的に常識でしょ。
公式には認められていないとしても、最低でも継体天皇で一度断絶しているのは状況的に明らか。
とはいえ、「初代神武天皇のDNA」が無いんだから、誰も断言は出来ないけどね。

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034 2011/12/03(土) 12:53:33 ID:PhEz/bi14s
32が言ってるのは、中世以降の断絶だろ。
例えば、万が一にも後桃園天皇とかのDNAが受け継がれてなかったりしたら
皇后が間男してできた馬の骨みたいなことになっちゃう。
道鏡みたいな例もあるし、全否定は出来ないぞ。

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035 2011/12/03(土) 23:35:43 ID:FrjPHGkFO6
>>33
血統が断絶しているのは考古学的に常識なの?
古今東西、王位の正当性は何より血統にあるけど、大伴が田舎豪族を担いだのは断絶がなかった証左じゃないかな。
纂奪説もあるけどどうなんだろ。それなら前政権の有力豪族は普通全部排除されるだろうし。

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036 2011/12/03(土) 23:47:18 ID:PhEz/bi14s
33じゃないが、常識というのは流石に言いすぎかな。
とは言え、継体天皇を神武に見立てる説は結構強い。

ただこれ、継体が初代天皇という説だし
断絶とは意味合いが違うだろ。

それに、纏向の調査がその説を後押ししてるとは言え
こういう文献やら状況証拠やらを重ねて検証する学問は
考古学じゃなくて歴史学なんだけど。

33は少し勘違いしてないか?

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037 2011/12/04(日) 02:20:38 ID:nOHFzroaIA:au
神武に見立てるといったら崇神じゃね?

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038 2011/12/04(日) 14:22:32 ID:Wpy2w6e8WA
継体天皇以前の系譜は、純粋な血統ではなく
古代の政治的派閥の力関係を系図として模したものでは。

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039 2011/12/04(日) 16:11:12 ID:o/Oot5jTZI
初期ヤマト王権が連合国家であったことを考えると、
継体以前の天皇は、各有力豪族の代表者が
持ち回り、あるいはその時々の勢力状況に応じて就いたと
考えるのが妥当だと思います。

卑弥呼を倭迹迹日百襲媛命と比定すると、
卑弥呼や崇神天皇と、今の天皇家に血縁のつながりは
無い可能性があるという可能性がありますね。

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040 2011/12/04(日) 19:07:19 ID:Wpy2w6e8WA
それで、豪族による派閥政治を排して、律令制を打ち立てた
中臣=藤原が首長として祭り上げた家系が、天皇家になったと。

天皇家は実質、藤原氏の男系であり、藤原氏は実質、天皇家の女系に当たる。
天皇家が藤原氏の一部とも、藤原氏が天皇家の一部ともいえる。

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041 2011/12/04(日) 23:30:27 ID:LEufvEbiMM
持ち回り説がどの程度支持されてるか知らずに上から目線で申し訳ないが。
この説は余りに人間を知らないし、権力を知らないと思う。
王位の正当性も確保できず連合体のメンバーを従わせることができない。

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042 2011/12/05(月) 00:10:39 ID:gdeIj292kk
少なくとも今の天皇家(仮にヤマト国とする)は
出雲やら吉備やら毛野やらを、完全に従わせるまでの力はなかった。
出雲に至っては、宗教権威を尊重してアマテラスの兄弟分にするくらいなわけで。

それだけに、ずっとヤマト国の代表が大王として存在することができなかったとみるべき。
もっとも、そういう状況だったから中国の史書には
「倭国大乱」「男の王が就いたが治まらず」なんて書かれてしまうわけだけど。

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043 2011/12/05(月) 00:20:19 ID:4r2rxf/eCk
>>41
肥大化した権力が必ずしも世襲に基づかないのは、
今の経団連会長が"住友"化学会長の"米倉"であることからも明らかだ。
王座が世襲によってその純正さを保つことには、また別の意味がある。

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044 2011/12/08(木) 20:01:00 ID:C5.Wbg/CoY
>>41
申し訳ないが、持ち回り説と言うか合議制首長説は、考古学的にはほぼ確実視されてるんじゃないかな。

理由として、古墳などの遺物が、各地域の文化を緩やかに取り入れている事。
もし仮にどこかの誰かが権力武力知力で「制圧」したなら、自分の所の文化を
他の地域に強制するだろう?
それが無く、各地域の文化的特徴が残っている事からして、合議(少なくとも合意)の上での
首長だと考えられている。

>連合体のメンバーを従わせることができない。

従わせてたわけではないんだ、という事だろうね。

>この説は余りに人間を知らないし、権力を知らないと思う。

空想だけでこの説が出てきているわけではなく、発掘物などの傾向特徴から
蓋然性の高い説として上記説が有力になっているわけなんだよ。
むしろ発掘物の少ないころは、騎馬民族制圧説や移民制圧説、
日本書紀通りの神武天皇(のモデルとなった実在の誰か)が征圧した説などが主だった。
それが、その考えでは辻褄の合わない発掘物とともに修正されている。

※もちろん、征圧・支配説が完全に否定されたという意味ではない。

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045 2011/12/10(土) 00:49:37 ID:tiTtd3kYA6
>考古学的にはほぼ確実視されてる

それでは素人の批判に対して反論は十分用意されてるだろうけど
少しばかりお付き合いを。
まず持ち回り説を不可としたのは、大王位を持つ氏族が黙って禅譲することはないと考えるから。
蘇我氏、藤原氏、平氏、源氏に北条氏と彼らは皆政敵を排除し権力を自らに集中させた。
大王位にあった氏族もこの例から漏れるものではないだろう。
そして藤原氏を除けば、権力の喪失イコール一族の滅亡だ。
それから合議制首長説についてはどうだろう。幅がありそうだから今は保留で。


>連合体のメンバーを従わせることができない

これは兵役労役についてであり、具体的には半島等への出兵や巨大墳墓の造営への役務。
これらは相当な負担であり通常ならメンバー全員合意なんてありえない。
反対者はやはり殺されるだろう。出兵してる間に攻め込まれるわけにはいかないからね。
なにより大王の名誉と威信を傷つけるから。
連合体のメンバーに対して相当に強い強制力を持っていたと考えるべきか。

ただ、その前段階においては(兵役労役を課せられない段階)
大王(と言えるか怪しいが)は合議制首長だったかもしれない。難しいな。

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046 2011/12/10(土) 01:54:16 ID:efYuLRu5Fw
>>45

うん。
素人というか、自分の印象論だけの人では反論しようがないな。

>大王位を持つ氏族が黙って禅譲することはないと考えるから。
>蘇我氏、藤原氏、平氏、源氏に北条氏と彼らは皆政敵を排除し権力を自らに集中させた。
>大王位にあった氏族もこの例から漏れるものではないだろう。

漏れるんだよ。
いや、漏れると考えられるんだよ。発掘物から。

>権力の喪失イコール一族の滅亡だ。

前述したように、過去の大王(オオキミ)時代、ある大王の時代に位置氏族だけが
隆盛を誇り、他の一族が滅亡した、という証拠が無い。
むしろ、現実的には(前方後円墳などで見られるように)各地域の文化がきちんと残っている。

これには二つ考え方があり、
1、強力な王族(いわゆる天皇家)があり、家臣を平等に扱っていた。
2、「(仮称)氏族首脳会談」が最高決定機関であり、大王は総理大臣のような顔でしかない。
と言う事。

>通常ならメンバー全員合意なんてありえない。

大和朝廷の前段階(邪馬台国とは言わないが・・・)で試行錯誤があり、
強力な王の支配ではなく、各地域の有力な氏族が合議制に辿り着いたのだろう。
この場合、全員合意ではなく普通に多数決や多数合意による意思決定だろう。

そもそも、日本書紀にしてから、神武天皇は武力制圧ではなく知恵と神の加護で
現地の恭順を得てヤマト入りしている。

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047 2011/12/11(日) 15:10:51 ID:Wn0/E4/MN.
持ち回りは流石に否定できないでしょ。
そもそも大王も氏族単位ではなくて、共同体単位だったと思われる。

だから権力基盤が強固でなくて、初期には一元的な統治が出来なかったと
文献もあるわけでさ。

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048 2011/12/12(月) 00:57:26 ID:La5rLvAZgE
発掘物についての知識はないから物証を見ない見込み捜査をするしか得ず
しかも自白が得られないから、冤罪はすぐそこにありそう。もう少しお付き合いを。

発掘物について一様でなく、どれを重視するかどう解釈するかで至る推論は様々だろう。
その際『権力武力知力で「制圧」したなら、自分の所の文化を他の地域に強制する』というフィルターを通せば持ち回り説も成り立つのかもしれない。
しかし、例えばローマは宗教も法制度、慣習も強制しなかった。大和勢力も出雲に強制しなかった。

>ある大王の時代に位置氏族だけが隆盛を誇り、他の一族が滅亡した、という証拠が無い。

そのフィルターを通さずに、『黙って禅譲することはない』というフィルターを通せば
別の見解もあるのではないだろうか。
だいたい合議制では主流派と反主流派は必ず存在し、反主流派の運命は?
滅亡したという証拠がないから滅亡した一族が全くないとは考えないでしょ。

>そもそも、日本書紀にしてから

神武は世襲であり、持ち回りも合議制首長説も採用できない。

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049 2011/12/12(月) 02:18:14 ID:lD4ev1iBQA
>>しかし、例えばローマは宗教も法制度、慣習も強制しなかった。大和勢力も出雲に強制しなかった。

だからローマは持ち回り制だったんだよ。
執政官の出身国もバラバラ。

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050 2011/12/12(月) 15:43:37 ID:lKoT8U5Eto
簡単なこと、古代の天皇は、それこそ今の天皇のようなものだった。

諸方の豪族を取りまとめる祭司長ではあるものの、実権は皆無に等しかった。
そこに大化の改新が起こり、朝廷への中央集権体制が確立された。

古代にはまだ系図を厳格に残す風習がなく、豪族も世襲であったりなかったりした。
ただ、今の皇族に連なる古代の系譜は、諸豪族による持ち回りというよりは、
豪族を取りまとめる祭司階級同士での持ち回りだった可能性のほうが高い。

今の政財界にも、神社を頻繁に参拝する程度の人間はいても、本格的に神祇祭祀を
こなしたりまでする人間はいない。それは神道の政教分離が存在しなかった戦前でも
一緒で、非宗教的な政治経済や軍事に携わるものは、自分での祭司は心がけない。

古代の豪族が造り上げた古墳などの産物を見るに、非宗教的、非文化的な
土建労働などの要素が非常に大きく、民を奴婢として過酷に使役させていたことも
見るに明らか。そういった穢れ多き事業に携わるものは、自分が直接祭司業務に
携わったりはせず、神祇祭祀もその道の専門家に委託していた可能性のほうが高い。

今の皇族や神道と政財界の関係からも、そう推量することができる。

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051 2011/12/13(火) 00:17:09 ID:tWfFOKoRSw
>>49

ローマを出したのはまずかったかな。
ローマの戦後処理、占領政策について例えただけで共和制ローマの執政官については関係ない。
それに持ち回り説でも大王の地位が一年限定だったとは言わないでしょ。

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052 2011/12/13(火) 19:39:49 ID:TfMGK97qik
ローマは、ヤマト王権の持ち回り制を証明してるようなもんじゃん。
1年単位なんてことはないと思うけど、
それくらいで廃位(という概念はないだろうが)させられた大君が
いたとしても何ら不思議じゃない。

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053 2011/12/15(木) 10:29:02 ID:y1Hz9oYW7I:au
古代の豪族は利権志向。
律令制度下の皇族や公家は、礼楽刑政の品位志向。
全く依って立つ所のものが違う。

いま実質、国内最大の利権の持ち主だからといって、
経団連の会長が京都御所に詰めて、全国の神社を統率する祭司長になるのか?ってなもん。

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054 2011/12/15(木) 13:47:25 ID:djZmQ9zC6I
現代資本主義社会の社会構造を
古代のそれにあてはめちゃいかんでしょ。
財界、商人という概念がないし。

祭祀の実権は出雲に与えたわけで、
これだけでも王権が分裂要素をはらんでいる
ことと理解できる

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055 2011/12/15(木) 13:57:17 ID:CyKhwPu8S2
財界も商人もあったんだよ。秦代以降の渡来人には。

秦帝国の財界のドンだった呂不韋が秦の宰相を務めて、その隠し子が始皇帝となったり。
今の資本主義社会並みの政財界の癒着が秦代にすでにあったのだし、
その伝統を継いでいた秦氏末裔の長宗我部が、土佐の維新志士などを通じて
古代の政財癒着志向を近代に復活させたからこそ、日本も資本主義で欧米に
勝るとも劣らない地位を獲得したのだから。それが良いことだったのかはともかくとして。

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056 2011/12/15(木) 19:49:07 ID:HI/RB0mfTQ
ない。実際に呂不韋は宰相になってるじゃん。
政財界という概念でなく。

権力者は財界人であり政治家でもあった、イコールの関係。
今のように政財界の切り分けはない。

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057 2011/12/15(木) 21:30:29 ID:CyKhwPu8S2
政財界がなかったのではなく、民主主義がなかっただけだ。

今でも日本にしろ欧米にしろ、財界人の身内が政治家になることはいくらでもある。
しかし、政治家である以上は商売は取り止めて、公務としての政治に専念する体裁を取る。
それはただ、民主主義の名の下で一応は、政財界の混同がいけないものとされているからそうして
いるだけで、実際には政治献金や天下りなどを通じて、政財が切っても切り離せない状態にある。

昔は民主主義などという体裁すらなかったから、商売人が政治家になったり、その逆になったり
することが何の臆面もなく行われていただけで、それは今でいう政財界の癒着だった。

政財の癒着は民主主義ではなく、封建化による官民の断絶によってこそ伝統的に絶やされてきた。
そのほうが「民主主義」なんていう言葉遊びで民を煙に巻いたりするよりもよっぽど実質的だった。

返信する

058 2011/12/16(金) 08:43:38 ID:itaKM8.P0s
ない。

マックス・ウェーバーを読め。

返信する

059 2011/12/16(金) 14:54:03 ID:Pd89wPA/tk
そんなものよりも史記を読め。

春秋戦国時代の時点ですでに、
政財談合フラタニティが「食客制」として成立してもいるから。

日本人や台湾人が、ライオンズやロータリーみたいな西洋のフラタニティを
ある程度流用できているのも、昔取った杵柄としての、鶏鳴狗盗の食客としての
素養があるから。もちろんそんな素養がある人間は、東洋ではならず者の類いだが。

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060 2011/12/16(金) 17:29:51 ID:we1CU.8Cno
むちゃくちゃな論理展開だなあ(笑)

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061 2011/12/16(金) 18:43:13 ID:i.J0Atr1Io
>>59
それは談合じゃなくて、政財界の垣根が曖昧だったから。

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062 2011/12/16(金) 18:44:28 ID:i.J0Atr1Io
と思ったら、思想板のニートかよ。
君は論理展開がいつも破綻してるから、すぐにわかるよ。

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063 2011/12/16(金) 19:10:04 ID:Pd89wPA/tk
論理破綻に込められた悟りのエッセンスも読み取れぬ未熟者め。

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064 2011/12/16(金) 19:11:05 ID:i.J0Atr1Io
ほらな。せっかく良スレだったのに。
誇大妄想狂だよお前。誰にも理解されてないことに気づけ。

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065 2011/12/16(金) 19:21:57 ID:Pd89wPA/tk
誰にも理解できないことに愉悦を抱けるほどにも
納得するところのものがあるのだからなあ。ハッハッハッ

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066 2011/12/19(月) 22:37:16 ID:7WsLX.f3eM
話がえらく脱線している気がするけど、要するに>>45さんは、
「権力とは利益に直結しているから、一度手にした人間が禅譲するとは考えられない」と
言いたいんですよね?

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067 2011/12/20(火) 00:45:12 ID:JaDrkz0HRc
>>66

うーんとね、違う。
権力を手放せば一族が滅亡するから禅譲しない、と考える訳です。

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068 2011/12/20(火) 14:25:18 ID:E5XIY/QlkY
>>67
と言う事は、
権力を手放せば「必ず」もしくは「高確率」で、一族が滅ぶ、と言う考えが前提なわけですよね?

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069 2011/12/20(火) 23:26:36 ID:JaDrkz0HRc
その通りなんだが、言われて改めて考えると
権力は手放さなくても奪いに来られるから「権力を手放せば一族が滅亡する」は必ずしも正確でない。
ただ権力の喪失イコール一族の滅亡は言い得る。

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070 2011/12/26(月) 07:55:47 ID:6dJfiRPJiI
>>69
>権力の喪失イコール一族の滅亡は言い得る。

いや・・・言い得る?
そんな事は無いよね?

そもそも、それは「権力」で「一族の存在」を保持している場合に限るのであって、
他部族との協調や根回しで保持している場合は、最高権力者である事は別に必須では無いでしょ。

むしろ、最高権力者であるという事は責任も重いし、どこかと敵対した場合の
矢面になってしまうから、避けたいと思う事もある。
No.2やNo.3。もしくは表には出ない実力を持ちたいと思うのではないかな?藤原氏のように。

もちろん、「なりたがる人」もいる一方、「なりたがらない人」もいる。

更に言えば、持ち回り説が有力なのは、そういった血みどろの奪い合いが全然見えてこないから。
(もちろん、歴史に現れない権力闘争が無かったという意味ではない)

たとえば誰かが力尽く(武力)で権力を奪えば、中国の王位交代のように
「前王朝は悪辣だった。だから私が王位を簒奪したのは正当である」と高らかに主張するだろう。
それが無いと言う事は、個人間の思想はともかく、王位の移譲に関しては多くの有力豪族が
納得の中で行われたという少佐になるというのが主流の考え方なんだよ。

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071 2011/12/26(月) 08:06:52 ID:6dJfiRPJiI
あ、少佐→証左ね。

例えば、大国主命の国譲りにしても、神武天皇の東征にしても、
土着民を一方的に悪人に仕立てても良かったはず。
しかしそれをせずに「譲られた」「神威で恭順させた」というのは、
「征服」ではなく「合意の上」を示唆している。

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072 2011/12/28(水) 00:34:49 ID:fFNoB8d3Qs
おまえらは仏法統治を見くびりすぎだ。

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073 2011/12/28(水) 09:56:06 ID:0LA0XZKENs
>>72
説明よろしく。

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074 2011/12/28(水) 20:50:13 ID:GLocILh2CA
ふつうに証拠って言えよ
何かっこつけてんだ

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075 2011/12/29(木) 00:52:26 ID:MI9J5BQujs
>>70

話が広がり気味なので都合のいい所だけの反論でご勘弁。

>持ち回り説が有力なのは、そういった血みどろの奪い合いが全然見えてこない

大王一族独裁であろうと持ち回りであろうと、どんな政体であっても
権力は必ず血みどろの奪い合いが行われる。
持ち回りの方がむしろ血みどろになりそう。古代豪族は私兵を持ってるわけだし。
奪い合いが見えない、だから持ち回りと云われても賛成はできない。

>中国の王位交代のように

中国は易姓革命によって王朝交代の正当性を担保してるわけだが
日本では万世一系の建前だから皇位の正当性なんてあらためて主張する必要はない。
だからそういった主張がないという事は当然であって、そのことから持ち回りだとはいえない。
国譲りや東征についても持ち回り説からはこのように解釈するというだけで
この説の根拠になるものでも何でもないように思える。

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076 2012/01/17(火) 01:20:33 ID:7wgRQfKT22
70氏に捕捉する形で、持ち回り説が有力なのは
それ以外の権力譲渡、あるいは簒奪にあたる、邪馬台国の記述や継体などの部分には
血みどろの争いを示唆するような記述が見受けられるのに
それ以外の相続に関しては権力基盤が固まって時期であるにも関わらず
大規模な争いの記述がみられない、考古学的にも証拠がない。

万世一系などと言われるようになったのは
皇統の正当性を高め始めた天武の頃からの話で
少なくとも2回、直系の系統は途絶えている。

ヤマト王権が連合国家的な権力であったことに反対する学者はいないし
そうであって、一つの氏族のみが権力を独占できたと考える方が不自然だ。
出雲神話の融合や、各氏族の神話とのリンクを見ても
天皇家(いわゆる天孫家)が独裁権力を発揮できるようには描かれていない。
神武神話にしても、天孫家は現地勢力に敗れて迂回して大和に入ったわけで
権力基盤として首長を独占できる土壌がなかったとするのがほとんど定説です。

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077 2012/01/17(火) 09:07:33 ID:R7F0DsvnTU
卑弥呼にしても、合議の上、女王あるいは斎宮になったわけだからね。

文献は歴史学的な証拠だし、
考古学的に見つからないのは、なかったとみなすのが
学術的な立場。

75氏のは「自分にはそう思える」という根拠ばかりで
アカデミックに考えれば根拠に乏しい。

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078 2012/01/19(木) 23:38:32 ID:qKOu3YxoVs
アカデミックな根拠に乏しいのは承知なので批判、反論を頂ければ幸いです。

>>76
始めに断っておくと王朝交代については述べてません。
持ち回り、つまり同一体制内で大王位が異なる氏族に移譲されたかについて述べてます。

それで私見は「権力の喪失イコール一族の滅亡」を大前提として
「大規模な争いの記述がみられない、考古学的にも証拠がない」のであるから
一族の滅亡はなかった。すなわち大王位の移譲はなく持ち回りを否定する訳です。

本筋から離れた部分もありましたが私見でも血みどろの争いは肯定してません。
これに対し、70はこの大前提を否定した上で「発掘物などの傾向特徴」に
「大規模な争いの記述がみられない、考古学的にも証拠がない」ことから
持ち回りを肯定する訳です。

これに対しては、発掘物というか具体的には前方後円墳について別の解釈を出来るのではないか
というのが私見です。(ただ知識見識がないので私にはできない。)

以上がこれまでのまとめですが、
大王が独裁権力を発揮できないことが何故持ち回り説を肯定することになるか理解できません。

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079 2012/01/20(金) 00:10:37 ID:OLk.hwgT.U
血みどろの争いは肯定してないと言いながら
どんな政体であっても権力は必ず血みどろの奪い合いが行われる。 とするのは矛盾だな。

文献に残るほどの大規模な争いという意味での血みどろの争いは肯定してない、という文意です。

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080 2012/01/20(金) 05:55:09 ID:jZbqq2g9Zw
>>78
>大王が独裁権力を発揮できないことが何故持ち回り説を肯定することになるか理解できません。

その前に、古代日本は豪族並立していたという事実は理解している?
話はそこからなんだが。

>前方後円墳について別の解釈を出来るのではないか
>ただ知識見識がないので私にはできない

可能性論を言うだけなら、そりゃ別の解釈もできるよ。
たとえば、「圧倒的な武力を持ちほとんど争わずに各地域を平定、かつ、
各地域の文化を尊重した大王(神武天皇もしくはそのモデル)」がいた可能性とかね。
しかし、自分に出来ない事を「別の可能性もあるのじゃないか!?俺は知らんけど」では
そもそも話にならない。

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081 2012/01/20(金) 06:05:17 ID:jZbqq2g9Zw
>>79
>文献に残るほどの大規模な争いという意味での血みどろの争いは肯定してない

そりゃまた卑怯な言い方だな。
しかし反論は出来る。
つまり、壬申の乱の記述を見てもわかるとおり、古代史において
「皇族は何の問題も無く万世一系の強固な一族だ」と捏造したわけではなく、
政治的な意図はあったとはいえ、皇族皇室にも内乱内紛があった事を赤裸々に記述している。
これは、もし皇族が神の末裔で人間からは隔絶した存在だと権威づけしようとしているとしたら
おかしな話で、まったく抹消してしまえばいいだけの話だったはずである。

内乱も無く、治世も平和で、皇室があるからこそ日本は平和に暮らせていた、と
書けば何の問題も無かったはずなのに、あえて壬申の乱や武烈天皇を書いたと言う事は、
結局単純な皇族肯定の歴史書ではないと言う事だ。

逆に言えば、皇室に都合の悪い事も書いてあると言う事であり、
まして大規模な争いがあったなら、記憶を抹消するよりも「争いに勝った=正義正当」と
書けば華々しい経歴になるのだから、無い争いを捏造するより、有る争いを抹消する方が考え難い。

>文献に残るほどの大規模な争い

被害者の規模に関わらず、皇位簒奪は大規模だと言える。
それが暗殺→速やかに簒奪であろうと、それは大規模だろう。
つまり、それは「なかった」と言う事だ。
もちろん、ごく小規模の諍いは割愛されただろうが、皇位簒奪に関わるような豪族同士の
争いが無視された(記述されない)などとは極めて考えにくい。

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082 2012/01/20(金) 11:20:39 ID:Tuf5vz73Qw
>>それで私見は「権力の喪失イコール一族の滅亡」を大前提として

その根拠がまず乏しいよ。
映画イメージみたいなことを歴史板でやられても・・・。
知識の問題でなく、学問的な議論をする立場がなってなさすぎる。

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083 2012/01/21(土) 01:04:11 ID:zhZ8SiMz7U
>>80

確かに卑怯だわ。訂正が必要ですな。
私見は「権力の喪失イコール一族の滅亡」を根拠として持ち回りを否定するに訂正です。

大規模な争いの有無は私見とは無関係です。
「大規模な争いの記述がみられない、考古学的にも証拠がない」というのは私見と親和的ではありますが。
権力争いについては述べたことは本筋からは外れていたと言える。


>>大王が独裁権力を発揮できないことが何故持ち回り説を肯定することになるか理解できませ  
ん。
 >その前に、古代日本は豪族並立していたという事実は理解している?
  話はそこからなんだが。

並立してたのは知ってます。そこからの話をお手数ですが説明願います。
それともう一つ、そこまで日本書紀を重視する立場なら
何故血統に基づかない大王位の移転を認める、持ち回り肯定説を採るのでしょうか。



>>82
蘇我に源平、北条では根拠が乏しいのか、それとも傍流が存続したから根拠とならないのか。
古代中国、朝鮮史にはいくらでも例がありそうですが。
(こういう書き方は学問的な議論をする立場になってないですな。)

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