>>51 >トップの考えを理解出来ないバカがどの世界にもいるもの
>まして信長ほどの当時としては超越している考えの持ち主なら
>規定概念にとらわれたエリ−トなどは理解しがたいので反逆する
織田信長の考えを理解出来た武将なんていたのかな?って思うけどね。
>前者は光秀タイプ後者は秀吉タイプがその典型。
天正4年(1576年)、越後国の上杉謙信と対峙している北陸方面軍団長・柴田勝家への
救援を信長に命じられるが、秀吉は作戦をめぐって勝家と仲たがいをし、無断で帰還
してしまった。その後、勝家らは上杉謙信に敗れている(手取川の戦い) wikiより
↑自らは敵前で無断で帰還し、残った柴田勝家は敗北している。信長は当然激怒して
いる。追放されてもおかしくない行動でしょ?秀吉の事だから信長に許されると思って
いたと言うかも知れないけど、
天正8年(1580年)8月、信長は譜代の老臣・佐久間信盛とその嫡男・佐久間正勝に対して
折檻状を送り付け、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放か討ち死に
覚悟で働くかを迫った。佐久間親子は高野山行きを選んだ。さらに、古参の林秀貞と
安藤守就も、かつてあった謀反の企てや一族が敵と内通したことなどを蒸し返して、
これを理由に追放した。
↑信長は必要のない者はどんな実績があろうとも容赦なく切り捨てる合理的な考えを
持っていたんじゃないかな?と言うことは、一度敗北の原因を作り信長を激怒させた
秀吉が安泰だと言い切れないでしょう?
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