>>17 >ここは完全に結果論だね。最悪のタイミングで秀吉が死んだだけで
つまり秀吉が死ねば豊臣家がつぶれる事を理解しないまま漫然と朝鮮征伐なんて思い付いた
のがおかしいのだろ?天下統一までは取り潰した敵の領土を分け与える事で臣従する者を
満足させるだけで良かった。だが天下統一した後分け与える領土がなくなったので大陸に
目を向けたのだろう?そこが間違いだ。豊臣家が秀吉亡き後でも成立する政治機構を
構築すべきだった。五大老五奉行は豊臣家内での話で武家社会の統治機構ではない。幕府は
無理とわかっていたにせよそれに代わる武家の統治機構を整備する方が良かったはず。
また朝鮮征伐をするなら先ず東国、とりわけ徳川の財力兵力を減らすべく画策するべきだ
ろう?西国の方が近いので脅威を感じていたのかも知れないが…。
>ここについては秀吉自身が完全に豊政権の存続を諦めていたんだろう
>諦めながらも、我が子の行く末を案じ泣いて縋るより他になかった
豊臣政権の存続を諦めていたならなんで朝鮮征伐なんてしてるの?矛盾してるだろうw
本気で諦めていたなら豊臣家の安泰の為の方策を考えるべきだろ?それもよりによって
徳川家康に秀頼の後見人の大義名分を与えるような形をとったのは間違い。まぁ信頼すべき
有力大名がいなかったのだろうけど。
晩年には天下取りに奔走した秀吉像とは違うただの思いつきで行動する老人像が相応しい。
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