支那事変


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001 2010/05/04(火) 13:29:25 ID:1KS.Nr5iVI
>支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、
>支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
>盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。
>更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
>支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
>その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、
>戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。

https://www.youtube.com/watch?v=eFZCRfUKwdc

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002 2010/05/05(水) 02:25:56 ID:QLQhZ1JhXQ
003 2010/05/07(金) 08:24:48 ID:ZbG2MZjOcM
004 2010/05/12(水) 01:22:00 ID:k1f2iVopxg
005 2010/05/12(水) 19:54:01 ID:Y9CPkxfqfQ:au
まあ、周恩来が中華人民共和国建国の時、劉司令官だっけ?褒め称えたから、共産党の発砲に間違いないね。日本がうまくやられただけだな。

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006 2010/05/13(木) 01:19:52 ID:JTg7hPpwWo
1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは一連の事件について
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。
ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが・・・」
と上海特派員によって報じた。
またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。

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007 2010/05/13(木) 02:07:08 ID:hfJmBLbbSo
つか当時の陸軍や関東軍の戦略でしょ。
はじめから満州国を中国から取るつもりだったのは明白でしょ。
でなければ中国で牢獄されていたラストエンペラー溥儀を連れ出して利用しようなんて考えない。
張作霖爆殺事件でも連行した中国人に国民軍の軍服を着せ犯行現場で射殺し中国軍の犯行にしたてあげたんだから。
まあこれで中国を攻撃する大義名分を作ったわけで
あとは中国を屈服させて満州国を認めさせる計画だったんでしょ。

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008 2010/05/13(木) 02:30:58 ID:JTg7hPpwWo
ソース

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009 2010/05/14(金) 00:34:32 ID:N435kKzyg.
>>5
>>7
どちらもソース確認されてないから

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010 2010/05/14(金) 01:58:57 ID:mChafa8MWs
日本がリットン報告にびっくりしたのは当然である。
報告は日本の誇りを傷つけただけでなく、
アジアの大国としての地位を根底から脅かすものであった。
心理的衝撃は、日本は西側先進国ではないとされたことである。
日本は五大国の高い席から、アジアの後進民族と同じ地位に引きずり下ろされたのである。

そこで日本人は、こうした非難は日本の行動に対してではなく、
人種に向けられたものだという結論に行きつく。
中国人もリットン報告を子細に読めば、同じ結論に達しただろう。
国際連盟がリットン報告を受け入れ、
連盟とアメリカが満州国を独立国として承認しなかったことから、日本は連盟を脱退した。

日本が満州で治外法権を放棄したことに対してもそうだ。
欧米諸国が日本の行動に拍手を送ってあとに続けば、
むしろ日本の侵略を非難しうる堅固で正当な論理的基盤を作れるはずだ。
ところが、欧米諸国の特権的地位を奪う権利はないと言って満州を激しく攻撃したのである。

雌鵞鳥(グース)のソースは雄鵞鳥(ガンダー)のソースにもなるのだ
(訳注;西洋人に許されるなら、日本人にだって許されるのが道理だろう)。

Source for the Gander
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

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011 2010/05/14(金) 22:52:46 ID:OBerAcD6ag
>>10
おまえのレベルは悲しいほどにに低い。
しばらくロムってろ。

>>心理的衝撃は、日本は西側先進国ではないとされたことである。

この時代に西側なんて言葉はない。
西側東側という言葉が使われ出したのは第二次世界大戦後の東西冷戦からだ

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012 2010/05/15(土) 03:15:31 ID:uj.cMNimwY
そんなことぐらいしかつっこむところが無かったんだねw

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013 2010/05/15(土) 09:55:27 ID:I2RdrBnbwU:au
金振中の回想を読んでも、五番さんの意見が正しいんではないでしょうか?

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014 2010/05/15(土) 13:07:35 ID:uj.cMNimwY
つ満州善後条約

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015 2010/05/15(土) 18:38:27 ID:F8itspDFJo
>>12
つっこむところは前半書いてない事でしょ?

3)アメリカ国内の世論は、この事件(満州事変)にそれほど関心を持っていなかったが
一応は中国を支持した。国際連盟加盟の小国はどちらかといえば中国についたが、
大国の政府は態度をはっきりさせなかった。彼らにとって、問題は日本の意図だった。
もし事件が日本の主張どおり、「法と秩序」を回復し、日本の「合法的財産」を守る
ための通常の「警察行為」なら、日本の法的立場は強い。日本は条約上の権利の枠内で
行動したことになる。しかし、日本が満州併合を策しているなら事情は違ってくる。

4)アメリカと連盟がゆっくり動いている間に、満州の事態は急展開した。
連盟が設置した調査委員会(リットン調査団)が満州に到着する前の1932年2月29日、
満州人代表が瀋陽に集まり、中国からの独立と、独立国家満州国の樹立を宣言した。
そして、リットン調査団が報告書を連盟に提出する前の1932年9月15日、
日本は新しい国を独立国家として「承認」したのである。

5)しかし、日本は行きすぎたようである。
1932年1月、満州事変は抗日運動が盛り上がる上海に飛び火した。
上海の租界に権益を持つ各国の軍隊が警備体制についた。日中両国軍が衝突し、
日本軍は中国側の拠点チャペイを攻撃した。各国は共同租界の周辺で起きた
この衝突に強い懸念を抱き、アメリカとイギリスは日本政府に抗議文を送った。
何度か交渉が重ねられた結果、戦闘はやんだが、五月まで事態は収拾されず、
日本軍は撤退しなかった。

6)日本にとって、リットン報告の見解は「法的」にきわめて重要である。
もし、ある「軍閥政権」が外国勢力に認められたというだけで「中央政府」になれるなら、大国である日本が自分の勢力圏内にある望ましい政権を中央政府として認めてならない
理由はないのだ。もし、中国の中央政府が報告で明確にされているように法的擬制なら、
日本の満州も同じである、と日本は考えたのである。

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016 2010/05/15(土) 20:04:43 ID:uj.cMNimwY
要するにきちんと手続きを踏んでたわけね

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017 2010/05/15(土) 21:50:44 ID:F8itspDFJo
>>16
大学入試で不合格になった人が、

入学手続きをきちんとやったからといって、大学に入れると思う?

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018 2010/05/16(日) 03:26:04 ID:xIB7dW0rx2
的外れな例えだなw

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019 2010/05/25(火) 11:21:28 ID:sZfE30B0.s
「済南事件」
1928年、昭和3年5月3日、国民党軍が行った日本人への虐殺事件。
また「済南事件被害者を検死する日本人医師の写真」を
「人体実験をする731部隊研究員の写真」と
キャプションを偽って使用したという捏造事件でも有名。

略奪被害戸数136、被害人員約400。
支那側も立ち会った、済南医院での日本人被害者の検死結果。

藤井小次郎
・頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
斎藤辰雄
・顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
東条弥太郎
・両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
東条キン(女性24歳)
・全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
・陰部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり。
・両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。肋骨々折損。
鍋田銀次郎
・左脇腹から右脇に貫通銃創。
井上国太郎
・顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
宮本直八
・胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による切創。陰茎切除。
多比良貞一
・頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。
・腹部を切り裂かれて小腸露出。
中里重太郎
・顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創。
高熊うめ
・助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
・右脚の白足袋で婦人と判明した。

他の二体は顔面を切り刻まれたうえに肢体を寸断され、人定は不可能であった。」

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020 2010/06/02(水) 02:49:39 ID:3HWDCJnA4g
孫文氏に限らず、支那人はよく日本の侵略を攻撃して排日の題目にするが、その實日本は支那に對して毫も侵略を行つて居らぬ。
臺灣の割讓は當然のこととて問題にならぬ。
臺灣を除くと、支那人が日本攻撃の的にした、若くば的にする、
山東でも、旅大でも、日本は支那から獲得したものでない。
列國の利權は多く口舌の間に、直接支那から獲得したが、
日本のみは多大の人命金錢を擲つて、
然も事實上支那の既に放棄して仕舞つた土地や利權を、
露國やドイツから讓り受け又は繼承したのである。
格別支那人から彼是非議さるべき筋合のものでない。
勿論長い間には日本の對支政策にも感心出來ぬ點があつて、
支那人の感情を害したこともあらう。
されどこれとてその時代の趨勢やら支那の状態やら、
乃至日本としての立場を考慮したらば、一概に日本のみを咎め難いと思ふ。


日本人は早くから白禍の横溢に焦慮して居る。
從つて日支親善の必要をも痛感して居る。
最近數年間に亙る我が國の新聞雜誌を通覽しても、萬口一調に日支の親善を主張して、
殆ど一人の異議を唱へる者がない。
寧ろ日支親善に傾き過ぎずやと氣遣はれる位である。
吾が輩も無論日支の親善を結構と思ふが、親善には相手が必要である、
相手の實情をも考慮せずに、日本のみが親善に齷齪するのは、聊か餘計なことかとも思ふ。
支那人の對日感情は近來可なり良好となつたと傳へられて居るが、
併し關税會議に日本の委員が支那の主張に贊成したからとて、直に親日の氣運が濃厚になり、
刻下の騷亂に、我が在滿居留民保護の爲に出兵の噂があると、
直に排日の運動を開始せんとするが如き、手を飜せば雲となり、手を覆せば雨となる樣な、
輕薄にして打算的な親善ならば見合せたがよい。
眞に日支の親善を成立せしめんには、先づ支那人が覺醒して、過去の弊竇から擺脱することが必要である。

桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑

http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/7941_9677.h...

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021 2010/06/04(金) 01:02:59 ID:HunNNGZ9Ho:au
>>10
リットンレポートにちゃんと目を通したか?
たしかに張作林死亡事件は日本軍による謀略と断定しているが、にも拘わらず国際社会が満州国を承認するように訴えている。
全ては共産主義の膨脹政策との闘いの中で起きた事であり、大陸を護るには日本にまかせる可きと結ばれている。

ソースは脳内

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022 2010/06/07(月) 16:14:25 ID:iqzJ98UWhU
>>21
謀略の断定は、リットン報告ではしてない。
『この殺害の責任は今日まで確定されていない。惨事は神秘のベールに包まれている』
『日本の謀略ではないかという嫌疑が起こり、日支関係に一段の
緊張を加えることとなった』(第二章第二節)

レポートの結論としては、現状からの後戻りは無理だから、日支両国や他国の利益も
考えた最善の平和的方法10項目の政策を考えました、これがもし実現されれば、
満州問題は満足な解決をとげると信じてます、というもの。

『満州の事態は他に類例がなく、合法性に関する双方の主張は問題を複雑化
させている〜単に批評するだけでは意味が無い。われわれ調査団による過去の
真相捕捉はけっして重要な部分ではない。〜1931年9月以前の状態への復帰は
問題外。将来における満足すべき政権は、過激な変更をしなくても
現政権から進展させることが出来る』(第九章)

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023 2010/06/08(火) 16:54:41 ID:8eYHYTf04Q
補足

満州国建国と同時に、リットン報告は無用のものとなってる。
(独立という既成事実は元に戻らない)

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024 2010/06/09(水) 13:16:14 ID:yRYKvhUA7U
>>22
>満州国建国と同時に、リットン報告は無用のものとなってる。
んなこたぁーない。

リットン報告書
「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、
また、満州国の独立も自発的とはいえない」とした。
しかし、「事変前の状態に戻ることは現実的でない」という日本の主張をとり入れ、
日本の満州国における特殊権益を認め、日中間の新条約の締結を勧告した。
この報告書をめぐり日中は対立したが連盟で採択されると、
日本はすぐに国際連盟を脱退した。

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025 2010/06/09(水) 13:52:37 ID:0hlzyF3C2g
>>24
大量破壊兵器は見つからなかったが、サダム政権が倒れた
既成事実は元に戻らん。
満州民族の正統な皇帝を首長に頂く独立国が生まれ、
その満州国を承認する国が出てきていた事実は覆せない。

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026 2010/06/09(水) 17:34:42 ID:0hlzyF3C2g
>>24
リットン報告書の柳条湖事件についての結論では、日本軍の
行動を侵略とは断定してない。『爆発は長春からの南下列車の定刻到着を
妨げるものではなかったから、それだけでは日本軍の軍事行動を正当な
自衛手段と認めることが出来ない、もっともこれによって調査団は、
現地の日本軍将校たちが自衛のための行動だと信じていたという仮説を
否定しようというものではない』(同報告書第4章)

満州国の独立については第6章で、日本の軍隊・文武官憲の働きをその
有効な要素として挙げ、『純粋かつ自発的運動によって現出された
ものと考えるわけにはいかない』としているが、その一方では『モンゴル
族も権利を保障されることが判明したため新国家に忠誠を誓った。回教徒は
奉天における2/25の会合ですでに忠誠を誓い、いまだに帰属していない少数の
満州人の大部分も、新国家の執政として前皇帝・溥儀が推挙されるだろうと
知るや、新国家を歓迎した』とある。(第6章第1節 黒竜江省の独立宣言)

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027 2010/06/09(水) 22:17:37 ID:0hlzyF3C2g
>>24
>>「事変前の状態に戻ることは現実的でない」という日本の主張をとり入れ

報告書では日本がそういう主張を行なったということは書かれていない。
原状回復が現実的でないとしたのは調査団の提議。

第9章『解決の原則および条件』
—解決に関する不満足な提議—
1.原状回復
『単なる原状回復が問題の解決にならないことは、我々の述べたところから
明らかであろう。本紛争が去る9月以前における状態から発生したことを思えば、
その状態を回復することは、紛糾を繰り返す結果になるだろう。そのような
ことは全問題を単に理論的に取り扱うだけで、現実の状勢を無視するものだ。』

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028 2010/06/13(日) 08:52:15 ID:Gol1GpP87E
>>25>>27
ちょっとググれば提言しているのはわかるのに。
あんまり一部だけを抜き出すんじゃなくて、
リットン調査団報告書の国連での扱いと各国の反応と結果を調べれば
>満州国建国と同時に、リットン報告は無用のものとなってる。
こんな事は書けないよ。
原状回復(中国返還)←中国主張  満州国承認←日本主張
どっちも現実的でないとしているよ。
原状回復(中国返還)←中国主張:これが無理だって書かれているところを
切り取ったイカレタ右翼系の文章だけ信じ込み過ぎ。一方で満州国のそのままの承認も否定だから。
リットン調査団報告書では基本的には満州での中国の主権を認めている。
で、国連が入った自治区を提言している。もちろん中国の主権下。
でも、日本の満州での利権も認めている。なおかつ日中の平和条約、通商条約締結を提言している。
この報告書はタイの棄権を除いて日本以外全ての国が報告書を採択した。
不満な日本がキレて国連出ていった。日本の国際的な枠組みからの脱退。
こういう流れ。

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029 2010/06/13(日) 13:14:03 ID:GtlGtG3vl2
>>28
「事変前の状態に戻ることは現実的でないという日本の主張」については
資料を持っていないので、その情報箇所を教授されたし。

「満州問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について
十分な知識を持ったものだけが、この問題に関して決定的な意見を表明する
資格がある」(第9章)

当時の国連参加国でその資格を持つ国家がどれだけ存在したか。
リットン報告は日本の大陸侵略を決めつけたものではなく、相当程度
日本の立場を認めている。朝日新聞などに見られるような、左翼系マスコミよりは
よほど公平な歴史認識を示してる。ただし、満州国が建国された以上、そうした
報告書が作成されたとしても、建国の既成事実は覆らない。日支双方の言い分、
日支と周辺国(ロシアなど)の関わったある一時期の歴史についてレポートした
調査書、という存在に過ぎない。日本は採択決議後も、国連に居座っても良かった。
それをせずに脱退したことが吉か凶かは分からない。

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030 2010/06/13(日) 13:20:41 ID:kXaeiqK6aM
鬼畜も及ばぬ残虐
東日大毎特電 1937年7月31日

通州反乱保安総隊顧問、村尾昌彦大尉夫人が頭に包帯をして顔その他に傷を受け、
30日深夜、命からがら冀東政府長官秘書・孫錯氏夫人 (日本人) とともに
北平交民巷に逃げ込んだ。
身震いが止まず反乱隊の残虐ぶりをポツリポツリと語った。

「保安隊が反乱したので、在留日本人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち、
29日の午前2時頃、守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーッと近水楼や
特務機関の前に殺到して来て、10分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。
近水楼の前は日本人の死体が山のように転がっています。
子供を抱えた母が三人とも死んでいるなど、ふた目と見られない惨状でした。
私達はこの時家にいました。
29日午前2時頃、保安隊長の従卒が迎えに来たので洋服に着かえようとしたところ、
その従卒がいきなり主人に向ってピストルを一発射ち、
主人は胸を押え「やられた!」と一声叫ぶなりその場に倒れました。

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031 2010/06/13(日) 16:41:19 ID:Gol1GpP87E
>>29
日本は満州国の承認求めていた。

リットン調査団の結論は満州住民の自発的な独立運動では無いって結論。
だから満州は中国主権下だと認める。
ただ日本の満州での利権も同時に認め、満州国を国連が管理した非武装特別区にしようと
提言。
日中非戦争条約、通商条約を結ぶ事も提言。ただ日本の軍部としては不満で国連を飛び出した。
はっきり言って誰でも知っている話しだよ。
すぐググればわかるし、単純な話しだから。
リットン調査団なんて世界中に知れている話しで、今さら新発見もあり得ないから。
>満州国建国と同時に、リットン報告は無用のものとなってる。
こんなのは全く理屈にあっていない。満州での日本の活動、満州住民、
中国に主権下かどうかを調べたものだから。

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032 2010/06/14(月) 12:51:09 ID:BDda0CzxhI
>>31
俺が聞いたのは「事変前の状態に戻ることは現実的でないという日本の主張」
の、そういう日本側の主張の文言があれば紹介してくれ、ということ。
満州国承認を求めた部分じゃない。満州国は調査団の東京到着の翌日に
建国宣言を出してるので、調査が行なわれた程度では後戻りは事実上不可能だろう。

リットン報告書は広く存在を知られてるが、誰でも知ってるほどでもなかろう。
リットン報告を採用するというなら、第9章の文言を読むだけでも、
国連加盟国のほとんどがその問題に対し、決定的な意見を表明する資格が無いと分かる。

「中国」と一口に言うが、ロシアが満州を北清事変のどさくさで侵略占領し、
ロシア領になった際、清国は局外中立してる。露清密約も結んだ。日露戦争で日本が
満州権益を手にしたが、密約を考えれば清国への返還は現実的じゃない。

辛亥革命で満州民族の王朝が倒れ、満州の地をそのまま中華民国に預けるのも
現実的じゃない。正統性、実効支配力から言っても、溥儀を中心に日本の文武官憲の
助力を得ながら満州国を経営したほうが現実的だろう。実際そうなったが。

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033 2010/06/15(火) 02:30:12 ID:yuqwibDdXQ
>建国宣言を出してるので、調査が行なわれた程度では後戻りは事実上不可能だろう。
言葉が意味不明。日本軍は満州に傀儡政権立てて満州国家を作って世界に承認求めた。

>リットン報告書は広く存在を知られてるが、誰でも知ってるほどでもなかろう。
そんな事言ったって世界中に公開されていて、別に解釈論争もクソも無いよ。
ウェブで誰でも読める。リットン調査団なんて中学歴史教科書にも載っている義務教育用語。
なんで自己解釈なんて持ち込もうとすんだよ。

リットン報告書では日本の権益は認めたが、満州は中国の主権地域だと認め、
国連管理地域に置いて、日中には不可侵条約、通商条約を提言した。
タイを除く全ての国連の国がそれを採択した。日本はキレて国連を出ていった。

弱肉強食の植民地時代から国連での話し合いへの時代へ移った歴史の転換点でもあったから、
過去とは区別しないと国連の意味が無い。だから過去との矛盾とか言っても仕方無いんだよ。

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034 2010/06/15(火) 03:59:59 ID:dib722Hgl6
鬼畜も及ばぬ残虐
東日大毎特電 1937年7月31日

通州反乱保安総隊顧問、村尾昌彦大尉夫人が頭に包帯をして顔その他に傷を受け、
30日深夜、命からがら冀東政府長官秘書・孫錯氏夫人 (日本人) とともに
北平交民巷に逃げ込んだ。
身震いが止まず反乱隊の残虐ぶりをポツリポツリと語った。

「保安隊が反乱したので、在留日本人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち、
29日の午前2時頃、守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーッと近水楼や
特務機関の前に殺到して来て、10分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。
近水楼の前は日本人の死体が山のように転がっています。
子供を抱えた母が三人とも死んでいるなど、ふた目と見られない惨状でした。
私達はこの時家にいました。
29日午前2時頃、保安隊長の従卒が迎えに来たので洋服に着かえようとしたところ、
その従卒がいきなり主人に向ってピストルを一発射ち、
主人は胸を押え「やられた!」と一声叫ぶなりその場に倒れました。

返信する

035 2010/06/15(火) 14:00:27 ID:R2v5bbtV0g
>>33
その報告の第9章を読む限りは、国連各国が意見表明の資格が無い
ことになるのだがな。
理論的にも現実的にも、満州が国民政府のシナの主権下という
主張には無理がある。

ロシアが満州を侵略したお陰で日露戦争が起こった。清国はロシアの侵略に
対しては局外中立と露清密約。日本は莫大な戦費と夥しい人的損耗を強いられた。
多大な犠牲を払って満蒙の地を守ろうとしたのが清国であれば、主権の主張にも
幾らかの分はあるのだが。
清朝が衰え、出来たばかりの国民政府ではさらに弱体、民心も安定せず、
満州からの撤退なぞどだい無理な話だろう。第二次日露戦争が生起しかねない。
満州のすぐ真南は朝鮮半島。当時の日本の領土だ。

溥儀の満州建国には正統性があり、現実的に見ても日満ソ支のバランスが取れる。
共産化を防ぐ意味合いもある。だからこそ承認国が相次いで出てきたのだろう。

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036 2010/06/15(火) 16:57:44 ID:R2v5bbtV0g
>>33
日本が主張した中に「原状回復は現実的でない」という文言でなく、
「満州国を認めよ」という文言があったわけか?

俺の自己解釈というわけではないのだがな。
そもそも満州国を承認した20カ国以上の国の存在はどう説明するのだ。
当時の満州訪欧団がローマ教皇庁を訪れた際、ピウス11世から
「人類の秩序を破壊する共産主義と戦っておられることを悦ぶ。
世界平和のために貢献せられんことを祈る」という言葉を貰ってる。
正統性も理論上も現実的にも、満州帝国に建国の資格があったから認めたのだろう。

ただ、日本全権の松岡も、欧州代表の無知ほどではないにせよ満州やシナの歴史の特性を
熟知してるわけでもなく、日本をナザレのイエスに喩えたのは場違いだ。
脱退する必要も無かったろうな。

確かに今の国連と過去の連盟とは別に分けて考える必要ありだ。当時は多くの国家が
自国の国益に反するとして不参加だったり、脱退したりしたわけだからな。

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037 2010/06/16(水) 07:34:01 ID:9tukUxbxD.
鬼畜も及ばぬ残虐
東日大毎特電 1937年7月31日

通州反乱保安総隊顧問、村尾昌彦大尉夫人が頭に包帯をして顔その他に傷を受け、
30日深夜、命からがら冀東政府長官秘書・孫錯氏夫人 (日本人) とともに
北平交民巷に逃げ込んだ。
身震いが止まず反乱隊の残虐ぶりをポツリポツリと語った。

「保安隊が反乱したので、在留日本人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち、
29日の午前2時頃、守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーッと近水楼や
特務機関の前に殺到して来て、10分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。
近水楼の前は日本人の死体が山のように転がっています。
子供を抱えた母が三人とも死んでいるなど、ふた目と見られない惨状でした。
私達はこの時家にいました。
29日午前2時頃、保安隊長の従卒が迎えに来たので洋服に着かえようとしたところ、
その従卒がいきなり主人に向ってピストルを一発射ち、
主人は胸を押え「やられた!」と一声叫ぶなりその場に倒れました。

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038 2010/06/16(水) 07:35:30 ID:9tukUxbxD.
私は台所の方に出て行って隠れていると、従卒がそこらにあるもの片っ端から
万年筆までとって表へ行きました。
そのうちに外出していたうちのボーイが帰って来て、外は危ないというので、
押入の上段の布団の中にもぐっていたところ、さっきの従卒が十人ばかりの保安隊員を連れて
家探しをして押入れの下まで探したが、上にいた私には気づかず九死に一生を得ました。
家の中には主人の軍隊時代と冀東政府の勲章が四つ残っていました。
それを主人の唯一の思い出の品として私の支那鞄の底に入れ、
主人の死体には新聞をかけて心から冥福を祈り、
ボーイに連れられて殷汝耕長官の秘書・孫一珊夫人の所へ飛び込み
30日朝まで隠れていましたが、
日本人は皆殺しにしてやるという声が聞こえ、いよいよ危険が迫ったので、
孫夫人と二人で支那人になり済まして双橋まで歩きやっとそこからロバに乗ったが、
日本人か朝鮮人らしいと感づかれてロバ曳きなどに叩かれましたが
絶対に支那人だと言い張って、やっと30日午、朝陽門[まで辿りつきましたが、
門がしまっていたので永定門に廻りやっと入り、
30日夜11時日本警察署に入ることが出来ました。

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039 2010/06/16(水) 07:36:13 ID:9tukUxbxD.
冀東銀行の顧問・三島恒彦氏が近水楼で殺され、
冀東政府の島田宣伝主任等も虐殺されたらしく、
近水楼にいた日本人は殆ど殺されているでしょう。
昔シベリアの尼港事件の惨劇も丁度このような恐ろしさであったろうと思います。
反乱した張隊長は毎日家に遊びに来て「好朋友、好朋友」などといい
非常に主人と仲良しだったのに、
こんなことになるとは支那人ほど信じ難い恐ろしい人間はないでしょう。
三人の遺骸は必ず私の手で取りに行きます。」

なお危険地区を突破した夫の唯一の形見を肌身離さず持ち帰った沈着なこの夫人の行動は
避難邦人の賞賛と感激を受けて、同夫人に対する同情はきゅう然と集まっている。

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040 2010/06/17(木) 13:16:17 ID:If324DUe6w
>>33
前述の、日本側の文言が見つかったら教授してくれ。
俺は、当時の内田康哉外相が調査団訪日時、
「満州国を承認していただく以外、解決の道は無い」と調査団に
会見で述べたというくだりを訳本で読んだことはある。
「事変前の状態に戻ることは現実的でない」という文言、
「満州国を承認していただく以外、解決の道は無い」という文言、
「満州国を認めよ」という文言では、またニュアンスも違ってくる。
上は、妥協点を探れる余地を残す含みを持たせるし、
中は、それしか糸口を見いだせない覚悟と取れる。
下は、調査段階で外相が述べる意見や政府見解としては強圧的に過ぎる。

俺は、敗戦後における日本の発言力の低下により、満州と聞けば
日本による侵略、リットン報告と聞けば日本非難の代名詞という風潮に陥って、
当時の極東情勢を語る際、どうしても侵略という観点からしか論じられず、
公正でない解釈や誤訳が罷り通ることが問題だと思うがな。

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041 2010/06/18(金) 11:39:18 ID:NhIoi8YVng
>>40
歴史で「こういうところを評価したい」とか関心ないから。
「俺の叙情的歴史史観を共有してくれ!」って歴史修正主義的な右翼は言うけど。
そんなのは仲間内でしか「その気持ち、よくわかる」とかならんよ。
関心あるのは「あった事。そして全体の流れ」それだけ。

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042 2010/06/18(金) 13:14:01 ID:oFT1jCku7A
>>41
戦勝国による一方的な歴史観から見れば、それは正確には
「あった事実」ではなく、「戦勝国にとってあるべき事実」だろう。
そうした歴史観に立脚してる思考だから、残された資料に対しても
本物の著述と異なる伝え方をしてしまう危険性を孕む。

いい例はたとえば>>24
>>リットン報告書
>>「柳条湖事件における日本軍の侵略は自衛とは認められず、
>>また、満州国の独立も自発的とはいえない」とした。

と書き込んでる箇所。あった事実に基づく意見なら、「柳条湖事件における
日本軍の侵略は」などと書ける道理が無い。レポートの内容に「日本軍の侵略」
という断定箇所は無いのだから。捏造や誤謬がさらなる誤解を産み、結局は
あった事実でなく、その人にとってあるべき事実、となるわけだ。
また、全体の流れを掴みたいならば、当時のシナ情勢の検証と無縁ではいられない。

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043 2014/07/11(金) 13:19:24 ID:aNuuPxgzr2
一番下なので上げ
アルかニダのしわざか

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