世界史の勉強
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001 2010/04/13(火) 20:14:29 ID:BE8gxiLQcA
世界史そのものには特別興味は無かったが、語呂暗記・リズム暗記などの手法に少々凝ったような気がする…
【スペイン統一】イサベルは ひと夜で国[1492]を 統一し
※ 同年、コロンブスの西インド航路探検
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002 2010/04/13(火) 20:32:43 ID:j97OGgeJtM
003 2010/04/13(火) 20:32:50 ID:L7CNoprMAY
004 2010/04/13(火) 22:43:31 ID:BE8gxiLQcA
【アイルランド】
自由[自由国]ないい国[1192]にと、皆[37]でエール[エール共和国]を交換すれば、
よく[49]なるぞアイルランド共和国
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005 2010/04/14(水) 22:30:39 ID:HYBwd7QNQs
【ヤゲロー朝成立】ヤゲローは 勇[13]んで結婚した野郎[86]だ
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006 2010/04/14(水) 22:32:23 ID:HYBwd7QNQs
【反ソ動乱】ポーラ[ポーランド]は半分[ハンガリー]ごろごろ[(19)56]で プラハの春[チェコ]はロハ[(19)68]じゃない
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007 2010/04/14(水) 22:33:47 ID:HYBwd7QNQs
【空想的社会主義者】空想は オーウェンさん[サン=シモン]と フーリエだ
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008 2010/04/15(木) 20:05:08 ID:CetrkZWb8M
【中世都市】
イタリアは、ヴィネツィア フィレンツェ ピサ ジェノヴァ、
ハンザ ハンブル[ハンブルグ] リューベック、
定期市ならシャンペン[シャンパーニュ]だ
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009 2010/04/15(木) 21:41:22 ID:CetrkZWb8M
【近代哲学の二潮流】
きのう[帰納法]、ベーコン[F.ベーコン]を経験[経験論]したら
円[演繹法]がでっかく[デカルト]合理的[合理論]
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010 2010/04/15(木) 21:43:33 ID:CetrkZWb8M
【唐までの農民反乱】陳勝秦末、赤眉は新、黄巾後漢で、唐黄巣
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011 2010/04/16(金) 21:01:30 ID:/8Be8HJpvQ
【中国画壇二潮流】王維を祖とする南宗画、李思訓祖となる北宗画
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012 2010/04/16(金) 21:03:57 ID:/8Be8HJpvQ
【儒学の返還】訓詁・朱子、陽明・考証・公羊学
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013 2010/04/16(金) 21:06:43 ID:/8Be8HJpvQ
【西安とその周辺を都とする王朝】西周・鎬京 秦・咸陽、前漢・長安 隋・大興、唐の都も長安だ
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014 2010/04/17(土) 21:00:50 ID:oQqaggIR.s
【北方民族】
スキタイ 匈奴 鮮卑族
柔然 突厥 ウィグル族
契丹 女真 モンゴル族
オイラート タタール 満州族
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015 2010/04/17(土) 21:01:09 ID:oQqaggIR.s
【朝鮮王朝】箕子 衛氏、四郡 三国 新[新羅] 高[高麗] 李[李氏朝鮮]
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016 2010/04/17(土) 21:01:24 ID:oQqaggIR.s
【文字の歴史】フェニキア文字はヨーロッパ、アラム文字はアジアへ
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017 2010/04/18(日) 20:55:46 ID:ExQZlhrt3M
【東西文化の交流】草原の道はスキタイ、絹の道[オアシス]はソグド、海の道はアラブ人
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018 2010/04/18(日) 20:56:06 ID:ExQZlhrt3M
【ソグディアナ】イラン系ソグド人・サマルカンド・ソグド文字東伝
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019 2010/04/18(日) 20:56:25 ID:ExQZlhrt3M
【オスマン・トルコ史】スマイレン一世は、ウィーン[第一次]を包囲し、プレウェザ[海戦]で勝利
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020 2010/04/18(日) 22:43:47 ID:ExQZlhrt3M
【インドの古代王朝】マガダ マウルヤ アーンドラ[サータヴァーハナ朝]、クシャーナ グプタ ヴァルダナ朝
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021 2010/04/18(日) 22:43:58 ID:ExQZlhrt3M
【アフリカ史】黒人王国は、クシュ・アクスム・モノモタパ、ガーナ・マリ・ソンガイ
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022 2010/04/18(日) 22:44:15 ID:ExQZlhrt3M
【古代エジプト】
古王朝はメネス・クフ、中王国はヒクソスで、
新王朝はアメン[アメンホテップ四世]とラメス[ラメス二世]
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023 2010/04/19(月) 21:23:51 ID:yCGCd/0FUs
【古代オリエント世界】アラム→内陸貿易、フェニキア→海上貿易、文字の普及に貢献
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024 2010/04/19(月) 21:24:22 ID:yCGCd/0FUs
【アテネの民主政】
ドラ[ドラコン]をソロンとペイ[ペイシストラトス]すれば、
オストラ[オストラシズム]クレ[クレイステネス]て民主ペリクレ[ペリクレス]
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025 2010/04/19(月) 21:24:43 ID:yCGCd/0FUs
【ヘレニズム三王朝】セレウコス朝・プトレマイオス朝・アンティゴノス朝
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026 2010/04/20(火) 20:52:06 ID:R6bUmr3sxU
【三頭政治】
カエサルが ポン[ポンペイウス]クラ[クラッスス]で、
オクタヴィアヌスはアント[アントニウス]レピ[レピドゥス]
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027 2010/04/20(火) 20:52:25 ID:R6bUmr3sxU
【五賢帝】
寝る[ネルヴァ]虎[トラヤヌス]は[ハドリアヌス]、
安[アントニヌス]心して背[ピウス]を丸くす[マルクス=アウレリウス=アントニヌス]る
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028 2010/04/20(火) 20:52:38 ID:R6bUmr3sxU
【万物の根源】
水はタレ[タレース]、数はピタ[ピタゴラス]りときまれども、
火はヘラクレ[ヘラクレイトス]て原子デモクリ[デモクリトス]
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029 2010/04/20(火) 23:23:10 ID:R6bUmr3sxU
【ゲルマン民族大移動】皆ゴ[375]メンねと移り行き
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030 2010/04/20(火) 23:23:18 ID:R6bUmr3sxU
【中世国家】ヴェルダン条約はし三[843]本、メルセン条約国離れ[870]
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031 2010/04/20(火) 23:23:28 ID:R6bUmr3sxU
【ノルマンの建国】ノヴゴロド・キエフ、ノルマンディ、両シチリア
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032 2010/04/21(水) 17:32:14 ID:hickanSAz6
033 2010/04/21(水) 22:18:51 ID:B9XoXNG.eE
【ビザンツ帝国と西欧の封建制】ビサンツ帝国は、七世紀屯田兵制・軍管区制[テマ]→十一世紀プロノイア制
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034 2010/04/21(水) 22:19:01 ID:B9XoXNG.eE
【十字軍】十字軍、第一回はイェルサレム王国、第四回はラテン帝国
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035 2010/04/21(水) 22:19:10 ID:B9XoXNG.eE
【遠隔地商業】ハンザ同盟は北欧商業圏、ロンバルディア同盟は地中海商業圏
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036 2010/04/22(木) 17:57:08 ID:XXc0PBfr1Y
032 (2010/04/21(水) 17:32:14 ID:hickanSAz6)
削除
ここでも削除されてる・・・
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037 2010/04/22(木) 22:12:57 ID:6ZHy.Jwxy2
【中世の大学】医学のサレルノ最も古く、神学パリと法のボロニャ
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038 2010/04/22(木) 22:13:09 ID:6ZHy.Jwxy2
【諸子百家】孔[孔子]・孟[孟子]・荀子、老[老子]・荘子、商[商鞅]・韓[韓非]・鄒[鄒衍]・墨[墨子]、蘇[蘇秦]・張[張儀]・孫[孫子]・呉子
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039 2010/04/22(木) 22:13:21 ID:6ZHy.Jwxy2
【秦・漢統一帝国の出現】周(封建制)→秦(郡県制)→漢初(郡国制)→呉楚七国の乱後(中央集権確立)
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040 2010/04/23(金) 22:03:52 ID:f.zkZ1rkC.
【六朝】呉[三国]・東晋、宋・斉・梁・陳[南朝四王朝]
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041 2010/04/23(金) 22:04:05 ID:f.zkZ1rkC.
【唐制】山六[三省]・都護府・科挙・節度、律令・均田・租庸調、両税法に府兵と募兵
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042 2010/04/23(金) 22:04:20 ID:f.zkZ1rkC.
【唐の諸制度】安史の乱[755〜763]で唐は衰退→佃戸制・両税法・募兵制に変化
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043 2010/04/23(金) 23:41:20 ID:f.zkZ1rkC.
【宋の文治主義と遼・金】宋学は、まず周敦頣、二程[程駰・程頣]朱熹、陸九淵は陽明の先駆
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044 2010/04/23(金) 23:41:35 ID:f.zkZ1rkC.
【元と四ハン国の首都】
大元 大都 イルたぶり[タブリーズ]、
オゴ[オゴタイ] えみ[エミール] チャガ[チャガタイ] ある[アルマリク] キプ[キプチャク] さらい[サライ]
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045 2010/04/23(金) 23:41:51 ID:f.zkZ1rkC.
【明の成立】勇むや[1368]明の洪武帝
【明の滅亡】疲労由[1644]なし明滅び
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046 2010/04/24(土) 22:02:01 ID:htzeZgAA6.
【明清の小説】
明代は、西[西遊記]・金[金瓶梅]・水[水滸伝]・三[三国志演義]
清代は、紅[紅楼夢]・聊[聊斎志異]・儒林[儒林外史]
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047 2010/04/24(土) 22:02:16 ID:htzeZgAA6.
【四種姓:ヴァルナ】
バラモン(僧侶)・クシャトリヤ(武士・貴族)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(賤民)
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048 2010/04/24(土) 22:02:35 ID:htzeZgAA6.
【仏教の成立・伝播】
上座部仏教→個人の解脱、大乗仏教→菩薩信仰と衆生救済
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049 2010/04/24(土) 23:02:38 ID:htzeZgAA6.
【二大遺跡】ジャワのボロブドゥールとカンボジアのアンコール・ワット
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050 2010/04/24(土) 23:02:53 ID:htzeZgAA6.
【首都の変遷】
エクバタナ[メディア]→スサ・ペルセポリス[アケメネス朝]→クテシフォン[パルティア・ササン朝]
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051 2010/04/24(土) 23:03:01 ID:htzeZgAA6.
【イスラム王朝の盛衰】
ムハンマド、正統[正統カリフ時代]・ウマイヤ・アッバース朝、スペイン・後ウマ[後ウマイヤ朝]、エジプト・ファーティマ
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052 2010/04/25(日) 21:59:42 ID:uRaBLQVVE2
【イスラム世界の展開と文化】
イスラム教→アッラーへの絶対帰依、聖職者無し、偶像崇拝禁止
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053 2010/04/25(日) 21:59:55 ID:uRaBLQVVE2
【デリー・スルタン朝】
デリーから、ド[奴隷]ハ[ハルジー]っと[トゥグルク]去[サイイド]ろ[ロディー]う スルタン朝
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054 2010/04/25(日) 22:00:11 ID:uRaBLQVVE2
【イスラム専制王朝】
オスマン・トルコはスンナ派、サファヴィーはシーア派で対立
イブン→シーナーとルシュドは医学と哲学、ハルドゥーン史学で、バットゥータ旅行
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055 2010/04/26(月) 22:09:02 ID:k838F7EFvc
【三大人文主義者と三大芸術家】
ダンテ[ダンテ]神曲 ペト[ペトラルカ]抒情、ボッカ[ボッカチオ] デカメロ レオ[レオナルド・ダ・ヴィンチ] ミケ[ミケランジェロ] ラ[ラファエロ]
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056 2010/04/26(月) 22:10:04 ID:k838F7EFvc
【探検者】ディアス ガマ、コロ[コロンブス]んで、アメ[アメリゴ]がマゼ[マゼラン]かえる
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057 2010/04/26(月) 22:10:24 ID:k838F7EFvc
【宗教改革】ルターは「一語『否』」[1517]という
※ 同年代;マムルーク朝滅亡
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058 2010/04/27(火) 22:25:10 ID:ylupRrEQMI
【首長令・イエズス会】以後見よ[1534]、国教会とイエズス会
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059 2010/04/27(火) 22:25:30 ID:ylupRrEQMI
【欧州諸国の盛衰】
ブルボン朝、アンリとシャルルの間にルイ並ぶ
→ アンリ4世・ルイ(13、14、15、16、18世)・シャルル10世
啓蒙君主は、フリー[フリードリヒ二世]で、エカチェ[エカチェリーナ二世] ヨーゼ[ヨーゼフ二世]
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060 2010/04/27(火) 22:25:42 ID:ylupRrEQMI
【イギリス革命と憲政の発達】
ステュアート朝、ジェームズの間にチャールズ[ジェームズ1世、チャールズ1世、チャールズ2世、ジェームズ2世]がおり、
ウィリアムさん[ウィリアム3世]とメアリ夫[メアリ2世]婦で安[アン]泰だ
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061 2010/04/27(火) 22:48:09 ID:ylupRrEQMI
【植民地戦争】
ファルツ[ファルツ継承] ウィ[ウィリアム王]、スペイン[スペイン継承] アン[アン女王]で
オー[オーストリア継承] ジョージ[ジョージ王]、七年[七年戦争]間は フレ・イン[フレンチ・インディアン]だ
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062 2010/04/27(火) 22:48:31 ID:ylupRrEQMI
【バロックとロココの世界】
自然法、国際法がグロティアス、契約説はホッブスとロック
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063 2010/04/27(火) 22:48:42 ID:ylupRrEQMI
【アメリカ独立三人男】わし[ワシントン]の ぜ[ジェファソン]には フラン[フランクリン]だ
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064 2010/04/28(水) 22:59:38 ID:1PGmDs8ucE
【フランス王朝】フランク カペー ヴァロワ朝、ブルボン 革命 共和政
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065 2010/04/28(水) 22:59:55 ID:1PGmDs8ucE
【十八世紀末以後フランスの政体変遷】
一共[第一共和制] 一帝[第一帝政] 復古[復古王朝] 七月[七月王政]、二共[第二共和政] 二帝[第二帝政]、三[第三] 四[第四]の五共[第五共和政]
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066 2010/04/28(水) 23:00:19 ID:1PGmDs8ucE
【機械の発明】ハーグ[ハーグリーヴス] ジェニー、アーク[アークライト] 水力 クロ[クロンプトン] ミュール、カートライトは力織機
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067 2010/04/29(木) 22:09:04 ID:cWJmqjBfPc
【反体制運動】ドイツ ブル[ブルシェンシャフト]、イタリア カルボ[カルボナリ]、ロシアはデカ[デカプリスト]
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068 2010/04/29(木) 22:09:24 ID:cWJmqjBfPc
【西漸運動】
ルイ[ルイジアナ]が 鼻にタコ[ノースダコタ]できて、風呂に入って、
ステキ[テキサス]なオレ[オレゴン]ンジを おニュー[ニューメキシコ]で借り[カリフォルニア]て、
「ようがす[ガスデン]」と言ったら、「あら好か[アラスカ]ん人だワイ[ハワイ]ね」と言われた
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069 2010/04/29(木) 22:09:44 ID:cWJmqjBfPc
【イタリア統一三人男】マッチ[マッティーニ] かぶ[カヴール]って ガリバル[ガリバルディ]だ
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070 2010/04/29(木) 23:17:45 ID:cWJmqjBfPc
【十九世紀以降のロシア皇帝[ツァーリ]】
アレク[アレクサンドル一世] ニコライ[一世]、アレ[アレクサンドル二世] アレ[三世] ニコライ[二世]
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071 2010/04/29(木) 23:17:56 ID:cWJmqjBfPc
【近代市民文化の成熟】十八世紀→理性の世紀、十九世紀→歴史[前半]と科学[後半]の世紀
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072 2010/04/29(木) 23:18:07 ID:cWJmqjBfPc
【ロシア南下】
エジプト[エジプト事件] ロンドン[ロンドン条約]、クリ[クリミア戦争]は パリ[パリ条約]、露土戦争がサンステ[サン・ステファノ条約]だ
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073 2010/04/29(木) 23:44:11 ID:cWJmqjBfPc
【露清間の条約】ネル[ネルチンスク条約] キャ[キャプタ条約] アイグン、北京 イリ
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074 2010/04/29(木) 23:44:19 ID:cWJmqjBfPc
【中国侵略の始まり】一夜指令[1840]でアヘンの戦い、人はごろ[1856]つきアロー号
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075 2010/04/29(木) 23:44:29 ID:cWJmqjBfPc
【太平天国鎮圧軍】常勝は、英のゴードン 郷勇は、ソー[曽国藩]の湘勇 リー[李鴻章]の淮勇
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076 2010/04/30(金) 04:06:27 ID:OHAJMGNqww
コテハンの荒らしが 現れたら
削除依頼から、連絡できます。
(2010/02/01(月)20:44:47 ID:F0yIVlELzg) ! ←このマークを押せば荒らし報告できます
とくに
Am9にジェイ=米押し達磨
は要注意で報告する事で、みなさんご協力をお願いします。
返信する
077 2010/04/30(金) 06:53:57 ID:GnTKBq0.aY
078 2010/04/30(金) 22:13:46 ID:gnBssrq8Bw
【十九世紀後半の欧米列強】
いっぱい食わ[1898]せた米西戦争
※ 同年代:ファショダ事件、中国分割開始、戊戌の変法[戊戌の政変]
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079 2010/04/30(金) 22:14:01 ID:gnBssrq8Bw
【ジョン・ヘイの門戸開放三原則】
ヘイは モン[門戸開放]キー[機会均等]の 領土[領土保全]だ
返信する
080 2010/04/30(金) 22:14:16 ID:gnBssrq8Bw
【中国の近代化運動】
太平→減満[減満興漢]、洋務→中体[中体西用]、戊戌→変法[変法自強]、義和団→扶清[扶清減洋]、孫文→三民[三民主義]
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081 2010/05/01(土) 00:24:49 ID:iAIrUoZFw6
明和でもっともウザいコテNo.1おめでとう(笑
返信する
082 2010/05/01(土) 22:05:17 ID:FXuZf.xHuk
【インド民族運動】スワラージ 自治[自治獲得]、スワデーシー しなもの[国産品愛用]
返信する
083 2010/05/01(土) 22:05:43 ID:FXuZf.xHuk
【国際対立】
三国は、同盟 協商 三都市は、3B 3C パンはスラ[パン・スラヴ主義] ゲル[パン・ゲルマン主義]
返信する
084 2010/05/01(土) 22:05:57 ID:FXuZf.xHuk
【ソヴィエト経済政策】
経済は、せんじ[戦時共産主義]てネッ[ネップ]すりゃ 五年[五カ年計画]で変わる
返信する
085 2010/05/01(土) 22:46:46 ID:FXuZf.xHuk
【賠償問題】どう[ドーズ案]や[ヤング案]ろう[ローザンヌ会議]か
返信する
086 2010/05/01(土) 22:46:57 ID:FXuZf.xHuk
【文学革命のリーダー】儒教思想、民主と科学で チン[陳独秀]コ[胡適]ロ[魯迅]リ[李大顇]ん
返信する
087 2010/05/01(土) 22:47:21 ID:FXuZf.xHuk
【中共の根拠地】毛沢東、西行[井崗山]して端金へ、長征して延安へ
返信する
088 2010/05/01(土) 23:15:17 ID:FXuZf.xHuk
【民族政党】インド 会議派[国民会議派] エジプト ワフド[ワフド党]、トルコ・インドネシアは国民党
返信する
089 2010/05/01(土) 23:15:55 ID:FXuZf.xHuk
【世界恐慌】十月の入浴[ニューヨーク]は、ひと苦ふた苦[1929]で 暗黒[暗黒の木曜日]だ
返信する
090 2010/05/01(土) 23:16:22 ID:FXuZf.xHuk
【恐慌対策】米はニュー[ニュー・ディール] 英はブロ[ブロック経済] 仏は人民[人民戦線]、日本と独伊は侵略で、ソ連邦は五カ年[五カ年計画]だ
返信する
091 2010/05/01(土) 23:24:29 ID:iElfqHbpEY
コテハンの荒らしが 現れたら
削除依頼から、連絡できます。
(2010/02/01(月)20:44:47 ID:F0yIVlELzg) ! ←このマークを押せば荒らし報告できます
とくに
Am9にジェイ=米押し達磨
は要注意で報告する事で、みなさんご協力をお願いします。
返信する
092 2010/05/01(土) 23:30:58 ID:FXuZf.xHuk
【ナチスの領域拡大】ザル[ザール]でライン[ラインラント]を押すと[オーストリア]ズデーン[ズデーデン]と転び、チエ子[チェコ]のお目々[メーテル]がポー[ポーランド]となる
返信する
093 2010/05/01(土) 23:31:11 ID:FXuZf.xHuk
【日本の侵略】31[1931]りゅう[柳条湖事件]は満州[満州事変]で、37[1937]ろこう[盧溝橋]は日中[日中戦争]だ
返信する
094 2010/05/01(土) 23:31:21 ID:FXuZf.xHuk
【世界大戦】二つの大戦とも東欧問題(第一次→バルカン問題、第二次→ポーランド問題)が発端
返信する
095 2010/05/02(日) 22:33:12 ID:L0AX5uDFTg
【首脳会談】傘ぶら[カサブランカ会談]さげて 帰ろう[カイロ会談]なんて[テヘラン会談] 野[ヤルタ会談]暮[ポツダム会談]なこと
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096 2010/05/02(日) 22:33:24 ID:L0AX5uDFTg
【冷戦開始】冷たい戦争 トル[トルーマン宣言]マ[マーシャル・プラン]コミン[コミンフォルム]、西欧連合[ブリュッセル条約]すれば ナトー[NATO]となる
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097 2010/05/02(日) 22:33:36 ID:L0AX5uDFTg
【東欧の結束】東欧は、経済 コメコン、軍事 ワルシャワ[WTO]
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098 2010/05/02(日) 23:09:01 ID:L0AX5uDFTg
【多極化する国際関係】
反ソ暴動→ポズナニ暴動[ポーランド1956年]・ブダペストの惨劇[ハンガリー1956年]・『プラハの春[チェコ1968年]』
ECSC[1952]・EEC[1958]・EURATOM統合[1958]→EC[1968]→拡大EC[1973]→十二カ国[1986]
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099 2010/05/02(日) 23:09:14 ID:L0AX5uDFTg
【第二次世界大戦以降のアメリカ歴代大統領】
ルーズなベルト[ルーズベルト]を取る[トルーマン]と
『あい[アイゼンハウアー]ついけねえ[ケネディ]』と
ジョン[ジョンソン]が憎[ニクソン]いほど[フォード]語[カーター]り、
例[レーガン]によってブツ[ブッシュ]ブツ言った
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100 2010/05/02(日) 23:09:27 ID:L0AX5uDFTg
【中華人民共和国成立】一苦四苦[1949]して人民中国
※ 同年代:NATO成立
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101 2010/05/03(月) 08:44:47 ID:pziHTkKcLk
コテハンの荒らしが 現れたら
削除依頼から、連絡できます。
(2010/02/01(月)20:44:47 ID:F0yIVlELzg) ! ←このマークを押せば荒らし報告できます
とくに
Am9にジェイ=米押し達磨
は要注意で報告する事で、みなさんご協力をお願いします。
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102 2010/05/03(月) 22:03:03 ID:cV0r6QajAY
【A・A会議】いくぞゴーゴー[1955]バンドンへ
※ 同年代:ワルシャワ条約機構
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103 2010/05/03(月) 22:03:22 ID:cV0r6QajAY
【英の二重外交】
いちご[(19)15年]フサ・マク[フサイン・マクマホン協定]、ひと名[(19)17年]でバルフォア[バルフォア宣言]、中[(19)16年]の密約サイ・ピコ[サイクス・ピコ協定]だ
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104 2010/05/03(月) 22:03:37 ID:cV0r6QajAY
【非同盟の指導者】血と[ティトー]縁[エンクルマ]で、ナセルならば、ネールたすかる[スカルノ]
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105 2010/05/04(火) 21:57:30 ID:ts9QpxmoDk
【不安と危機現代文化】
経済ケインズ 実存ヤスパ[ヤスパース] 歴史はシュペン[シュペングラー]で 没落[『西洋の没落』]だ
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106 2010/05/05(水) 21:56:16 ID:pYzuAiECtg
【ピレネーから向こうはアフリカだ】
スペイン史を概観すれば、そのユニークさに気付く。
約600年のローマの支配、約300年のゲルマンの支配、約800年のイスラムの支配。
ローマ・ゲルマン・イスラムの計三つの文化が融合せずに重層構造を成し、
特に、最後のイスラムが、その後のスペイン文化に色濃く反映している。
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107 2010/05/06(木) 22:11:57 ID:jPcfd5ai7U
【ポーランド;最盛期を形成したヤゲロー朝】
14〜15世紀、ヤゲロー朝はドイツ騎士団と対抗し、ハンガリー・チェコの王位を兼ね、『東欧の雄』と称される大国となった
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108 2010/05/07(金) 22:01:07 ID:A..j/9c6i6
【マヤ・アステカ及びインカの両文明とオリエント文明の共通点・相違点】
共通点:国王を頂点とする宗教的政治組織・大公共事業・階層的分業
相違点:トウモロコシ栽培を土台として農耕文明、牧畜や鉄器・車がなかった等
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109 2010/05/08(土) 21:59:02 ID:uKoB517GgQ
【19世紀前半のラテン・アメリカ諸国の独立の背景、末期以降の合衆国との関係】
前者では『米英の支援』、後者では『汎米主義』
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110 2010/05/09(日) 22:00:27 ID:2KZK4Ma3fM
【人権関係の重要文書】
イギリス憲政史上の三大文書(大憲章・権利の請願・権利の章典)、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言、1948年の世界人権宣言
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111 2010/05/10(月) 22:07:53 ID:aHPd0mwHgY
【女性参政権・労働者の権利獲得】
第一次世界大戦以降次々と実現されたワケだが、
総力戦としての大戦の性格上、各国は大衆の力に依存せざるを得ず、加えて、ロシア革命も影響した
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112 2010/05/11(火) 22:09:20 ID:91vHnsFE7M
【都市の性格(労働形態)遷移】
古代都市は政治都市、中世都市は商業都市、近代都市は工業都市
→ 市民は原則として、古代=農民、中世=商人及び手工業者、近代=産業資本家及び労働者
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113 2010/05/12(水) 22:02:27 ID:h43Ak8EAPQ
【近代哲学の二つの系譜】
イギリス経験論(ホップズ、ロック、ヒューム)、大陸合理論(スピノザ、ライプニッツ)
ドイツ観念論→唯物論、イギリス経験論→功利主義
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114 2010/05/13(木) 21:55:26 ID:j8ZjTawWR2
【キリスト教史】
古代(ローマ帝国期)〜中世(宗教改革以前)を教会(聖権)と国家(俗権)の関係で表すと…
帝国による弾圧 → 公認・教義の統一・国教化 → 教会と国家(国王)の提携発展 → 教会の優越 → 国家(国王)の優越
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115 2010/05/14(金) 22:04:53 ID:16A1c3jWRo
【永嘉の乱・靖康の変・土木の変】
周辺民族及び中国間のトラブル → 匈奴・金(女真)・オイラート部が中国王朝に与えた多大な影響
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116 2010/05/15(土) 22:03:00 ID:IIe8nzqVjU
【官吏登用制度】
前漢:武帝(郷挙里選)→魏:文帝(九品中正)→隋:文帝(科挙)→宋:太祖(科挙)
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117 2010/05/15(土) 23:47:06 ID:puz6dUnfm6
118 2010/05/16(日) 00:00:07 ID:FK0EQBBlNM
俺は「奈保子のオッパイ大好き!」じゃねーよ!俺は俺だよ!
_ ∩ _ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい! ( ゚∀゚)彡 おっぱい!
( ⊂彡 おっぱい! ( ⊂彡 おっぱい!
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し ⌒J .し ⌒J
ダダッダダッダッダ!
_ __ ∩ ∩ __ _
( ゚∀゚) 彡 ミ(゚∀゚ )
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(((_)☆ ☆(_)))
おっぱい!!
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(つ ノ (つ ノ
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おっおっお!おぱっ!おぱっ!おっぱぁぁぁい!
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119 2010/05/16(日) 22:00:58 ID:gk18M0kuGk
【仏教よりも道教】
太平道・五斗米道、寇謙之、全真教、正一教
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120 2010/05/17(月) 22:02:16 ID:EzHJzgzLk.
【文学史】
実学は「著作・作者」、文学は「漢文・唐詩・宋詞・元曲」
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121 2010/05/18(火) 17:51:42 ID:hYSJ1p5Ikw
CRACKER【前田のクラッカー】
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122 2010/05/18(火) 22:00:15 ID:GW1CzbI41o
【中国の各王朝】
周〜唐:黄河中流域の長安と洛陽を往復
五代・宋:黄河と大運河の接点である抃京(開封)
明:金陵(南京)
→ 穀倉地帯が、黄河中流域→黄河中下流域→長江流域と移るに従い、首都も移動
尚、元・清は、北方民族による建国故、各々の原住地に近い北京を首都とした
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123 2010/05/19(水) 00:42:33 ID:Dt1L9ks2W2
124 2010/05/19(水) 22:01:12 ID:.SVCOdd5LI
【中国の河川】
農業の灌漑はもとより、水運の大動脈で、河川に沿って多くの都市が存在
特に、黄河及び長江の流域が重要
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125 2010/05/20(木) 22:03:06 ID:iS95H1011.
【朝鮮の統一王朝】
新羅・高麗・李氏朝鮮の三王朝のみ
以前における経過は、衛氏朝鮮→武帝の朝鮮四郡設置→高句麗・百済・新羅の三国時代→新羅の統一
三王朝においては、骨品(制)・仏国寺・高麗版大蔵経・両班・訓民正音が重要
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126 2010/05/21(金) 22:06:17 ID:dRak6tvoQU
【文字の系譜】
ヒエログリフ→シナイ文字→フェニキア文字…/アラム文字…
フェニキア文字(アルファベット):東欧のロシア文字、西欧の現代諸文字の基本
ロシア文字の前身:キリル文字
ラテン文字の前身:エトルリア文字(未解読)
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127 2010/05/22(土) 22:00:17 ID:RBO77i2yMQ
【アラム文字が変化して生まれた文字】
西アジア:ヘブライ文字、ペルシア文字、アラビア文字
インド・東南アジア方面:ブラーフミー文字(南インド:タミール文字、大乗仏教時代:サンスクリット文字、チベット文字、東南アジア諸文字)
中央アジア・北アジア:突厥文字(中国北方民族における最初の民族文字)
ソグド文字→ウイグル文字→モンゴル文字→満州文字
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128 2010/05/23(日) 22:08:12 ID:oDsuisnUnY
【草原の道・オアシスの道・海の道】
草原の道:スキタイ文化・フン族・バドゥ・カルピエ
オアシスの道:彩陶文化・張騫・仏教とガンダーラ美術・甘英・鳩摩羅什・法顕(往路)・玄奘・製紙法
海の道:大秦王安敦・法顕(帰路)・義浄・マルコ=ポーロの帰路・鄭和の南海遠征
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129 2010/05/24(月) 22:04:09 ID:WElxlO5dfM
【ソグディアナ[中央アジア]は、東西の民族・文化交流の最重要地点】
中央アジアの変遷:
第一期:アケメネス朝〜アッバース朝[イスラム帝国]
第二期:アッバース朝分裂後、サーマン朝→カラ・ハン朝→セルジューク朝→ホラズム→カズナ朝→イル・ハン国→ティムール帝国
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130 2010/05/25(火) 22:01:29 ID:6xZAwLgpPA
【オスマン・トルコ史】
600余年の間、スルタンによる専制政治
バヤジット一世、メフメト二世、セリム一世、スレイマン一世、アブデュル・メジド一世、アブデュル・ハミト二世など
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131 2010/05/26(水) 22:18:19 ID:rrqMZ1SupA
【バラモン教・仏教・ヒンドゥー教・イスラム教】
バラモン教:アーリア人の侵入期
仏教:マウルヤ朝〜クシャーナ朝
ヒンドゥー教:グプタ朝
イスラム教:ガズナ朝の侵入期〜ムガル帝国
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132 2010/05/26(水) 23:55:06 ID:rrqMZ1SupA
【旧石器時代】
猿人類→原人類→旧人類→新人類
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133 2010/05/26(水) 23:55:16 ID:rrqMZ1SupA
【猿人類・原人類・旧人類・新人類】
猿人類:アウストラロピテクス群/直立歩行/礫石器
原人類:北京原人・ジャワ原人/火の使用/石核石器・剥片石器
旧人類:ネアンデルタール人/埋葬の習慣/種類増加・軽量化
新人類:クロマニョン人・周口店上胴人/弓矢の使用/骨角器・細石器
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134 2010/05/26(水) 23:55:26 ID:rrqMZ1SupA
【アテネの政治】
王政→貴族政治→財産政治→僭主政治→民主政治→衆愚政治
王政:集住→ポリス形成
貴族政治:貨幣経済→平民台頭
財産政治:ソロン
僭主政治:ペイシストラトス
民主政治:クレイステネス(オストラシズム)→ペルシア戦争→ペリクレス→ペロポネソス戦争
衆愚政治:ポリスの衰退
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135 2010/05/27(木) 21:57:37 ID:GZdkWA0bfA
【先史の世界】
旧石器時代;
獲得経済 … 狩猟(漁撈)と自然物の採集
新石器時代;
生産経済 … 食料生産革命 … 農耕と牧畜の開始
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136 2010/05/28(金) 22:04:46 ID:9ZsxujSuRM
【農耕の発展】
新石器時代;
乾地農法、略奪農法
金属器時代;
灌漑農法
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137 2010/05/29(土) 21:46:13 ID:cIpZPfbFI6
【エジプトはナイルの賜物】
ギリシア歴史家のヘロドトス著『歴史(ペルシア戦争史)』の中の言葉
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138 2010/05/30(日) 22:02:13 ID:DpbnaqkEps
【古代エジプト】
ヒクソス;
西アジア(セム系)の遊牧民族で、前2000年紀前半の印欧語族の移動に刺激されてエジプトに侵入 → 中王国を滅ぼす
アメンホテップ4世の改革;
原因;
ヒッタイトとの対抗上、エジプト新王国の中央集権をめざす
内容;
1.アモン・ラー中心の多神教をやめ、太陽神アトンの一神教とする
2.首都をテーベからアマルナに遷す → 写実的なアマルナ美術の成立
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139 2010/05/31(月) 22:14:38 ID:6fJJWwOYTw
【メソポタミア・シリア】
古代オリエントで活躍した3つの語族;
セム語族;
アッカド人、アムル人(古バビロニア王国のバビロン第1王朝)、フェニキア人、ヘブライ人、アラム人、カルデア人(新バビロニア王国)、アッシリア人
ハム語族;
古代エジプト人(古王国・中王国・新王国)
インド・ヨーロッパ語族;
ヒッタイト人、カッシート人(バビロン第3王朝)、ミタンニ人、リディア人、メディア人、ペルシア人(アケメネス朝ペルシア)、ギリシア人(ミケーネ文明)
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140 2010/05/31(月) 22:15:50 ID:6fJJWwOYTw
【表音文字】
内陸の中継貿易で活躍したアラム人、地中海貿易で活躍したフェニキア人が、ともにシナイ文字から作成
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141 2010/06/01(火) 22:05:05 ID:rVnq9ZvMrQ
【ミケーネ文明】
印欧系ギリシア人(第1波のイオニア人とアイオリス人)が築く
前12Cの民族移動(海の民族とドーリア人の移動=ギリシア人の第2波移動)で滅亡
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142 2010/06/01(火) 22:05:54 ID:rVnq9ZvMrQ
【海の民族】
前13C末〜前12Cに、トラキア・クレタ方面から、東地中海一帯に移動・侵入
→ ヒッタイトとミケーネ文明の滅亡、エジプト新王国の衰退
→ 地中海東岸のフェニキア人・アラム人・ヘブライ人(=セム系3民族)がヒッタイト・エジプト新王国両国の支配から解放されて繁栄
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143 2010/06/02(水) 00:32:40 ID:Vvd5wCilyM
あんだけ必死にあちこちに糞スレ立てて必死こいてんのに
聞いた事も無いようなコテにトップ奪われてる米押し達磨ってwww
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144 2010/06/02(水) 22:06:52 ID:MRBw/XSyyc
【ユダヤ教の特色】
1.唯一神ヤーヴェ(ヤハウェ)信仰
2.選民思想
3.救世主(メシア)待望
4.『旧約聖書』
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145 2010/06/03(木) 22:06:02 ID:uysTrX161Y
【ヘレニズム世界形成】
ペロポンネソス戦争→カイロネイアの戦い→アルベラの戦い→ディアドゴイ戦争
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146 2010/06/03(木) 23:54:25 ID:uysTrX161Y
【アテネの民主政治の形成過程】
前621:ドラコンの成文法
前594:ソロンの改革(財産政治と債務奴隷禁止)
前561:ペイシストラトスの政治(僭主政治)
前508:クレイステネスの改革(オストラシズムと新10部族制・500人会)
前500〜前449:ペルシア戦争(無産市民の参戦 → 参政権の要求)
前443〜前429:ペリクレス時代(直接民主政治の完成)
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147 2010/06/04(金) 00:09:57 ID:XNxcKIg9YA
148 2010/06/04(金) 07:31:58 ID:3FKY8VSszA
147 デュポン
どんどん埋めてしまえ!僕が許可するから!
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149 2010/06/04(金) 23:03:49 ID:P2G0zx3HZA
【ペルシア戦争】
第2回;
前490:マラトンの戦い
第3回;
前480:テルモピレーの戦い・サラミスの海戦
前479:プラタイアの戦い
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150 2010/06/04(金) 23:04:25 ID:P2G0zx3HZA
【スパルタの特色】
1.ドーリア人が先住民を征服して成立
2.2人の王・少数完全市民・ペリオイコイ・ヘロットで構成
3.リュクルゴス制度(多数のヘロットを支配する為)
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151 2010/06/05(土) 23:06:02 ID:PraL8t22tE
だから立てすぎって、いくつスレ立てたら気が済むのか
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152 2010/06/05(土) 23:12:46 ID:1eRmjZz6fE
【ヘレニズム文化 1】
マケドニアの王フィリッポス2世はペルシアを討つ為に戦争を決意するが、宮廷内の陰謀により暗殺され、息子のアレクサンドロスがペルシア遠征に着手。
わずか10年でギリシア、エジプトからインド西部にまたがる大帝国を建設。
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153 2010/06/05(土) 23:24:07 ID:1eRmjZz6fE
【ヘレニズム文化 2】
前331年、ペルシア王ダレイオス3世は、ガウガメラ(アルベラ)の戦いで決定的な敗北を被り逃亡するが臣下に暗殺され、結果、ペルシア帝国は滅びた。
アレクサンドロスの死後、部将の間に争いが起こり、帝国はマケドニア、シリアのセレウコス朝、エジプトのプトレマイオス朝の3王国に分裂した。
これら3つの王国は前1世紀までにローマに征服されたが、それまでの約300年間がヘレニズム時代と呼ばれる。
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154 2010/06/06(日) 13:15:21 ID:i4GZax/cmY
155 2010/06/06(日) 13:15:42 ID:i4GZax/cmY
156 2010/06/06(日) 13:15:51 ID:i4GZax/cmY
157 2010/06/06(日) 22:03:50 ID:oGermoKouc
【ヘレニズム文化 3】
前3世紀の半ば、アム川上流のギリシア人が独立してバクトリアを建てると、カスピ海東南にいた遊牧イラン人がパルティアを建国。
やがて、領地を広げ、西方のティグリス・ユーフラテス川流域を確保し、軍事基地であったクテシフォンが後に首都となった。
東西交易路である絹の道(シルクロード)を支配し、ここを通る物資に関税を課す事により財源を得て繁栄を齎した。
しかし、前1世紀の半ば以降、メソポタミア等の支配をめぐって西方のローマと争う事となり、
国力が弱まった際にササン朝ペルシアによって滅ぼされた。
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158 2010/06/06(日) 22:04:12 ID:oGermoKouc
【ヘレニズム文化 4】
ササン朝の第2代の王シャープール1世は、東方ではクシャーナ朝を征服してインダス川流域に勢力をのばし、
また、西方ではローマ軍を撃退し、皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にする等、王国の基礎を固めた。
5世紀後半、中央アジアから遊牧民エフタルの侵入を受けて苦しむが、ホスロー1世が出るに及び最盛期を迎えた。
後に、突厥と結んでエフタルを滅ぼし、諸制度を改革して王権の強化をはかった。
しかし、ビザンティン帝国との争いが続き、次第に国力が衰え、7世紀半ば、アラブ人の征服を受けて滅びた。
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159 2010/06/06(日) 22:57:47 ID:oGermoKouc
【共和政ローマ 1】
前6世紀、ローマはエトルリア人の王を追放し共和政を打ち立てたが、政治の実権を握る貴族と平等を求める平民との抗争が続いた。
自由農民が多数を占める平民は重装歩兵として国防を担っており、平民の権利の保護や参政権を求め、
ローマ最初の成文法である十二表法、前367年に制定されたリキニウス(セクスティウス)法、前287年に発布されたホルテンシウス法等により権利の拡大をはかった。
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160 2010/06/06(日) 23:28:19 ID:oGermoKouc
【共和政ローマ 2】
その後も、貴族と平民の民主化闘争が続いたが、協力して対外発展を努めた結果、対立が解消されていった。
前3世紀には全イタリアを支配し、さらに地中海の覇権をめぐってカルタゴと衝突し、前後3回に及ぶポエニ戦争を起こした。
その戦いに勝ち、カルタゴ領を手に入れ、また、ヘレニズム諸国も従え、ローマは地中海をとりまく大領土を築いた。
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161 2010/06/07(月) 05:52:07 ID:lx9LVArDyg
マッコイ斉藤の時みたいに、地道にアク禁依頼を出し続けよう!
みんなで協力すれば、きっと米押し達磨のアク禁も実現するはず。
こんなときこそ皆で結束しよう!
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162 2010/06/07(月) 22:04:35 ID:163uaZUnJQ
【共和政ローマ 3】
領土拡大によって、ローマには多数の奴隷と多くの富が齎された。
結果、土地の買い上げによる大土地所有者が現れ、奴隷を使用して大規模農業を行ったので、
中小農民は没落し、無産者となった。
また、奴隷達は非常に悲惨な境遇に置かれていたので、しばしば反乱を起こし、殊に、前1世紀中頃のスパルタクスの乱は、全イタリアに及んだ。
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163 2010/06/08(火) 22:06:46 ID:B7dEjc4q4U
【共和政ローマ 4】
これらの反乱を鎮定したのは、貧民を傭兵とした将軍達であったので、やがて、彼らの間で政権をとるものが出てきた。
ガリアを平定したカエサル、スパルタクスの乱を鎮圧した富豪クラッスス、海賊を討伐したポンペイウスによる第1回三頭政治がその例である。
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164 2010/06/08(火) 22:07:09 ID:B7dEjc4q4U
【共和政ローマ 5】
カエサルが暗殺されるとその後、カエサルの養子オクタヴィアヌス、カエサルの部下アントニウス及びレピドゥスによる第2回三頭政治が行われたが、
エジプトの女王クレオパトラと組んだアントニウスを前31年のアクティウムの海戦で破ったオクタヴィアヌスが第一人者となった。
彼は元老院より尊厳者の称号と多大の権力を与えられ、ローマの実権を握った。
これにより、ローマは事実上、共和政から帝政に移行した。
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165 2010/06/09(水) 22:09:57 ID:LNMRnNkaQY
【ローマ共和制発展の経緯】
前450頃:十二表法
前367:リキニウス法
前287:ホルテンシウス法
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166 2010/06/09(水) 22:10:35 ID:LNMRnNkaQY
【共和制ローマの対外関係】
前半(〜前287);
イタリア半島征服期(前272年ギリシア人の都市タレントゥム征服で完成)
後半(〜前27);
地中海世界征服期(前30年プトレマイオス朝滅亡で完成)
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167 2010/06/10(木) 22:05:30 ID:RQTuRmZ.Gc
【ポエニ戦争】
第1回(前264〜前241);
シチリア島の属州化
第2回(前218〜前201);
前216年カンネーの戦い(ハンニバル優勢)
前202年ザマの戦い(大スキピオ優勢)
第3回(前149〜前146);
カルタゴ属州化
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168 2010/06/10(木) 22:05:50 ID:RQTuRmZ.Gc
【ローマの歴史書】
1. ヴェルギリウス著『アエネイス』(建国・発展の叙事詩)
2. ポリビオス著『ローマ史』(政体循環史観)→著者は大スキピオに好遇された
3. リヴィウス著『ローマ建国史』(アウグストゥス時代までのローマ史)
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169 2010/06/11(金) 22:09:07 ID:V2Tz0JdIVw
【帝政ローマ 1】
近代歴史学の祖ランケが「一切の古代史は、いわば一つの湖に注ぐ流れとなってローマ史の中に注ぎ、近世史の全体は、ローマ史の中から再び流れ出る」と言うように、
古代ローマは地中海地方の先行諸文明を吸収し、また、『ローマ法大全』をはじめ、多くの遺産を後世に残した。
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170 2010/06/12(土) 22:06:12 ID:6xZAwLgpPA
【帝政ローマ 2】
ローマがカルタゴを滅ぼし、東地中海にも勢力を確立して地中海を事実上の内海としたのは、前2世紀半ばであった。
帝政期に入り五賢帝時代になると、ローマは最盛期に達し、2世紀初頭には領土も最大となった。
「ローマの平和」のもと、各地で都市が繁栄し、ギリシア・ローマの文化を帝国全体に浸透させるのに貢献した。
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171 2010/06/13(日) 22:11:00 ID:9FStBMEf2o
【帝政ローマ 3】
しかし、五賢帝の最後の皇帝の治下には繁栄に翳りが見え始めた。
3世紀に入ると、北方からのゲルマン人の侵入に加え、東方に新たに興った国との抗争が続き、
ウァレリアヌス帝はその国の王シャープール1世に捕えられて屈辱のうちに死んだ。
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172 2010/06/13(日) 22:11:17 ID:9FStBMEf2o
【帝政ローマ 4】
これらの対外的危機と相まって、帝国各地の軍隊は勝手に皇帝を立てて争い、ローマ帝国は混乱を極めた。
この危機は、ディオクレティアヌス帝(=四分統治)及びコンスタンティヌス帝(=東西統一)により収拾され、
ローマは専制君主制(ドミナートゥス)時代へと移行する。
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173 2010/06/14(月) 23:36:15 ID:MRBw/XSyyc
【帝政ローマ 5】
この時代のローマには、後の社会に繋がる重要な変化が色々と現れてくるが、その一つはローマ帝国のキリスト教化である。
コンスタンティヌス帝は、それまで迫害されていたキリスト教を公認及び保護した。
しかし、その結果、キリスト教会内部の教義をめぐる対立は、皇帝という世俗権力による正統性の承認を求めて激化した。
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174 2010/06/15(火) 22:07:56 ID:0YyuO32j9k
【帝政ローマ 6】
4世紀のキリスト教会を二分したアタナシウス派及びアリウス派の対立は、
381年コンスタンティノープルに召集された公会議で、アタナシウス派の勝利が最終的に確認されて結着した。
5世紀にはイエスの神性と人性を分離する一派が勢いを持ったが、431年エフェソス公会議で異端とされた。
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175 2010/06/16(水) 22:04:28 ID:Adid5gcZSs
【帝政ローマ 7】
ローマ帝国の東西分化と相まってキリスト教世界の東西分化の傾向も見え始め、やがて、西ローマ帝国の滅亡を経て、
西方ではローマ・カトリック教会の権威が確立していく事になった。
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176 2010/06/17(木) 22:05:19 ID:lRs.ekl4K2
【帝政の変遷】
前27:元首政の開始
後96:五賢帝時代開始(〜180)
235:軍人皇帝時代の開始(〜284)
284:専制君主制開始
375:ゲルマンの大移動開始
395:帝国の東西分裂
476:西ローマ帝国の滅亡
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177 2010/06/17(木) 22:05:38 ID:lRs.ekl4K2
【五賢帝】
1. ネルヴァ
2. トラヤヌス(ローマの領域最大)
3. ハドリアヌス
4. アントニヌス・ピウス
5. マルクス・アウレリウス・アントニヌス(「大秦王安敦」・哲人皇帝)
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178 2010/06/18(金) 22:06:11 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 1】
ユダヤ教の中には律法の形式にとらわれたパリサイ派の人達などが現れたが、イエスはこれを強く批判し、愛の教えを中心とする信仰を説いた。
彼の教えはユダヤ人のみならず、多くの人々の心を捉えるものであり、
使徒と呼ばれる弟子達の活動、特にパウロによる異邦人への伝道によってローマ帝国内にも広まった。
イエスの言行を記した福音書や使徒達の書簡などを集めた『新約聖書』は、『旧約聖書』とともに、キリスト教の聖典として用いられている。
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179 2010/06/18(金) 23:56:40 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 2】
3世紀のローマでは、帝国の統制下で迫害が強行されたが、キリスト教徒は増加の一途を辿った。
4世紀の初め、ディオクレティアヌス帝の大迫害の後、
313年にコンスタンティヌス帝はミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。
帝は325年にニケーア公会議を召集し、教義の統一をはかり、
キリストを神の子と認めるアタナシウスの説を正統と認め、キリストの神性を否定するアリウス派を異端とした。
こうして正統教義は、後に、三位一体説として確立した。
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180 2010/06/18(金) 23:56:53 ID:sbxZCEk152
【ローマ帝国・キリスト教 3】
64:ネロの迫害
303:ディオクレティアヌスの迫害
313:ミラノ勅令(公認)
325:ニケーア公会議(教義の統一;アタナシウスの三位一体説を正統、アリウス派を異端とする)
380:国教化
392:他教を禁止(国教化の完成)
432:エフェソス公会議(ネストリウス派を異端とする)
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181 2010/06/19(土) 22:11:58 ID:PkjAt4xqAE
【万物の根源】
タレース:水
アナクシマンドロス:ト・アペイロン(限界の無いもの)
ピタゴラス:数
ヘラクレイトス:火
アナクサゴラス:ヌース(理性)
デモクリトス:原子
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182 2010/06/19(土) 23:18:07 ID:PkjAt4xqAE
【ギリシアの文化 1】
紀元前およそ8世紀頃から、古代ギリシアでは文字で表現される文化が華々しく開花した。
まずフェニキアから入ってきた文字が基盤になってギリシア文字が創出され、このギリシア文字による傑作が生み出された。
ホメロスの『イリアス』・『オデュセイア』はともに一万数千行もの大叙事詩で、
前者はギリシア軍のトロヤ包囲戦を歌ったものであり、後者はトロヤ陥落後のイタカ王オデュセウスの苦節物語である。
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183 2010/06/19(土) 23:18:28 ID:PkjAt4xqAE
【ギリシアの文化 2】
その後、ギリシア文字のテーマならびに様式は多様化してゆく。
農民の農耕生活を歌ったヘシオドスの『労働と日々』は非常に健康的な内容であり、
神々の系譜を整理した『神統記』はギリシア人の自然観を見事に描いている。
ホメロスとヘシオドスの二人の作品の底流にはヒューマニズムが流れている。
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184 2010/06/20(日) 22:08:12 ID:ndTcUDcURM
【ギリシアの文化 3】
紀元前7世紀の半ば頃、都市国家の発達に伴い人間の感性が強調され、抒情詩が現れた。
レスボス島生まれの女流詩人サッフォーの乙女達を想う歌は有名である。
その頃、都市国家の市民達は屋外劇場で演劇を観るようになった。
元来、演劇は酒の神ディオニソスに捧げる祭りから発生したもので、
国家が事業主体となり、富裕な市民が資金を提供し、オリンピックのように作品が競演された。
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185 2010/06/20(日) 22:08:32 ID:ndTcUDcURM
【ギリシアの文化 4】
作品内容は主として英雄伝説で、
『アガメムノン』の作者アイスキュロス、
『オイディプス王』の作者ソフォクレス、
『アンドロマケ』の作者で最後の悲劇作者と称されるエウリピデスが有名である。
このような悲劇の他に市民の間で有力者を風刺する喜劇が現れた。
ペロポンネソス戦争に苦しむ女性を題材に採り上げたアリストファネスの『女の平和』は、その反戦思想で有名である。
しかし、その後、喜劇の一部は権力者から危険視されて抑圧され、衰退していった。
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186 2010/06/21(月) 22:02:32 ID:Y5racNYdpY
【ギリシアの文化 5】
歴史;
ヘロドトス:ペルシア戦争史・物語的
トゥキディデス:ペロポンネソス戦争史・批判的
叙事詩;
ホメロス
ヘシオドス
抒情詩;
サッフォー
アナクレオン
ピンダロス
三大悲劇詩人
アイスキュロス
ソフォクレス
エウリピデス
喜劇作家;
アリストファネス(著書『女の平和』)
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187 2010/06/21(月) 22:03:11 ID:Y5racNYdpY
【ローマの文化】
キケロ『義務論』;
著者は、共和政期ローマを代表する雄弁家で散文家。
また、アントニウスの命で暗殺されるまで政治家としても活躍。
カエサル『ガリア戦記』;
著者自身が指揮した征服戦争の記録。簡潔ながらも名文。
ヴェルギリウス『アエネイス』;
ローマ最大の叙事詩。第二のトロヤたるローマの建国を歌う。
リヴィウス『ローマ建国史』;
都市建設以来のローマ国民の事績を記述した歴史書。142巻中35巻が現存。
セネカ『幸福論』;
著者はストア派の哲学者で皇帝ネロの師であった。
ネロに自殺を強制された。
大プリニウス『博物誌』;
著者は自然科学者であり軍隊司令官。ヴェスヴィオス火山爆発時に殉職。
タキトゥス『ゲルマニア』;
ゲルマン人の風俗を紹介し、退廃したローマ人に道徳的な警告を与えたともいう。
アウグスティヌス『神の国(神国論)』;
壮大なキリスト教歴史哲学を展開。中世に重大な影響を与える。
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188 2010/06/22(火) 22:05:45 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 1】
近代ヨーロッパ諸国家が中世に起源をもつとすれば、その中世世界を新たに形成した民族の動向を知る事が必要となる。
ゲルマン民族については、ローマのカエサルやタキトゥスらの作品によって、古い時代の様子を知る事が出来、
本格的な大移動を開始する以前に、ローマ世界との接触があった事が判る。
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189 2010/06/22(火) 23:03:37 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 2】
当時、彼らは、国家の最高決議機関である民会をもっていたが、移動期に入ると次第にその機能は失われて王権が強まった。
大移動は、ヨーロッパの西南部からアフリカの北部に渡る広い地域に向かって行われ、それらの地域に相次いで国家が建設された。
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190 2010/06/22(火) 23:37:46 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 3】
ゲルマン民族の中で東ゴートは、テオドリックに率いられてイタリアに入り、5世紀末にオドアケルを倒して国を建て、ローマ文化を継承した。
しかし、6世紀にその国は、東ローマ帝国に滅ぼされ、その後、その国のかつての首都ラヴェンナには新しい文化が栄えた。
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191 2010/06/22(火) 23:38:09 ID:TKFzPLHW5o
【ゲルマン移動 4】
また、西ゴートは5世紀初めにイタリアに入り、抵抗をうける事なく首都ローマを掠奪し、
さらに、南下した後再び北上し、フランスにすすみ、後にはスペインにまで領土を拡大した。
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192 2010/06/23(水) 22:06:36 ID:ZuQc/4BHk6
【ゲルマン諸部族の動向;部族名/建国地/存続年代/征服国】
西ゴート/イベリア半島/415〜711/ウマイヤ朝
東ゴート/イタリア/493〜555/ビザンツ帝国
ヴァンダル/北アフリカ/429〜534/ビザンツ帝国
ブングルト/ガリア東南部/443〜534/フランク
フランク/ガリア北部/486〜843/分裂
アングル、サクソン/ブリタニア(イングランド)/5世紀半ば〜829/統一
ロンバルト/イタリア北部/568〜774/フランク
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193 2010/06/23(水) 22:06:58 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 1】
4世紀後半、東方から西進したフン族に圧迫されて、
ゲルマン人の移動はコロヌスの反乱などで混乱していた西ローマ帝国に集中して行われ、
各地にゲルマン諸族の国家が成立した。
こうした中で着実に拡張・発展して西ヨーロッパ世界形成の基礎をつくったのがフランク王国であった。
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194 2010/06/23(水) 23:24:12 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 2】
特に、8世紀半ばに出たピピンの子カール大帝は四方に遠征し、
西ヨーロッパ主要部の殆どを領土とする強国を築きあげるとともに中央集権化をすすめた。
彼はまた、ヨーロッパ各地からアルクィンなどの学者や文人を招き学芸の復興につとめた。
800年、ローマ教皇レオ3世はカールにローマ皇帝の帝冠を授け、
カールはここにローマ帝国の理念を受け継ぐ西方の支配者となった。
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195 2010/06/23(水) 23:24:29 ID:ZuQc/4BHk6
【フランク王国とドイツ 3】
カール大帝の死後、フランク王国は、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって、東・西フランクとイタリアに3分された。
東フランク(=ドイツ)では、10世紀初めにカロリング王朝の血統が絶えると選挙王制が採られるようになった。
こうして王位に就いたザクセン公のオットー1世は、マジャール人を討って自己の地位を固め、
諸侯をおさえて教会と結び、さらに北イタリアに遠征してローマ教皇を助け、
962年、教皇から神聖ローマ皇帝としての帝冠を授けられ、ローマ教会の権威と結びつく事となった。
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196 2010/06/24(木) 22:09:17 ID:g4Wi59DGvw
【フランク王国とドイツ 4】
その後の神聖ローマ皇帝は、ローマ教会の保護を口実としてイタリア政策に力を注いだ。
12世紀後半に出た『赤髯王』ことフリードリヒ1世は、前後6回に及ぶイタリア遠征を展開してローマ教皇と対立し、
ゲルフと呼ばれる教皇を支持する党派とギベリンと呼ばれる皇帝を支持する党派との党争を活発にした。
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197 2010/06/24(木) 22:09:46 ID:g4Wi59DGvw
【フランク王国とドイツ 5】
その後の皇帝もイタリア政策に専念した為にドイツでは諸侯が分立し、
13世紀半ばにシュタウフェン王朝が断絶すると約20年に渡り実質的に皇帝の存在しない大空位時代となった。
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198 2010/06/25(金) 22:19:51 ID:30fL.VfIsE
【フランク王国とドイツ 6】
1356年、ルクセンブルク朝のカール4世は金印勅書を出し、皇帝選出の際の混乱を防ぐ為に、聖俗7人の選帝侯に選挙権を限った。
これはまた諸侯の領邦内の主権の確立に繋がっていった。
このようにして、ドイツの分邦化が進みながらも神聖ローマ帝国は名目上1806年まで存続した。
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199 2010/06/26(土) 22:23:49 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 1】
古代ギリシア人にとってブリタニア(ブリテン)島は、青銅冶金に必要な原料の一つである錫の供給地でありながら、
前4世紀半ば以前に関して言えば、ヨーロッパ最果ての海のさらに向こうに浮かぶ島という程度のおぼろげな認識さえ、彼らギリシア人には乏しかった。
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200 2010/06/26(土) 22:24:10 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 2】
しかし、ローマ人と彼らは異なり、共和政末期になると、その支配をヨーロッパ北西部のガリア地方(現在のフランス)にまで拡大した為、
同地の属州支配を安定確立させる必要からこのブリタニア島に遠征する事を余儀なくされた。
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201 2010/06/26(土) 22:47:41 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 3】
このとき、ローマ軍は島民ブリトン人の激しい抵抗に遭ったが、
言葉の系統から言えば彼ら島民はガリア地方の住民と同種族のケルト人(現在、アイルランドの住民)に属していた。
帝政初期には同島の中・南部が属州としてローマ帝国の版図に組み込まれたが、帝国の衰退の過程の中で同島に対する支配は放棄され、
その後を受けて5世紀半ばからアングロ・サクソン人が新たな征服者として同島に侵入を開始した。
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202 2010/06/26(土) 22:48:01 ID:b4C9jNh4.2
【イギリス中世史 4】
彼らがローマ帝国旧領のイングランド地方に形成した部族国家群は淘汰と統合を重ね、ついに、七王国(ヘプターキー)と呼ばれる分立王国の体制が生まれた。
この間に、教皇グレゴリウス1世の派遣した使徒達の布教活動によりイングランドはローマ・カソリックのキリスト教圏に繋ぎとめられた。
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203 2010/06/27(日) 22:09:26 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 5】
9世紀前半には、イングランド統一王国がようやく現実しかかったものの、
その頃からイングランド各地は北海の勢力デーン人(ヴァイキング)による掠奪や侵略の脅威にさらされ、
11世紀前半には征服者カヌートがイングランド王を称して自らの王朝を同地に開く事態にまで至った。
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204 2010/06/27(日) 22:09:42 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 6】
同王の死によって地元系の王権の復古を見た。
ところが、イングランドの王位継承を主張したノルマンディー公ウィリアムは、
1066年にイングランドに侵入し、ヘースティングズの戦いで勝利をおさめ、
イングランドに王権の強い封建制度を導入した。
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205 2010/06/27(日) 23:39:02 ID:9f8uvXA27Y
【イギリス中世史 7】
このノルマン朝の後、アンジュー伯のヘンリ2世が王位についてプランタジネット朝を創始し、行政や裁判の制度を整えた。
次のジョン王は、フランス王フィリップ2世と争ってフランスにおける領土の多くを失い、
カンタベリ大司教の任命をめぐって教皇インノケンティウス3世と対立して破門され、
また、失政の為に貴族に反抗され、大憲章(マグナ・カルタ)を承認した。
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206 2010/06/28(月) 22:34:30 ID:NyBcech.fU
【イギリス中世史 8】
しかし、ジョンの子ヘンリ3世はそれを無視したので、シモン・ド・モンフォールを指揮者とする貴族の反乱を招き、
1265年には大貴族と高位聖職者の他に各州の騎士と各都市の代表者を加えた集会を召集した。これがイギリス議会の始まりとされている。
エドワード1世のとき模範議会が開かれ、14世紀には次第に形を整え、二院制の議会が確立した。
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207 2010/06/29(火) 22:13:13 ID:pvEupfW9ik
【イギリスの変遷】
1C:ローマの属州
449:アングロ・サクソン七王国成立
829:エグベルトの統一(イングランド王国成立)
9C:デーン人の侵入とアルフレッド大王の撃退
1016:カヌートの征服
1066:ウィリアム1世のノルマン朝成立
1154:プランタジネット朝成立
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208 2010/06/30(水) 22:39:32 ID:cbzyy3nogk
【イギリス身分制議会の成立】
1215:ジョン王、大憲章承認
1265:イギリス議会の成立(ヘンリ3世⇔シモン・ド・モンフォール)
1295:模範議会(エドワード1世)
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209 2010/06/30(水) 22:39:48 ID:cbzyy3nogk
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 1】
イスラム教徒は、8世紀初め、アフリカ北岸からジブラルタル海峡を渡って、
イベリア半島の西ゴート王国を征服、フランク軍とトゥール・ポアティエで戦い、
カール大帝もイスラム軍ピレネー山中で敗れた事があった(→『ローランの歌』)。
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210 2010/07/01(木) 22:08:16 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 2】
彼らはやがて、かつてローマ人で「われらの海」と称した地中海を支配したが、
最終的に南イタリアを支配したのはノルマン人であった(→両シチリア王国)。
ノルマン人は8世紀末から西欧の海岸や河川流域を襲い略奪を繰り返したが、
徐々に定住するようになった(→北仏のノルマンディー公国;ロロ)。
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211 2010/07/01(木) 22:08:29 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 3】
9世紀末、アングロ・サクソン人のウェセックス王国のアルフレッド大王は、
デーン人の侵入を撃退したが、11世紀前半にはデーン王カヌートが、
デンマーク、ノルウェー、イングランドに跨る海上帝国を建設した。
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212 2010/07/01(木) 23:38:07 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 4】
彼の死後30年ほど経って、ノルマンディー公ウィリアムにより、ノルマン征服が行われた。
また、ノルマン人は、東方では9世紀中頃ロシア(→ノヴゴロド)を、
北欧ではスウェーデン、ノルウェー、デンマークの3王国を建設するなど広範囲に渡り活躍した。
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213 2010/07/01(木) 23:38:20 ID:rj3.f1nXng
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 5】
ヨーロッパ内陸部では、9世紀末から10世紀中頃にマジャール人が、
ドイツ、イタリアに侵入し、やがて、ハンガリー王国を建国した。
彼らの侵入を防いだオットー1世は、10世紀中頃、侵入を終わらせ、神聖ローマ帝国を建てた。
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214 2010/07/02(金) 22:36:29 ID:qxXVXrZV26
【ノルマン&スラブ;第2次民族移動期 6】
同国はローマ皇帝理念をめぐってビザンツ帝国と対立し、
また、スラヴ系諸民族を刺激してベーメン、ポーランドの国家形成を促し、
彼らの間にローマ・カトリック教を広めた。
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215 2010/07/03(土) 22:15:32 ID:tYOMmBLRKQ
【ノルマン人の移動】
ロシア;
862:ノヴゴロド王国
882:キエフ公国 → 988:ウラディミル1世のギリシア正教改宗
フランス;
911:ロロのノルマンディー公国建国
イギリス;
1016:カヌートのイングランド征服 → 海上帝国建設
1066:ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服 → ノルマン朝の成立
地中海;
両シチリア王国の建国
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216 2010/07/04(日) 23:34:19 ID:hmggCWIe72
【スラヴ族 1】
ドニエプル川流域に住みついた東スラヴのロシア人は、
9世紀末、ノルマン人の支配の下にキエフ公国を建て、
10世紀末に出たウラディミル1世の時代にロシアの地をほぼ統一した。
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217 2010/07/05(月) 23:05:45 ID:6STRMSFugU
【スラヴ族 2】
13世紀、モンゴル人が南ロシアにキプチャク・ハン国を建てると、
東スラヴはその支配に服したが、15世紀にはモスクワ大公国が勢力を強め、
1480年、大公イヴァン3世はモンゴル人から独立し、自らツァーと称した。
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218 2010/07/05(月) 23:06:00 ID:6STRMSFugU
【スラヴ族 3】
西スラヴは、ヴィスワ川からエルベ川までの流域に広がった。
ポーランド人は、10世紀に王国を形成し、
その後、モンゴル人の侵入(→1241年・ワールシュタットの戦い)や、
ドイツ人の東方植民(→バルト海沿岸;ドイツ騎士団)などの外圧に苦しんだ。
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219 2010/07/06(火) 22:22:18 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 4】
しかし、14世紀末、リトアニア大公国と連合し、
ヤゲロー朝の下で15〜16世紀に全盛期を迎えた。
また、チェック人が10世紀に建てた国家は、
神聖ローマ帝国に属して12世紀にボヘミア(ベーメン)王国となり(→金印勅書)、
14世紀初頭からはドイツ人の王によって統治された。
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220 2010/07/06(火) 22:22:28 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 5】
ドナウ川流域とバルカン半島に進出した南スラヴは、
東ローマ帝国の支配を受けたが、そのうちのセルビア人は12世紀に独立し、
14世紀前半にはバルカン北部を統一した。
尚、セルビア人は、後に、第1次大戦勃発の直接的原因となった民族である。
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221 2010/07/06(火) 23:55:15 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ族 6】
また、アジア系のブルガール人も南スラヴに同化し、
7世紀及び12世紀の二度に渡り王国を建てた。
しかし、南スラヴ諸族は14世紀末以後、オスマン・トルコ帝国によって征服され、
以後長くその支配下に置かれた。
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222 2010/07/06(火) 23:55:29 ID:vPvgDNw.4Y
【スラヴ人】
東スラヴ:ロシア人
西スラヴ:ポーランド人、リトアニア人、チェック人
南スラヴ:セルビア人、クロアティア人
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223 2010/07/07(水) 22:34:34 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 1】
東ローマ帝国は、6世紀のユスティニアヌス大帝の時代に、
アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国など、
ゲルマン人の建てた王国を滅ぼして領域を拡大した。
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224 2010/07/07(水) 22:34:47 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 2】
彼は『ローマ法大全』の編纂を行った事や、
首都コンスタンティノープルにセント・ソフィア聖堂を建設した事でも有名である。
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225 2010/07/07(水) 23:11:51 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 3】
しかし、彼の死後まもなく、東からササン朝ペルシアが東ローマ帝国を脅かし、
7世紀にはイスラム教徒によってシリアやエジプトを奪われるなどして、
帝国の領土は縮小された。
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226 2010/07/07(水) 23:12:03 ID:dlGfG5Ai5Y
【ビザンツ帝国 4】
また、北からは、スラヴ人の一部が帝国内に南下して定住した。
それでも東ローマ帝国は、9〜10世紀には安定した時代を迎え、
同時期の西ヨーロッパとは異なる独自の世界を展開した。
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227 2010/07/08(木) 22:56:06 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 5】
しかし、11世紀以降、東ローマ帝国の没落は決定的となった。
東からはセルジューク・トルコが侵入した。
また、西からは、十字軍が帝国内を通過した。
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228 2010/07/08(木) 22:56:33 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 6】
とりわけ13世紀には、第4回十字軍が首都を占領してラテン帝国を建国し、
東ローマ帝国を分裂させた。
結果、東ローマ帝国は、15世紀半ばにオスマン・トルコによって滅ぼされる事になる。
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229 2010/07/08(木) 22:56:48 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 7】
東ローマ帝国では、最初ラテン語が公用語とされたが、
やがて、ギリシア語がそれにとってかわり、
ギリシア文化を継承・保存するかたちで学問・文化が発達した。
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230 2010/07/08(木) 22:57:02 ID:NRyzMV6gzo
【ビザンツ帝国 8】
建築においては、円屋根とモザイク壁画を特徴とするビザンツ様式を生み出した。
宗教の点では、皇帝が教会を支配するという傾向が強かった。
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231 2010/07/09(金) 22:56:38 ID:GFYbmX4Vdo
【ビザンツ帝国 9】
8世紀前半には、聖像禁止令が出されたが、
これを契機として東西の教会が分裂し、
東ローマ帝国は東方教会として独自のギリシア正教を確立し、
これを東ヨーロッパ世界に伝える事になった。
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232 2010/07/10(土) 22:53:17 ID:zQlLJfu2x2
【ビザンツ帝国の皇帝と業績】
ユスティニアヌス(6世紀半ば);
1. ヴァンダル・東ゴートを滅ぼす
2. 『ローマ法大全』の編纂
3. セント・ソフィア聖堂の建設
ヘラクレイオス1世(7世紀前半);
1. 屯田兵制
2. 軍管区(テマ)制
レオン3世(8世紀前半);
1. ウマイヤ朝撃退
2. 聖像禁止令
アレクシオス1世(11〜12世紀);
1. プロノイア制(地方の有力者に軍事奉仕を条件に、一定の大土地所有を認め地方の支配を許す封建制の一形態)
2. 十字軍派遣を要請
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233 2010/07/11(日) 22:59:39 ID:MyIibQ17kY
【封建制・荘園制 1】
封建制度は、8世紀頃から古ゲルマン人の間で行われていた従士制と、
ローマ帝国末期にみられた恩貸地制とが結びついて成立したものであり、
法制上は、主君(貴族・僧侶・騎士)が臣下に対して封土を与え、
それに対して臣下が主君に忠誠を誓って軍役を主とする一定の義務を負担する…という、
主従関係が幾層にも成立した。
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234 2010/07/11(日) 22:59:52 ID:MyIibQ17kY
【封建制・荘園制 2】
この主従関係は、当初、一代限りのものであったが、
次第に世襲化されるとともに主君は領主となり、
その領内では裁判や課税について国王の役人の手が及ぶのを防ぐ不輸不入権を持つようになった。
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235 2010/07/12(月) 23:01:00 ID:G52JtgcOzc
【封建制・荘園制 3】
こうして、国王もいわば大領主の一人に過ぎず、
中世国家は近代的な中央集権国家とは決定的に異なっていた。
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236 2010/07/12(月) 23:01:13 ID:G52JtgcOzc
【封建制・荘園制 4】
封建社会を生産のあり方からみれば荘園制度が基礎となっている。
荘園の内部では、自由農民がまったく消滅したわけではないが、
農奴制が農民の一般的状態となった。
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237 2010/07/13(火) 22:45:38 ID:lZGNcopTP2
【封建制・荘園制 5】
農民は一定の日数、領主の直営地で働き(=賦役)、
自己の保有地の収穫物に対して一定の割合で課せられる年貢を納め(=貢納)、
人頭税、結婚許可税等々を支払い、教会には十分の一税を納めなければならなかった。
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238 2010/07/13(火) 22:45:52 ID:lZGNcopTP2
【封建制・荘園制 6】
さらに、彼らは、領主の裁判権や行政権によっても領主に隷属していた。
12〜13世紀頃、鉄製の有輪犂の利用が一般化し、三圃式(三圃制)農法が普及すると共に、
新しい集村の形成が促され、有力な大領主がこれを全体としてまとめて支配するようになった。
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239 2010/07/14(水) 23:04:32 ID:kILWHxVV8U
【十字軍の推移 1】
11〜13世紀、ヨーロッパ封建社会の絶頂期のエネルギーが対外的に発揮された活動が十字軍である。
その発端は、11世紀半ば、トルコ系遊牧民セルジューク族が進出し、
聖地イェルサレムを訪れるキリスト教徒巡礼者を脅かし、
また、東ローマ帝国に政治的圧力を加えてきた事による。
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240 2010/07/14(水) 23:04:46 ID:kILWHxVV8U
【十字軍の推移 2】
既に、1073年、教皇となったグレゴリウス7世は、異教徒に対する聖戦を意図していたが、
改革派として知られた彼は、その後に勃発した叙任権闘争(聖職叙任権問題)に忙殺され、
この志を果たす事はかなわなかった。
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241 2010/07/15(木) 23:08:13 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 3】
それを継承したのが、教皇ウルバヌス2世であった。
彼は、1095年、クレルモン公会議において十字軍の発動を力強く訴え、群衆の歓呼を受けた。
翌年、主としてフランス人及び南イタリアのノルマン人の諸侯・騎士を中心に編成された十字軍は、
パレスティナに遠征し、1099年に聖地を占領し、イェルサレム王国を建国する事に成功した。
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242 2010/07/15(木) 23:08:26 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 4】
しかし、封建国家体制が布(し)かれ、騎士団が設立されたが、
イスラム教徒側の反撃を阻止するには十分ではなかった。
そして、ついに、1187年、アイユーブ朝のサラディンにより、イェルサレム王国は陥落した。
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243 2010/07/15(木) 23:42:28 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 5】
12世紀末、ドイツ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世
によって起こされた第3回十字軍もみるべき成果なく終わっている。
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244 2010/07/15(木) 23:42:41 ID:mBCtEkFYoo
【十字軍の推移 6】
こうなると、十字軍を支えた宗教的情熱に代わり、世俗的動機が前面に押し出されてくる事になる。
その典型が、1202年に起こされた第4回十字軍で、
十字軍兵士は北イタリアの商都ヴェネツィアの要求を受け入れてコンスタンティノープルを占領し、
そこでラテン帝国を建国し、東方貿易の保護にあたった。
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245 2010/07/16(金) 22:54:52 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の推移 7】
十字軍は、1270年、フランス王ルイ9世の第7回十字軍を以って終りを告げる。
十字軍の齎した経済的文化的影響は大きかった。
たとえば、中世ヨーロッパがアリストテレス哲学や自然科学への目を開かれたのは、
アラビア人を通じての事であった。
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246 2010/07/16(金) 22:55:04 ID:gnBssrq8Bw
【十字軍の経過】
第1回(1096〜1099)
ウルバヌス2世、クレルモン公会議、イェルサレム王国
第3回(1189〜1192)
アイユーブ朝サラディンと対立、フリードリヒ1世、フィリップ2世、リチャード1世
第4回(1202〜1204)
インノケンティウス3世、ヴェネツィア商人、ラテン帝国
第7回(1270)
フランス王ルイ9世
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247 2010/07/16(金) 23:53:39 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 1】
中世ヨーロッパでは、封建社会が安定するに伴い、農業生産の増大を基礎として商業が発達し、
12〜13世紀頃には、幾つもの交通路と都市を結んだ遠隔地商業が展開されるようになった。
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248 2010/07/16(金) 23:53:51 ID:gnBssrq8Bw
【遠隔地商業 2】
これは、地中海商業圏と北欧商業圏及びそれらを結ぶ内陸商業圏から成立していたが、
イタリア商人は、アレクサンドリアやコンスタンティノープルで買い入れた東方の物産である、
香辛料・絹織物・染料をヨーロッパ市場に齎し、その見返りとして、銀・毛織物を輸出した。
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249 2010/07/17(土) 22:51:22 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 3】
一方、北ドイツ商人は、木材・海産物・毛皮・毛織物・穀物等を取引し、
14世紀には、リューベックを盟主とするハンザ同盟を結成して勢力を揮った。
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250 2010/07/17(土) 22:51:35 ID:zGvqOCtUV6
【遠隔地商業 4】
さらに、南北を結ぶ内陸商業では、シャンパーニュの大市が名高いが、
やがて登場した南ドイツ商人の活躍はめざましく、
宗教改革の歴史とかたく結びついて記憶されるアウグスブルクなどの都市が興隆し、
また、教皇や皇帝を動かすほどの力を持ったフッガー家のような世界的富豪がうまれた。
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251 2010/07/17(土) 23:47:00 ID:zGvqOCtUV6
【三大商業圏と都市】
地中海商業圏;
海港都市:ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピザ
内陸都市:フィレンツェ・ミラノ
北欧商業圏;
北ドイツ:リューベック・ハンブルク・ブレーメン
フランドル地方:ブリュージュ・ガン
内陸商業圏;
ルーアン・マルセイユ・ボルドー・リヨン・ケルン・マインツ・アウグスブルク・ニュルンベルク
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252 2010/07/17(土) 23:47:20 ID:zGvqOCtUV6
【二つの貿易】
1. 北海貿易:北欧商業圏、生活物資中心
2. 東方(レヴァント)貿易:地中海商業圏、贅沢品中心
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253 2010/07/18(日) 23:12:59 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 1】
百年戦争は、フランス王位の継承権を主張したイギリス王エドワード3世が、
フランスに攻撃を加えた事に端を発したが、
その背後には、両国の経済的利害が大きくからんでいた。
経済的先進地域としてフランドル地方が、両国争奪の目標であった。
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254 2010/07/18(日) 23:13:16 ID:bH8PITDjW6
【14〜15世紀のヨーロッパ 2】
この戦争は、イギリス側が攻勢をとって有利に展開していたが、
救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクの出現によって、フランス王シャルル7世は敗勢を挽回する事が出来た。
この戦争は特に農民を苦しめ、それが原因となり、
この両国に大きな農民反乱が起こり(=英:ワット・タイラーの乱、仏:ジャックリーの乱)、
両国の領主層に深刻な動揺を与えた。
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255 2010/07/19(月) 22:23:52 ID:HYu8Y2YTuo
【14〜15世紀のヨーロッパ 3】
ともあれ、この百年戦争自体は、1453年に一応の終結をみるが、
イギリスでは、この戦争の結末に不満を持った貴族達引き起こした内戦(=ばら戦争)により、
なおも戦乱の時代が続いた。
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256 2010/07/20(火) 23:05:08 ID:mi4He64VXs
【14〜15世紀のヨーロッパ 4】
他方ドイツでは、13世紀後半、シュタウフェン朝の断絶後、
神聖ローマ皇帝の居ないいわゆる大空位時代が出現した。
その後、14世紀になると、ルクセンブルク朝のカール4世が帝位に就き、
七大選帝侯を定めた金印勅書を発布し、
15世紀以後、神聖ローマ皇帝はハプスブルク家によって独占的に継承される事になったが、
諸侯の分立状態を解消するものではなかった。
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257 2010/07/21(水) 22:53:11 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 5】
いずれにせよ、この時代には、
ローマ教皇や神聖ローマ皇帝というかつての伝統的な権威は後退し、
その結果、ベーメンでは、フスによる先駆的な宗教改革運動に端を発し、
教会と領主に対する民衆の解放戦争が起こった。
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258 2010/07/21(水) 23:17:20 ID:/InZ04Naak
【14〜15世紀のヨーロッパ 6】
イタリアの場合も、ドイツと同様な分裂状態であった。
すなわち、南イタリアでは、シチリア王国やナポリ王国が諸国の干渉を受けて混乱を続け、
これに対して、北イタリアでは、多くの都市国家が栄えていた。
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259 2010/07/22(木) 23:09:50 ID:/40p4.PZPQ
【14〜15世紀のヨーロッパ 7】
それらの中で、たとえば、東地中海貿易で覇権を握ったヴェネツィア
毛織物生産と東方貿易で繁栄したトスカナ平野のフィレンツェ、
ヴィスコンティ家の専制的支配下におかれたミラノなどが代表的なものである。
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260 2010/07/23(金) 23:00:56 ID:WMNzFbR7zc
【14〜15世紀のヨーロッパ 8】
しかし、これらの都市国家においても、
都市相互間の、或いは都市内部の激しい党派的抗争が絶える事なく、
統一的発展の方向からはほど遠い状態であった。
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261 2010/07/23(金) 23:01:22 ID:WMNzFbR7zc
【百年戦争の影響】
1. 英仏の中央集権 → 英は、ばら戦争(1455〜1485)後、ヘンリ7世のチューダー朝成立
2. 農奴解放が始まる → 仏では、戦争による農奴の窮乏かつペストの流行
→ ジャックリーの乱 → 領主制の危機 → 安い農奴解放金で農奴を解放(=純粋荘園の崩壊)
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262 2010/07/24(土) 23:05:36 ID:PxN2vUykt6
【中世末の英・仏の農民反乱】
仏:ジャックリーの乱(1358)
英:ワット・タイラーの乱(1381)
→ジョン・ボールの演説『アダムが耕し、イヴが紡いだ時、誰が領主だったのか?』
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263 2010/07/25(日) 23:04:23 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 1】
5世紀末の国王クローヴィスのアタナシウス派改宗、
8世紀半ばの国王ピピンの教皇へのラヴェンナ地方寄進、
そして、8世紀末のカール1世の教皇レオ3世による「ローマ皇帝」戴冠で、
ローマ・カトリック教会は、フランク王国と提携して発展した。
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264 2010/07/25(日) 23:04:38 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 2】
そして、教会は、広大な所領を経営する封建領主として世俗権力をも握ったが、
一方で、聖職者の腐敗・堕落を招く事にもなり、聖職売買などの弊害が目立つようになった。
修道院もまた、教会と同様の道を辿り、民衆からかけ離れた存在となった。
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265 2010/07/25(日) 23:49:11 ID:/aa9PMw1xk
【中世のキリスト教 3】
この為、これを刷新しようとして、10世紀より修道院改革運動が起こった。
また、粛正運動の精神を受けて、11世紀後半、教皇グレゴリウス7世は、「グレゴリウス改革」を推進し、
世俗君主の聖職叙任・聖職売買・聖職者の妻帯を禁止した。
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266 2010/07/26(月) 23:25:51 ID://oGDA4sKg
【中世のキリスト教 4】
この為、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世は、自らの教会政策を脅かすものとして、
これに激しく反対し、教皇の廃位を宣言したが、結局、カノッサで教皇に屈服した。
その後、ウォルムス協約が結ばれ、この聖職叙任権闘争と呼ばれる争いは一応終結した。
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267 2010/07/27(火) 23:08:06 ID:D38Nie0xgE
【中世のキリスト教 5】
こうした動きは、民衆的な宗教運動の中にも見る事が出来る。
10世紀末、南フランスで、司祭や修道士が民衆の間に入り込み、
公共秩序の確立を目指した「神の平和」運動が生まれた。
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268 2010/07/28(水) 23:13:00 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 6】
12世紀半ば、東方に起源を持つ異端のカタリ派が西欧に姿を現し、
12世紀後半には、十字軍以来急速に発達したイタリアやフランス等の都市を中心に、
ローマ教会の教義から見て異端とされる民衆の信仰運動が発達した。
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269 2010/07/28(水) 23:13:15 ID:rmsnHoBOoE
【中世のキリスト教 7】
フランス南東部ローヌ河谷の中心リヨンの裕福な商人ワルドは、
財産を慈善事業に投じ、清貧を誓う民衆の信仰団体を作った。
このワルド派は、「リヨンの貧者」とも呼ばれる。
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270 2010/07/29(木) 23:11:41 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 8】
当初、ローマ教会は、これを賞賛したが、
この派が聖書主義等を強調し、教会機構や伝統に対して批判的になるに及び、
異端と宣言した。
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271 2010/07/29(木) 23:12:00 ID:ZuQc/4BHk6
【中世のキリスト教 9】
その後、1303年のアナーニ事件、1309年からの「教皇バビロン捕囚」、
さらに、1378年からの教会大分裂(=シスマ)等…教皇権が衰えるにつれて、
14世紀後半、イギリスのウィクリフやボヘミアのフス等による、
教会の世俗化や教義への批判の動きが見られたが、
これは、16世紀の宗教改革の先駆けとなるものであった。
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272 2010/07/30(金) 23:04:57 ID:j7ul1bOE/s
【中世キリスト教会と国家の関係】
1. 提携期
496年:クローヴィスの改宗
726年:聖像禁止令
754年:ピピンの教皇領寄進
800年:カールの戴冠
962年:オットーの戴冠
1054年:東西教会分裂
2. 教会優越期
1077年:カノッサの屈辱
1095年:クレルモン公会議
1122年:ウォルムス協約
1202年:第4回十字軍(インノケンティウス3世)
3. 国王優越期
1303年:アナーニ事件
1309年:教皇のバビロン捕囚(〜1377年)
1378年:教会大分裂(〜1417年)
1414年:コンスタンツ公会議
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273 2010/07/31(土) 23:15:11 ID:oDsuisnUnY
【中世の文化 1】
11〜12世紀頃よりヨーロッパ各地に大学がつくられた。
南イタリアでは医学で有名なサレル大学、北イタリアの法学で有名なボロニャ大学、
神学研究で名高いイギリス最初の大学オックスフォード大学等がある。
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274 2011/01/01(土) 19:29:59 ID:DU9FpZW4WI
275 2011/01/05(水) 15:18:42 ID:/2csUQscsI
276 2011/01/12(水) 14:11:01 ID:iTp8GYQStE
277 2011/01/15(土) 15:21:30 ID:zXjjfZ2JYg
278 2011/02/05(土) 12:57:14 ID:/aa9PMw1xk
279 2011/02/10(木) 11:30:51 ID:wmYDBXsLvg
280 2011/02/10(木) 11:32:02 ID:wmYDBXsLvg
281 2011/03/23(水) 09:20:56 ID:wUt74ztioc
282 2011/03/23(水) 09:21:04 ID:wUt74ztioc
283 2011/03/23(水) 09:21:12 ID:wUt74ztioc
284 2012/03/13(火) 19:13:34 ID:vq7TlaWPTo
285 2012/12/03(月) 18:08:05 ID:HK5/GDah46
こちらも日本史同様に几帳面な書き込み。
それにしても、世界史っていうのは、何でこんな名前なのか?と思う妙な名称が多い。
世界史だから、当然だけどね。
返信する
286 2013/01/01(火) 12:57:24 ID:tKyu4ipVvE
>>285 御厨さん、こちらにも登場ですね!!
スレ氏様は、最初、語呂合わせ的な内容での記述でしたが、
後に授業での板書内容を記しているようですね?
一つ一つ読んでみて、書き込みの中に誤字脱字がないか?と意地悪な気持ちでおります。
世界史っていうのは何でこんな名前なのか?と思う点は御厨さんに賛同します。
自分も高校生当時歴史の勉強には随分と困ったものです。
あんなフザけたような名称を覚えられるか!!ってね。
そういいながらも80点台をキープしたのは、当時付き合っていた彼女のおかげですかね。
彼女はクラスメートで歴史が得意な子だったので、一緒に勉強してました。
エッチな勉強はしてませんでした。高校生でしたし、自分結構奥手だったので。
返信する
287 2013/01/06(日) 17:25:08 ID:RWZIb7PR1g
「世界史の勉強」スレッドもあるんですね。
驚きました。
こんなにきちんとノートにまとめていたらテスト対策万全でしょう。
ところで、昔、同級生で歴史だけ得意な人がいたのです。
その人は授業中にまったくノートをとらず教科書だって真っ新状態でした。
どうやって覚えるのかな?と不思議に思っていましたが、
歴史の分野だけはスラスラと頭の中に入るんですって。
本当、不思議です。
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288 2013/01/19(土) 14:18:57 ID:RH5sm.UCYM
>>287 冒頭からの2行部分、私も同感です。
日本史だけかと思ったら世界史までも。
私が歴史に対して純粋に興味を抱いていたのは小学生時分。
中学生からは試験の為の勉強になりました。
仕方なく、という気持ちでした。
成績が5だったのでまわりからは出来るだの得意だのと囃したてられましたが当の私には好きという気持ちが殆どありませんでした。
高校になると理系に進み歴史からはすっかり遠ざかってしまいました。
まるで別れた恋人を思い出すような気分です。
そんな歴史ですかね?
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289 2013/01/21(月) 11:35:32 ID:ruqPJlrJCY
初めまして!
歴史の勉強が苦手でしたが、
皆様の意見を伺ってみて、もう一度勉強し直す気持ちになりました。
ありがとうございます。
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290 2013/02/13(水) 14:00:25 ID:x9LKmY.rEg
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