【国体と明治政府の正当性】
薩長勢力にとっては、国学の流行や朱子学によってもたらされた王道思想はとてつもない
追い風となり、幕府を倒す大義名分そのものにさえなった。しかし、一方で幕府を倒した
後には、これがある種の足かせにもなった。なぜなら、徳川の政治に問題ありとして薩長
を中心とする勢力が武力で徳川を倒した。これは厳然たる事実だが。この単純極まりない
事実を認めてしまえば、明治政府を倒す第2、第3の「薩長」が現れかねない。それを避
けたい政府は、天皇の神聖をもって政府の正当性の拠り所とした。そして神聖なる天皇の
演出にとりわけ熱心だったのが薩の大久保利通であり、その面での後継者は長州の山縣有
朋だった。彼らの努力により国体(我が国は万世一系の天皇によって統治されるべきであ
る。またそれ故に世界に二つとない素晴らしい国であるとする絵空事。)という言葉が国
民周知の用語となる。
この天皇神聖を徹底的に悪用し、国民の言論を封殺し、テロで政治家を恐怖に陥れ、事
実上国家を乗っ取ったのが昭和の軍部だ。かれらは金欲しさに戦線を拡大した(戦争で手
柄を立てれば勲章がもらえる。勲章には恩給が付く)。そして遂には世界から孤立し、最期
はとうてい勝つ見込みのない大東亜戦争に突入して破滅した。
>>44>>45>>46>>47 話の内容あちこちに飛んでいて、要するに何が言いたのか分かり辛いが。
「国の頂点は天皇様なんだよ」「それが「国体」だったんだよ」
これに関しては、言語道断。奇違いカルト。
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