レス数が 500 を超えています。残念ながら全部は表示しません。

闇の女パンパンガールのいた街角


▼ページ最下部
001 2024/05/30(木) 15:51:29 ID:TQyCCBILZc
戦後の焼け跡に公娼よりも早く現れた街娼たち。洋装文化をいち早く採り入れ、官庁街や銀座のOLを始め、わざわざ東北の教員までが立ちんぼになった時代があった。肉体の門の世界だ。貧困ではなく、戦災未亡人でもなく、なにゆえ女達は身体を鬻いだのか?

返信する

※省略されてます すべて表示...
518 2025/07/08(火) 09:56:23 ID:H/QADmgV8o
貨幣経済や年金、社会保障制度がなくなったら国が終わるという意見に対する回答なんやが、なかった時代には国はない。厳密な意味で国ができたのは明治維新からや。明治維新で家族制度は、家族主義国家観に仕立てられたが、戦後民法で崩壊。家族の再定義にしくじり続けて今がある。国らしい国がなかった時代の家族の重さを私達は知らない。家が封建制を支えた程や。

返信する

519 2025/07/08(火) 10:00:57 ID:H/QADmgV8o
本質的なことは。家がかつては国家すら代替してきたというイメージを現代人が持てないこと。少子化議論が浅いのは、国家や制度、貨幣経済システムや、社会保障制度が家を無用化している実態への無理解。子ども=生産要員/介護要員という役割が消え、 “情緒的選択” だけが残った。
なぜ産む?なぜ育てる?なぜの答えがやけに高尚になった半面、個人的な拘りが、社会に金を無心、脅すビジネス化した。制度依存を前提に解決策を探す悪循環に終始。

国家がシステム維持のためになりふり構わず移民政策に走るように、今や、子供が欲しくてならないのは政府、国家なのだ。個人ではない。だったら、国家が主体的に子作りし、育て、教育する仕組みが必要なのであり、個人に期待してはならない。

返信する

520 2025/07/08(火) 10:23:52 ID:H/QADmgV8o
まとめるなら、
かつては「家」が国家機能を代替しており、老後扶養・教育・労働・相互扶助まで内製していた。近代国家と貨幣経済、社会保障制度はこれらの機能を奪い、家を無用化した結果、子どもを持つ動機が個人にとって希薄化。だが今や、子どもを最も必要としているのは国家である。ならば国家が主体的に子を産み、育て、教育する仕組みを構築すべきであり、個人任せでは人口維持は不可能。国家が“親”になる覚悟が問われている。本気で国が親になるとしよう。その時、性欲を持て余した個人はどうなる?人間の本性を失わず、人生の喜びも放棄しないアイデアで、最もコストが掛からない方法が、上記遊廓システムなのである。やたら楽しそうで、オラワクワクすっぞ!単なるレジャー化だけではないところが秀逸。

返信する

521 2025/07/08(火) 11:05:36 ID:H/QADmgV8o
国家が子育て本格参入とは、国家が女性になることなんや。
近代国家は「父権国家」だった。法で縛り、罰し、統制した。
子育て国家は「母権国家」だ。育て、与え、包摂する。
この転換は、政治や制度の改革ではなく、
国家人格の性転換という文明的シフトや。
母性は後天的な紛い物とか言う議論などど〜でもええ。国家は止むにやまれず母になるんやからな。これは、近代の超克、革命や。近代的価値観の一切は敗北したんやから、ルイ王朝は、フランス共和制に難癖付ける資格はない。この路線以外の国家による生殖、育児介入は必ず失敗する。AIにでも尋ねてみるがよかろう。完璧過ぎてクラクラするわい。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:430 KB 有効レス数:496 削除レス数:25





歴史掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:闇の女パンパンガールのいた街角

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)