「漢書」は後漢の史書官である班固が著したものなだけあって、
むしろ前漢の為政についても好ましく描いている可能性が高いものですらある。
しかし、実際には「良いところは良い、悪いところは悪い」という割り切った姿勢で書かれていて、
歴代皇帝の為政上の落ち度なども過不足なく本紀に掲載したものとなっている。
その「漢書」地理志東夷伝中の朝鮮の記録も、
「中国に併合された結果としてかえって風紀も乱れた」などという、
漢帝国の側からすれば都合の悪いような事情までをもありのままに掲載したものとなっている。
「東西南北の夷狄を鑑みても、東夷だけは天性柔順で申し分がない。孔子が中国で道が行われないことを嘆いて、
『いっそ東夷の国で為政に励んでみようか(論語)』と案じたのも宜なることだといえる」とすら言っている。
一方、「漢書」地理志の魯国伝では、「史記」でも周公や孔子といった聖賢の根拠地として
その民度の高さが評価されていた魯国が、すでに相当な文化風俗的腐敗を来していたことを指摘してもいる。
周公は偉大な政治家でもあったにしろ、孔子は学者として大成したのみであり、政治家としては
季子のような専横勢力に阻まれて成功することができなかった。そのため、学者としての知見が
十分に魯の統治に繁栄されることもなく、孔子の没後500年程度が経過した前漢末期の魯では、
未だ学問を奨励する風潮はありながらも、悪行を好き好むような蛮習もまた根付き始めていたという。
周代に隆盛を極めた魯の文化も、春秋戦国時代には一方的な凋落を被り、一時は魯という国と共に
滅亡の様相すら来したのだった。一方、箕子朝鮮のほうはといえば、これまた戦国末期には
滅ぼされたものの、それまで900年にも渡って箕子一族による磐石な徳治が敷かれ続けて来たために、
滅亡から200年が経過した頃にも未だ良質な文化風俗を湛えていたという。
儒学の祖である孔子の本拠地、魯国以上にも良質な文化風俗を保ち養い続けられるだけの事情が
古代の朝鮮にはあったわけで、それは「漢書」だけでなく「書経」や「史記」の記録によっても
裏付けられていることなのだから、現代朝鮮人の歴史捏造などと
一緒くたに考えて眉唾扱いしたりすることのほうがおかしい。
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