実は、今から約3100年前〜2000年前頃に、
東洋一(そしておそらく世界一)民度の高い人々が朝鮮に居た。
殷帝国が周に放伐されて後、周武王は殷の遺臣で名宰相でもあった
箕子を自らの臣下とせず、そのまま外地にあたる朝鮮に封じた。
(その時に箕子が武王に贈った為政の秘訣が「洪範九疇」
として「書経」や「史記」や「漢書」にも収録されている)
それからしばらくして、中国は春秋戦国時代に突入し、
諸侯の覇権争いによって著しい文化荒廃を来たし、人々の民度も
最低レベルにまで凋落して行くこととなった。一方で、箕子が
封じられた朝鮮は、そのような中国での内ゲバにも煩わされることなく、
約千年の長きに渡って民度を高め続けることができたのだった。
その箕子朝鮮が滅びて200年ほど経過した、約2000年前の朝鮮の
国情を班固が「漢書」で述べているが、既に武帝の代からの開封も
受けているにも関わらず、住民の民度が中国人民以上であることに
驚嘆させられたという。そのあり方たるや、「人々はまず罪を恥とし、
犯した場合には罰を受けてもなお恥とし続けるほど。女性も貞節で
嫉妬することがなく、事件沙汰が些少であるために人々も家の戸締りを
しないでいるほどだった。正式に中国の一部となって後、中国からの
役人や商人が流入すると、人々が門戸を閉ざしていないのをいいこと
に悪さをする連中が頻発し始めたため、段々法律が増やされて行き、
今では六十を数えるまでになってしまった(漢書・地理志下)」と。
(
>>2につづく)
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