藤原不比等


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001 2013/01/05(土) 17:09:11 ID:5CW5AW7UzM
律令政治の礎を築いた政治家にして、「日本書紀」の陰のプロデューサー。
天皇家の外戚関係による藤原摂関政治の繁栄も、
その基礎は藤原不比等が固めた。

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002 2013/01/05(土) 17:15:12 ID:.5KFE6HUIg
憎い。

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003 2013/01/05(土) 21:18:48 ID:u7J7mspYqw
世界史的にも屈指の天才政治家

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004 2013/01/05(土) 21:43:19 ID:Gku/YJOYwM
先祖。

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005 2013/01/06(日) 00:53:30 ID:Le12ZlWqBI
日本のザビ家。

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006 2013/01/11(金) 17:20:20 ID:yXtPwZ4iaA
不比等の息子の四兄弟の連続死、広継の乱、仲麻呂の乱など
いろいろ事件があったけれど、結局その後は藤原氏栄華の世になったね。

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007 2013/01/21(月) 06:58:38 ID:MwEZ9gqhZY
>>6
不比等の息子の四兄弟の連続死は
世界的なインフルエンザのパンデミックによるもんでしょう

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008 2013/01/21(月) 13:14:12 ID:rNlcVGC6Aw
>>7
四兄弟の死因は、天平9年(737)に大流行した天然痘によるものといわれているね。

不比等自身、少年時代、一時不遇の時代があったという。
父の鎌足が天智天皇の腹心であったため、壬申の乱(672)では近江側と見られた。
ただ、鎌足はその2年前に死んでおり、
不比等も13歳と若かったため罪を問われることはなかった。

少年不比等は親戚の家に預けられ、
学者になるため、中国の法学などをひたすら勉強していたが
出世の可能性は低かった。
天智の娘でもある持統天皇(当時は天武天皇の皇后)に見い出されて
中央政界へデビューしたという。

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009 2013/02/25(月) 21:40:58 ID:XA8EnpLL1M
梅原猛によれば、日本書紀のみならず
「古事記」も不比等がプロデュースしたものであるという。

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010 2013/02/25(月) 21:52:23 ID:CMBkoosnWo
日本は実は世界でも稀な官僚闇支配の国なんだけど
この体質を作り上げたのは不比等

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011 2013/02/26(火) 02:19:37 ID:en8DoO.9fE
闇支配なら、どうして六国史や四鏡みたいな
精密かつ膨大な歴史記録が伝承されて来ているんだ?

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012 2013/04/06(土) 14:28:21 ID:7Nx8LM/Qpw
いかなる時代、いかなる国でも、
「正史」とされる歴史書には、為政者や政治の勝者に都合のよい歴史しか現われない。
歴史の、隠された、正史とは異なる一面は、
民間伝承や民謡やおとぎ話や、荒唐無稽な口伝などのなかに、ひっそりとある。

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013 2013/04/07(日) 13:26:00 ID:PlEm/7BwJ6
逆だ。正史だからこそかつての最高権力者までもが容赦のない批評の対象ともなる。

「史記」と比べて体制翼賛の傾向が強いとされている「漢書」ですら、
最盛期の武帝の為政にも公共事業の過剰などの落ち度があったことが明記されている。
むしろ司馬遷の私撰書でもある「史記」のほうが、今上帝だった
武帝の記録などについて控えめに過ぎるようなところがある。

書くべきことを書き、そうでないことを書かないのが正史の正しい編纂姿勢。
権力者にとって私的に都合のいいようなことばかりが書かれているとすれば、それは
正史としての出来が悪いということ。「正史」という言葉の定義から捻じ曲げたりしてはならない。

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014 2013/04/08(月) 14:01:58 ID:JEzs0jojx.
>>13
中国の話か? 
自分たちが滅ぼした前王朝を悪く言うのは当然だし、
自身に対しても、それが致命的にならないレベルで反省や自戒を公にするのも
為政者には共通の姿勢だろうな。

「日本書紀」が、
ときの天皇一家(天武と持統の血筋)と藤原一族に
いかに都合よく歴史を捻じ曲げているか。
そしてその編纂者たちが、彼らに気づかれないように、
いかに工夫して、さりげなく、本当の事実を示唆する記述をすべりこませているか。

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015 2013/04/08(月) 15:00:56 ID:cmqIEo0ABY
「漢書」は後漢の史書官だった班固の編纂物だ。
帝位を簒奪して前漢を滅ぼした王莽を悪く言う気概はあっても、
前漢の為政をあえて悪く言うような理由はどこにもない。

それでも「漢書」の帝紀にすら、歴代皇帝の為政の問題点を
厳しく指摘するような記述が多々見られるし、逆に王莽の為政が
始めのうちはそれなりによくできていたとすらも記録している。
むしろ「史記」以上にも、為政に対する批評姿勢は厳しい。
だからこそ「漢書」のほうが後々の正史編纂の模範ともなった。

 
「日本書紀」などの日本の正史も、多少の誤記はあるとした所で、
大きく史実を捻じ曲げているようなことまではない。政争に
敗れた旧豪族などの扱いが低いとしたところで、それも「漢書」
のような書くべきことを書き、書くべきでないことを書かない
春秋の筆法に即していればこそ。ただ史実を後世に残すだけでなく、
そこに教育的な意味合いすらもが込められている。それこそは、
ただの博物的な歴史学をも上回る正史学のあるべき姿勢なのだ。

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