賤ヶ岳の合戦はとてもドラマチックな展開。
対峙する事一ヶ月。岐阜で織田信孝の挙兵をしり秀吉本軍が美濃へ進軍。
その間隙を狙って佐久間盛政が賤ヶ岳直下の余呉湖南岸を迂回して大高山砦を奇襲。岩崎山砦と共に陥落。
大高山砦陥落を知った秀吉本軍がわずか五時間で美濃から着陣、未明に佐久間盛政軍を攻撃。
勝利に油断してた佐久間盛政軍は七本槍の活躍の前に敗走。
だと思っていたが少し違っていた。
大高山砦陥落で戦況が不利と判断し撤退中の賤ヶ岳砦の城将桑山重晴だったが琵琶湖を渡ってきた
丹羽長秀と合流し賤ヶ岳近くの佐久間盛政軍を撃破し砦を奪われる事はなかった。
更に秀吉本軍が来援したが行軍の疲れもあって劇的な勝利はすぐになく激戦が繰り返された。
佐久間盛政はよく持ちこたえていたが茂山の前田利家の軍勢が戦場離脱。
それをきっかけに羽柴秀吉軍と柴田勝家軍の拮抗が崩れて勝家も敗走。
北の庄城に逃げ帰った柴田勝家ではあったが翌々日には落城。
賤ヶ岳を巡る攻防は激戦でもなく七本槍も思ったほど活躍もしていない。
佐久間盛政が賤ヶ岳砦を落としていたら柴田勝家が勝機を逃さず行動していたら
丹羽長秀が不利な戦況をものともせず上陸してなかったら…。
柴田勝家がこれほどあっけなく滅ぶ事もなく羽柴秀吉ももっと苦しんだだろう。
賤ヶ岳の合戦は知っていたようで本当はよく知らなかったんだと。
賤ヶ岳山頂から望む余呉湖。賤ヶ岳砦の看板の上を辿って行った尾根筋が大高山・岩崎山。
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