継体天皇  〜二朝並立説〜


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001 2012/08/14(火) 22:25:29 ID:Sqbyfs81mw
言わずと知れた謎多き天皇、それが継体天皇。
二朝並立説などと絡めていろいろ語りましょう。

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002 2012/09/28(金) 03:28:00 ID:UtTe3yB4Vw:au
このスルーっぷり、なんという脱力感

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003 2012/09/28(金) 17:42:25 ID:Zx5JoIIM0.
てか血縁関係の無い地方豪族を祭り上げたんでしょ?
応神天皇の5代孫?なにそれw

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004 2013/02/01(金) 00:00:01 ID:hklz2hUZwE
皇子たちの殺し合いで後裔がいなくなり、
ついに武烈天皇で血筋が途絶えてしまって、
北陸のほうから探してきたんだよね。

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005 2013/02/01(金) 07:57:25 ID:2LoeS4S.4w
>>4
「だから遠縁からひっぱってきました」と日本書紀が言っているだけの事だよね。

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006 2013/02/02(土) 15:16:52 ID:VN4IB3YoNY
「継体」って天皇名自体が象徴的だよな。

体(天皇家?)を継いだ=つまり別の一族?って感じだ。

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007 2013/02/12(火) 13:00:28 ID:GGR8.HpTnc:au
大国主神(出雲)が国譲りして追い出されたのが建御名方神(諏訪大社)。建御名方神の母親はヌナカワの姫(糸魚川)だから潜在的主権がある一族がいたのかもかもしれない。

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008 2014/07/11(金) 07:34:26 ID:Mo7m8ozgMc
>>3
もし本当に「血縁関係の無い地方豪族を祭り上げた」んなら、
むしろ応神天皇5代孫なんて薄ーい関係性にするのではなく、2代前の天皇の御落胤とかに捏造すれば良いだけじゃね?
日本書紀なんて権力側に都合よく書ける文書の正式記録になんでそんな怪しい出自の証拠を残さにゃならんわけ?

わざわざ疑われるような記述を残した理由が無いわ。

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009 2014/07/11(金) 08:25:49 ID:i.G4w.l3ec
要するに卑弥呼の擁立課程のように
豪族らによる合議で選出される祭祀王ってのが元来で
徐々に一系になってく課程ってことやないの

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010 2014/07/11(金) 18:41:25 ID:Mo7m8ozgMc
合議で選出した祭祀王を変更するって結構大変な事だと思うんだ。
名目上は「上」って事になるわけだし、変更したら今迄仕えた歴史はなんだったの?になる。
だとするなら、いくら血が薄くても当人の才能がどうでも、やっぱりその一族から選ぶと思うわ。

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011 2014/07/11(金) 19:53:09 ID:J9NxR7hZ5k
>>8
気になるのが先代の武烈天皇を悪逆非道だとしてボコボコに叩いていることだよな
即位後20年にして大和に入ったということからして、即位に異論が出ていたという可能性は高いと思う。

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012 2014/07/11(金) 20:22:45 ID:zHl6ZQxlgc
中国の王朝交代の場合は、新王朝の正当性を証明するために前王朝を悪く言うのが定型文と言える。
しかし日本の場合は、(事実がどうかはともかく)一系なのだから、前天皇をあまり悪し様に言うと継承者である新天皇の正当性まで損なわれてしまう。

武烈天皇が悪逆非道だったと明記する利点があまり無い気がするんだが・・・。
やっぱり継体天皇の正当性を強調する為なのかね。

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013 2014/07/11(金) 23:15:56 ID:J9NxR7hZ5k
継体天皇が武烈天皇の姉の手白香皇女を皇后としていることを考えると
血縁の補強をして正当性を高めたのだろうかね

あと、古事記には書かれていないが日本書紀には
仲哀天皇の五世孫の倭彦王が継体天皇より先に皇位継承者候補になったが
迎えに来た大伴金村の軍勢から逃げたと書いてある
仲哀天皇の実在については賛否両論あり倭彦王についても
のちの創作ではないかという話もあるが、まぁ置いといて
これはかつての雄略天皇が皇族のライバル狩りやってたから逃げたという意味なのかね
それとも継体天皇の皇位継承者のライバルに倭彦王という人物
もしくはモチーフとなった人物がいて、権力闘争を繰り広げたという意味なのだろうかねー?

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014 2014/07/12(土) 04:56:47 ID:wVgtaXpUKM
まあ、記紀はそもそも一般読者を想定した書物ではなく、天皇もしくはごく限られた人だけを読者として想定している。
(古事記は特に秘本だし、日本書紀は天皇と外国(大陸)の貴人に対して皇統の正統性を示す事を意図している)

その日本書紀に、候補の一人は逃げた・候補の一人は10代も前の15代応神天皇の5世の孫だ、なんて書く以上、
何の政治的意図も無いわけがないという事だけははっきりしている。

王朝交代(つまり血縁の断絶)があるなら、いくらんなんでももっと巧く隠すだろうし、
かと言って事実だとしても継承上の恥をそのまま書くとは到底考えられない。何の利も無い。

もっと重大な継承上の恥(つまり血で血を洗うような皇位継承争い?)があったのを、
この程度でおさめたという事だろうか?
後世から見たら不自然だが、まったく無かったことには出来ないほどの「いざこざ」があったから
何も記さないわけにはいかなかった・・・という事だろうか?

だとしたら、「武烈天皇」が自分と自分の直系しか絶対に認めないように皇親政治を固めようとしたところを、
本来なら皇位継承者だけど武烈天皇に継承権を外された後の「継体天皇」が承服せず、武力をもって制圧した、
それに20年(もしくはそうでなくても長期間)かかったと言う事だろうか?

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015 2014/07/16(水) 13:14:16 ID:Ws7GvCTpds:au
傍系の五代目、六代目が後を継ぐのは案外とあるんじゃないかな。
14代目関東菅領上杉顕定は初代から数えて六代目だし、15代将軍徳川慶喜は家康から11代目になる。
丁寧に探せばもっと出てくると思う。

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016 2014/07/17(木) 05:41:14 ID:EibvS4kRq2
武家の継承は「お家の継続」が最重要だから、あったとしても不思議ではない。
天皇位の継承は祭祀上の正統性だから「血統の継続」が最重要。
当然ながらあまりに離れているのは不自然だし、周囲(豪族)を納得させられないだろ。

無駄とは言わないけど、武家の事例をいくら並べても同列には語れない。

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