>>12 強引な説だなーと感じる。
>中国の史書
>「倭人は四季に基づく正しい暦法を知らず、春の耕作の始まりと、秋の収穫のときを数えて年数にしている」
第一に、中国の史書は当然ながら中華思想で書かれており、
中国以外はすべてが蛮族。未開の地であり、中国と同等以上には到底
書かれるはずは無いと言う事を前提にしなければならない。
つまり、実態は中国よりも進んでいたとしても、「未開の地だ」と
書かれると言う事である。
(これは、未開の地である可能性を否定しているわけではない)
第二に、「」内の文章を読んで「二倍年」の暦を使っていたと仮定するのは疑問だ。
正確な暦など知らなくても、日本には四季があり春夏秋冬で一巡するのだから、
自然界を見るだけでも1年を一区切りとするのがごく自然だろう。
「二倍年」等と言う不自然な設定を持ち出すのは、天皇の年齢を説明するための
屁理屈と感じる。
第三に、その「倍年法」が忘れ去られたと言うのも自説に都合のいい解釈に過ぎない。
考えればわかるが、われわれは江戸時代の事も平安時代の事も知っている。
都合よく年の数え方を忘れるだろうか?だいたい、10代崇神天皇まで
その数え方をしているのに、唐突に今までの2年が1年になるなどと言う
大きな転換を忘れるという仮定は考えにくい。これも、自説を破綻させないための
こじつけ・屁理屈に感じる。
第四に、
>編纂者たちは伝えられた異様な長寿はその通りに記し、(中略)きわめて学問的な態度
記紀の編纂は、良く知られている通り純粋な学問ではなく、
天皇(と言うか藤原氏)に都合良く改竄されている可能性が高い事は考古学の常識と言える。
故に、朴訥な学徒がそのまま書き写したなどとと言う仮定は非常に警戒心の無い仮説でしかない。
編纂者たちの善意(というか正直さ)を前提とした仮説は極めて現実味に乏しいと言わざるを得ない。
以上四つの観点から、その説は強引過ぎると言わざるを得ない。。
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