長宗我部配下である、岩崎弥太郎の興した三菱財閥を旗頭とすることで
肥大化して来た日本の財界。その財界が本質的にどういった性向を備えているのか
ということも、長宗我部の経歴やその人物像を分析してみれば明らかになる。
まず一つに、江戸時代までの既成権力に対する、甚大な憎悪がこもっている。
特に、徳川を始めとする武家政権に対する怨念は切実なもので、自分たち長宗我部も、
鎌倉期から戦国期にかけてはそれなりに武将としての繁栄をも謳歌したにも関わらず、大坂の陣以降に
落ち武者勢力として差別下に置かれ続けたがために、武家に対する怨みがひとしおとなっている。
維新後に、岩崎弥太郎が正宗を始めとする津々浦々の名刀を執拗に買い漁ったことは知られている。
これは、土佐の山間に落ち延びた長宗我部勢が、金で士分の株を買って非正規の武士(郷士)と
なっていたことの名残りとも言えなくはないが、本来、刀剣というのは、仕官した侍が、自らの
主君から信託を込めて拝領されることを正統な譲渡手段とするのであって、金で刀を売り買いするのは、
昔から質入れなどの形であったにしても、決して正統なことではない。にもかかわらず岩崎弥太郎が、
交易で稼ぎ挙げた資金をはたいて数多の刀剣を買い漁ったのはなぜかといえば、長宗我部はもはや
武士としての名誉を取り戻す気は毛頭ない、信長からも「鳥無き島の蝙蝠」と揶揄されたとおり、
自分たちには武家としての素養は始めからなかったのだということを完全に開き直って、超弩級の
政商としての権勢の嵩にかかって、武士を愚弄するような形でのリバイバルに徹したからなのだといえる。
そして次に、これは長宗我部が本当に古代豪族である秦氏の末裔である場合に限っていえることだが、
国権を王侯将相から剥奪するほどもの権力欲が真性であり、天皇のお株を奪うことすらやぶさかでない。
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