♥長宗我部 総合♥


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001 2012/02/01(水) 15:18:33 ID:d/nDrAMmPQ
元土佐国長岡郡地頭。秦始皇帝の血筋である秦氏の末裔とされる。
戦国時代に四国を統一し、領地一体の寺社を焼き払うなどの横暴を働くも、
豊臣秀吉に屈服させられて土佐一国を安堵され、関ヶ原及び大坂の陣で
徳川方に敗れて政治的には完全に失脚。敗亡後に執拗な追討を受けるも、
土佐の山間に逃げ込み、非正規の武士である土佐藩郷士としての勢力を保つ。
幕末には、配下の坂本龍馬が薩長同盟および薩長と大坂堺の豪商の結託を斡旋し、
薩軍が長州藩士からの偽勅とグラバーから購入した重火器で幕府を倒壊させることを援助。
倒幕維新後には、これまた長宗我部配下の岩崎弥太郎が三菱財閥を興し、三菱三井住友
といった、近現代の日本の財界勢力を形成することの原動力に長宗我部勢がなった。

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002 2012/02/01(水) 18:29:40 ID:d/nDrAMmPQ
要するに、今の日本の実質的支配者(財界人)の源流だ。それが、長宗我部。

長宗我部家は今でも存続していて、自分たち自身はそんなに大した役職にも就いていない。
ただ、戦国時代に功名のために身を興した長宗我部元親やその子の盛親らの軍勢が
一時の栄華の後に政争で敗れ、土佐の山間に落ち延びて辛酸を嘗めていた、その怨念が
幕末から維新後にかけて爆発し、今日の財界の隆盛を形作るまでに至ったのである。

長宗我部が秦始皇帝の末裔であるという確証はない。しかし、長宗我部が自国で
実施していた一領具足政策は、一芸に秀でたものは鶏鳴狗盗の輩でも取り立てるという、
戦国時代から秦代にかけて流行していた食客制度に似通っているし、坂本龍馬の
幕末におけるフィクサーとしての暗躍も、中国の戦国時代に、諸国に合従連衡を説いて
中間マージンを吸い取っていた、蘇秦や張儀のような縦横家のあり方に似ているし、
維新後に三菱財閥を興し、政商として巨万の富を築き上げた岩崎弥太郎の姿も、
豪商兼秦帝国の宰相として辣腕を振るった、呂不韋の姿にも見まがうものがある。

本当に長宗我部が始皇帝の末裔かどうかは分からないにしろ、始皇帝の実父でもある
呂不韋の末裔であったり、そこまでいかずとも、秦朝の重臣やその取り巻きの末裔で
あったりする可能性は十分にあり、王侯をも上回る権能をほしいままにする財界人としての
長宗我部勢の素養は、確かに深い歴史にも裏づけされた、お墨付きの代物であるのだといえる。

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003 2012/02/01(水) 18:52:19 ID:DKCTDP5nII
嫌いではないんだが、仮定の上に仮定と仮定と仮定を重ねた感じ。
「と言われる」「不思議ではない」「可能性は十分」は、
結局可能性でしかなく、「似ている」に至っては歴史の必然や、
結果的に外形が似ただけという当たり前の可能性を軽視している。

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004 2012/02/01(水) 19:02:38 ID:d/nDrAMmPQ
司馬遷の「史記」にだって「たら」「れば」や、
「太史公曰く」と名乗った上での私見の披露はいくらでも出てくる。
それが本来の史学のあり方というもので、ただ事実関係だけを
吟味したりするのは、本来の史学者としては下の下の下の部類に当たる。

どうしてそういう経緯に至ったのかという人間学的な検証よりも、
ただの資料集めばかりに終始して後を全く省みないものだから、
皇室も今の歴史学者に対して、史跡の発掘調査のストップをかけているんだろ。

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005 2012/02/01(水) 19:37:03 ID:6CA2xDHy3k
世界に冠たる三菱鉛筆のコピペと同じようなレベル

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006 2012/02/01(水) 20:00:24 ID:EBZeRlTdhU
こりゃまた酷いスレやな

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007 2012/02/01(水) 20:54:39 ID:DKCTDP5nII
>>4
論理的な考察や複数の可能性の併記と、好みの仮説だけをさも可能性が高いかのように抽出列挙するのとは違うんじゃないだろうか。

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008 2012/02/01(水) 21:08:11 ID:JjXQl3FlDo
鳥無き島の蝙蝠

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009 2012/02/01(水) 22:02:47 ID:xhXHKcRn/Y
信長の野望は長宗我部元親で必ずプレイする

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010 2012/02/01(水) 22:34:31 ID:d/nDrAMmPQ
>>7
「縦横家」「食客」「国を乗っ取る政商」
これらの、中国戦国時代に秦人らによって編み出された所業は、
本場中国でも「乱世の元凶となる危険極まりない所業」として最警戒対象とされ、
漢や唐や宋といった大帝国による徳治を通じて、徹底的にその発生が防止された。
(「史記」を始めとする正史書の編纂も、上記のような所業を試みた危険人物の罪状を逐一記録する目的があった)
そのため、縦横家や食客や政商を仕事とすることは、国を挙げて恥とされ続けて来たため、
中国では、あえて古代の始皇帝の末裔を名乗ろうとするような人間も、とっくの昔に絶えている。
(逆に、嘘でもいいから孔子や司馬遷や諸葛孔明の子孫を名乗りたがる中国人はいくらでもいる)

日本でも、律令制や封建制の徹底によって、縦横家や食客や政商が暗躍するようなことは徹底して防止されて来たが、
幕末の動乱に至って、突如、土佐の山間から上記のような、極めて特殊な所業に及ぶものが多数、発生した。
それによってあっという間に幕府も打ち倒されて、薩長土肥による藩閥政治が開始されることとなり、
三菱や三井や住友といった、近代の東洋では未曾有の規模となる財閥が日本で多数出現することとなった。

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011 2012/02/01(水) 22:34:44 ID:d/nDrAMmPQ
中国ですら、日本ほどにも機転の効いた体制の変節を果たせなかったのは、日本以上にも中国のほうが、
意識的に縦横家や食客や政商を排除する歴史を積み重ねてきたからで、日本では古代の内に、中央でそのような
魑魅魍魎の跋扈する余地が完全に絶やされて、辛うじて秦氏の末裔である長宗我部などがド田舎の土佐で細々と
生き延びる状態が続いて来たものだから、もはや警戒すら疎かとなっていた所に、急に長宗我部勢が太古からの
遺物たる、縦横家や食客や政商として振舞う知恵を用いて、日本の体制を完全に刷新してしまったというわけ。

縦横家や食客や政商なんてのは、パッと出で思いつくような悪知恵ではなく、それなりの職業スキルもあって
初めて可能ともなるもの。それは土佐のようなド田舎はおろか、中世までの日本において磨き上げる余地のあった
スキルですらない。古代の、春秋戦国時代の中国で、数多の諸侯があの手この手の権謀術数を凝らし尽くす中でこそ思い付かれ、
磨き上げられもしたもので、そもそも日本では縦横家や食客や政商なんていう所業は、思い付かれもしなかったものだ。

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012 2012/02/02(木) 00:59:47 ID:ndtJyqc2F6
長宗我部配下である、岩崎弥太郎の興した三菱財閥を旗頭とすることで
肥大化して来た日本の財界。その財界が本質的にどういった性向を備えているのか
ということも、長宗我部の経歴やその人物像を分析してみれば明らかになる。

まず一つに、江戸時代までの既成権力に対する、甚大な憎悪がこもっている。

特に、徳川を始めとする武家政権に対する怨念は切実なもので、自分たち長宗我部も、
鎌倉期から戦国期にかけてはそれなりに武将としての繁栄をも謳歌したにも関わらず、大坂の陣以降に
落ち武者勢力として差別下に置かれ続けたがために、武家に対する怨みがひとしおとなっている。

維新後に、岩崎弥太郎が正宗を始めとする津々浦々の名刀を執拗に買い漁ったことは知られている。
これは、土佐の山間に落ち延びた長宗我部勢が、金で士分の株を買って非正規の武士(郷士)と
なっていたことの名残りとも言えなくはないが、本来、刀剣というのは、仕官した侍が、自らの
主君から信託を込めて拝領されることを正統な譲渡手段とするのであって、金で刀を売り買いするのは、
昔から質入れなどの形であったにしても、決して正統なことではない。にもかかわらず岩崎弥太郎が、
交易で稼ぎ挙げた資金をはたいて数多の刀剣を買い漁ったのはなぜかといえば、長宗我部はもはや
武士としての名誉を取り戻す気は毛頭ない、信長からも「鳥無き島の蝙蝠」と揶揄されたとおり、
自分たちには武家としての素養は始めからなかったのだということを完全に開き直って、超弩級の
政商としての権勢の嵩にかかって、武士を愚弄するような形でのリバイバルに徹したからなのだといえる。

そして次に、これは長宗我部が本当に古代豪族である秦氏の末裔である場合に限っていえることだが、
国権を王侯将相から剥奪するほどもの権力欲が真性であり、天皇のお株を奪うことすらやぶさかでない。

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013 2012/02/02(木) 01:00:03 ID:ndtJyqc2F6
実際に呂不韋は商売人から身を興して秦帝国の宰相となり、秦国の王統を乗っ取って、
自らの私生児を統一中華帝国の始皇帝にすら仕立て上げているわけで、その秦帝国の流れを本当に
長宗我部が汲んでいたのであれば、本当に政商としてこの日本を乗っ取るつもりですらいかねない。

長宗我部が本当に秦氏の末裔であるかどうかが分からないのは、長宗我部が正式に土佐国に
領主として中央から派遣されて来たという記録が一つも残っていないから。たとえば同じ秦氏の
末裔であっても、薩摩の島津氏は摂関家から正式に薩摩へと派遣されて来た記録が残っているから
疑問の余地はない。それに対し、長宗我部が秦氏の末裔であるというのはあくまで自称であって、
何らかの証拠によってその信憑性が認められているわけではないのだから、ただ事実関係を
絶対的な証拠によって洗い出すことだけが目的なら、ここで事態は一旦お開きということになる。

しかし、長宗我部が本当に秦氏の末裔である一方で、悪さが行き過ぎて中央から追放された
一派の末裔であり、配流されたことをひた隠したいがために証拠記録などは全て破棄したが、
多少の箔ぐらいは付くから一応、古代豪族の末裔であるという口承だけは残しておいたのならば、
長宗我部が秦氏の末裔を自称しながら、その証拠が何も残されていないことの筋も通るのである。

土佐国は古来から重罪人の流刑地(遠流地)であり、そこで豪族としての勢力を不審にも形成し始めた
長宗我部が、自分たちもまた重罪人の血筋であった可能性は高く、だからこそ当地に落ち着いた経緯は
知られたくないが、豪族の末裔である口承ぐらいは残したかったとしても、おかしくはないのである。
こういうことは、ただ事実関係を洗いざらいにすることだけが目的の歴史学では、決して察し得ないことだ。

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014 2012/02/02(木) 01:25:24 ID:/xLZNz/vDw
またニートスレかよ。
歴史的な根拠がなさすぎんだから、相手にされないっちゅーの。

10なんか7の反論になってないだろう。

まともに議論したいなら、結論ありきじゃなくて、
資料とか根拠を述べろよ。

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015 2012/02/02(木) 01:38:16 ID:SRqABKmohM:au
歴史的事実として「あった」か「なかった」かなんていう
最低レベルの議論は、東大の研究室あたりで済ましとけ。

そんな見苦しい痴話喧嘩まで、公然に晒すな。

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016 2012/02/02(木) 01:57:08 ID:/xLZNz/vDw
自爆だなこりゃw
わかりやすい、以降無視でOK。

あとはいつも通り、日記帳でやれよ。

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017 2012/02/02(木) 02:01:47 ID:SRqABKmohM:au
自爆なもんかよ。
すごく楽しいよ。

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018 2012/02/02(木) 02:05:40 ID:iURSHGxC6k
なるほど、つまりユダヤの陰謀ってことだな!

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019 2012/02/02(木) 02:30:45 ID:ypsLh/SPY2
失われた十支族って事だな。

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020 2012/02/02(木) 08:56:34 ID:6GaiLpRWlk
だめだこりや(笑)

ニートははやく思想板に帰れよ。
歴史板を汚すんじゃない。

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021 2012/02/02(木) 13:48:59 ID:ndtJyqc2F6
儒者の第一の研究対象は思想哲学、第二が史学、第三が異端の学、第四が文学に当たる。
だから漢籍の伝統的な書物分類も「経史子集」の順番にもなっている。
儒者を史学から追い出すなんて、もってのほか。

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022 2012/02/02(木) 19:54:14 ID:AHEyC96Ch6
はい、一人日記帳のはじまり。
恒例の無視タイムスタートと。

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023 2012/02/02(木) 23:14:46 ID:ndtJyqc2F6
残念でした。
思想哲学板の真正聖書スレ以外は、
ある程度自分で書いたら後は適当に泳がせておく予定だ。
でもまあ、もうちょっとだけは書いておいてやろう。面白いから。


岩崎弥太郎が興した三菱財閥および三菱グループの有名なロゴ「スリーダイヤ」は、
土佐藩主山内家の紋である三つ葉柏と、岩崎家の紋である三階菱を掛け合わせたもの。
とはいえ山内家は三菱の経営者ではなく、山内は岩崎に家紋の意匠を剽窃されたのだといえる。
スリーダイヤ自体は優れたデザインではあるにしろ(もちろんそれは原型が山内家の紋だから)、
そこには土佐藩郷士こと長宗我部元家臣らの、正規の武士に対するひがみが込められているのだといえる。

とはいえ、長宗我部の直系もまた三菱の経営者ではなく、今では岩崎家の直系すらもが経営を退いている。
武士のように役儀の世襲を固く守り通すわけでもなく、次々と他人同士で入れ代わり立ち代わり
経営を担当するという、いかにも商売人然としたやり方を、三菱もその最原初から続けている。

やり方はもはや完全に商売人であり、少しも武士やその他の公人のやり方に倣っているわけではない。
しかし、元より三菱という会社自体が、大坂の陣の落ち武者風情である長宗我部の怨念を経営精神の
根幹に据えているものだから、今の日本の三菱級の大財界グループというのは少なからず、武士の
ような、毅然とした為政者に対する憎悪と共に、経営を志し続けていることが明らかなのである。

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024 2012/02/02(木) 23:15:23 ID:ndtJyqc2F6
三菱だけでなく、三井や住友といった大坂堺の豪商を源流とする財界グループも、
実質長宗我部家臣である坂本龍馬の斡旋による薩長との結託を通じて、倒幕のための資金面での協力を
行っていたから、政商級の経営のやり方はやはり、長宗我部の怨念に律せられている三菱に倣うようになった。
これは、長年江戸の武士から差別下に置かれてきた大坂の豪商としての立場からも、心から賛同できることだった。

江戸期にすでに豪商だった三井や住友だけでなく、大坂の丁稚から身を興した松下幸之助なども、
やはり大多数の財閥のやり方に倣って、個人プレイとしては国内最大級の経営上の実績を挙げたのだし、
富山や江戸を本拠地とする安田グループだって、やはり大多数の流れに逆らうまでのことはできなかった。
ソニーあたりが、大多数の財界人の意地汚さとも一線を画した、毅然とした経営を志したこともあったが、やはり
村八分扱いを受けてうまくいかず、今では韓国サムスンの下請け同然の賤業を負わされるまでに至ってしまっている。

つまるところ、今の財界人はどいつもこいつも、長宗我部の落ち武者根性を原動力としたままで企業経営に参画している。
未だかつて一度たりとも、長宗我部という武将に支配下に置かれたわけでもないような立場でいながら、その根性だけは、
ドブの底のヒキガエルでいながら世界の支配者にすらなろうとする、長宗我部の意地汚さにこそあやかっている。

実際に、総合的な企業経営ではもはや欧米をも凌駕し、地球の裏側にすら自製の自動車や家電製品を溢れ返らせて
いるというのに、いまいち日本の財界が不審でパッとしないのは、そこにただの商売人ではなく、日本史上でも
最もタチの悪い部類の落ち武者である、長宗我部のドブネズミ根性が据えられたままでいるからなのである。

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025 2012/02/02(木) 23:31:02 ID:ndtJyqc2F6
ふぅ...

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026 2012/02/03(金) 05:58:56 ID:Y1pioi6tcU
史実に基づかない憶測を根拠とした妄想展開って、
どこかで我に返ったりしないのかな。

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027 2012/02/03(金) 09:56:32 ID:D3LgtoAKxg:au
史実に基づかない憶測を根拠とした妄想展開なら、どこかで我に返ることがある。

史実に基づく実測を根拠とした理論展開なら、始めから我に返ったままでいる。

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028 2012/02/03(金) 11:47:53 ID:CEVCIF2v/s
≫26
この人、多分統合失調なんだと思う。
通院もせずにひきこもってりゃ治るはずないよ

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029 2012/02/03(金) 12:34:59 ID:dlTKtuv8FA
削除(by投稿者)

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030 2012/02/03(金) 13:40:18 ID:dlTKtuv8FA
健全な精神は健全な行状と共に、
不健全な精神は不健全な行状と共に、常にあり続けるものだ。

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031 2012/02/03(金) 15:33:45 ID:RHbHnwpKvM
こりゃあ病気だね
はやく診てもらったほうがいいよ

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032 2012/02/03(金) 16:48:45 ID:dlTKtuv8FA
冤病班がのさばり出すと、途端に場がしらけるのも、冤病班の
執拗さにこそ誰しもが真性の病理を感じ取って、しらけるから。

もちろんこいつらも、これが仕事だからやっている。最終的には
守れもしない既得権益を、報酬を得た分だけ守ろうとする傭兵要員。

この手の、形振りかまぬ金稼ぎに走る鶏鳴狗盗の輩を世の中から
完全に絶やし尽くすのでなければ、徳川が長宗我部の落ち延びを
見逃したことによる災禍の教訓もまた、生かされないことになる。

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033 2012/02/03(金) 19:09:12 ID:ReD.rTK7O.
>>31
相手にしない方が良い。時間の無駄だ。
こいつが現れたら、基本無視で行きましょう。

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034 2012/02/04(土) 00:19:33 ID:l.swZax13c
三菱が長宗我部元家臣の土佐藩郷士を源流としていることなんて遠い昔の話で、
今の三菱グループまでもがそんな影響を汲んでいるわけじゃないかといえば、そんなこともない。

ほんのこの前刷新されたMUFG(三菱東京UFJ銀行)のロゴも、
ちゃんと土佐藩郷士筆頭(白札)である、武市瑞山の家紋を模倣した形状になっている。

必ずしも三菱銀行の預金だけを受け継いでいるわけではない世界最大のメガバンクに、
たかが小藩の郷士の家紋を模倣したロゴをあしらっているんだから、まさに狂気の沙汰。
長宗我部が他者の権益まで収奪吸収して肥え太る、覇道の嗜好者であったことをもひけらかしている。

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035 2012/02/04(土) 00:39:53 ID:8QPs.9nPOk
≫31.33

最近やたら暴れまわってるなあ。
相手にされなくて寂しいのかな?
いずれにしろ、無視でいきましょう

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036 2012/02/04(土) 01:16:13 ID:l.swZax13c
俺は面白いからやってんだ。
つまらないけど仕事だから仕方なくやってるおまえらとは違う。

つまらない人生しか送れなくなってしまっているというのに、
死ぬのも怖いから、生きられる限りにおいて、
つまらない生をできる限り貪り尽くす、まさにマゾ。

しかも、面白きことも無き世を、面白きこともないままに
とりおくことこそを仕事として、死ぬよりつまらない我が生を何とか
保全しようとしているのだから、まさに、無益な上に有害というやつ。


>>34画をもう少し分かりやすくしてみた。
こんなしょうもない作業も、世のため人のためになることを
見据えられているだけで、酒の肴になるほどにも面白くなるんだぞ。

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037 2012/02/10(金) 23:39:03 ID:CERQIag7zY
自分が豊臣秀頼の生まれ変わりなら、
長宗我部なんか二度と配下には用いないな。

もちろん、日和見島津の寝返りなども全く期待せず、
大事にかけて無責任でい続けたことの責任を取らせて、
赤穂浅野5万石程度の小藩大名にまで減封して召抱えるか、もしくは取り潰すかする。

片桐や大野といった愚臣の不手際と、牢人集の血気とにたぶらかされて、
自分からも徳川に喧嘩を売ったことは心底詫びて、豊臣一族だけが
小身の旗本として徳川方に編入されることすら、受け入れるだろう。
百千万のならず者どもの棟梁になるより、正規の士大夫の末席に
加えられることのほうが、よっぽど名誉なことに違いないから。

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038 2012/02/16(木) 01:00:20 ID:ONezPsi1CQ
「馬鹿」といえば、今では「低能な人間」や「愚かな人間」といった意味でよく使われている罵倒語だが、
その語源まで遡ってみると、「馬鹿」はもっと深刻な意味を持つ言葉であることが分かる。

「馬鹿(ばか)」とは本来、「目の前の鹿を馬だと言い張る程にも、
自らの強情さを押し通そうとする横暴な人間」のことを意味する。

秦始皇帝と二世皇帝胡亥の腹心であった宦官趙高が、自らの強権を絶対のものとするために、
皇帝の面前に鹿を差し出して「立派な馬です」と言った。それを見ていた群臣のうちで、
「鹿ではないですか」と横槍を入れた臣下を後に趙高は法律濫用で罰し、「立派な馬ですね」
と称賛して趙高に阿ったものを厚遇した。これが彼の有名な「馬鹿」という言葉の語源。

たとえば、ドラえもんでいえば、のび太もジャイアンも頭が悪いキャラであることは一致している。しかし、
のび太は上記の趙高のような横暴さの持ち主ではないから、本来の意味に基づけばのび太は馬鹿ではない。しかし、
ジャイアンのほうはまさに、趙高のような横暴さの持ち主そのものだから、ジャイアンこそは本当の馬鹿だと言える。

秦始皇帝ないしその重臣を源流とする長宗我部もまた、上記のような意味での「馬鹿」の性分を具えている。
誹謗中傷が目的でも、親しみを込める意味があるわけでもないが、長宗我部こそは、生粋の馬鹿である。
「馬鹿」という言葉の語源にも根ざした、3000年来の悠久の歴史にも裏づけされた、究極の馬鹿である。

平成冒頭のバブル期に、西武グループのオーナーとして長者番付世界一となった堤義明など、
上記の意味での「馬鹿」としての横暴さによって、財界のトップに君臨した人間は数多く、
秦帝国→秦氏→長宗我部→岩崎弥太郎→三菱→今の日本の財界という、馬鹿の系譜は見事なまでに継承されている。
今は欧米からの金融操作攻撃で何とか沈静化しているが、もしも欧米が崩壊して日本の財界に対する箍が外れれば、
またバブル期のような馬鹿騒ぎを繰り返すに違いなから、究極バカの長宗我部ボケに対するツッコミが必須だといえる。

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039 2012/02/16(木) 14:57:33 ID:ONezPsi1CQ
長宗我部は、ただ激烈にバカなだけであって、
特段、帰依している信教があったりするわけじゃない。

戦国時代の四国統一の際にも、四国中の数多の寺社を焼き払って回ったことから、
今でも高知以外の四国の人間には、長宗我部への憎悪を抱いたままでいる人間が多い。

バカだから、バカを排する高尚な精神文化を好かないということはあるが、
だからといってキリスト教やユダヤ教のような、精神の退廃を促す邪教を信じているわけでもない。

キリスト教徒やユダヤ教徒の場合には、カルト信仰によって技巧的に罪の意識だけを
排除しつつ罪を積み重ねているわけで、敬虔なカトリックだった故マイク・ベルナルドも、
ソープの待合室の風俗嬢の写真の前で、こんなに奇麗な目をしたままでいる。

長宗我部はそうではなく、信教によってメンテナンスを受けているわけでもない、
単なる強情さや横暴さを押し通すばかりのバカだから、キリスト教徒などのように、
表向きの偽善者としての体裁を、熱心に作り込むようなこともしないでいる。

それは事実、キリスト教徒やユダヤ教徒にも耐えられないこと。表向きの偽善者としての修辞の巧さに
キリスト教徒たちも心理的に依存しているところがあるわけで、長宗我部のように、修辞の気休めもなく
ただただバカでいるという恥知らずさには、キリスト教徒ですら耐えられはせず、キリストへの信仰を
欠いたところで、元キリスト教徒が長宗我部並みに罪過に塗れながら平気でいられるようなことはない。

だいたいの場合においてひどく精神を病んだり、自傷や自殺などに及んでしまう。
本当に心の底からのどぐされ外道でなければ、長宗我部並みの激烈バカに耐え切ることはできない。
それは聖書信者ですら耐えられないことなわけだから、聖書信者も、どぐされ外道とはまた別物なのだといえる。

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040 2012/02/16(木) 21:11:33 ID:ONezPsi1CQ
「どうにかなる」と信じてこれまでやって来たのが、聖書信者。

「どうにかなろうがなるまいがどうでもいい」というヤケクソでやっているのが、長宗我部。

絶対にどうにもならないことを思い知ってから、猶のこと度し難いのは、むしろ長宗我部のほう。

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041 2012/02/17(金) 16:16:01 ID:LA8gpqNqvM:au
「馬鹿の考え休むに似たり」という言葉があるが、
これは「低能」とか「愚か者」とかいった、今の「馬鹿」という言葉の定義に則ったことわざで、
>>38の、本来の意味に則った「馬鹿」に当てはまることわざではない。

>>38の、本来の「馬鹿」という言葉の意味に則るなら、
「馬鹿の考え泥棒に似たり」とするのが正しい。

鹿を馬と言い張り、1+1を3とも4とも言い張る強情さは、
本人自身に正しいものの考え方を見失わせてしまう。
息をするようにして間違ったことを考える思考回路と、正しい考え方によって制御されているわけでもない
貪欲さとが相まって、「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの」という、
泥棒や強盗にも通ずる理不尽な信条が、自然に根付いてしまうことになる。

信長に「小物だ」という意味を込めて「鳥なき島(四国)のコウモリ」と揶揄されたとき、
長宗我部元親は「生まれてくる時代を間違えた」と嘆いたという。

確かに長宗我部は武将としては小物だったが、秦帝国直系の「馬鹿ジャイアニズム」の能力は、
三菱財閥などの政商として大成功を果たす素養にはなったのだった。

あくまで「長宗我部氏」という家門ではなく、
「長宗我部勢」という落武者勢力が成したことではあるが。

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042 2012/03/01(木) 23:06:42 ID:PB9V9bGShw
長宗我部落
香宗我部落

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043 2015/03/22(日) 19:11:54 ID:7n3zs1nr6c
すごい相手に名すりつけようとしたの感があるのに
すごい相手のこともたいして知らずと。。。。

自分で書きたいわけでもないものをかくための動機に動機がついて動機がついて。。。

像をみる感に優れたものの発見でもなければ

正しい歴史でもなく。。。

自分で書きたいわけでもないものをかくための動機に動機がついて動機がついて。。。

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スレッドタイトル:♥長宗我部 総合♥

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