豊臣秀吉


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001 2011/04/15(金) 16:43:49 ID:DHCSJFjwLY
底辺から頂点へ登りつめた男。
天才は運命を選ばない、或いは、運命が天才を作ったか。
アウトサイダーならではの求心力とカテゴリを選ばない発想力。
戦国の覇者にして救国の現人神。
権力に執着したのとは対照的に、体制作りにはまったく興味を示さなかった一世一代の遊び人。
俺の眼の黒いうちは俺が神、死ねばその屍をこえてゆけ、そんなフェアな哲学すら感じさせる。
未成年に実施する暗記問題の点数が生涯を決定付けるこんな時代
その弊害がいよいよ露骨に露呈しだした今だからこそ、秀吉という苦労人の生涯を皆でおさらいしましょう。

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002 2011/04/15(金) 16:58:39 ID:7wFUjpIv1s
NHKドラマの作為で、イメージが「小汚い下品なおっさん」に貶められている。

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003 2011/04/15(金) 17:22:19 ID:DHCSJFjwLY
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004 2011/04/15(金) 22:02:15 ID:9AIjZoN0mw
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005 2011/04/15(金) 22:40:15 ID:oh2kJy87Hg
晩年はボケ老人だったけどね

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006 2011/04/15(金) 23:14:08 ID:SMgD7D84hk
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007 2011/04/15(金) 23:47:13 ID:/f5fL.5F9s
>体制作りにはまったく興味を示さなかった

そんなことはないだろ

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008 2011/04/16(土) 00:00:35 ID:1qbbZwxWig
>>5
>>6
ボケたという証拠は一切ない!!
そんな文献は一つもない!!

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009 2011/04/16(土) 01:33:50 ID:ZesF3jzC9.
要らない人

信長→家康で十分

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010 2011/04/16(土) 07:01:19 ID:xDZ9yiJuCA
大阪に拠点を置いた反徳川だから、未だに叩かれる。

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011 2011/04/16(土) 08:18:28 ID:21QLkfP3JI
天下をとるまでは偉人なんだけどねぇ

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012 2011/04/16(土) 10:38:19 ID:gtPlNsnxqI
聖徳太子にも匹敵する日本屈指の偉人なのに
今年の大河でのあの扱いは何だ

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013 2011/04/16(土) 13:16:09 ID:NKBnEz2Bvs
いくら有能でもただの小汚い下品なおっさんが
あの時代に底辺から関白まで成り上がれるわけないだろ。
カリスマだよ。圧倒的なカリスマがあったんだよ。

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014 2011/04/16(土) 13:16:44 ID:xDZ9yiJuCA
諸悪の根源は、NHKの大河ドラマの演出にあるね。
NHKが作り上げた姑息で下品で無知蒙昧なオッサンが、
多くの名将の信頼を得て天下統一など出来るはずが無い。

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015 2011/04/17(日) 00:13:38 ID:yoOqmq3fZk
>>8
「認知症」だと言ってるわけでない。ただ天下統一するまでは人心掌握も優れていたが
晩年は諸大名を引きつける求心力が弱まっていただろう?朝鮮征伐も西国大名を疲弊させ
徳川をはじめ東国大名は体力を温存できた。また朝鮮征伐は豊臣家での武断派と文治派との
派閥抗争を激化させてる。我が子可愛さで甥っ子の妻子まで皆殺しにして、挙句の果てに
最大の危険人物の徳川家康に我が子の将来を託してる。天下統一までの英邁さとはかけ
はなれた老人だと思うけどね。秀吉は政治的な駆け引き上手で関白までのし上がったのに
晩年はその政治的な嗅覚が完全に潰えてる。

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016 2011/04/17(日) 00:40:26 ID:T70N8KQ2Fo
最大の危険人物だからこそだろ?

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017 2011/04/17(日) 01:46:05 ID:FP7X9DnRCQ
>>18

>朝鮮征伐も西国大名を疲弊させ徳川をはじめ東国大名は体力を温存できた
>また朝鮮征伐は豊臣家での武断派と文治派との派閥抗争を激化させてる

ここは完全に結果論だね。最悪のタイミングで秀吉が死んだだけで
東国大名も秀吉の本隊と同時に渡航する予定だった
二行目に関しても、秀吉自身が渡航すれば収まっていた事は明白

>最大の危険人物の徳川家康に我が子の将来を託してる

ここについては秀吉自身が完全に豊政権の存続を諦めていたんだろう
諦めながらも、我が子の行く末を案じ泣いて縋るより他になかった

とは言え、晩年の秀吉の知恵に翳りが見え始めていたのは事実だと思う

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018 2011/04/17(日) 01:47:33 ID:FP7X9DnRCQ
>>17
アンカーミス

>>18×
>>15

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019 2011/04/17(日) 04:35:06 ID:/iyl3uc7wo
太閤殿下は偉大です

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020 2011/04/17(日) 13:19:33 ID:yoOqmq3fZk
>>17
>ここは完全に結果論だね。最悪のタイミングで秀吉が死んだだけで
つまり秀吉が死ねば豊臣家がつぶれる事を理解しないまま漫然と朝鮮征伐なんて思い付いた
のがおかしいのだろ?天下統一までは取り潰した敵の領土を分け与える事で臣従する者を
満足させるだけで良かった。だが天下統一した後分け与える領土がなくなったので大陸に
目を向けたのだろう?そこが間違いだ。豊臣家が秀吉亡き後でも成立する政治機構を
構築すべきだった。五大老五奉行は豊臣家内での話で武家社会の統治機構ではない。幕府は
無理とわかっていたにせよそれに代わる武家の統治機構を整備する方が良かったはず。

また朝鮮征伐をするなら先ず東国、とりわけ徳川の財力兵力を減らすべく画策するべきだ
ろう?西国の方が近いので脅威を感じていたのかも知れないが…。

>ここについては秀吉自身が完全に豊政権の存続を諦めていたんだろう
>諦めながらも、我が子の行く末を案じ泣いて縋るより他になかった
豊臣政権の存続を諦めていたならなんで朝鮮征伐なんてしてるの?矛盾してるだろうw
本気で諦めていたなら豊臣家の安泰の為の方策を考えるべきだろ?それもよりによって
徳川家康に秀頼の後見人の大義名分を与えるような形をとったのは間違い。まぁ信頼すべき
有力大名がいなかったのだろうけど。

晩年には天下取りに奔走した秀吉像とは違うただの思いつきで行動する老人像が相応しい。

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021 2011/04/17(日) 16:39:43 ID:FP7X9DnRCQ
>>20
君はあくまでも国内の権力争いで思考停止している様だけど
朝鮮征伐はヨーロッパ列強に対する牽制の色が強い
それは、秀吉がマニラ総督に宛てた書状や、キリシタンの弾圧など
残された史料で如実に窺い知る事が出来る
秀吉があと十年長生きしていれば、秀吉のマニラ上陸も夢ではなかったし
秀吉は本気でそうする気だったんだろう

>また朝鮮征伐をするなら先ず東国、とりわけ徳川の財力兵力を減らすべく画策するべきだろう?
>西国の方が近いので脅威を感じていたのかも知れないが…。

一々反論するのもめんどいけど、豊政権下においては
戦場に近い大名が真っ先に動員される事になっていたのよ
例えば、小田原討伐の時はすでに朝鮮遠征が決まっていた事もあり
西国の大名は動員を免除されている
あと上にも書いたが、徳川などの大名も明軍との決戦要員として
秀吉と一緒に渡航する予定だった。
君が主張する東国大名の兵力を削ぐ事も、秀吉があと少し長生きしていれば可能だったわけだ
繰り返すが、最悪のタイミングで秀吉が死んだだけだよ

>豊臣家の安泰の為の方策

国内統治に勤めれば多少の延命は可能だったろうが、どの道滅んでいただろう

秀吉に実子が十何人もいて、
秀吉の晩年に成人している跡継ぎがいれば
秀吉も豊政権の存続を第一に考えただろうがあの状況じゃ難しい
秀頼は幼児、秀長が死んで、頼みの利家も老体、三成には人望がない、豊家の直轄領が少なすぎる
政権の存続は四面楚歌と言っていい状況だろう
賢明な秀吉がその事に気付かなかったとは思えない

そして、その秀吉の心境は辞世の句に良く表れている

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

一応補足しておくけど、浪速(大阪の意)のこととは、
大阪を本拠地とする豊政権のこと
秀吉はこのタイミングで自分が死ねば、
豊政権は滅亡すると確信していたと思うよ

日本史上、空前絶後の足跡を残した男が
我が子可愛さのあまりに、絶対に無理だと悟りながら
家臣に泣いて縋った気持ちを思うとなぁ・・・

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