文禄・慶長の役総合


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205 2011/08/01(月) 23:00:39 ID:CTxU1.ky4A
『戦国合戦の舞台裏/盛本昌広』を読んでるが参考まで。
兵糧の現地支給を行った先例としては、北条氏康が内藤廿騎衆にあてた
書状で、その例が認められる。
信長はおもに商人から兵糧を購入したが、大量に前線に輸送できた要因は
①尾張・三河・伊勢は以前から海上交通が盛んだった
②戦国期に船が大型化し、輸送を促進させた
③余剰米の発生により米市場が成立した
④財政基盤の直轄領を設定し、資金を吸い上げた
⑤金銀の流通が増え商人の活動が活発化していた
と言う点が挙げられてる。

武田家に圧迫された徳川家は積極的に敵地で苅田を行ってる模様。
麦苗薙により敵の補給を絶つ手法は信長自身も率先して行っている。
麦を掘り返し放火する「くろつち」、掘り返しを強調する「七尺返し」など
面白い表現が幾つかある。
馬の飼料は掠奪。これは秀吉も同じで青豆や稗を刈り取るのは許可している。
糠は亭主に断る、とされるが、実質上供出が強制された模様。

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