文禄・慶長の役総合


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001 2011/04/06(水) 16:00:43 ID:qpFea/U0/M
戦国オールスターズが大陸へ打って出てドンパチやった大戦争、
文禄・慶長の役について自由に語ろう。

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002 2011/04/06(水) 20:00:02 ID:krv8Kyxhbg
秀吉は小田原征伐に25万、九州征伐に20万なのに明にはたったの15万(兵士は10万以下)
で攻めてほぼ圧勝…つよすぎ。

秀吉軍以前に大陸渡ったら加藤清正に誰一人敵わなかったんだからなぁ
明も朝鮮もその後明を滅ぼした女真族もフルボコにしておまけに虎まで倒した。

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003 2011/04/06(水) 20:44:06 ID:qpFea/U0/M
確かに戦闘ではほとんど勝ってるけど
戦略的には破綻してたからなあ

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004 2011/04/06(水) 21:33:52 ID:G.hmvX39Y2
中朝に対する離反工作が上手くいってなかった時点で無茶の塊だったね

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005 2011/04/07(木) 09:13:53 ID:NeUl3sLv7U
朝鮮の弱さは特筆に値するな。

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006 2011/04/07(木) 14:09:42 ID:gayPyX3NQg
陸続きの後金ですら明を滅ぼすのに20年かかってるのに
秀吉軍が大陸でたかが数年戦ったくらいで実のある戦果を挙げるのは時間的に無理だったろう。

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007 2011/04/09(土) 09:02:15 ID:fi5XTdJdi2
>>3
そんなことないでしょ

文禄の役では、圧勝ゆえにイケイケドンドンで攻め込みすぎて兵站が延びきって寒冷と補給おっつかずで痛い目にあったが
慶長の役では、南朝鮮に倭城と呼ばれた日本式の築城をたくさんおこない、もうおいそれと明軍が奪還できない状況になってた。
そのうえ、これまでのは先発隊というべきで、九州では、伊達、徳川の本体とも言うべき大軍が渡航待ち。

秀吉があと3年生きてただけで、明は滅びた可能性が十分あるだろう。
明の首都って北京だし、国境越えたらすぐ眼前。北京が落とされて皇帝が捕虜とか、捕虜でなくとも明崩壊なんてシナリオは十分ありえたと思う。

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008 2011/04/09(土) 14:50:31 ID:0KiesDr/ls
>>7
半島を手にしていたとしても後金と明を相手にする事になって遼東付近でにらみ合いになり逆に明の寿命が延びるだけ

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009 2011/04/09(土) 16:14:06 ID:3foqkr0gTo
>>8
にらみ合いにはならんでしょ。一気に北京落として明朝終わり。
その後日本側が北京をずっと維持できて、中華を支配していけるかってのは別の話しだけども
北京陥落自体は、秀吉がもうちょい生きてりゃなってただろう。
そもそも最初の文禄の役ですら北京に迫ろうかという勢いで一気に攻めあがったわけで、伊達、徳川といった本隊が上陸すれば、倭城もあるし、
北京は地理的に言って落とされるだろう。

漢民族が軍門に下るかは別の話しとしても、明朝に関しては滅びた可能性が高いのではないか。

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010 2011/04/09(土) 17:39:47 ID:4pb/VdrMbc
>>7
言葉が足りなかった。戦略が破綻してたっていうのは主に文禄の役のことね

ただ北京をそう簡単に落とせたかどうかは疑問に思う
あの状態で、北京に至るまでの長大な補給ルートをどう維持するのか、とか
兵士たちの厭戦気分や国内の人々の不満をどう解消するのか、とか

軍事史ではどんなに軍隊が強力でも、現地に協力組織を得られなければ
外征は失敗すると言われてるらしいからね

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011 2011/04/09(土) 19:20:41 ID:S98y0iRXTw
朝鮮義勇兵のゲリラ戦法で、補給線をズタズタにされていたのに、
どうやって北京までいくんだよw

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012 2011/04/09(土) 19:22:12 ID:0KiesDr/ls
>>9
文禄の時点で既に女真族とも戦闘しているだけに、慶長の時に遼東方面まで侵攻していたら
満州と国境を長大に接することになり、広い範囲で報復戦を展開された可能性の方がありえる
個人的な恨みがありながらもヌルハチは明に対して同盟の提案も一度やっているだけに、仮に北京に迫る勢いだったとしても
今度は明から後金に対する同盟案が出ていた可能性もあるので尚更明攻略は難しい
ヌルハチと敵対してしまっている以上、満州攻略無しに北京陥落を語るのは無理無茶無謀の三拍子以外の何物でもない

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013 2011/04/09(土) 20:33:19 ID:DiCyWNwz6A
>>10
前回の反省から慶長の役では城を作って着実に進軍しようとした。
>>11
ゲリラになったんじゃなく日本と明双方から略奪され乞食になった連中が暴れただけ
>>12
加藤清正に負けた女真族とその他の諸大名に負けた明と乞食の朝鮮でどうやって勝つの?
秀吉軍の最大の課題は北京落とした後ちゃん統治できるかどうか。
間違いなくあちこちで反乱起こるだろうね、日本には外国を統治した歴史がそれまでないし。

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014 2011/04/09(土) 21:12:47 ID:0KiesDr/ls
>>13
地続きで二正面作戦を強いられる時点でいくら遠征軍が強くて戦術的勝利を重ねても、戦略的にはまず勝ち得ない
ドイツ軍が東西に戦線を広げ過ぎて首が回らなくなったように、渤海から遼東までを守りつつ北京に侵攻するのは補給線の長さから言っても不可能
モンゴル方面の北元に対して軍事的な働きかけも一切やっていない状況で、日本一国でやれる事は限りなく少ない

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015 2011/04/09(土) 22:07:42 ID:4pb/VdrMbc
女真族に勝ったといっても、清正のオランカイ侵攻は小競り合い程度だし
戦った相手はヌルハチではなく、ヌルハチと対立していた野人系の女真族

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016 2011/04/09(土) 23:35:08 ID:S98y0iRXTw
>>13
都元帥 権慄の活躍は?蔚山の戦いは?
来島通総が死んだ鳴梁海峡海戦は?
明・朝鮮を必要以上に過小評価しすぎ。

あと、北京まで日本軍がいける訳ないだろw
秀吉の生前にも関わらず、渡海軍の戦線が半島南部に留まりなおかつ、
その戦線も現地軍は縮小(順天、梁山の放棄)していたのは何故なんだよ。
そして加藤清正と小西行長が独断で和平交渉した訳は?
説明してくれ。

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017 2011/04/10(日) 01:11:25 ID:0ai/0tYtLs
>>16
なにそのマイナー武将は?

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018 2011/04/10(日) 01:48:39 ID:m1gvCNeaLU
>>16
そら簡単な話。日本の先発隊の人数より、明軍のほうがはるかに大軍だったから。
それでも倭城のせいで、拮抗してるしまつ。
本隊は、九州で渡航直前の伊達軍、徳川軍でしょ。

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019 2011/04/10(日) 02:53:48 ID:y8eqK.iDxs
コテハンが文禄・慶長の役を出汁にして中朝を貶したいだけってのはよく分かった

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020 2011/04/10(日) 05:37:50 ID:1ALzu0JE.c
文禄・慶長の役って、結局七年かけて戦略目標を達成していないわけだよね?
それも日本の(ほぼ)総力を注ぎ込んで。
大失敗じゃん。
まあ秀吉がボケてたんだろうけど。
あんまし自慢出来る戦争じゃないよね。

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021 2011/04/10(日) 11:08:44 ID:gWMSgDFS.E
戦争が長びけば長びくほど日本が不利になってくる
日本は武将同士連携とれてないし
当然物資の補給路の確保も難しくなる

秀吉が生きていても明征服は無理と思う
本宮の漫画のように簡単にはいかんよ

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022 2011/04/10(日) 11:49:32 ID:2Nx4VKmwqY
>>21
逆じゃない?
その文禄で経験から補給や、築城の重要さを踏まえて
慶長ではその下準備は先発隊がやって、いよいよ本隊ってとこでしょ、あれ。
むしろ補給経路はあとになるほどそれまでを踏まえて準備できてくるもんだと思うが。

>>19
別に俺中国嫌いでも韓国嫌いでもないよ。

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023 2011/04/10(日) 13:27:21 ID:RM4b0r786c
>>20
でも、もしこの戦役がなかったら
「戦国戦国言っても島国で内戦してただけだし日本弱いよねw」て風潮になってたと思う
アジアの超大国である明と互角以上に渡り合ったことで戦国日本の実力が証明されたと

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024 2011/04/10(日) 17:08:38 ID:Y1N5lJUCxc
>>22
だから北京までどうやって補給線を維持しながら侵攻すんだよって聞いてんだろ
一番の肝になる部分を無視して「本隊が来たら勝ってた」でごり押すつもりか
本隊が来たらさらに物資の確保が難しくなってたんだぞ

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025 2011/04/10(日) 17:32:03 ID:ZZYU1S9tIM
>>24
じゃあさ、日中戦争のとき、南京まで日本軍は
侵攻したわけだが、状況は同じじゃないの?
それなりに、進軍のルートを決めて補給も整える
だろうと思うので、時代は異なるが、南京にはできて
北京にはできないとは思わないな・・・

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026 2011/04/10(日) 18:39:16 ID:gWMSgDFS.E
>>22
遠くなればなるほど補給、築城は難しくなる

>下準備は先発隊がやって、いよいよ本隊
だから、統制がとれていないのでそれもうまくいくわけがない

>>25
何百年もたってるのに状況は同じなわけない

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027 2011/04/10(日) 18:52:48 ID:TgMhRIzd7g
後世から観ると、朝鮮出兵も太平洋戦争も同じなんだよなw
最初はすげー勢いなんだけど、中盤からgdgd、後半はボロボロ。

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028 2011/04/10(日) 19:47:15 ID:ZZYU1S9tIM
>>26
軍隊のの傭兵とか戦略は今も昔も殆ど変らんよ・・・
昔は劣っていたという偏見から抜けたほうがいいかと・・

昭和の陸軍も単発式の銃で、戦国時代の
火縄銃とさほどの差はないし・・・

普通の喧嘩でも、今と昔で違いがあるわけでもなし・・・

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029 2011/04/10(日) 19:47:31 ID:Y1N5lJUCxc
>>25
同じってどの辺が?

南京攻略時は制海権の掌握と対ソ連への抑えとしての満州国の存在があった
文禄慶長は制海権の掌握は完全に出来てないし満州は国境を接したら敵対していた可能性が高く、補給線の維持は是が非でもしなければならない
北は女真、北西にモンゴル、西に明の状況で補給線を維持出来て侵攻する体力があって北京まで行く勢いがあったのなら
文禄の時点でさっさと北京落としてたはず
それが出来ていなかったということはつまりそういうことなんだよ
戦略的な無茶を戦術的大勝利でカバーしようとしてたんだから、最前線の連中はすごいよな

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030 2011/04/10(日) 19:58:48 ID:ZZYU1S9tIM
>>29
ソ連は少なくとも関係ないじゃない・・・
文禄慶長の役の時代にさ・・・

長期戦で挑めば、失敗もあったろうが、
北京まで行けたに一票!!

それに、確かこの時代、明も女真とかと敵対して
戦ってたんじゃなかったか?
この時代の明の将軍が、万里の長城を補修拡大してたはずだ・・
日本側にとって女真族が敵対する可能性もあるが
明にとっては女真族は完全な「敵」じゃないよ・・・
日本側にとって脅威なら明にとっても脅威でしょうが・・・

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031 2011/04/10(日) 20:32:52 ID:Y1N5lJUCxc
>>30
日中戦争の話を自分からしといてソ連を持ち出したら関係ないとか馬鹿かお前

大日本帝国にはソ連が、豊臣遠征軍には女真という目の上のたんこぶがあった
ご破算にはなったが、文禄の時点で清正が女真族の一部と戦闘を始めた事でヌルハチが中朝に対して支援を申し出ている
戦況次第では連合が成立していて包囲網が敷かれていた可能性は非常に高い
敵対していた明と女真もその辺のやり取りをしていたのだから豊臣軍が相当な脅威だったのは間違いない
ただ、歩兵主体の豊臣軍が満州遠征をしても無駄に疲弊するだけであり
かと言って遼東以西を攻めたら後金軍の横殴りを警戒せにゃならん
それでも北京まで行けるって根拠無く言い張るんなら、まぁ好きにしてくれよ

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032 2011/04/10(日) 21:20:07 ID:0ai/0tYtLs
>>31
いや、いけたんじゃね?
所詮朝鮮人も中国人も、勝ってる方に貢ぐんだからさ
戦術的勝利を重ねていけば、兵站は崩壊しない

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033 2011/04/10(日) 23:30:13 ID:gWMSgDFS.E
>>28
いや、大きな違いがある
「情報」だよ
当時の明の情報なんて聞きかじり程度しかわからんだろ
しかし、日中戦争時は正確な地図もある
情報量がまったく違う

武器に関して変わらんと言うのなら
明治維新のときに戦国時代の武装のままで
新式の軍隊に対抗できたということになるが?

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034 2011/04/10(日) 23:35:22 ID:.JMtBKJQ0c
>>15
加藤清正は総勢2万の内1万でオランカイで暴れてヌルハチが中の悪い明と一緒に戦うと泣きついてる。
加藤清正1万で明に泣きついてるようじゃ日本に勝つのは無理がありすぎる。
>>16
>>明・朝鮮を必要以上に過小評価しすぎ。
文禄の役は日本側がバラバラに戦い(それでもほとんど勝ってる)日本、明が朝鮮半島での略奪が朝鮮半島を荒廃させて食料の現地調達が出来ず飢えで苦しんだ。
講和を結ぶのはには双方にそれをさせる条件がないと無理、明は秀吉軍に苦戦し秀吉軍は飢えに苦しんで双方講和に進んだ。
慶長の役では進軍より物資の輸送重視して中継地として倭城築きつつ進軍する。
朝鮮水軍は文禄の役では見方の抜け駆けで壊滅できなかったが慶長の役では漆川梁海戦で朝鮮海軍を壊滅している。
明を過小評価するつもりはないが朝鮮は海賊に毛の生えた程度しか活躍してないだろ。
万年属国の唯一の英雄は撤退中の敵を攻撃して死んでますw

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035 2011/04/11(月) 00:40:58 ID:.idK2gf8DE
>>31
おい、言葉に気をつけろよ、ネット番長!!!

日中戦争って言ってるのに、お前が、ソ連とか頓珍漢なこと
言い出したんじゃねぇか!!!
日中戦争ってどことどこが戦ってる?
日本と中国だろ!!!
どっちが頓珍漢だ?あん??

人の批判する前に、自分の書いた書き込みをよく読んでみろ!!
この、マヌケ!!!

しかし、その後も戦い続けて、明を制圧出来たかと言えば、永遠に謎だな・・
それを面白がるスレで、意見が異なるからって、人を罵倒するなよ・・
バカじゃねぇの?

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036 2011/04/11(月) 01:19:04 ID:EBieUPHuu6
>>35
きゃーこわい

戦争で当事国間しか語らないのは馬鹿のする事よ
周辺や外交的な働きかけをした国も併せて語るもんだから、日中戦争でーす日本と国共しか語っちゃ駄目でーすあばばばば
というわけにもいかんでしょ
スウェーデン抜きで冬戦争の話をしたって意味がない
しかもそっちは話の本質じゃねぇし、いちいち絡まないでいただけますかね

何言おうが好きにすりゃいいと思うけど、「旗本つえーから!兵站とかも大丈夫だから!」なんて根拠も無く言うのはちょっと違うんじゃねーかな
地理的に言って長城のある明本国と何も無い半島では北方民族の侵入も過激になる
それを抑えつつ遼東へ侵攻するにしても、西と北の二正面作戦を跳ね除けて進軍するなんて近年のアメリカでもやりたがらない戦い方
戦術は申し分なかったんだから、戦略さえどうにかきちんとしてたら北京届いてたってーなら同意出来るんだよね
秀吉の生死にこだわり過ぎだと思う

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037 2011/04/11(月) 08:56:49 ID:GYwkar7J1s
>>34
ヌルハチは泣きついたというより明や朝鮮に付け入ろうとした
と言う方が的確じゃない?「倭人など海に叩き出してくれる」とか豪語してるし

まあ確かにこの頃の女真族なんて日本軍には勝てないと思うが

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038 2011/04/11(月) 09:57:28 ID:aQd5xHPlmc
>>26
>遠くなればなるほど補給、築城は難しくなる

それは少なくとも逆でしょう。
古今東西の侵略戦争では、苦労しながら最初苦戦しつつ、補給路、陣地その他をちょっとずつ構築していって
あとになればなるほどインフラができてくるもんで。

インパールでもそうだし、日露戦争でもそうだし、そういうもんでしょ、普通。
その最初のインフラ作りに多くの血を流しながらやるってのはあたりまえじゃん。
んでそういうインフラ整備を先発隊が苦労しながらも整えつつあったんだから、その考えは違うと思うよ。

もう戦費が無いってならそこで頓挫だろうけど、日本軍の場合、まだまだ送れる能力あったわけだし、インフラ整備事業はまだまだ秀吉死んでなけりゃ継続できたわけじゃん


要するに、秀吉が死んだ→戦国の定番、跡目争いの準備にかからにゃまずいかも!!
…ってのが経験則で武将らにはあるから、朝鮮どころじゃないってことなんだと思う。
信長死後に秀吉が跡目になった流れに限らず、主君が死んで、さらにまともな後継者もまだ居ないんじゃ、当然跡目巡って一波乱あるで〜というのは思うだろうし。出遅れたらまずい。

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039 2011/04/11(月) 10:02:41 ID:aQd5xHPlmc
>>25
点では制圧はできるでしょね。面ではできないかもしれないけど。
結局ヌルハチや遊牧民の北京落としとかの歴史もそういうことだし。

そういう意味で、中華支配は別だけど、明滅亡は十分考えられる展開だと思うね。

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040 2011/04/11(月) 10:56:28 ID:.zRJdKDjWI
>>38
補給線が伸びれば伸びるほど脆弱になるのは当たり前のことで
逆はありえない
だいたいあとになればインフラでてくるんだろ?
遠くなれば最初のほうは維持難しくなるってことだろ?
じゃあ、やっぱ遠くなるほど補給は大変じゃん

補給路を完全に征服してしまえば楽になるが、結局はそこが問題
おまえさんが>>39で書いてるように点でしかしか制圧できない以上無理

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041 2011/04/11(月) 13:38:45 ID:JA/iw9YpXM
さも当然のごとく言ってるけど、そもそも秀吉の狙いは明の滅亡と中華の制圧だったのか?

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042 2011/04/11(月) 15:59:52 ID:QziJpVfSbk
秀吉の目的としては、常に戦をしていなければ戦国時代の国家運営が成り立たず、外敵を求めたからだと考えるね。

日本軍が北京迄行けたかってことはわからないけれど、日本人そのものが遠征や長期の外国暮らしができる民族じゃないと思う。

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043 2011/04/11(月) 17:23:28 ID:WvImLu3HU.
この時代の下級兵士ですら海外で頑張ってきたというのにお前らときたら

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044 2011/04/11(月) 17:28:04 ID:JA/iw9YpXM
>>42
国内政策として太閤検地、私闘禁止令、刀狩、禁教令等等の平和政策を施行していることから
結果的に常に敵を作ることにはなってしまったものの、それが国家運営の根幹を成すと言うのは納得しがたい
ただ、知行・領土分配の問題が鎌倉幕府同様に政権運営を圧迫させていた側面もあるので
諸将の政権への不満解消を狙ったという点では
その答えが必ずしも的外れというわけでもないとも言える
最終的な目標としての明だったろうとは思うけど、それよりもまず半島の日本化が一番の目的だったのではなかろうかと思ったり思わなかったり

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045 2011/04/12(火) 01:36:44 ID:PDVPg0N0hQ
>>41
基本的にはそうでしょ。明に事実上の戦線布告してるわけだし。

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046 2011/04/12(火) 08:46:59 ID:a1iT7wHwAQ
明だけじゃない
インドの征服も目標だったぞ

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047 2011/04/12(火) 10:03:15 ID:SEhMJi/p5U
>>40
だから。倭城に、制海権にと、きちんとそうならないように、二度目はやっていってるわけじゃん。
何言ってんだよ、おまえは。

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048 2011/04/12(火) 10:30:58 ID:kRI5ljqR2M
たとえ倭城や制海権(日本海、黄海)を確保できても、朝鮮半島の様な細長い地域なら補給路の確保は出来ても、
中国東北部などの平地に出た場合線の確保だけではなく面の確保をしなければ、補給路はゲリラ化した反日本の勢力に寸断されなくても、維持にかなりの力を向けなければならなくなる。
その場合、日中戦争の日本軍は300万の人員と航空機や戦車、輸送車両を使って戦線を維持したけれど、
戦国時代にはさらに多くの人員が必要になるだろうけど、当時の日本ではそんな近代兵器はないので全て人夫と牛馬と大八車だろうから到底戦線を維持できなかったと思うね。

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049 2011/04/12(火) 14:49:43 ID:fQOtr1zEyA
>>45-46
その辺がイメージ先行になってて、いつの間にか都合よく明の征服をゴールに据えてる気がすんだよね
諸将の独断専行や対馬藩の情報改竄とか、外交戦略的に見るとあまりにもお粗末過ぎてどうも信用ならない
太平洋戦争だって陸軍と海軍の思惑が別だったにせよ、早期講和を狙う流れがあったことは理解出来るが
文禄慶長の役は着地点が最初っから最後までぼんやりしたまま終結した感じがあって、歴史家もその辺を
勘合貿易の復活や諸将の不満解消、又は有力武将の戦力削減と半島への左遷とか複合的に捉え過ぎてて
一体何が主目的だったのかいまいちはっきりしない
補給線についてはこれまでの話の通りで物資を本国から海上輸送する方法に頼らざるを得ない事から無理の塊だし
長期に渡って謀略と戦争を繰り広げてきたそれまでの流れを考えると、どうも「らしく」ないんだよね

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050 2011/04/12(火) 17:15:23 ID:WehuBkodQs
>>37
おっしゃるとおりだと思うけど明にはそのようなデカイ口叩いたのに加藤清正が引き返した後南下して攻撃してこなかったことを考えると結局ビビッてじゃないかな?
また進軍して攻められかもしれないのにね。

慶長の役では朝鮮海軍壊滅(文禄の役でも水路はちゃんと確保している)し、朝鮮半島の壊滅的な荒廃による食料難も倭城建築で中継地点を確保し進軍。
戦争中に城の建築は困難だけどきっちり実現してる。
加藤清正、島津義弘、小西行長と倭城建築中の戦闘で明の10万以上の大群に打ち勝った。
有利な状況と数的絶対有利な条件での敗北は明軍とってかなりショックで戦意喪失している。

泗川の戦い
島津義弘がたった7000弱の兵で明軍約4万を壊滅(敵軍の勢力は10万以上の説もある)
島津強すぎwww

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051 2011/04/12(火) 18:25:09 ID:fQOtr1zEyA
>加藤清正が引き返した後南下して攻撃してこなかったことを考えると結局ビビッてじゃないかな?

その見方は正しくない
威力偵察としてオランカイ侵攻した後、野人女真の度重なる襲撃と満州経由の侵入が難しいとの判断で撤退したわけだけど
女真サイドからすれば清正を追い返すことに成功したわけだから、改めて南下をする必要はない

あと基本的に時間は日本に対して味方しない
秀吉の死をターニングポイントと考えるなら、慶長の進軍ペースでは秀吉が何年生きながらえても時間が足りない
また、築城そのもので補給線の問題は解決出来ない
シベリア出兵でさえボリシェビキの協力があって補給が出来ていたわけで、日本単体で海を挟んで補給というのは無茶な話でしかない
結局現地の協力が無い時点で遅かれ早かれ撤退することにはなっていただろう

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