支那事変


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001 2010/05/04(火) 13:29:25 ID:1KS.Nr5iVI
>支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、
>支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
>盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。
>更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
>支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
>その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、
>戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。

https://www.youtube.com/watch?v=eFZCRfUKwdc

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002 2010/05/05(水) 02:25:56 ID:QLQhZ1JhXQ
003 2010/05/07(金) 08:24:48 ID:ZbG2MZjOcM
004 2010/05/12(水) 01:22:00 ID:k1f2iVopxg
005 2010/05/12(水) 19:54:01 ID:Y9CPkxfqfQ:au
まあ、周恩来が中華人民共和国建国の時、劉司令官だっけ?褒め称えたから、共産党の発砲に間違いないね。日本がうまくやられただけだな。

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006 2010/05/13(木) 01:19:52 ID:JTg7hPpwWo
1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは一連の事件について
「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。
ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが・・・」
と上海特派員によって報じた。
またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。

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007 2010/05/13(木) 02:07:08 ID:hfJmBLbbSo
つか当時の陸軍や関東軍の戦略でしょ。
はじめから満州国を中国から取るつもりだったのは明白でしょ。
でなければ中国で牢獄されていたラストエンペラー溥儀を連れ出して利用しようなんて考えない。
張作霖爆殺事件でも連行した中国人に国民軍の軍服を着せ犯行現場で射殺し中国軍の犯行にしたてあげたんだから。
まあこれで中国を攻撃する大義名分を作ったわけで
あとは中国を屈服させて満州国を認めさせる計画だったんでしょ。

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008 2010/05/13(木) 02:30:58 ID:JTg7hPpwWo
ソース

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009 2010/05/14(金) 00:34:32 ID:N435kKzyg.
>>5
>>7
どちらもソース確認されてないから

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010 2010/05/14(金) 01:58:57 ID:mChafa8MWs
日本がリットン報告にびっくりしたのは当然である。
報告は日本の誇りを傷つけただけでなく、
アジアの大国としての地位を根底から脅かすものであった。
心理的衝撃は、日本は西側先進国ではないとされたことである。
日本は五大国の高い席から、アジアの後進民族と同じ地位に引きずり下ろされたのである。

そこで日本人は、こうした非難は日本の行動に対してではなく、
人種に向けられたものだという結論に行きつく。
中国人もリットン報告を子細に読めば、同じ結論に達しただろう。
国際連盟がリットン報告を受け入れ、
連盟とアメリカが満州国を独立国として承認しなかったことから、日本は連盟を脱退した。

日本が満州で治外法権を放棄したことに対してもそうだ。
欧米諸国が日本の行動に拍手を送ってあとに続けば、
むしろ日本の侵略を非難しうる堅固で正当な論理的基盤を作れるはずだ。
ところが、欧米諸国の特権的地位を奪う権利はないと言って満州を激しく攻撃したのである。

雌鵞鳥(グース)のソースは雄鵞鳥(ガンダー)のソースにもなるのだ
(訳注;西洋人に許されるなら、日本人にだって許されるのが道理だろう)。

Source for the Gander
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

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011 2010/05/14(金) 22:52:46 ID:OBerAcD6ag
>>10
おまえのレベルは悲しいほどにに低い。
しばらくロムってろ。

>>心理的衝撃は、日本は西側先進国ではないとされたことである。

この時代に西側なんて言葉はない。
西側東側という言葉が使われ出したのは第二次世界大戦後の東西冷戦からだ

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012 2010/05/15(土) 03:15:31 ID:uj.cMNimwY
そんなことぐらいしかつっこむところが無かったんだねw

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013 2010/05/15(土) 09:55:27 ID:I2RdrBnbwU:au
金振中の回想を読んでも、五番さんの意見が正しいんではないでしょうか?

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014 2010/05/15(土) 13:07:35 ID:uj.cMNimwY
つ満州善後条約

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015 2010/05/15(土) 18:38:27 ID:F8itspDFJo
>>12
つっこむところは前半書いてない事でしょ?

3)アメリカ国内の世論は、この事件(満州事変)にそれほど関心を持っていなかったが
一応は中国を支持した。国際連盟加盟の小国はどちらかといえば中国についたが、
大国の政府は態度をはっきりさせなかった。彼らにとって、問題は日本の意図だった。
もし事件が日本の主張どおり、「法と秩序」を回復し、日本の「合法的財産」を守る
ための通常の「警察行為」なら、日本の法的立場は強い。日本は条約上の権利の枠内で
行動したことになる。しかし、日本が満州併合を策しているなら事情は違ってくる。

4)アメリカと連盟がゆっくり動いている間に、満州の事態は急展開した。
連盟が設置した調査委員会(リットン調査団)が満州に到着する前の1932年2月29日、
満州人代表が瀋陽に集まり、中国からの独立と、独立国家満州国の樹立を宣言した。
そして、リットン調査団が報告書を連盟に提出する前の1932年9月15日、
日本は新しい国を独立国家として「承認」したのである。

5)しかし、日本は行きすぎたようである。
1932年1月、満州事変は抗日運動が盛り上がる上海に飛び火した。
上海の租界に権益を持つ各国の軍隊が警備体制についた。日中両国軍が衝突し、
日本軍は中国側の拠点チャペイを攻撃した。各国は共同租界の周辺で起きた
この衝突に強い懸念を抱き、アメリカとイギリスは日本政府に抗議文を送った。
何度か交渉が重ねられた結果、戦闘はやんだが、五月まで事態は収拾されず、
日本軍は撤退しなかった。

6)日本にとって、リットン報告の見解は「法的」にきわめて重要である。
もし、ある「軍閥政権」が外国勢力に認められたというだけで「中央政府」になれるなら、大国である日本が自分の勢力圏内にある望ましい政権を中央政府として認めてならない
理由はないのだ。もし、中国の中央政府が報告で明確にされているように法的擬制なら、
日本の満州も同じである、と日本は考えたのである。

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016 2010/05/15(土) 20:04:43 ID:uj.cMNimwY
要するにきちんと手続きを踏んでたわけね

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