【柴】義和団の乱【五郎】


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001 2010/02/17(水) 10:50:15 ID:DUBIgnbmME
B・シンプソン イギリス人義勇兵

数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍は、
王府の高い壁の守備にあたっていた。
その壁はどこまでも延々とつづき、普通ならばそれを守るには少なくとも5百名の兵を必要とした。
しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。
公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シバ(lieutenant colonel siba)である。

この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、前線を強化していた。
実のところ、彼はなすべきことをすべてやっていた。
僕は、自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる。

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002 2010/02/18(木) 08:27:49 ID:.lDp3ofzDY
イギリス公使館の正面の壁に穴があけられ、数百の清国兵が乱入した時は、
柴中佐は安藤大尉以下8名を救援に向かわせた。
公使館には各国の婦女子や負傷者が収容されていたのである。

安藤大尉は、サーベルを振りかざして清国兵に斬りかかり、たちまち数名を切り伏せた。
つづく日本兵も銃剣で次々に敵兵を刺し殺していく。
清国兵は浮き足立ち、我先にと壁の外に逃げ出した。
館内の敵を一掃すると、今度はイギリス兵が出撃して、30余名の敵を倒した。
安藤大尉らの奮戦は、イギリス公使館に避難していた人々の目の前で行われたため、
日本兵の勇敢さは讃歎の的となり、後々まで一同の語り種となった。

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003 2010/02/19(金) 15:11:10 ID:WxqMjfL57o
義和団の乱にて日本とともに戦った
イギリス人青年ウィールの手記

・・・日本人の勇敢さは、このころになると伝説以上のものとなっていた。
しかも彼らは深傷を負っても、呻き声ひとつ立てない。
あるイギリスの義勇兵は、隣りの銃眼に立っている日本兵の頭部を、銃弾が掠めたのを見た。
真っ赤な血が飛び散った。

しかし彼は、後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもなかった。

”くそっ!”と叫んだ彼は、手拭いを腰から取り出すとやおら鉢巻の包帯をして、
そのまま何でもなかったように、あいかわらず敵の監視を続けていた。
ヨーロッパ人の眼には、それは異様な出来事に映った。

 人間業とは、とうていおもえなかった。

また、戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本の兵士は、
ヨーロッパの兵士のように泣き叫んだり、大きなうめき声を出したりはしなかった。
彼は、口の中に帽子を突っ込んで、それを噛みしめ、少々唸りはしたが、そうして手術のメスの痛みに耐えた。
病院に運ばれた日本兵士たちも、物静かな点ではまったく変わらなかった。
しかも、彼らは沈鬱な表情ひとつ見せず、むしろ陽気におどけて他人を笑わせようとした。


イギリス公使館の、すっかり汚れた野戦病院に運び込まれた負傷兵たちは、
おおむね同国人たちが近くのベッドに並んで横たわっている。
日本兵の負傷者たちのところには、日本の婦人たちがついて、この上なくまめまめしく看護にあたっていた。
その一角は、いつも和やかで、ときに笑い声さえ聞こえた。
ながい篭城の危険と辛苦は、文明に馴れた欧米人、とくに婦人たちの心を狭窄衣のように締めつけ、雰囲気はとかく陰惨になりがちだった。
なかには明らかに発狂の症状を示す者もいた。

だから欧米の婦人たちは、日本の負傷兵たちのまるで日常と変わることのない明るい所作に接すると、心からほっとした。
看護にあたる欧米の婦人たちは、男らしい日本将兵のファンになった。

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004 2010/02/25(木) 04:54:08 ID:HK6UILnHzA
日本は白兵戦になるとやたらと強いな

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005 2010/02/26(金) 17:03:47 ID:4MA7tQvV9k
守城の人か。
いい人物に目をつけたね。
『ある明治人の記録』も涙なしでは読めない名著だ。

この北京の篭城は柴にとってもずっと思い出深いものであったらしい。

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006 2010/02/27(土) 06:14:29 ID:s4JOKEyw.E
007 2010/03/02(火) 10:28:55 ID:boTX5VyYyk
イギリス公使館書記生ランスロット・ジャイルズ

王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。
王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。

日本兵が最も優秀であることは確かだし、
ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。
わがイギリス水兵がこれに続く。
しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。

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008 2010/03/10(水) 10:21:43 ID:g2S.eW4h4s
精悍な顔をしてらしたんだな

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009 2010/03/13(土) 15:07:49 ID:IOhR.9sAiA
ピーター・フレミング「北京籠城」より

戦略上の最重要地点である王府では、
日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。
日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、
誰からも好かれ、尊敬された。

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010 2010/03/21(日) 19:51:33 ID:lXz2Nbimj.
守城の人、購入してしまった

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011 2010/03/21(日) 23:03:15 ID:sVlsJjsto.
>>7
小人かよ。
いくらなんでも日本人は小さすぎだろ。

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012 2010/03/23(火) 04:23:27 ID:7nSxdd3u2Y
「小さいのに強い」が強烈な日本人のイメージだったんだろ

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013 2010/03/28(日) 18:39:01 ID:NLRfJVqUPU
>>10
どうだった?

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014 2010/03/30(火) 20:23:39 ID:YaTtxzcwiE
>>13
俺は好き!でもまだ途中なんだorz

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015 2010/04/04(日) 18:06:40 ID:hzjdK7Ak2k
>>10
ある明治人の記録と石光真清の手記をあわせて読むと、あの時代の
雰囲気や、柴五郎の周辺の人々についてわかるよ。
あと、中国側からになるけど、加藤徹の西太后って本の義和団事件
の部分もなかなか面白い。

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016 2010/04/06(火) 09:36:32 ID:OKrHoOPzwc
陸戦隊

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017 2010/04/14(水) 12:56:32 ID:IU0BRmerqM
どんな指揮を執ったんだろう…

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018 2010/05/02(日) 15:48:46 ID:2ycAQ2rJaM
丁度スルーされることの多い時代だな

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019 2010/05/07(金) 13:11:23 ID:ZbG2MZjOcM
日露のインパクトにかすんじゃうんだろうな

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020 2010/05/15(土) 03:16:53 ID:uj.cMNimwY
都合が悪いんじゃね

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021 2010/05/15(土) 03:40:24 ID:PFmhIefyQY
極悪非道じゃなければならない敗戦国日本が、英雄的行為をやってたなんて欧米列強や支那とその属国には都合悪いだろうね。
だから封印されている。
ネットが無けりゃ、多くの人はここに挙げられた書物の存在さえ知らない。
だが、このような史実を掘り起こすのを嫌がる日本人が居るのも現実。

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022 2010/05/29(土) 02:49:33 ID:w/X6ffO/C2
いわゆるサヨクか

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023 2010/06/07(月) 03:01:46 ID:.lDp3ofzDY
日教組か

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024 2010/06/27(日) 05:43:36 ID:Giw1n4PqL.
いい話age

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026 2013/04/18(木) 20:40:44 ID:lZpkTzwZnA
伊丹監督

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