義和団の乱にて日本とともに戦った
イギリス人青年ウィールの手記
・・・日本人の勇敢さは、このころになると伝説以上のものとなっていた。
しかも彼らは深傷を負っても、呻き声ひとつ立てない。
あるイギリスの義勇兵は、隣りの銃眼に立っている日本兵の頭部を、銃弾が掠めたのを見た。
真っ赤な血が飛び散った。
しかし彼は、後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもなかった。
”くそっ!”と叫んだ彼は、手拭いを腰から取り出すとやおら鉢巻の包帯をして、
そのまま何でもなかったように、あいかわらず敵の監視を続けていた。
ヨーロッパ人の眼には、それは異様な出来事に映った。
人間業とは、とうていおもえなかった。
また、戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本の兵士は、
ヨーロッパの兵士のように泣き叫んだり、大きなうめき声を出したりはしなかった。
彼は、口の中に帽子を突っ込んで、それを噛みしめ、少々唸りはしたが、そうして手術のメスの痛みに耐えた。
病院に運ばれた日本兵士たちも、物静かな点ではまったく変わらなかった。
しかも、彼らは沈鬱な表情ひとつ見せず、むしろ陽気におどけて他人を笑わせようとした。
イギリス公使館の、すっかり汚れた野戦病院に運び込まれた負傷兵たちは、
おおむね同国人たちが近くのベッドに並んで横たわっている。
日本兵の負傷者たちのところには、日本の婦人たちがついて、この上なくまめまめしく看護にあたっていた。
その一角は、いつも和やかで、ときに笑い声さえ聞こえた。
ながい篭城の危険と辛苦は、文明に馴れた欧米人、とくに婦人たちの心を狭窄衣のように締めつけ、雰囲気はとかく陰惨になりがちだった。
なかには明らかに発狂の症状を示す者もいた。
だから欧米の婦人たちは、日本の負傷兵たちのまるで日常と変わることのない明るい所作に接すると、心からほっとした。
看護にあたる欧米の婦人たちは、男らしい日本将兵のファンになった。
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