(明治元年12月のこと)キリスト教の問題でも大いに議論があった。これに関する日本側の言い分はきわめてもっともであり、
またハリー卿(パークス)の言うところにも一応の理屈はあった。しかし、まずい事には長官(パークス)が木戸の議論に癇癪をおこし、
ここで繰り返すに忍びぬようなひどい暴言を吐いた。結局、日本側は、天皇の思し召しによりキリスト教徒を寛大に処置するという
意味の覚書を外国使臣たちに送ることを約束した。(中略)私たちが馬車で帰館する道すがら、パークスは出し抜けにこう言った。
「昨日、私がちょっと興奮しなかったら、彼らは決して他の外交使臣たちに対してキリスト教のことを話さなかったと思う」と。
私はこれに対し、「なるほど、そうかもしれませんが、しかしあなたは木戸の感情を害したと思います。彼はすぐに口をつぐんで、
頑として沈黙をつづけていました」と答えた。パークスは、「君はそう思うかね。彼の感情を害したとなると、いささか気の毒な気がする」と言った。
そこで私は、「忌憚のないところを申しますと、特別な場合にはあんなこともよい効果を生むかもしれませんが、あれでは日本人は
あなたと会見するのをこわがるようになると思います」と言った。これを聞いた長官は、明朝木戸を朝飯によびたいと言って、
できるだけ丁寧に招待状を書いて送るように、私に頼んだのである。
(「一外交官の見た明治維新」アーネスト・サトウ著より)
なんでイギリスの公使ごときが、当時の日本政府最高指導者に暴言吐けるかって話だよね。
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