【悩み多き西郷】
では、なぜ西郷はそこまで朝鮮への使節派遣を強く望んだのでしょうか。
そのことのヒントとして、維新後の悩み多き西郷の姿があります。以下、
その悩みについて、簡潔にまとめてみましょう。
①新政府に失望していた。西洋文明の皮相を模倣し、私生活では驕奢を恣
にする政府高官たちの姿は、維新の理想とは程遠いものでした。
②幕府との戦争が終わり、お役目御免となった大勢の士族たちの扱いに苦
慮した。出来ることなら彼らの地位と生活を保障してやりたいと思っても、
政府にそのような余裕のないことは明らかでした。
③旧藩主である、島津久光との関係に苦慮した。久光はとても新時代とは
相容れない極端な保守主義者でしたが、けっして暗君ではありませんでし
た。東洋的な教養もあれば、気骨もある人物で、息子である若い藩主に代
わって、事実上藩政を牛耳っていました。その久光が新政府の政策をこと
ごとく憎み、維新を推進した中心人物たる西郷その人も憎悪して、陰に陽
に圧力をかけてきました。
④うつ病に悩まされた。西郷本人が自覚していたかどうかは不明ですが、
西郷には、すでに若い頃からその性向が認められます。そのため、何度か
絶望の淵の沈み、引退や自殺を考え、実際に自殺未遂事件さえ起こしまし
た。戊辰戦争で最愛の弟を無くしたことは、この病をより深刻なものにし
たものと思われます。西郷とうつ病に関しては、精神科医による詳しい考
察もあります。
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