〔藤原氏の出自とは何ぞや?〕
◆藤原氏の源は、中臣鎌足をおいて他にいないと思われるが、彼及びその子孫たちにどんな出自の
秘密があるというのか?鎌足渡来人説は割と有名だ、学問として認められような確かな証拠はない
はずだ。しかし、そこは畜生の浅ましさ。教科書程度のベンキョーしかしていない白痴低脳サルの
狭い狭い知識がそう断定するのであって、名無し先生の驚天動地の新機軸によって、低脳サルの
腐った脳ミソが一刀両断されること必定か!
〔摂関政治とは案外基盤の脆弱な政権だった〕
◆それこそ小学校の教科書くらいしか読んでない人は、もしかしたら飛鳥時代の鎌足から摂関政治の
全盛期を築いた平安時代の道長まで、あたかも一本のレールで権力が繋がっているかようなイメージを
抱くかもしれないが、それは大間違い。鎌足から道長に至る過程には、後継者が病気で死滅したり、
一族の長が権力闘争に敗れたりで、藤原氏が権力の中枢から外された期間が実はかなりある。
◆しかも、道長以降の摂関政治にしても、実はそれ程安定した政権とは言えなかった。なぜなら、摂政
なり関白なりの地位を得るには、藤原氏の娘を天皇と結婚させて、その娘に次の天皇を生ませるという、
面倒な(しかも偶然の要素が介在する)手続きが必要だから。そのような脆い政権がいかにして日本を
実質的に支配し得たのか?名無し先生の、快刀乱麻を断つ名答を楽しみにしときましょ。
>>9 それで、お前には答えがあるのか。
返信する