↑だけではアレなんで…
人的資源の制約と傭兵より高コスト※って事から主力は外国兵になってた。グスタフ下には最末期で
総数16万の兵があったけど、自国兵は2万に満たない。
傭兵を(戦役連続で結果的に?)長期雇用とした事、傭兵・徴募兵にスウェーデン人指揮官※を配し自国式
の装備訓練を施した事、同盟者にも自国式の隊形訓練を要求した事などにより、軍全体を信頼/計算可能
で高度な戦術を実行可能なものに出来た。その根源は、王権下に軍関係の権益/資金を集約できた事。
ここら辺は、スペインのテルシオ、オランダ式軍隊といった前例をベースに拡大発展させたものだね。
※当時の徴収兵は、平時は国内駐屯先の地域が糧食その他を負担、国外遠征時には王/国家から(傭兵より)高額の俸給と補給を受ける。といったシステムだったため、平時=王の負担超軽い 遠征=超高コストに。
結果、グスタフ軍での徴収兵は遠征での近衛軍+国内予備として使われ、傭兵、同盟者に金銭を払って
出してもらう軍、占領地での徴募兵(平時戦時とも俸給支給)が数的主力として用いられた。
※軍事権益の集約化と徴兵により、職業的な士官・下士官たりえる人材が豊富に存在する事になった。
ここら辺は、貴族階層が(自立した騎士ではなく)王に雇用され歩兵指揮官となったテルシオと同様
・遠征で高額の俸給:中世の慣習で、騎士階級は年間で平時3月or遠征2週程度の限定された軍役義務
(この間は無給)しかなく、これを超える場合は王から代価を得るor自由行動(帰郷)。といった形が
一般的だった。徴収兵の遠征義務も同様で、何にしろ無制限の軍役義務は無い、って観念が普通だった。
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