戦列歩兵


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001 2014/07/03(木) 10:28:34 ID:wjLMA6z4Rs
戦争とはいえ、花があるよね。

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048 2014/07/21(月) 00:37:36 ID:V3LG91sxMw
三兵戦術は本来は騎兵の復権とスペイン式要塞陣形を打ち破るために考案されたものだから、歩兵は常に主役であり常に効果的な運用はされてきてるんじゃないですかね?
オランダのマウリッツが織田信長の三段撃ちの元ネタになった戦術を考案したのと三兵戦術の産みの親のグスタフ2世が撃ちながら前進する戦術を展開して、
それ以後はこの二つが主流戦術になったんで、むしろ効果的な運用で一番困ったのが騎兵の使い所じゃあないかと思いますね。
騎兵を決戦兵力として用意していたナポレオン式の運用も、普仏戦争では、プロイセンは装備に勝るフランス側を警戒して騎兵を偵察用にしか使わず、それで勝ってますし。

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049 2014/07/21(月) 03:19:43 ID:V3LG91sxMw
>>48
我ながら酷い文章だ・・・

もうちょいきちんとまとめると
・三兵戦術は主役が歩兵なので常に効果的な運用は出来ていたはず。
・そもそも騎兵の使い勝手を改善するための戦術だった。
・だからと言って騎兵の運用は状況によってまちまちで扱いが難しかった。
ということでした。

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050 2014/07/22(火) 20:49:57 ID:dvaGYFwmOI
古今、地域問わず、騎兵で勝利を収める将は天才型が多いよね。

戦争技術がマンパワーの歩兵の方が蓄積しやすく、
各作戦に対する対応力では諸兵科の中でも飛びぬけていただろうね。
ナポレオン軍の歩兵は下級将校が充実していたから、戦術思想もかなり浸透していただろう。
騎兵はシンプルな抜刀突撃に先祖帰りした分、求められる動きが固定化されて、
投入するも、まず如何に決勝点を見つけられるか
指揮官のセンスによるところが大きかったから運用は中々難しかったかな。
格闘用じゃなくて、強襲用の兵科に変わったしね。

ではでは、日露戦争で秋山好古がコサック騎兵を騎兵で迎え撃ったような、
予め騎兵対騎兵が想定されるというのは極めて稀だったんだろうか?

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051 2014/07/23(水) 14:57:45 ID:7LhuTOiZk.
グスタフの三兵、戦術的には小型馬を少数しか揃えられない北欧の国力・地勢上の制約下で
重騎兵軍の突破力を再現しようと試みられたもので、当時〜近世の欧州(重)騎兵とは
異なるものだと思うのね。
戦術的には歩兵と騎兵の役割が↓と真逆だし
・グスタフ:歩兵の衝撃力で崩す→騎兵で拡大して勝利確定
・中-東欧騎兵:騎兵の衝撃力で崩す→そのまま拡大追撃 歩兵で支援

三兵以前のグスタフ軍を一方的に凹ったポーランド騎兵をはじめ、東中欧ではずっと
騎兵が(少なくとも野戦の攻撃では)主役であり続けたわけでさ

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052 2014/07/23(水) 15:24:21 ID:mwThsAeQOw
実際の所秋山支隊は下馬し、陣地戦、塹壕戦を以てコサック騎兵を向かえ討ったから、
騎兵対騎兵の様な戦闘は、行われ無かった。
日本の騎兵は、馬体、錬度、兵数、共に劣り真っ向勝負では勝ち目は無かった。
長射程、高精度の30年式小銃と、当時最新兵器であった機関銃を使用し、
突撃して来る、騎兵を駆逐した。
之は、歩兵が騎兵を無力化した決定打とも言え、
普仏戦争で、予感されていた騎兵の終焉を実感させるものだった。
騎兵の戦い方を捨てた騎兵が、騎兵自身に引導をわたす結果に....
皮肉だよね。

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053 2014/07/24(木) 22:45:34 ID:.Ww2ASh0.w
>皮肉だよね。

(何も皮肉になってないなんて言えない・・)

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054 2014/07/27(日) 13:11:12 ID:t0ZLpkDjuo
歩兵・騎兵・砲兵の全てが傭兵中心であったのに対して、
グスタブ・アドルフの軍は徴兵制から成る国民軍。
スイス傭兵やランツクネヒトなんかは独自の隊規があっただろうけど、
傭兵はどうしても軍令遵守の精神に乏しい上に、
複雑な作戦遂行能力や他兵科との緊密な連携は難しかったんじゃないかな。
そして何よりグスタブの最大の特徴として、武器の国産化、
特に火砲の充実を図った点が大きいと思う。
生産者によってまちまちだった砲の口径を統一化して補給を容易にして継戦能力を底上げし、
軽い砲を歩兵・騎兵に付随させた。
騎兵に砲が付いたことで、カラコールなどの馬上射撃の必要性もなくなり、
戦場にへばりつく重騎兵から、抜刀突撃に特化させられる軽騎兵にすることが出来た。

戦術を模索したというよりも、
鉱山資源が豊富なスウェーデンならではの軍制改革を進めた結果、
自ずと生まれた三兵戦術だったと思う。

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055 2014/07/28(月) 18:56:48 ID:lhbjl2DBAI
グスタフが指揮した軍は国民軍では無いよ
スペインをモデルにした選抜型の長期兵役を自国内に課したのは事実だけど
隷下軍の圧倒的多数は傭兵と国外徴募兵

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056 2014/07/28(月) 22:29:27 ID:lhbjl2DBAI
↑だけではアレなんで…
人的資源の制約と傭兵より高コスト※って事から主力は外国兵になってた。グスタフ下には最末期で
総数16万の兵があったけど、自国兵は2万に満たない。
傭兵を(戦役連続で結果的に?)長期雇用とした事、傭兵・徴募兵にスウェーデン人指揮官※を配し自国式
の装備訓練を施した事、同盟者にも自国式の隊形訓練を要求した事などにより、軍全体を信頼/計算可能
で高度な戦術を実行可能なものに出来た。その根源は、王権下に軍関係の権益/資金を集約できた事。
ここら辺は、スペインのテルシオ、オランダ式軍隊といった前例をベースに拡大発展させたものだね。

※当時の徴収兵は、平時は国内駐屯先の地域が糧食その他を負担、国外遠征時には王/国家から(傭兵より)高額の俸給と補給を受ける。といったシステムだったため、平時=王の負担超軽い 遠征=超高コストに。
結果、グスタフ軍での徴収兵は遠征での近衛軍+国内予備として使われ、傭兵、同盟者に金銭を払って
出してもらう軍、占領地での徴募兵(平時戦時とも俸給支給)が数的主力として用いられた。

※軍事権益の集約化と徴兵により、職業的な士官・下士官たりえる人材が豊富に存在する事になった。
ここら辺は、貴族階層が(自立した騎士ではなく)王に雇用され歩兵指揮官となったテルシオと同様

・遠征で高額の俸給:中世の慣習で、騎士階級は年間で平時3月or遠征2週程度の限定された軍役義務
(この間は無給)しかなく、これを超える場合は王から代価を得るor自由行動(帰郷)。といった形が
一般的だった。徴収兵の遠征義務も同様で、何にしろ無制限の軍役義務は無い、って観念が普通だった。

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