弘法大師は、高い知能を恒常的に保っていられるタイプの天才だった。
そういう天才は、今の大学教育制度などでは育まれ得ない。
試験中や研究中の間だけ知能を引き上げて、パトロンとのティーパーティ
中には乱交三昧となるような、「全人生を呈さないタイプの天才」
しか大学教育では育成できないから、どんなに頑張ったところで、
弘法大師型の天才などが今の教育制度で輩出されることはあり得ない。
そういうタイプの天才は、世界的にもあまり多くはない。
今の学校制度の主導者となっている欧米の天才なども、ある種の分野に
かけては能力が突出している一方で、人間的にはアレだったりする。
天才と名打たれる西洋人は数多いが、そのいずれもが少なからず
アスペルガー・サヴァン的な欠陥代償型の天才となっている。
東洋でも、そんなに多くはない。孟子とか竜樹とか道元とかは、
弘法大師に準ずるような、聖賢型の天才だったと思われるが、純粋な
天才としての度合いでは弘法大師が上だったと思われる。荀子とか諸葛亮とか
平賀源内とかも天才ではあっただろうが、こちらは聖賢だったかどうかが疑わしい。
聖賢であって、しかも天才でもあるという点では、確かに
弘法大師こそが世界的にも突出した人物であったといえる。
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