http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku12/wakou123.htm... 上のサイトでは、魏志倭人伝における倭人の「大夫」という自称が、
秦代以降の土豪一般を指すような意味ではなく、「卿>大夫>士」という
周代の厳格な序列関係に即した意味で用いられていることを以ってして、
「周代に倭人が朝貢に見えていた」という「論衡」の記述を正当化している。
しかし、要するに倭人は「大夫」という言葉を本来の意味で用いていた
ということであって、別に「昔の慣習に倣っていた」というのではない。
「大夫」という言葉を土豪風情の呼称なんかに用いたりすることのほうが、
孔子や荀子のいう「名辞の乱れ」なのであり、倭人はただそのような
名辞の乱れを排して、「卿」にあたる親魏倭王の直属の配下としての
自分たちを「大夫」と自称していたのだとも考えられる。
ただ、そのような名辞の乱れから排して行こうとする謹厳実直なあり方からして、
箕子による徳治すらをも受けていた人々ならではの賜物であったとも考えられる。
倭人が周代に朝貢していた証拠というよりは、倭人が非常に高度な仁徳統治の
手法を身に付けていた証拠に、「大夫」という倭人の自称がなっていると
考えたほうが理に適っている。もしも倭人が太古の昔から中国本土にまで
頻繁に出入りしていたとしたなら、すでに名辞が乱されて、士大夫の
序列もさして重視されなくなっていた、春秋戦国時代の中国の
文化荒廃の毒気にもあてられていたに違いないから。
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