日本人の「民度の高さ」の起源 箕子朝鮮の正統な末裔=民度の高い日本人


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017 2013/08/06(火) 19:15:33 ID:FsZnPPhfzY
そんなに長文でもないので、「漢書」地理志東夷伝の全文を引用してみよう。

「玄菟、楽浪の二郡は武帝の時代に置かれ、そこには朝鮮、濊貉、句驪といった蛮夷ばかりが住んでいた。
殷の政道が衰えると、(遺臣である)箕子が中国を去って朝鮮に行き、そこの民たちに礼儀や農産、養蚕や
機織を教えた。楽浪や朝鮮の民たちが八つの禁制を犯した場合には、殺人は即座に死罪で報い、傷害には
穀物による弁償で報い、窃盗したには被害者家の奴隷や奴婢となることで報いさせ、贖う場合には五十万銭を
支払わせることとした。罪を免れて庶民に復した場合でも、なおこれを恥とし続け、嫁を取れないなどの
問題を持ち越し続けたために、結局民たちはお互いに盗み合うようなことをついぞしなかった。門戸もずっと
閉じられることがなく、婦人も貞節で信用深く、淫奔や我侭勝手となることがなかった。民たちは飲食に
高坏タカツキを用い、都邑では役人や商人に倣って杯器を用いて食事した。郡は始め官吏を遼東から採用したが、
その官吏や行商人が人々の門戸も閉めずに財物も隠さないでいるのを見て、夜に盗みを働くようになったため、
習俗は次第に損なわれて行き、今では禁制も六十ヶ条にまで増大してしまった。貴ぶべきかな、仁賢による民の
化育は。それがあったおかげで東夷の民たちは天性従順となり西南北の野卑な夷狄とも全くその様相を異にしている。
だからこそ孔子も中国で道が行われないことを悼んで、筏を浮かべて海に浮かび、東方の九夷の国に移住することを
欲したのだ。楽浪の海のかなたには倭人がいて、その国の数は百余り、歳時には献物を持って見えるともいう」
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