【花神】大村益次郎でアリマス。


▼ページ最下部
001 2013/06/01(土) 04:36:45 ID:W9qaLjRGaY
一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、
その使命が終わると大急ぎで去った。
もし維新というものが正義であるとすれば、
彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を
咲かせて回ることであった。
中国では花咲爺いのことを花神という。
彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。
彼──村田蔵六、後の大村益次郎である。

返信する

※省略されてます すべて表示...
025 2016/11/20(日) 12:03:52 ID:o9lNIQIzyM
>>24
勉強になります。

返信する

026 2017/01/03(火) 08:35:26 ID:JztDbLVFQM
奇兵隊の悲劇

返信する

027 2017/05/18(木) 16:29:28 ID:WJzRz0D3Fs
大村先生。
安倍首相がやっている事は
正しいのでアリマスか?

返信する

028 2017/09/23(土) 11:32:05 ID:jnmz7/tyNw
また戦争が始まるぞ。

返信する

029 2017/12/31(日) 06:50:04 ID:Blv9RFKTuA
山口県!!

返信する

030 2018/02/10(土) 11:10:30 ID:EBcxym99rE
何で子孫を残さなかったのでアリマスか?

大村先生。

返信する

031 2018/04/14(土) 11:31:47 ID:.7XgLU5Nmg
軍事の天才

返信する

032 2018/06/14(木) 17:58:15 ID:PIA.du6qRM
「これが女性の○○と言うものでアリマス!」

返信する

033 2018/07/27(金) 23:25:45 ID:6jXo/s29w.
ほんとにこんな頭してたら奇形か脳の病気だろう

返信する

034 2018/09/08(土) 07:21:48 ID:FhQf76P9OU
子供が出来なかったんだったね。
種無し?
あるいは奥さんが・・・。

返信する

035 2018/10/28(日) 06:31:40 ID:0GqPBBgBds
小学3年生に「女性上位体位」の性交解剖図を教える横浜市立今宿小3年教材

返信する

036 2018/12/16(日) 07:13:18 ID:3Q/sGDFKHo
>>33
同意・・・。

返信する

037 2019/01/26(土) 14:08:12 ID:I0NcSuge1M
「これが女性の○○と言うものでアリマス!」

返信する

038 2019/04/29(月) 10:55:48 ID:ULJOBh/g0o
天才ですよ。

返信する

039 2019/06/20(木) 17:44:53 ID:ml3QXxV1HA
大村先生は絵も得意でした。

返信する

040 2019/09/01(日) 10:15:43 ID:Mm2oTWcWbE
大村先生。
西郷の征韓論は良くないですよね?

返信する

041 2019/12/26(木) 13:29:00 ID:bEt2ZmFUdk
日本の夜明けでアリマス。

返信する

042 2021/08/08(日) 12:46:00 ID:7tiGXu9jLE
大村先生でも、どうにもなりません。

返信する

043 2021/08/21(土) 20:39:38 ID:LODvTUVEXg
明治維新の唯一の純日本人?
長州藩のほとんどが田布施の在日李家。

返信する

044 2021/08/21(土) 21:05:25 ID:LODvTUVEXg
>>10
緒方洪庵役・・宇野重吉
主要主演者が宇野重吉の弟子。

坂本竜馬・・夏八木勲

返信する

045 2021/08/22(日) 10:18:16 ID:18emp6UsdU
>>24
古いレスだけど、万一子供が読んでカンチガイしたら
いけないので念のため。

日清戦争の時点で、もはや明治初年の軍事学はまるで通用せず。
日露戦争で戦争の常識は一変し、第一次世界大戦は軍事のあら
ゆる常識を過去のものにした。

日清日露の両戦争に於いては、日本の兵器戦略は共に世界の先端レベル。
軍事研究に対して足りないところがあったとすれば、第1次世界大戦後。
明治時代の大村の暗殺と、昭和の大東亜戦争の間には何の因果関係もない。
鼻紙を読むのも結構だが、その前に教科書読もう。

返信する

046 2021/08/24(火) 23:19:47 ID:UrpZDuKRvc
大村の偉大さは、合理主義というような当たり前の話ではなくて。外国
の書籍のみを頼りに、ゼロから西洋の軍事学を吸収しそれを体系化した
こと。のみならず、実践の場で活用し、指揮官として目覚ましい成功を
収めたこと。これこそが、正に天才のなせる業。

日清戦争や日露戦争時の将校のなかにも、正式な西洋の軍事教育を受けて
いないものは少なからずいたが。彼らは学校にこそ行かねど、様々な場で
直接間接に先人から軍事知識を吸収するチャンスがあった。大村の如く、
誰から教わることもなく、自ら外国の書物を翻訳して西洋の軍事学を
習得したものは皆無。

返信する

047 2021/10/29(金) 21:08:25 ID:kcPZ6akFRs
どーでもいい(かもしれない)情報だが。大村益次郎の顔、なかんずく御でこ。
伝えられる肖像画は、特徴を盛り過ぎているかも。絲屋寿雄著「大村益次郎(中公新書)」
の中に写真がある。それを見る限りでは、そこまでの異相ではなさそうだ。
確かに額は秀でているが、少なくとも醜男という感じではない。
但し集合写真であり、写りもそれほど鮮明でないので、どこまでありのままを伝え
ているかについては、やや心許ない。また、時代考証から、この写真を偽物とする
説もあり、もしそれが事実なら、この話自体が全くの空中楼閣になってしまうが。

返信する

048 2023/02/11(土) 13:42:53 ID:R/0AE6U.dM
頭が良い人だったのは事実です。

返信する

049 2023/08/13(日) 12:17:10 ID:yIz8wT9bGU
人の命は大切でアリマス。

返信する

050 2023/12/30(土) 20:17:44 ID:KbrJBSR532
[YouTubeで再生]
【サイコパス軍神】大村益次郎の人生がガチでヤバすぎる

返信する

051 2024/05/18(土) 12:47:32 ID:6QKK4Bm6dA
明治維新の「文明開化」の掛け声で、明治 4 年(1871 年)に太政官布告として、「散髪勝手令」が出され、それまでの床屋は理髪店となり、世の中に断髪、洋装化が進行したが、まだ足元は草鞋(わらじ)と草履(ぞうり)が優勢で、舶来もの(輸入品)しかなかった靴は庶民には手の届かない高嶺(値)の花であった。
しかし明治 15 年(1882 年)に官立学校の制服を洋服とし、明治 19 年(1886 年)には帝国大学で「靴以外での玄関からの通学出勤は禁じる」との学長通達があった。
日本人は靴を知っておよそ 10 年で「西洋かぶれ」から「必需品」へと急激に靴の評価を変えたのである。
明治 6 年に庶民靴の国産が開始されたが、生産量が輸入靴に追いつかず、当時の下級官吏の給料が4 円の時代に、庶民の靴の平均価格は6 円であった。まだ洋服に羽織、チョンマゲ姿に靴といった「和洋つぎはぎ」スタイルであった。

返信する

052 2024/05/24(金) 04:21:17 ID:justbD6UZw
>司馬遼太郎の『花神』では、吉田松陰の遺骸を桂小五郎(木戸孝允)と伊藤俊輔(博文)が引き取るとき、村田蔵六(大村益次郎)が腑分けをおこなっていたことになっていますが、この時期、蔵六は江戸に居住していないので司馬遼太郎が創ったフィクションということになります。
http://wakokujyoou.cocolog-nifty.com/shibaryo/2013/12/post-18bf.htm...

ホントややこしいことばかりして回ってるな、司馬遼太郎は・・・


>大村益次郎
>…同年3月19日(※安政3・1856年4月)には長州藩上屋敷において開催された蘭書会読会に参加し、兵学書を講義、このとき桂小五郎(のちの木戸孝允)と知り合う。これを機に万延元年(1860年)、長州藩の要請により江戸在住のまま同藩士となり、扶持は年米25俵を支給される。塾の場所も麻布の長州藩中屋敷に移る。文久元年(1861年)正月、一時帰藩する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%...

wikiの方がよっぽど歴史教育に有意義。
勿論、司馬の小説を教育の資材にしてる教師など居ないだろうけど、
あれを史実と思い込んで育つ青少年も多い(或いは多かった)はず。

返信する

053 2024/05/24(金) 04:38:57 ID:justbD6UZw
賞典禄
2000石…西郷隆盛(鹿児島藩士)
1800石…大久保利通(鹿児島藩士)、木戸孝允(山口藩士)、広沢真臣(山口藩士)
1500石…大村益次郎(山口藩士)
1000石…板垣退助(高知藩士)、小松帯刀(鹿児島藩士)、吉井友実(鹿児島藩士)、伊地知正治(鹿児島藩士)、岩下方平(鹿児島藩士)、後藤象二郎(高知藩士)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%9E%E5%85%B8%E7%A6%...

藩士クラスでは三傑に準ずる扱いだったんだな。


広沢真臣
…正三位を贈位される。明治12年(1879年)には維新の功を賞され、広沢家は華族に列せられた。華族令制定以前に華族に列した元勲の家系は、木戸家・大久保家と広沢家のみであった。明治17年(1884年)、嫡子金次郎に伯爵が授けられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%B2%A2%E7%9C%...

こういうの見ると、広沢真臣も過小評価され過ぎって感があるね。

返信する

054 2024/05/25(土) 12:17:42 ID:oOrD.AXdH.
久保建英を見た時「大村益次郎の再来か」
と思った人は多いはず

返信する

055 2024/05/26(日) 22:23:41 ID:KJor6zQUS6
>>53
歴史版では、とりわけ維新関連のスレでは、漫画しか読んだことがなくて、しかも
その漫画の話を事実と混同してしまう奇違いを数多く見て来たから、こういうまと
もな話をする人を見ると、救われた気持ちになる。

返信する

056 2024/05/26(日) 22:33:08 ID:KJor6zQUS6
自分もかねてから、広沢真臣と言うのは不思議な人物だと思っていた。流石に真面目な歴史の
本の中では過小評価されているわけではないと思うが、小説などの題材にされたことは殆どな
いのではないか。まあそれもそのはずで、あれだけ波乱にとんだ幕末の長州藩において、特に
これと言った目覚ましい働きはしていない。木戸、高杉は別格としても、伊藤や、井上や、山
縣クラスもみな、幕末維新史の中でそれ相応の華々しい活躍をしており、それが後の明治新政
府における地位に繋がるわけだが、広沢にはそれがない。それにもかかわらず、明治政府が成
立するや、いきなり木戸と並んで長州を代表する人物と目されるようになった。そして、周囲
もそれに違和感を抱いた風でもないのは、本当に謎だ。よほど人物が優れていたと言う事なの
だろうか?

返信する

058 2024/05/26(日) 23:56:01 ID:KJor6zQUS6
自ら恃むところ頗る厚い、したがった容易に人をほめない大隈重信が、アラ
ビア馬(当時日本で珍しかった西洋種の馬)にまたがって太政官に通うに広
沢の姿について、実に奥ゆかしいところがあって、まさかあの人物が簡単に
殺されるとは思わなかったという趣旨の発言を、自伝の中に残している。同
時代の人物が広沢をどう見ていたかの、一例。

返信する

059 2024/10/30(水) 15:53:10 ID:igJUOka8Co
[YouTubeで再生]
幕末長州藩天才軍師にも苦手は多かったエピソード

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:27 KB 有効レス数:58 削除レス数:1





歴史掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:【花神】大村益次郎でアリマス。

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)