江戸火消
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001 2012/08/06(月) 15:32:07 ID:uMxa2HKBUM
002 2012/08/06(月) 21:36:15 ID:TBHDWs2OSw
003 2012/08/07(火) 11:21:50 ID:WXiPvkWnlo
へ組とひ組だけが無くて、他のいろははあったと言うのは本当?
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004 2013/01/02(水) 19:25:47 ID:sd4X10Br86
身分的にはどの階層の人たち?暴れん坊将軍だと普通の町人(工・商)ぽいけど
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005 2013/01/11(金) 21:22:09 ID:S7WJMQIyak
士農工商穢多非人でいえば穢多でなかろうか
農村共同体に含まれる人が士農工商、
農村社会から分離した人は穢多、結構お金持ちが多いです。
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006 2013/01/12(土) 00:38:30 ID:V/a3FGF6KY
>>5 穢多は町火消にはなれないだろ。焼け跡を処理するくらいなら身分相応だけど。
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007 2013/01/20(日) 10:49:41 ID:CZHhWP22Es
火消の歴史でいろいろと変化はしましたが、町火消、大名火消、常火消・・・とか違う組織がありましたね。
町火消は、言ってみれば「町のボランティア」でしょうか。
これが例の「いろは四十八組」ですね。
破壊消火が主流だったせいもあり、鳶職とか、家屋の構造に詳しい人々が参加していたとか。
大名やお上の組織したのは、いわば「専属常任」だったみたい。
こちらはガラが悪い人々も少なくなかったとも。
お給金が出ますけど薄給だし、火事が無ければ、火消袢纏のご威光(一応支配者階級の組織だからね)を暈に、町でブイブイ言わせていたわけですし。
お茶の水のニコライ堂は、以前、幕府が組織した火消屋敷だったそうです。
火消奉行だか与力だかの責任者も住んでいたと聞いてますよ。
・・・ってアヤフヤな事を書きこんだので、あとは詳しい人、ヨロシクね。
画像はテキト
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