過大評価されてる武将
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001 2011/05/13(金) 21:27:01 ID:VoWZMgDOp.
武田信玄
平均点以上ではあるが、色々と失敗もあり誇大評価なのでは?
地元じゃ武神の扱いだが、生きていてもそのまま信長に勝てたと思えん
残された勝頼がかわいそう
滅亡の原因作ったのはコイツ
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064 2011/05/24(火) 13:41:20 ID:NIygIlmaJw
>>63 戦にも色々な情況がある、ってのは分かるさ。
はっけよいの合戦がそうそう起こらないのも同意だ。
有利な情況を作るとかの方法論じゃなくて、手取川が
織田家にとって局地戦かどうかって話し。
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065 2011/05/24(火) 15:03:02 ID:BBqfknlCvM
スレの趣旨を掘り下げてるなかで出てきた比較図なんで、議論は続けてもらいたいが
こうなってくると一旦、局地戦の定義を協議することを両氏にすすめたいぐらいだ。
と、同時に、横やりですまんが、一般概念で言う局地戦でいうならば
手取川がそうであったとは到底思えない。
大規模な戦闘は、移動手段が限られていて、食糧、人員、経費、その他もろもろ大きな負担となっていた戦国においては局地戦というより、先々に大きな影響を与える、
いわば大略の一環としてはずことのならない賭けである。
これを局地戦という言葉の概念だけでふせてしまうことは、戦国の状況を考えれば考えるほどできなくなるのだ。
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066 2011/05/24(火) 15:39:14 ID:AEA5W6DE1M
>>65 局地戦の意味を理解していない。
この戦が大規模な戦いであった事は事実である。
しかし上杉軍にとっては越中・能登への進軍が目的であるから=総力戦
織田軍にとっては天下統一が目的であるから=局地戦
目的感の違いがある。
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067 2011/05/24(火) 17:04:13 ID:WORu0aiXd6
>>66 目的感の違いというのが合戦にあるだろうと言うことは同意するが
天下統一が目的だから=局地戦ってのはちと無理があると思うよ。
天下統一が目的ならば、全国の大名の中で刃向かうものはみんな倒さなければならない敵と考えれば避けては通れない敵でもある。
そう考えれば局地戦とは言えないとも考えられる。
逆に上杉は当初の目的は果たしているわけだからそこから先のおまけで付いてきた織田との合戦=局地戦とも考えられる。
いや、別にどっちでも良いんだけどさ。
言いたいことは見方によってそんなものは幾らでも変ると言うこと。
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068 2011/05/24(火) 20:18:33 ID:1fXL4QSnv2
>>66 >しかし上杉軍にとっては越中・能登への進軍が目的であるから=総力戦
>織田軍にとっては天下統一が目的であるから=局地戦
そんな捉え方をすれば信長包囲網が引かれた後の織田軍の全ての戦いは「局地戦」に
なるんじゃないの?と言うか君自身の主観によるものになってしまうような気がする。
君が考える織田軍の「総力戦」ってなんなのかな?
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069 2011/05/25(水) 00:08:01 ID:rqXlDOstXw
070 2011/05/25(水) 01:43:27 ID:.aZOBYwwWw
>>69 だとしたら、
>>46②手取川の戦いなどその他の合戦は織田方にとって局地戦に過ぎない
のでこれをもって全てを計るには適していない
↑これは局地戦でどんだけ負けてようと天下統一の基礎作りをしたんだから強かったと
言いたいだけの話なの?
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071 2011/05/25(水) 13:23:22 ID:P7W665sodU
>>61 >そうです、それを局地戦というのです。
じゃあ織田家は局地戦しかしてないのに滅亡していったまれに見る珍しい大名ですね。
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072 2011/05/25(水) 19:12:09 ID:guAclMI136
スレ立てたもんだが、変な方に流れたなw
客観的に見て、織田が総力戦したのは姉川の戦い辺りまでだろう
徳川の援軍まで求めてるしな
信玄が死んだ事もあるし、
これ以降は戦力的に余裕ができて、やがて方面軍制が主体になっていく
手取川を抜かれても、尾張も安土も岐阜にも兵は居るわけで
謙信がそのまま前進したなら総力戦になったかもね
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073 2011/05/25(水) 20:35:14 ID:AhH4N6RrE.
信長>局地戦しかしてないから俺の中では負けてない (キリッ
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074 2011/05/25(水) 21:13:32 ID:H/DpxvEUYg
>>72 畿内には当時兵力は残ってなかったんじゃないの。
秀吉までが北国に向かうと畿内が手薄になる。松永弾正らの謀反を
恐れる竹中半兵衛がアドバイスして秀吉軍は勝手に戻ってきてしまい
長浜で閉門となるが・・・、というのが司馬さんの歴史小説。
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075 2011/05/25(水) 22:18:33 ID:wrYlUy.ZAY
仮定の話は幾らでも情況が作り出せるから、
話し戻すのがいいんでない?
藤本正行氏の『信長の戦争』という本があるが、
軍事学的に信長の合戦を検証してて面白いよ。
姉川の合戦なんかは、類例の無い正面決戦だってね。
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076 2011/05/26(木) 00:51:42 ID:3OIzgoK9P2
>>1 スレ主さんへ
私の書き込みから脱線してしまったようで申し訳ない。
スレ題の「過大評価されてる武将」という観点から見れば
ほとんどの武将はある意味「過大評価」と言えるでしょう。
何故なら我々が評価したり凄いと思う根拠は
全て後に書かれた「武功書」であったり脚色された小説であったり
よくある「300の兵で1万の兵を破った」と言う様な話や
両軍合わせて10万の兵などはおそらくその半分くらいではとも思う
よく選挙などで各企業の動員数を集めると会場の10倍くらいになる
このようなものではないだろうか
数々のエピソ−ドも
右筆などが美化して書かれているものと推測されるので
100%とは言えないのではと思います。
そこには「贔屓する武将が一番であって欲しい」の願望や
「「もし」があれば天下を取っていたのに」と思いたい願望でしょう。
それが過大評価になっていくのでしょう。
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077 2011/05/26(木) 07:51:07 ID:w3nr4A3www
過大評価の筆頭はやはり前田慶次だろうね。
本当にそれなりの働きはしてたのかもしれないが,あまりに漫画の影響が強すぎた。
そだ |------、`⌒ー--、
れが |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
が |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
い |ヽヽー、彡彡ノノノ} に
い |ヾヾヾヾヾヽ彡彡} や
!! /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ  ̄‾'ィ''': |゙:ー. ̄ lノ/l | |
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:.:.:.:.:.::ヽ:\ /::://:.:,':.:..:l:.:.
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078 2011/05/26(木) 08:27:51 ID:dusnMsnNko
上杉さまが武田に塩を贈ったという美談
単に太平洋側からの塩輸出制限を越後からの塩は制限しなかった
ってだけの話らしいね
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079 2011/05/26(木) 17:10:25 ID:o8GKXIj3fk
武田軍・上杉軍と織田軍はどちらが強いか
項羽軍と劉邦軍はどちらが強いか
戦略レベルでは、天下を取った方が強かったんじゃねーの?
戦術レベルでは、いろんな見方があろうが、
結局、織田VS武田、織田VS上杉も主力同士の総力戦までは行っていないから、
決定的な判断はできないよね
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080 2011/05/26(木) 21:13:36 ID:o8GKXIj3fk
でも、戦略抜きに戦術だけ語っても意味ないよね
だから、織田最強でいいんじゃね?
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081 2011/05/26(木) 22:01:05 ID:i9DVSMU0Fo
基本的に織豊時代は戦い方が大きく変わっている。
良くも悪くも信玄は大きな流れの節目に世を去った。
生きていたらやはり鉄砲主流の部隊編成に流れていったか、もしくは勝頼のように騎馬軍団とともに世を去ったか。
定かではないし、戦国は3節ほどに分けてかたらねば、1度に皆を前に並べて比較するには戦国はあまりにも長すぎる。
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082 2011/05/27(金) 00:38:15 ID:8fjs7TxMa.
>>80 「戦略抜きに戦術だけ語っても意味ないよね」
基本的にはそうだが、例外は存在する。
それは相手の総大将を打ち取った場合だ
桶狭間がまさにそうだね
この時信長の立場は戦術が全てだったはず
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083 2011/05/28(土) 00:00:31 ID:oXuofsy43I
過大評価されているのは、信長や秀吉のほうで、
「戦国最強」だった信玄は、むしろ過小評価されている。
戦国最強の武田信玄と、戦国最終勝利者の徳川家康。
この二人が「武将の鑑」として江戸時代まで崇められていて、
武将としては落ち度の多い信長や秀吉と、功績の疑いようがない
家康との三つ巴が定型化されたのは、山路愛山あたりが
国史を大幅に歪曲化した明治以降に限っての話。
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084 2011/05/28(土) 02:00:19 ID:HCubu4.GmE
「戦国最強の武田信玄と、戦国最終勝利者の徳川家康。
この二人が「武将の鑑」として江戸時代まで崇められていて」
これこそが、江戸幕府徳川の功績美化によるものだ
豊臣の世は無かった事にし、家康に三方ヶ原で教訓を与えたとして武田は評価する
以後300年続いたんだから江戸時代まで崇められているのは当然だろうよ
本能寺なければ、秀吉も家康も家臣のままで終わり
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085 2011/05/28(土) 05:42:20 ID:oXuofsy43I
信長と秀吉は、単なる「仕事人」として絶大な威力を発揮しただけで、
臣下を虐げまくるなどして孤立化するなど、武将としてのあるまじき行為が数多い。
群臣候公を我が股肱耳目として自在に操り、天下統一後の臣下や諸権力者の
割り振りまで自主的に行える「大将」としての風格を備えたままに
戦国の世での成功を試みたうちでの最高例が武田信玄であり、
成功を果たしたうちでの最高例が徳川家康だった。
ただ勝つために、臣下や大名を奴隷も同然の扱いとした織田や豊臣には、
徳川のような長期泰平統治が、どうあっても自業自得によって不可能だった一方で、
武田信玄や伊達政宗の場合は、生まれ育つ時期がもう少し遅かったり早かったりすれば、
徳川並みの長期政権の実現者になれるだけの「器」を保っていたのだといえる。
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086 2011/05/28(土) 07:37:29 ID:4g8YhZ4GRE
087 2011/05/28(土) 11:40:18 ID:F2faWD0Kms
戦国で最終的に美味しいとこどりした(ある意味で)最強の家康を脱糞(笑)させた風林火山の軍神・信玄。
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088 2011/05/28(土) 13:43:06 ID:Wq1eKc0d7Q
A「俺は信玄の素晴らしさを知っている」
B「いや、俺こそ信玄様の素晴らしさを知っている」
C「何を言う、俺こそが真の信玄公の素晴らしさを知っている」
D「君達は何を言っているのだ、信玄公ではなく神なのだ」
信玄崇拝者がますます神格化を増長させる
それを「過大評価」と言う
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089 2011/05/28(土) 16:12:20 ID:hIP38kBZzw
たいていの戦国大名は信長・秀吉・家康の三人の引き立て役だったから、
スポットライトを当ててみるのもいいかも知れないね。
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090 2011/05/28(土) 16:33:11 ID:F2faWD0Kms
謙信との一騎打ちや家康陽動作戦など、信玄の戦話はいちいちかっこいい。
なぜだ???
おまけにヤリチンで男も女も関係なし。嫉妬する美男をなだめる手紙まで書いている。
とにかく当時から男も惚れるかっこよさだったんだろうな。
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091 2011/05/28(土) 17:41:04 ID:qBd5TqotLw
>>83 >戦国最強の武田信玄と、戦国最終勝利者の徳川家康。
>この二人が「武将の鑑」として江戸時代まで崇められていて、
江戸時代に徳川家康を神君と崇めるのは当然と言えば当然だよね。ただ徳川家康は
織田信長と言う革命児が居なければ勇猛な一武将で終ったかも知れない。今川織田豊臣に
従いながら、隠忍自重耐え忍びながら勝機をずっと待っていた。武将としての強さよりも
人徳に惹かれるものがあったんじゃないかな?少なくとも秀吉在世までは篤実な人物で
あると思う。天下を取ってから篤実さを捨て長期安定政権確立の為に容赦なく危険な芽を
刈り取っていくなかで豊臣系の哀れを感じるので好きじゃないんだが…。
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092 2011/05/28(土) 20:23:47 ID:iwoubzUvFs
服部半蔵は過大評価されている、でFAだな
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093 2011/05/30(月) 23:05:54 ID:DtmXxfSwGA
信長や秀吉なんて、家康に利用されただけに過ぎないんだよ。
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094 2011/05/31(火) 10:48:16 ID:wkpH/YBCIY
095 2011/05/31(火) 16:55:25 ID:314JGjLhxI
096 2011/05/31(火) 23:28:38 ID:/LnBH2tsV.
097 2011/05/31(火) 23:28:42 ID:hYC2EEIUPk
098 2011/06/01(水) 23:31:44 ID:2BwQQid5U2
>>93 結果的には信長・秀吉を利用したけども、義元に隷属し信長と同盟し秀吉に臣従したのは
その時々に置いて生き残る為であり、逆に彼らに利用されていただろう?互いに利用し
あう関係にあった家康はただ生き残る事で最終勝利したとも言える。
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099 2011/06/01(水) 23:46:04 ID:1CuNEJHVdU
家康は瞳が特徴的であったと推測されている。
そして耳も大きかったようだ。
若い頃は力のはいった頬骨の出た顔でもあったようで、戦国の世界では好まれた比較的迫力にあるほうの顔だったかもしれない。
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100 2011/06/03(金) 19:51:05 ID:RiYYlTxLJk
最終的に天下とった家康が最強という論理なら
薩長最強になってしまうわな
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101 2011/06/03(金) 21:37:17 ID:ma0gCt/fzw
最強だったかどうかは別として
島津がもうちょっと京都に近いとこに勢力もってたら違っただろうね。
ここでいう最強ってどうも、決戦させてどっちがイクサ上手かっていうことのように思うんだけど
そうなると鉄砲全盛期時代の武将とそれ以前の武将を比べるのは酷だよね。
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102 2011/06/04(土) 00:14:23 ID:UYCYdh.Lp2
>>101 ただ島津は辺境の地にあるから狭い土地を奪い合う中で強くなったんじゃない?
都に近い所に居たら最強であっても次第に貴族化して弱くなるんじゃない?
また領国が増やす為に最強の軍団を年中使っていると次第に離反者が増えてくるだろうし、
武力だけでなく策謀や領国の統治も含めて大勢力になるには様々なハードルが高かったん
じゃないかな?都に近いだけではあまり意味はないと思う。
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103 2011/06/04(土) 20:29:21 ID:ZGNYyYAqCM
>>102 その理論だと真田もかなり最強してないとおかしいが、それほどだとは
思えない・・・
結局、子孫の片方は西軍を掌握しきれずに美しく散ったし
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104 2011/06/04(土) 21:08:57 ID:vEJUreUPZY
真田は知略と戦の駆け引きには最強レベルだが圧倒的に小勢力。
村長程度の支配地と兵力じゃハンデありすぎる。
さらに真田幸隆の時代1541年では領地を失い上野に逃れてる。
真田昌幸、信之、幸村いくら優秀でも1からの出直し。
それに、庇護してくれた武田家が居てこれを上回り地域を支配するのは不可能だろう。
武田が滅んだときにはもう信長や家康や北条や上杉に囲まれて生き残りに全力をかけたんだろう。
優秀なだけでは生き残れない、地の利とか、めぐりあわせ、運とかが必要だったんだなと・・・
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105 2011/06/04(土) 22:04:12 ID:UYCYdh.Lp2
>>103 真田は武田二十四将に入ってるでしょ?武田軍団の一角でしょ?
また真田単独で中山道を行く徳川本隊を上田城立て篭もり足止めさせた知略もある。
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106 2011/06/04(土) 23:42:21 ID:EcYF8Wfn3E
結局武田最強じゃんかという結論が垣間見えてくるじゃんかよ。
今の時代に至るまで武田武田といわれているのにはそれなりのわけがあるってことだね。
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107 2011/06/05(日) 00:01:13 ID:ZfWZdKihqs
>>106 武田は強いとされても、それで天下を取れるのかは別だろう?元々戦国時代の武士は土地に
縛られているので広域的な展開や長期遠征は難しかっただろうから経済的な余裕がなけ
ればどんな最強の軍団を持っていても領国を少しずつ増やす事になったんじゃないの。
「信長の野望」みたいに最強の軍団を作ったら簡単に天下を取れる様なことはなかったと
思う。
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108 2011/06/05(日) 08:36:26 ID:4u9tyBJWu2
あーうざい
ようは過大評価されているわけではないってことだろ。
天下取れたかどうかとか他のスレでやってろよ。
それとも蒸し返してスレ伸ばしてえのかね。
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109 2011/06/05(日) 22:50:53 ID:sdTnk7Rxag
110 2011/06/06(月) 01:20:35 ID:qIpGFRPmMw
ば〜か☆
そういう考え方してたら頭爆発して死ぬよ
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111 2011/06/06(月) 06:06:11 ID:6qgPV42Tsg
112 2011/06/06(月) 16:48:34 ID:aq0dn8VkM2
スレ題から外れて
バカと阿呆の罵り合いになってきているな
面白いもっとやれ
俺はFisher☆ w10,000に賭ける
誰か乗るか?
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113 2011/06/10(金) 09:06:22 ID:P5z5Hmf1ug:au
上杉は近年の研究で、領土を拡大しなかったのでは無く、西洋の植民地支配のように略奪し尽くすのが目的だったとも言われてる。
民を奴隷として売ったり、塩の件は市場を独占できるとの狙いがあったとの記録がある。
現実的に雪深い春日山では各地を統治するにも難がある。
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114 2011/06/10(金) 17:49:39 ID:JIdTX7RvQA
いわゆる乱どりだな
物資や食糧事情が悪かった時代、無いものは他所から奪うのが普通だった。
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115 2011/06/11(土) 09:52:32 ID:kmJ4L7.BJA:au
略奪を率先して遂行したのが直江兼嗣。
義でも愛でも無い。
江戸時代に有力大名の上杉家が自家の権威を向上させるために講談などで美化させた。
川中島の一騎打ちも現実には?似たような事はあったのかもしれないけど。
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116 2011/06/11(土) 23:15:57 ID:wlpFIw5mug
城っつうのは篭城戦なんかもあるが、ほとんどの場合それは最期を決する死闘場だ。
城に篭る=自分の逃げ場を無くすということである。
であるならば、いかに人員を動員し、財を投じて城を築いてもそれは無駄な経費となる。
武田は金山と節約と、徹底した戦争理論でもって館型の簡単な平城しかもたず、同時に戦国最強の武将として君臨していたといえるだろう。
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117 2011/06/11(土) 23:51:55 ID:kmJ4L7.BJA:au
◆武田=各地の組と関係を結びシマを拡大。傘下の組同士の小競り合いが後を絶たず。(山口組三代目)
●織田=不良少年や暴走族のあんちゃんをスカウトして抗争力アップ。奇跡的な拡大を果たすが、組長がイケイケ過ぎて、失意の内に世を去る。(菅谷組)
■上杉=昔ながらの博徒一家で、義理を欠いた他の盆に行って荒らしまわる事もあるが、全国制覇には興味なし。(会津小鉄)
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118 2011/06/18(土) 15:37:49 ID:y49iMr7FxU
武田が甲斐に詰めの城を持たないというのはうそ
ちゃんと館の北に要害山城があり 駿河の今川が襲来
した時 信虎夫人は城に避難し 信玄を産んでる
躑躅が咲きの館は 家臣も周りを囲むように住居が建ち
並び外周を町人が住み大きな城域だった
小さな館住まい 城を持たないはうそNHKの見すぎだよ
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119 2011/06/19(日) 10:42:02 ID:vj.gtIZGno
それは違うと思う。
今川の軍では落とせないことがわかっていたことと、世継ぎが生まれるということが重なって背後の山城に「非難」というか、「入った」だけ。
そんで付け加えて言うなら、大体城は背後に小高い山か岡をひかえてつくられる。もしくは山そのものにつくられるのが基本で、それは縄張りの一つであって、常識中の常識。大前提。
山があるから本格的な城というのは見当違い。
※問題はその補強にどれほど手(経費)を入れているか。※
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城を持たなかった=まさか平坦な水田地帯に周りをぐるっと板塀かなんかで囲った屋形がぽつんとあるようなのを想像してないだろうな???
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120 2011/06/19(日) 10:46:29 ID:vj.gtIZGno
平地に造られた江戸城もそもそもの始まりは紅葉山という裏山を控える城だった。
ほんとの平城(ひらじろ)は数少なく、大規模なのでいうと広島城ぐらいじゃないかな?
とにかくそんなめったにあるものではないし、広島城にしても信玄の時代にその規模が確率されていたわけじゃないよ。
>>118はそこらへんの城についての大前提となる知識をつけてきてからかたった方がいい。
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121 2011/06/19(日) 10:52:23 ID:Bck9KxYEaA
>>118 いよいよ最後を決する闘いで城にこもるというのと、敵の進軍に対抗して城に入るってのは、全然違うんだよ。ここらへんの区別さへわからない極端さではちょっと何を話してもなぁ・・・
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122 2011/06/19(日) 20:32:16 ID:mFUFfark/U
>>121 レス3コくらい長文でもかまわんから、
その辺の区別ってやつを教えてくれないか
返信する
123 2011/06/20(月) 23:35:52 ID:tjHEBzJgCc
124 2011/06/27(月) 20:38:17 ID:nZIXmMvspM
125 2011/06/28(火) 05:42:53 ID:Uc5mouMkYA
敵が進軍してきたらまず出城に武器弾薬兵糧を詰め込んで
迎え撃つのはあたりまだ。城を枕に討ち死に覚悟の篭城とはちがう。
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126 2011/06/30(木) 13:06:59 ID:PoGxcwDv82
くだらん。
500年も前に逝ったものなどのことなど、どでもいい。
返信する
127 2011/07/08(金) 21:37:54 ID:YHH8P3wmMU
政治家(信玄)や経営者(信長)や軍人(謙信)や法主(顕如)など
現代なら違うフィールドで活躍してたであろう突出した連中が
同じ土俵で国盗り合戦を繰り広げてたから面白いんだろうな
返信する
128 2011/07/08(金) 23:39:03 ID:nnmwRmzY8Q
129 2011/07/09(土) 03:07:01 ID:o.50ZIKKAs
徳川史観で、徳川家康が惨敗したその相手だから信玄は勝手に最強に祭り上げられたといっていいと思う
本当の意味では気の毒な人物かもしれん
家康や徳川の利権団体のやってきた歴史評価は半島系のそれと同種だ
人間の性質として、どうしても人間は歴史というものを自分に都合良く塗り替えてしまうものなのだな
返信する
130 2011/07/09(土) 03:19:32 ID:o.50ZIKKAs
>>78 どうも商売として塩の価格高騰に一儲けしようと企んでのことらしい
戦争は金がかかるものな
返信する
131 2011/07/09(土) 03:43:02 ID:o.50ZIKKAs
この時代に地域によって兵質格差があるように言われてるが、
例えば甲斐兵は尾張兵の5倍の強さだとか、オレは随分人を小バカにした話だなと前から思っていた
日本全国総戦国の世で、しかも流浪人も多く流れるような時代に、兵質の差も何もないもんだ
一地域だけ平和を維持でき安穏として暮らし、他は戦国の世で凌ぎを削る、なんてことはない
ましてやおそらくは金銭的に一番余裕がある信長軍が最も兵農分離が進んでいただろうから、専門兵を多く雇えるわけだ
専門兵なら尚更、田吾作相手には負けられないから強くなるというもんだ
徳川方による風評による世論誘導の有り様は昨今の半島系のそれを思わせる
徳川家康って半島系じゃないのか?(笑)
冗談はともかく、徳川史観は人間というのは結局半島人も日本人も根は同じ精神構造なんだなということを理解させてくれる
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132 2011/07/09(土) 22:49:38 ID:vV2iDVW0tk
>>131 織田軍は事実弱かったんだからショウガナイだろ
最終的には滅ぼしてるけどかなりの敗戦を重ねてる
信長の戦い方は敵の兵の倍準備して戦う物量作戦だけどそれでも蹴散らされるほどの弱さ
金だって信長は戦しまくるからその兵糧や武具の準備それに毎回多くの兵が死ぬからその慰謝料も必要で貧乏な武将ばかり
秀吉クラスの武将ですら戦費は借金で賄ってたくらい金は無い
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133 2011/07/10(日) 01:25:39 ID:LcERfHB8JQ
甲斐や三河の百姓兵は、『一所懸命』って言うぐらいだから、一生懸命な強さがあったんだろうな。
そういう兵を遠征に連れていくには、信玄や家康みたいなカリスマ性が必要だろうけど。
信長の兵は、銭で雇った兵だけに、形勢不利になれば逃げたりして。
織田家に忠誠を誓うって気持ちもあまり無さそう。
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134 2011/07/10(日) 02:44:37 ID:TnyWknyfeI
>>132 それが徳川史観の洗脳工作の賜物だというんだよ
信玄の生涯3敗なんて甲陽軍鑑の捏造の可能性が高い
信長は勝率は7割くらいあったハズ
信長が弱小なら、それにやられてる勢力は何なんだよってことになる
信長軍が敵より常に倍の兵力を用意できたなんてことはない
総兵力はあっても、局地戦では敵より寡兵で劣勢なんてことはザラ
家康は歴史の偏向という極悪な行為に手を付けてしまったなぁ
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135 2011/07/10(日) 02:57:34 ID:TnyWknyfeI
歴史の改竄といってもいいが・・・
戦争に金がかかるのは敵も味方も一緒だ
信長軍だけジリ貧だという幻想は論外だろう
武田の最後なんて「一生懸命な強さ」とはかけ離れているし、
いわゆる三河武士団も家康が天下を取ったから徳川史観で持ち上げられているだけだ
そもそも三河武士団が犬のような忠誠があるなら今川に領国化されてないだろう
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136 2011/07/10(日) 23:00:15 ID:UfPTaFtwY.
勇将の下に弱卒なしとか、ライオン軍団と羊軍団の優劣の話などからすると
兵隊が強いかより指揮官が優秀かどうかの方が大事。
武田が強かったかどうかは分からないが、強かったかもしれないと考える。
川中島と長篠の戦いで武田は重臣を多く死なせてる。
例えば、姉川で押されまくった織田軍や三方が原で惨敗した徳川軍でもそこまで重臣は死んでない。
これをどう考えるかだが、
武田は部隊の指揮官をより前線に配置させていたのではないだろうか。
指揮官が前線にいる方が兵隊は奮戦するし部隊の進退の判断も速い、故に強くなると。
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137 2011/07/11(月) 01:21:06 ID:r6OlFKghgw
そのかわり、指揮官が捕縛や戦死するリスクも高まる
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138 2011/07/11(月) 03:30:26 ID:A/6Bo3igcI
姉川で織田が押されまくったのは、オレはセンゴクって漫画の解釈は鋭いと見てる
信長公記も当然、全部が全部真実を語ってはないのだろうな
横山城を包囲した織田軍への浅井朝倉側による奇襲攻撃だったとする解釈
だから、織田軍は主導権が取れず苦戦したのではないかというものだが
従来の通説よりも合点がいく
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139 2015/10/26(月) 00:10:24 ID:v/aJhJSWE.
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