ヤマタノオロチ伝説の正体


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063 2014/12/07(日) 16:06:01 ID:NYLUEG6ZSo
ヤマタノオロチは大物主
ヤチホコ
一夫多妻というよりファルス崇拝(蛇)

オロチと猿田彦の描写も似たり ホオズキのように赤い大きな目
ヤチマタ
天狗のモデルでやはりファルス崇拝(高木神)
同系のプレヤマト文化圏の支配層
猿田彦はうずめの色仕掛けに寝返ってニニギを手引きしたので謀殺された
プレヤマトにとっては裏切り者

両者の祀られ方も符合している。

まずは大神神社

崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、
従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。
崇神天皇7年2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。
11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし
(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、
市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、
疫病は終息し、五穀豊穣となる。

つぎに伊勢神宮

天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動した。
垂仁天皇25年3月、天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す(元伊勢伝承)。
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。土地を提供したのは猿田彦の子孫である「大田命」。


どちらも皇居から出されて彷徨い、どちらにも「倭」姫が出てきて、子孫だとされる「大田」が祀り役。
伊勢は猿田彦じゃないって?伊勢伊賀松坂一帯が猿田彦の支配域
謀殺された場所は阿射加神社ではなく、二見ヶ浦の二見興玉神社(これは推測)
ここは伊勢神宮内宮の鬼門であり、外宮と二等辺三角形を形成する頂点に位置する
鬼門に猿は裏鬼門などではなく、発祥は猿田彦だったのだ

大物主が鎮座する飛鳥の地に猿田彦は入れない
大物主が先に祭神となった日吉神社にも入れない(神猿として使い走りがせいぜい)
秀吉は猿田彦にあやかって日吉丸、して比叡山を再興する
尾張はオロチの「尾を割」った先から出た草薙の剣を納める熱田神宮があり

万葉歌人はホオズキの赤い実を忌避した

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