思へば元寇は、国初以来最大の国難であり、前後三十余年にわたる長期の戦でありました。
かうした大難を、よく乗り越えることのできたのは、ひとへに、神国の然(しか)らしめたところであります。
時宗の勇気は、よくその重い務(つと)めにたヘ、武士の勇武は、
みごとに大敵をくじき、民草(たみくさ)もまた分に応じて、国のために働きました。
まつたく国中が一体となつて、この国難に当り、これに打ちかつたのですが、
それといふのも、すべて御稜威(みいつ)にほかならないのであり、
神のまもりも、かうした上下一体の国がらなればこそ、くしくも現れるのであります。
神のまもりをまのあたりに拝して、国民は、今さらのやうに、国がらの尊さを深く心に刻みつけました。
また、世界最強の国を撃ち退(しりぞ)けて、国民の意気は急に高まり、
海外へのびようとする心も、しだいに盛んになつて行きました。
今、福岡の東(ひがし)公園をたづねて、亀山上皇の御尊像(ごそんざう)を仰ぎ、
はるかに玄海難(げんかいなだ)を見渡しますと、六百五十年の昔のことも、
今の世のことかと思はれて、深い深い感動に打たれるのであります。
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