●若木竹丸(ボディビルダー)
虚弱体質だった若木は、中学一年生の時に、上級生に虐められたのをきっかけとして肉体を鍛え始める。
1928年、17歳の時に神田の古本屋で偶然見つけた、講道館柔道の創始者嘉納治五郎によって翻訳され
日本に紹介されていたユージン・サンドウの書物に感銘を受け、より本格的な鍛錬を行うようになる。
猛トレーニングで見る見るうちに力をつけていった若木は、まず、相撲で非凡な力を発揮した。
サンドウの伝記と出会ってから一年半が経った頃、相撲部に入り、国技館で行われた関東学生相撲大会に出場した。
ここで、若木はトレーニングの成果である怪力を遺憾なく発揮し、決勝まで勝ち進んだ。
決勝では、対戦相手を素首落としではたいたものの、勇み足で自分の足がわずかに俵から出てしまい準優勝となった。
1938年、『怪力法並に肉体改造体力増進法』を出版。
大山倍達や木村政彦など、多くの格闘家、武道家に多大な影響を与えると供にウエイトトレーニングの指導を行なった。
このことはノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)に詳述されている。
ちなみに初めて若木に師事した武道家は、村田与吉という柔道家だということも増田が紹介している。
身長162cm、体重69kg、胸囲132cm、上腕51cm。
ベンチプレスの自己最高記録は約228kg。フロアープレス(寝差し)の自己最高記録は、約300kg以上。
その他機関車の車輪(200kg以上)をベンチプレスで上げるなどの怪力を新聞などで紹介される。
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