>>29 南北朝時代に楠見正成という武将がいた。
出自については定かではないが大阪は河内の豪族で戦上手で知られたが
その戦い方は先述の通り、籠城した城(櫓)から熱した石や糞尿を撒き散らす
遊撃戦で混乱させる等々のゲリラ戦法でステレオタイプな鎌倉武士の
名乗りを上げて戦うような武将ではなかった。
が、しかし近年になって数多く発見された資料(息子に宛てた書状など)に基づくと
恩賞や名誉などの実利ではなく天皇への無償の忠誠心が行動の原資だった模様。
元々、坂本龍馬と同じく近年までは注目されることもない歴史に埋もれた存在だったが
明治維新後に天皇への求心力を高めたい新政府によって歴史から発掘され
大々的なプロパガンダに利用されたのが楠正成と、その一家。
と、そういう事例がある一方、戦国~江戸期に於いては現代における食い扶持と同じく
生活の為、より良い労働条件を求めて奉公する事が一般的になっていた。
戦国末期で言えば後藤又兵衛や島左近に竹中半兵衛などが好例で、これは江戸期に
なっても重要な要素だった。
高名な武将のみならず末端に至るまで、殿様と喧嘩したから離職して転職した。
こんな事例は枚挙に暇がない。
返信する