NHK 邪馬台国どこに?
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049 2023/08/11(金) 11:02:49 ID:mB6Fv7Dei.
>>22-23 出土品の年代と特徴から、どの地域の勢力がいつヤマトに来たかがある程度推定されている。
それによると、「九州北部勢力」は最後にヤマト入りしている。
その後、ヤマト政権が発足している。
つまり「完成したヤマト」の前に、「九州北部勢力抜きでほぼ完成したヤマト」が存在したことになる。
確かに「北部九州の文化がヤマトに入った」のは考古学的事実だが、それはヤマトの「主体」ではなく、最後の1ピース。
>>12でストーリーを示したが、「連合勢力に抗しきれなくなってついに軍門に下った」※と見るのが筋だろうということです。
「神武東征」は卑弥呼が没した後、その後継者をヤマト入りさせた(人質として差し出した)暗喩だと考えれば、265年頃以降だろうと推測します。
※軍門に下ったとはいえ、邪馬台国は魏と正式に交流していた国。
ただ滅ぼしてしまうと魏を敵に回してしまうかもしれないと考えたヤマトは、吸収合併・併合というタテマエを用意した。
それが看板は「卑弥呼の後継者」で、実権は「豪族の合議制」という体制。
以降ヤマトはずっとその体制を敷いている。意外と統治に都合がいいと気付いたからだろう。
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