近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


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008 2023/02/25(土) 09:40:17 ID:GNW20V5QAY
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清の最盛期の3皇帝 1661 - 1722 第4代 康熙帝、1722-1735 第5代 雍正帝、1735-1795 第6代 乾隆帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85#%E6%B8%85%E3%81...
第6代 乾隆帝の60年に及ぶ治世が終わりに近づくと、乾隆帝の奢侈と十度に及ぶ大遠征の結果残された財政赤字が拡大し、官僚の腐敗も進んで清の繁栄にも陰りが見え始めた。
乾隆帝、第7代嘉慶帝の二帝に仕えた軍機大臣のヘシェン(hešen、和珅)は、清朝で最も堕落した官僚の一人で、厳しい取り立てに住民が蜂起した 白蓮教徒の乱(1796-1804) が起こったが、乾隆帝の崩御後、親政を行おうとする嘉慶帝により自殺に追い込まれた(賜死)。このとき鎮圧に動員された 郷勇と呼ばれる義勇兵と団練と呼ばれる自衛武装集団が、太平天国の乱(1851)で湘軍に組織化されて曽国藩・李鴻章・左宗棠のもとで軍閥化していくと共に、不満を持つ将兵は哥老会などに流れて三合会などと辛亥革命(1911)を支える組織になっていった。

当時、清は世界のGDPのうち3割を占めるほど豊かな国家で、ヘシェンは世界一の富豪であったと考えられる。
恭王府は1777年につくられたヘシェンの邸宅 http://pingshan.parfait.ne.jp/honglou2/trip5.htm...

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