近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ


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046 2024/04/15(月) 00:13:55 ID:Utkjn8UEms
苦力(クーリー)は西洋の植民地アジア人奴隷。殆どの華僑、印僑の祖先
17世紀からアジアの労働者の輸入が始まりもともとインド人のそれを指す言葉であったクーリーは「苦力」の文字があてられて次第に中国人労働者を指す言葉となった。

1833 年に大英帝国全土で奴隷制度が廃止され、最終的に他のヨーロッパ諸国もこれに追随した。ヨーロッパの植民地でのプランテーションや鉱山などの労働集約的な仕事は、安価な労働力の供給源がないまま放置されていたが、この需要を満たすために、主にインド人と中国人の年季奉公労働者の大規模な貿易が1820年代に始まった。中国ではアヘン戦争の結果として締結された1842年の南京条約によって開国し、外国との自由貿易が始まり、さらにアロー戦争(第2次アヘン戦争)の結果として1860年に清朝がイギリス・フランスと締結した北京条約で、中国人の海外渡航が解禁となり中国人は安価な労働力として海外に出て行くこととなった。
アメリカ合衆国で黒人奴隷制が廃止され奴隷売買が出来なくなった後に、発展期に入った鉱工業や鉄道建設で労働力となったのが苦力(クーリー)で特に中国人移民が多かった。このような移民労働の流れは第一次世界大戦まで続きました。

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