近代東アジアを明治年号で鑑みるスレ
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020 2023/03/11(土) 06:23:27 ID:l7yXKgpzMM
ヴィクトリア朝 とは、ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指す。この時代はイギリス史において産業革命による経済の発展が成熟に達した大英帝国の絶頂期であるとみなされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%... >>13 イギリスとインド
16世紀よりインド全域を支配していたのは、イスラム王朝であるムガル帝国であった。ムガル帝国が隆盛するなか、アジアとの貿易を目的としてヨーロッパ各国がインドへ進出した。スペインとポルトガルにより開かれたアジアとの貿易だが、17世紀のスペイン・ポルトガル没落後、イギリスとオランダが積極的にインドへ進出を開始し、その後フランスも進出を開始した。
当時はアジアとの貿易を目的として設立されたイギリス東インド会社が、アジア貿易の独占権を有しており、1757年に勃発したプラッシーの戦いによりフランス東インド会社より勝利を収めインド全域の統治し、イギリス東インド会社は貿易会社よりもインド統治のための行政機構の役割を担うこととなった。その後、1858年に起きたインド大反乱の責任を負い、インドの統治権をイギリス政府に譲渡した。
1877年(明治10年)インドがイギリスの属国となりイギリス領インド帝国が築かれた。イギリスによるインドの植民地化により、利益の多くはイギリス人により回収された。このためインド人は困窮化し、イギリスの支配に対する不満を高める結果となった。
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