オリンピック悲劇史
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001 2021/06/14(月) 02:38:59 ID:gGW9eFyB3E
フランシスコ・ラザロは、ポルトガルの陸上競技選手である。
1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソン競技中に倒れ、その翌日に死去したラザロは1896年に近代オリンピックの歴史が始まって以来、オリンピック競技で死去した初めての人物であった。
ラザロは、30キロ過ぎの給水所を越えてゴールまであと8キロを残した地点で倒れて意識を失った。ラザロが倒れたという知らせはすぐに伝えられて、当番の医者が駆けつけた。倒れてから約1時間半後に、ラザロは病院に搬送されて夜通しの治療を受けたが体温は42.1度という高温になっており、意識が戻ることはなくその翌朝6時に死去した。
後に、日焼けと過度の発汗を防止するために、体の表面の大部分にワックスを塗布していたことが判明した。このワックスの油分が水を弾いて自然な発汗までも妨げたために、体内における電解質の重篤な不均衡を引き起こす結果になった。
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002 2021/06/14(月) 06:21:16 ID:9Gya2oHtq2
003 2021/06/14(月) 09:55:43 ID:cCyIB4wOKs
[YouTubeで再生]
やはり最大の黒歴史はミュンヘンオリンピック事件でしょ。
パレスチナ武装組織のテロによりイスラエル選手団の9人と犯人グループの5人が死亡した。
西ドイツの救出作戦は完全に失敗し、平和の祭典の幻想は完全に打ち砕かれた。
この事件で選手村のセキュリティーが大幅に強化され、対テロ部隊の必要性が現実になった。
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